神のいないエデン――フロレアナ島のアダムとイブ

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好きにチェックアウトできるが、立ち去ることはできない

galapagos-affair-002c 地上に『楽園』を作ろうとした者は少なくない。

これらはいわゆるユートピア思想に燃えた者たちが僻地に集まり、現代社会と決別し、自分たちの理想とする新世界を作らんとしたものだ。

宗教がらみでは1804年の『ハーモニー・ソサエティ』や1848年の『オナイダ・コミュニティ』などが有名で、政治・社会改革の色合いが強いものでは1841年の『ブルックファーム』や1843年の『フルーツランド』などが知られる。

過激なところでは1978年にガイアナで集団自殺事件を起こした『人民寺院』、1993年テキサス州ウェーコでFBIとの銃撃戦がTV中継された『ブランチ・ダビディアン』などもユートピア思想が強かった。

日本で言えば「日本シャンバラ化計画」を構想した『オウム真理教(現アレフ)』や、現存するモノでは――ちょくちょくトラブルを起こし話題となる『幸福会ヤマギシ会』などが挙げられる。

アメリカだけでもユートピア・ブームまっさかりの1787年~1919年の間だけで279ものユートピアカルトが勃興し、ほどなく消えていった。

そのほとんどがカリスマ始祖の死亡・失脚、運営資金問題、社会とのトラブルによって『パラダイス・ロスト』したワケであるが、ユートピアという単語のもつ「どこにもない場所」という意味を見事に体現してはくれた。

果物大好きマン共同体『フルーツランド』などは食べるフルーツが無くなって、わずか7ヶ月で失楽園したというから逆に応援したくなってくる。冬に果実の実りがなかったから――かどうかは定かでない。

ともかく、様々な思想家によって様々な楽園のレシピが考案され、実践され、失敗に終わった。レシピが悪いのか、料理人が悪いのか、素材が悪いのかはわからない。単純に人間の口に合わないだけなのかも知れないが、それはいい。

フリードリッヒ・リターの目指した思想が主導したもの、あるいはバロネス・ボスケが目指した利潤を追求したモノ、それらの楽園構想も上記の例に違わず、わずか数年で潰えたワケであるが『楽園』に一家言もつ諸兄は言うかも知れない。

なんだよー! こんなん失敗して当然だよー! あのさー松閣ちゃん、おれさ『楽園』っていうから、もっとこう、ヤンガーなチャンネーがジャーウジャいる場所を想像したのね。なのにこの島は色気づいたババアばっかりじゃ無いのよー困るよーババアじゃ数字とれないよー」と。

諸兄がエセTV業界人っぽくなっている事はともかくも、ババアにむかってババアとか配慮のないこと言ったら、ババアに怒られますよ?

ババアからの反発が予想される冗談はともかく、フロレアナ島で起こった一連の出来事には様々な疑義が投げかけられている。

たとえば、島で起こったとされる出来事の説明は、主にマルグレット・ウィットマーとドール・シュトラウヒ、そして島外からの訪問者の手記によって構成されるのだが、少なくともマルグレットとドール、この2人の説明に多くの矛盾が含まれており酷いモノでは全く違う経過が書かれている。

博物学者として知られる荒俣宏大先生が著作『荒俣宏の20世紀世界ミステリー遺産』のなかで、芥川龍之介の短編小説『藪の中』を引き合いに出し、この事件を『ガラパゴス版“藪の中„』と表現しておられるが、まさに『藪の中』がごとく『証言が矛盾・錯綜し真相がうやむや』――

アラマタ先生の言葉を借りるなら「関係者のいう証言が、ぜんぶ食い違っている。――ガラパゴスの不思議はゾウガメやイグアナだけではないのである」のである。

ではどのように『おかしい』のか。それぞれを見ていこう。

リター博士の(主に肉へむけた)異常な愛情



なんだよ! リター博士は菜食主義者って言ったじゃないか! なのに腐りかけた鶏肉くって死ぬなんておかしい!」と諸兄は憤慨するかも知れない。

リターは島を訪れた好事家やメディア取材に対し、菜食主義の素晴らしさを何度も語っている。そのリターが肉を? しかも腐りかけの? 

