―資料:フロレアナ島での出来事についての余りにも散漫な補足・補遺編

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オカルト・クロニクル記事『神のいない楽園――フロレアナ島のアダムとイブ』の散漫な覚書。本当に散漫。

記事に盛り込めなかった些末な情報などを、せっかくなので補足・補遺編として置いておきます。事件について考える際、あるいは追跡調査する際の一助にでもなれば幸いです。
なお、引用の際の表記揺れは原文ママ(リターがリッター、バロネス→男爵夫人など)


何かを言おうとしたドール
リターが死んだ夜、子供を心配してハインツは家に帰ったが、マルグレットは一晩中ドールに付き添って慰めていた。
その時ドールが『リターとロレンツの間にあったある秘密』について仄めかそうとしているように感じた。ハインツも同じような所感を持っていた事をメモに書いている。

なにかにおびえるリター
1934年、バロネス失踪以後の7月10日に書かれたリターの手紙の一つには、当時の彼の心境を吐露した興味深い段落が含まれている。
「もし私自身か、あるいは私たちが2人とも失踪したという知らせがあったら、――たとえバロネスがすでに居なくなったとしても――原因は茂みの中から撃った銃弾だと思ってください。このことで怯えないで下さい。――これはほんの気まぐれに考えたことなんですから。そして私はそんなに早く、簡単に最後を迎えるとは思っていないんです」ロレンツやウィットマーに恐怖心をもっていたようだ。

実はあさましいかもフリード
ウィットマーが島へ来たとき、海岸に大量の荷物を置いて少しずつ運搬していたが、あるときその荷物をドールが無断で漁っていた。とウィットマーの主張。
ある差し入れ荷物が紛失し、またバロネスが盗んだか――と思われていたが、荷物に含まれていた缶詰の空き缶がリターの良くいた場所から見つかっている。


赤ん坊ロルフの誕生
ロルフ。1933年の正月生まれる。この出産にはリターも協力し、和解ムード。ドールも喜び、バロネスでさえ喜んだ。バロネスは彼女らしくないが、ウィットマー家にプレゼントさえ持参している。
ドールとリターの関係も幾分か穏やかになり、島全体が祝賀ムード。唯一の平和な時期。

バロネスという女性について
バロネスは様々な人たちに自分の経歴を話しているが、それも本人同様に掴み所がないモノだ。
戦時中にはスパイで、その後はコンスタンチノーブルにてダンサーをした。その地で裕福なフランス人男性と懇意になって男爵夫人になった――。
あるいは、バグダッド鉄道建設の監督官として中東に派遣されたオーストリア高官の娘で、やがてシリアに移ってフランス人将校と懇意となり、彼の仲介でフランス社交界にデビューし男爵位をえた。
どこまでが本当か判らない話が多々あるが、すくなくとも『パリのドメニル街にあった特売店「アントワネット」をつぶした』という経歴は本当だろう。当事者がロレンツだからだ。


仲が悪すぎてさっさと距離を置きたいリターとドール
1934年11月上旬、ドールはウィットマー家の人々にフロレアナ島を去る事を考えていると話した。

リターも「島で私が期待していたモノは何も実現しなかった」とウィットマーズに語っている。ハインツは日記に「リター博士はひどい自己嫌悪に陥っていたようだ。老けて打ちひしがれた様子で、ここでの人生はつぎからつぎへと失望の連続だったので島を去りたいのだと言っていた」と書いている。リターは、ドールは意地が悪く、2人は絶えず口ゲンカをし、それがまた彼の神経にさわるのだ、と言っていたとマルグレットが主張している。

リターは次にベレロ三世号が島へ寄港したとき、ドールを乗せて大陸へ連れて行って欲しい旨の要望をアラン・ハンコックに出している。
しかしドールが説明するリターとの関係はウィットマーの人々が話したものとはまったく違う。

「二人の気持ちはともに完全に一致して、仲睦まじかったのです。意見の違いはすっかりなくなって、私たちは言葉では言い尽くせない完全な相互理解に達していました。フリードリッヒは思いやりがあり、優しくしてくれました。感情の嵐もまったくなく……あの最後の月には、私たちは以前経験したこともない平穏と幸福感で結ばれ、この世のものとは思えない幸せに包まれていました」