これは当時、島の内情を把握できないまま「全裸で野菜ばかり食う――原始的生活をするガラパゴスのアダムとイブ」というセンセーション狙いの記事を真にうけていた層に疑惑のまなざしを持って迎えられた。『ミステリー』のスパイスの一つとなったわけである。

が、マルグレット、そしてハインツなどの証言により、この博士、口では菜食主義者を騙っていたが実際にはお肉大好きだったことが判っている。

ウィットマー家が島にやって来て間もない1932年の暮れ頃、リターが菜園を荒らす野牛を撃ち殺し、その肉を解体しているところをハインツが目撃した。
妙にさばく手際が良いな。菜食主義者なのに
と疑問に思ったが、その新鮮ジューシーな牛肉ステーキをふるまってもらったので深くは考えなかった。おいしかった。

そうしてウィットマー家の赤ん坊出産の際にも、手伝ってもらった謝礼として金を払おうとするハインツに対しリターは

よせ。金などこの島では無意味!

と男らしく拒絶した。が、その直後

あの、……代わりに――。2週間に一度乾燥肉をわけて欲しい……な

などと女々しい要求している。

オウオウこいつ、さんざん肉食を凡愚畜群扱いしてるくせにオニク食ってんじゃんよ、えぇオイ、ツァラトゥストラがどう語ったのかは知らねぇが、ニーチェのダンナもあの世で泣いてるなぁ、えぇオイ、とハインツは思った。

ともかく、さまざまな情報を総合すると、リターの菜食主義は『スタイル』に過ぎなかったようだ。おいしいよね、お肉。

この肉食超人リターに関して、1935年に出版されたドールによる手記『Satan Came to Eden』を見てみれば以下のように説明がなされている。

長い干ばつのせいで、私たちの作物はほとんど駄目になり、船も来なかったため深刻な食糧難にあったのです。ウィットマーに助けも求めませんでした。
そこで私たちは嫌悪感を克服し、夕食に鶏肉を食べることにしたのです。最近、妙な病気で死んだ豚――の死肉を与えて死んだ鶏でしたが


ドール・シュトラウヒ (Dore Strauch)
病気で死んだ豚を食べさせて、死んだ鶏――の肉を食べて死んだリター。先生、生き物ってみんな繋がっているんだね!

ひとつ留意しておくべき事として、ドールが
リター博士は偉大な人物で、私たちは愛に満ちていた
と彼の死後も繰り返し主張している事実が挙げられる。

『リターが偉大でなければならない』事情は様々考えられるが、事実はどうあれ『偉大な思想家とその理解者の歩み。With Love』というイメージをキープしようとしていたのは確かである。
ちなみにドールはリターの書き残した哲学に関する著述を彼の死後出版し、その思想を広く世に知らしめようとしていたが――その企みは失敗に終わった。民衆は説教よりゴシップを求めた。

つまるところ、ドールは

肉食は仕方なかったのであって、リター博士は自分の言説を裏切ったわけではないのです

と釈明したいのである。
とはいえリターの様々な言行不一致が他の証言者によって浮かび上がっているので、『偉大な思想家イメージ』保持に熱心なドールの主張からは、ある程度『美化』を差し引いて見たほうが建設的だろう。


リター博士の「エデンに死す」



このフロレアナ島でおこった一連の事件に関しては生物学者であるジョン・トレハンの『ガラパゴスの怪奇な事件』が非常に詳しく、これ一冊あればほぼ事足りるのだが、証言の細部に関してはマルグレットあるいはドールの手記が明るい。

マルグレットの説明ではドールがウィットマー家に助けを求めに来て、すぐさま2人でフリードに戻った事になっている。
その際にハインツはいっちょ前に漁などにでていたのでマルグレットは彼に書き置きを残し、それを読んだハインツが夕方5時にフリードにやって来たと。

だがドールはマルグレットがすぐにハインツを呼びに行ったとしている。
これぐらいなら何のことはない勘違いで済む話かも知れないが、証言の間にはいくつもの食い違いが見てとれる。

マルグレットドール
ドールが近づくたびに、リターは彼女を殴るか、蹴るかのような、弱々しい動作を見せた。リターが私に向ける一瞥は、穏やかで嬉しそうでした。
ドールを見上げるリターの目は露骨な憎悪でギラギラ輝いていた。リターはまるで、次のようなことを私に言いたげでした。
「私は逝く。だが約束して欲しい。我々がなにを成すためにここに生きたのか――それを忘れないと」
リターは死に際に最後の文を書いた。
「臨終に際して、私はお前を呪う」
原文“I curse you with my dying breath”
コメント無し(この出来事に言及していない)

『鉛筆で書いた』という類似だけで言えば、ウィットマー家が到着した頃にノドにできた異物をさして「窒息してしまう。私の銃をとってくれ」というメモを書いた。
原文 “This is choking me … give me my gun.”(1936年版)
祈る、助けを求める、あるいは何かを訴えかけるような――感じでウィットマーズのほうに手を挙げた。
このとき、ドールは他の場所で休憩しており、その場にいなかった。
彼は私にむかって両腕を伸ばした。
痛みと苦しみのすべての痕跡は、彼の顔から消えてしまった。私は奇跡を見る人のように彼を見つめ、注視するしかなかった。
死の直前、彼の目は激情に色を変えた。半身を起こし、ドールに襲いかかる風にみえた。
ドールは悲鳴をあげて、恐怖で壁際まで後ずさった。彼は枕の上に音をたてずに倒れた。死んだ。
リターは後ろに沈んだ。
私は優しく彼の額を愛撫した。死んだ。
――【ウィットマーが来る前】
自分も腐った肉を食べて、リターとともに死のうと思った。やめた。

ドールによる述懐は『Satan Came to Eden』に目を通す限りやはり『美化』の臭いが強く、さらに1935年版と改訂された1936年版でも若干細部が変更されている。

ハインツの述懐では
ドールが近づいたとたんリターの容態が急変し、ドールの方に身を投げるかのように暴れ始め、やがて倒れた。ドールが彼をひっくり返して死んでいることを確認した
となっており、ちょっとしたホラー映画のような状況がうかがえる。

『臨終の間際に両手を挙げるリター』に関して、ハインツは
リターは自分たちに“何か„を伝えようとした
と考えた。それはバロネスの失踪に関する事にちがいないとも考えた。そして
博士が死んだ今、彼は何の説明もできない。彼の口は永遠に封印されたのだ
といささか不穏なことを書き残している。

この食中毒はリターの症状からボツリヌス菌、ないしジフテリア感染によるものであろうとされている。
ドールも同じモノを食べたと主張しているが、『少し気分が悪くなった』程度で済んでいることから、(穏当な意見としては)リターがドールに内緒で何か別の感染源となり得るモノを口にした可能性が指摘されている。
穏当でない意見としては

・様々な医学的知識を持っていたにも関わらず、リターが腐った肉を食べるはずがない。ドールにはめられたのだ。
・ドールが『よく煮る』という博士の指示に従わなかったのだ。悪意があったかどうかは別として。
・何らかの『秘密』を隠蔽するため、博士は何者かに毒を盛られたのだ。
などがある。

臨終の『呪ってやる』メモなど、いかにもドールが怪しい話なのではあるが、ウィットマー家の話が間違っているという視点に立てば、ドールは濡れ衣を着せられたことになり――まさに『藪の中』である。
少なくとも、証言の細部が対立することから、どちらかが嘘をついている事が推察される。


ロレンツのミイラ


ロレンツがナッカルードとパスミノ少年とともにディナミタ号に乗ってサンタクルス島を出たのが7月13日。

その数日後にはディナミタ号がチャタム島に着いていないという知らせがサンタクルス島に届いた。難破を心配したナッカルードの友人たちによる捜索が数週間行われたが、船の残骸すら見つからなかった。

そのロレンツが発見されたのは、リター博士が亡くなる4日前だった。

発見された場所は目的地チャタム島から遠く離れた小島――マルチェナ島の北岸だった。

カラカラに干からびた遺体が2体、ミイラ化したそれの周囲には30通ほどの手紙が散らばり、片方の遺体には小舟がかぶせてあった。

島の位置関係は以下のようになる。

galapagos-Kouikimap01

このミイラロレンツの発見はマグロ漁船の船員によるものだったが、情報伝達が上手くいかなかったため、当時のメディアに混乱をもたらした。

かくして

「死んでいた2人はウィットマー夫妻だった」

だの

「2つの死体の1人の手には長い美しい髪の毛がしっかり握られていた。髪の毛の主ウィットマー夫人、その人こそ事件の解決のカギを握っている……」

だの

「バロネスとその同伴者だった」

だのと錯綜したままの情報が紙面をにぎわせ『謎が謎を呼ぶガラパゴス・ミステリー!』を彩ったが、その後ロレンツとナッカルードであったと訂正された。

船に乗っていたはずの、もうひとり――。すなわち13歳のパスミノ少年はマルチェナ島にその足跡すら見つからず、同様にディナミタ号の残骸も見つからなかった。

目的地のチャタム島とは全く違う方向にあるマルチェナ島。チャタム島とマルチェナ島は直線距離にして約170km、なぜこんな場所にロレンツがいたのか。なぜディナミタ号は残骸すら同島で見つからなかったのか。
これもミステリーのひとつとされた。

距離170km、漂流開始が推定される海域からでも140km(75.6海里)。直線距離で測定すれば、東京霞ヶ関から静岡市中央、大阪市内なら名古屋中央までがおおよそ140kmである。日本が狭いのか、世界が広いのかは判らないが、かなりの距離があることは判る。


しかしながら、すこし距離は離れているものの、この漂流は決してあり得ないモノでもなさそうだ。

常識的な推測としては、チャタム島に向かう途中でエンジンが故障し、帆のなかったディナミタ号は漂流を余儀なくされた。そうこうしているうちに何らかの要因で船が転覆し、ロレンツとナッカルードだけがマルチェナ島に漂着した――と考えるのが妥当だろう。

以下に周辺の海流を描き込んだ図を用意した。

galapagos-Kouikimap02

この海域は赤道直下かつ大陸沖ということもあり、いくつかの巨大な海流が合流する場所となっている。

船のエンジンが故障した場所をチャタム島への道中、おおむね航路の中間に仮定すると、ちょうど大陸側から押し寄せてくる南赤道海流と、太平洋から流れてくる赤道潜流(クロムウェル海流)がぶつかる場所になっており、さらに南から上がってくるペルー海流が北方へプレッシャーをかけてくる。

こうしてみると、まぁ距離はあるが、不可解と騒ぎたてるほどでもなさそうだ。

マルチェナ島に漂着するまでにどれほどの日数を要したかは定かでないが、少なくともロレンツが漂着ないし到着した時点では『生きていた』ことは確かで、遺体の近くで火をおこした痕跡などが見つかっている。
ちなみに、遺体が発見されたとき、哀れなロレンツの体重はわずか9kgしかなかった。

このミイラ化したロレンツを撮影した写真がいくつか存在するが、ここでは触れない。次のリンクから検索結果に飛べるので気になる諸兄はどうぞ。砂浜に横たわっているのがロレンツで、小舟の脇に横たわるのがナッカルードである。『Lorenz Marchena



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あなたの名は、友人

思うに、バロネスも乗った船が転覆でもして、行方不明になったんだろ。物事はシンプルに考えなきゃいかんよ
と諸兄は言うかも知れない。

そうであれば『穏当な結末』だと言えたかも知れない。だれも罪を追求されず、だれも非難されない、傷つかない。どうということもない、よくある事故だと。だがメディア、そして関わった当事者たちすらそんな『穏当な結末』を否定した。

亡くなったリター博士を含む当事者たちの主張に共通する点は主に2つ。

①バロネスはタヒチへ行っていない。
②バロネスとフィリップソンは死んでいる。
少なくとも、この2点に関しては、当時フロレアナ島を訪れた者や、後に事件を調査した者たちの多くがこの結論を支持している。

この『バロネス死亡説』の根拠として挙げられるのが、バロネスの荷物だ。

バロネスはオスカー・ワイルドの小説『ドリアン・グレイの肖像』を愛読していた。これは美貌で知られた青年ドリアンが絵画に描かれ、その絵画のほうが醜く歳をとってゆく――本体のドリアンは美しいまま精神を暗黒に染めてゆく……という退廃的な話で、バロネスはこの本を『お守り』としてどこへ行くときも肌身離さず持っていた。

だが、バロネスが失踪し、リターたちが例の『火事場泥棒』よろしく楽園農場に赴いた際、この本が残されているのを目撃している。大事にしていた写真や、旅行アイテムも。

少なくともタヒチへ旅に出るなら1ヶ月を超える長旅になる事は必至であり、所有欲の強いバロネスがこれらの荷物を置いて行くとは考えにくかった。
そして、誰も『ヨットに乗ってやって来たバロネスの友人』を目撃していない。

事件から80余年、これまで、いくつかの事件を説明しうる『可能性』が指摘されてきた。それらはどうだろうか。
一つずつ説明したのでは、これ以上の冗長項になってしまうので、ここは権威の威光を借りて手短に済ませたい。

ジョン・トレハンは生物学者という自身の仕事をガラパゴスで行うかたわら、この事件に興味を持ち、広範におよぶ資料をかき集めた。その成果が『ガラパゴスの怪奇な事件』となるワケだが、そのなかでバロネス失踪について以下のように述べている。

(前略) もう一つの可能な説明は、バロネスとフィリップソンが船で連れ去られ南太平洋で暮らしているというものだが、これもやはり認めがたい。第一に、失踪当時フロレアーナ島に寄港した船影は認められなかったし、諸島のどこにもそのような船についての報告がない。第二に彼女は国際的に有名になろうと宣伝したはずだが、そうしなかったのは信じがたい。第三に、彼女がほかの太平洋の島で発見されたと大げさに世界中に公表されたり、新聞に報道されることがときたまあるが、その後の確かなニュースや関係した船の船員からの報告も得られていない。
バロネスとフィリップソンが通りかかった船に乗せてもらい、その船が難破したという可能性は残されている。しかし、これもほとんどありそうにない。
(中略) もしバロネスとフィリップソンが通りかかった船で連れ去られたのではないとすれば、二つの可能性だけが残る。つまり、自殺か、殺人である。

リターはバロネスの失踪当時、自殺説を採っていた。これは『楽園農場計画』が失敗に終わる、ないし終わりそうなことにバロネスが絶望したから、という説明がつけられている。

失踪する少しまえの夜、バロネスとフィリップソンが砂浜でキャンプファイヤーを上げ、狂ったように踊っていたのを様々な者が目撃している。

自暴自棄になったのだ――と言われればそんな気もする。

資料に目を通すかぎり、バロネスは自意識過剰で虚言癖があり、性的な誘惑(ドール曰く、リターも狙われた)、芝居がかった演劇的な言動、優越性の誇示――などいわゆる演技性パーソナリティ障害の傾向が見てとれる。

肥大化しすぎた自意識と、自分を取り巻く現実の結着点として、自尊心を満たす『タヒチ計画』と『船持ちの友人』をでっち上げ、人知れずピリオドを――。むぅ、自殺説、あるんじゃないか。

だが権威ジョン・トレハンは自殺説に懐疑的だった。

しかし、結局のところ、次のような理由で自殺よりも殺人の可能性がありそうに思われる。
第一に、ドール・シュトラウヒは「バロネスが殺されましたし、フィリップソンも殺害されました」と殺人がおこなわれたと信じていることを言明している。

第二に、フリードリヒはのちに自殺説を捨て、エクアドルの新聞に殺人があったことをはっきりと告発している。

第三に、住民たちはバロネスとフィリップソンの死体の捜索に協力していない。このことは驚くべきことで、大陸から遠く離れた孤島で2人の人間が消え失せたら(船が彼らを連れ去った証拠もないのだから)――置き去りになっている財産を自分のものにする権利を主張するというだけのために――、徹底的な捜索が行われるのがふつうだろう。

最後に、1934年3月19日から4月1日にかけて起こった事件(註:ロレンツへの虐待→ウィットマー家による保護→バロネス失踪)について、マルグレット・ウィットマーとドール・シュトラウヒの説明にはくい違いがある。もしバロネスがひそかに自殺したとすると、なぜ片方の女性だけが事件について明らかに偽りの説明をでっち上げなければならなかっただろう?

バロネスとフィリップソンが島から出て行ってないというのがもっともありそうなことだが、だとしたら彼らになにが起こったのだろう、いやもっと直接的に言えば、誰が彼らを殺したのだろうか?

少なくともハリー&ロルフ・ウィットマーという2人の子供を除く全島民に動機があった。そのなかでもロレンツ。この男は島に住み始めて間もなく、生命の危機にまで追い込まれるほどの虐待対象となったし、バロネスが消えた前後の行動も怪しい点が多い。

そして、島へ来る以前、ロレンツとバロネスは一緒に商売をやっていたが、経理をバロネスに任せていたために破産した――という因縁もあった。

この『ロレンツ殺人者説』は事件に直接関係した者たちのあいだで共通した意見となっている。マルグレットとドールはそれぞれ法的な場所で事情を聞かれたが、2人ともロレンツが何らかの形で殺害に関与していると所見を述べている。

だが、もともと気が弱く、かつ体力的にも衰弱しきっていたロレンツにそんなことが可能だったのか?

マルグレット&ハインツはロレンツがバロネスのリボルバーを盗み、それで撃ち殺したのではないかと推理した。

夜の砂浜で撃ち殺せば、潮が満ちたときに打ちよせた波が血の痕跡を洗い、遺体をさらい、あとはサメが処理してくれるだろう、と。たしかに、これなら低体力のロレンツでも遺体の運搬・処理などのやっかいな問題をクリアできる。シンプルな話だ。

だが、そうであるなら、なぜ証言が矛盾するのか。

ロレンツが犯人なら、誰も嘘をつく必要が無い。なのに証言がおかしなことになっている。

こうなってくると、共犯があった――その事実を隠すために嘘が必要となった――と推定されるのも無理からぬ話で、ミステリーは『誰がロレンツの共犯か』という方向に収束して行く。
そしてそれは数少ない島民の間に疑心暗鬼を生む結果となった。

手短にドールの証言を見てみよう。

ドールの証言
3月19日(ロレンツがウィットマー家に保護された日)

昼間に「長く尾を引く悲鳴」が聞こえた。何事かと、リターがフリードの入り口まで行って見回したが、何もなかった。
毎週やってくるロレンツが翌20日に来る予定だったので、何かあったのか聞こうと思った。
3月20日
ロレンツは来なかった。
3月21日
ロレンツがフリードに来た。彼は態度も外見もすっかり変わってしまった様子。
ドール曰く「憎悪と絶望の重荷が取れたように見え、まだ体の調子はひどく悪いようだったが、気分は良いようだった。以前の若々しさをいくぶんか取り戻したように見えた」

ロレンツは「バロネスとは別れ、3日のあいだウィットマーの家にいたらバロネスが迎えに来たんだ」と話した。

【その時の話】――
バロネスが来た時、ロレンツはハインツやマルグレットと仕事をしていた。マルグレットが門の中に入るようにバロネスに言ったが彼女は最初断っていたが結局入って来た。
バロネスが「楽園農場でスパナを探しているが見つからない。どこにあるか知っているか」とロレンツに聞いた。スパナの場所を教えたが、「楽園農場に戻って来て、手伝いをしてほしい」というバロネスの要請は断った――ということだった。
――

そしてロレンツは「ハインツが日曜日にここに来る」と告げてドールのもとを去って行った
3月25日
たしかにハインツ・ウィットマーがフリードに来た。ドールの誕生日だった。

楽園農場から『アレック』という人物に宛てた手紙、リターたちを中傷する新聞記事や本などを持って来た。バロネスの署名記事だった。入手先が気になったリターだったが、ハインツによれば「ロレンツが楽園農場のテーブルから持って来た」という事だった。

話の途中からハインツはその場にいないバロネスに対し、狂ったように怒り始めた。
エクアドル政府がなんの保護もできないなら、自分たちで法の執行をしなければならないんだ」と叫んだ。
註:のちにドールはこの発言を根拠に、ハインツ・ウィットマーに疑惑の目を向けた
3月25日~日付不詳

しばらくして、マルグレットがロレンツとともに訪ねて来た。バロネスの失踪を知った。今度、みんなで楽園農場に行ってみようと言うことになった。
4月1日

楽園農場を見に行く。その前にウィットマー家で昼食を取った。
その昼食の際、テーブルクロスおよび出されたティーセットが楽園農場で使われていたものだった(註:少なくともドールにはそう見えた。以前、楽園農場で食事をした際に食器の事でバロネスと口論になったため覚えていた

それを指摘するとマルグレットは怒った。ティーセットはグアヤキルで買ったもの、クロスはドイツにいる姉からの贈り物だと反論した。

昼食後、ロレンツを含む島の住民全員で楽園農場へ行った。なかは整然としており、バロネスの帽子、旅行用荷物、お守り『ドリアン・グレイの肖像』などがあった。
註:マルグレットはドールが同行したと書いていないが、これは些細な問題かとおもわれる

ちょっとわかりにくく、ともすれば「別におかしく無くない?」と思われるかも知れない。

特に『ハインツの持ってきた手紙』についてトレハンの著作や他の資料で

「オカシイよ! ハインツかロレンツかドールが嘘をついてる!」

と指摘されていたが、オカクロ特捜部としては

「なんもオカシない。手紙ぐらいで騒ぐなんて、なんと節操がないことか。おかしいのは君らではないか」

などと、いっちょまえに訝っていた。が、よくよく考えたらわかった。時制の問題だった。トレハン先生、節操がないとか言ってすみませんでした。自分の読解力不足を反省します。

証言でドールが主張したいのは以下

・おそらく『3月19日の正午の悲鳴』はバロネスのモノで、殺したのはロレンツだ。
そして

・ウィットマー家が何らかの形で殺害に関与している
という2点に絞られる。

ドール証言が正しく、3月19日の時点でバロネスが殺されていたのなら、マルグレット証言に出てくる3月19日以降のバロネスは存在しえない――つまりマルグレット証言の『かわいいローリー訪問』、そして『タヒチ計画』。これらすべてが瓜二つの別人か、ドッペルゲンガーか幻覚、幽霊、あるいはデッチ上げによるモノ――ということになる。

そして、良くわからなかった『ロレンツが楽園農場から手紙・新聞・本を持ってきた――とハインツ・ウィットマーが言った』というのも、ドールの発言の意図を噛み砕けば、この25日の時点でバロネスは死んでいるから、空き家を良いことに、ロレンツ&ハインツによる家捜しが行われた――という示唆を含んでいる。食器とテーブルクロスもしかりである。

バロネスが生きていたなら、彼女の所有物である『手紙・新聞・本』そして『食器とテーブルクロス』も手に入るワケがない――殺して、盗んできたんでしょ? と言いたいわけだ。

もちろんこれは『3月19日の正午の悲鳴』でバロネスが殺されているーという前提が、文脈の下地にあるワケで、ドールの思い込み、勘違い、ないし嘘である可能性は低くない。逆にドールが本当のことを言っているなら、ハインツかロレンツのいずれか、そしてマルグレットも嘘をついたことになる。

ちなみにドールのソレとは違うが、リターもハインツによる犯行を疑っていたようで、生前エクアドルの新聞社に送った記事には以下のようにある。

バロネスが島を去ったという日(27日)にはフロレアナ島周辺にはいかなる船もいなかった。その夜、女の叫び声と銃声を聞いた。声はまぎれもなく男爵夫人であった。銃声の主はハインツ・ウィットマー以外にあり得ない

フリードリッヒ・リター (Friedrich Ritter)
リターの死後1ヶ月もたたない12月7日、ドールは島を去った。

寄港した億万長者アラン・ハンコックの船ベレロ三世号に乗って、5年半もの月日を過ごしたフロレアナ島からドイツへ向かった。

この船上の雑談で、ドールは船員に上記の証言を聞かせたのだが、このとき矛盾に気がついたハンコックの指示により、急遽ベレロ三世号はフロレアナ島へ引き返している。(註:アラン・ハンコック、および探検隊関係者たちはウィットマー家と友好的だったため、ウィットマーによる『事件の証言』を寄港時に聞いており矛盾に気がついた)そうして島で供述をとり、また再出港するという面倒なハメにあっている。

ドールやリターがウィットマー家の関与を臭わせる発言をしたため、年が明けた35年1月、兵隊を伴ったガラパゴス知事がフロレアナ島にやってきて、ウィットマー家は尋問を受けるハメにもなった。

だがこのとき

楽園農場とフリードは5㎞以上離れているし、かつ中間に600mの山があります。その距離で『叫び声』って聞こえるものなのでしょうか?

マルグレット・ウィットマー (Margret Wittmer)
というマルグレットの冷静な反論を聞いて、知事は納得した。銃声もしかり、よくよく考えればさすがに聞こえないだろう、こりゃドールとリターの証言がおかしい――となった。後日、マルグレットは別口でドイツ領事館での3時間に及ぶ尋問も受けているが、ここでも罪に問われることは無かった。

『真実』を巡って、ドールとマルグレットの確執は長く尾を引き、ドールはドイツへ帰った1935年には『Satan Came to Eden』を出版し、マルグレットも『Floreana: A Woman’s Pilgrimage to the Galapagos』や『What Happened On Galápagos?』『Postlagernd Floreana: Ein aussergewoehnliches Frauenleben am Ende der Welt(邦題:ロビンソン・クルーソーの妻)』などいくつかの手記を発表している。

この2人の証言は真っ向から対立することが多く、読んでいると人間不信に陥りそうになる。

誰が嘘をついているのか今となっては定かでないが、自己顕示欲だの承認欲求だのヒロイズムだので装飾された鬱陶しい情報が多いぶん、ドールが否定的に扱われている印象がある。

なんだか、だらだら書いているうちに図らずも冗長になってしまった。

読まされるほうもたまったモノではないだろうし、これ以上の些末な情報や小ネタの紹介は別ページに補足という形で放り込んでおくこととし、次ページでは個人的に一番触れたかった――男の魂を揺さぶる仮説に目を向けてみよう。

■補足用の別ページフロレアナ島での出来事についての余りにも散漫な補足・補遺編事件をもっと知りたい諸兄はどうぞ。
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