ちなみにリターは1933年以降、ドイツに置いてきた妻をフロレアナ島に呼び寄せる計画も持っていた。あるいは自分も島を去ろうとしていた。


腐った肉を食べさせられた不憫な家畜たち
フィリップス・ロードが訪れたとき、船員がフリードに出かけ、「リター博士のところの鶏が瓶詰の豚肉に中毒して全滅してしまった」と聞いた。11月14日ごろ。博士は11月21日に死亡。ロレンツが発見されたのは11月17日。

ルドルフ・ロレンツの不満
所持品の洞窟から家運び込んでいる時、ルドルフ・ロレンツが訪ねてきた。彼は入れ立てのコーヒーの香り惹きつけられ、喜んでいっぱい呼ばれ、バロネスたちと一緒では不幸せであること、そして下男のように扱われていることなどを話した。彼に関する限り、共同経営者としての立場にないことは明らかだった。フィリップソンやバルディビエソが面白い仕事を全部やってしまい、彼は下賎な用事をすべて引き受ける役回りにさせられているとマルグレットに話した。

島に着いた頃はバロネスのお気に入りだったが、ウィットマー家の赤ん坊ロルフが誕生した前後には飽きられ、虐待じみた扱いを受けるようになった。この時期にドールは彼への思いを一層深めている。マルグレットもルドルフの愚痴の聞き役となり彼に好感を持っていた。過酷な仕事を次々にバロネスに押し付けられ、手を抜くと怒鳴られる。バロネスは彼がサボらないようにバルディビエソに見張らせた。

バロネス失踪以前「ロレンツは気の毒な状態にあった。手は切り傷や打ち傷を負い、最初にフリードに訪れたときにドールが見たような調子の良い様子ではなかった。消耗し、事実上金もなく、島から逃亡の手段もない罪人として扱われていることで意気消沈していた」
フィリップソンもこのライバルに冷たく当たった。ロレンツはフリードへ赴く事も禁止されていた、がコッソリ訪れていた。

ハインツの見た楽園残骸
ドールが退去した後、ドールに依頼されていた取り壊しを行うためハインツがフリードに行くと薬莢が山積みになっていた。
ドールの怪しい行動
リターが死にかけてるのに、丸一日ウィットマーに助けを求めず放置している。これに関してドールの手記では、自分も腐肉を食らって自殺しようとした、拳銃自殺をしようとした、リターが求めるのでニーチェを朗読してあげていた、そもそもウィットマーに対して簡単に助けを求めることはできなかった――ということになっている。
トレハンの結論
事件の真相を確信をもって辿ることは難しい――とした上で以下のように推理している。
バロネスはフィリップソンとともにマルグレットを訪ねて、ヨットで航海に出ようとしていると話したことは確かだ。この話はロレンツをアシェンダ・パラディソに呼び戻すための口実であった。
しかし、ロレンツはだまされず、代わりに、手段はわからないが、1934年3月27日か28日に、まんまとバロネスとフィリップソンを殺してしまった。フリードリッヒ・リターがもっとも有力な共犯者であっただろう。ドール・シュトラウヒとフリードリッヒとの関係は彼女がロレンツとの交際を求めるほどに破綻し、その結果、彼女はバロネスとフィリップソンを始末したのはロレンツであると知ることになる。
さもなくば、フリードリッヒから彼自身がかかわっていることを聞いたのだろう。ドールは、おそらく一番可能性があるのは調理法の間違いによって、あるいは恨みからくる未必の故意による行為として、さらに可能性としてはごく少ないが、計画的な犯行として、フリードリッヒを毒殺した。

▶︎バロネス失踪直後にリターがロレンツをすぐさま帰国させようとしていた事とも整合性がとれる。

しかし、これだとロレンツが何度もバロネスと外出したというマルグレットの話が繋がらない。『おびき出す口実』などが、そもそも必要だったとは思えないし、おびき出すエサとして効果的だったとも思えない。ロレンツがタヒチ行きについて行きたかった――ならともかくも、そのようなそぶりもなかった。

マルグレットがバロネスから『タヒチ計画』を聞いたわけだが、マルグレット本人が『タヒチ話』を信じていないという事実からバロネスの作話と考えるのが妥当かも。ただやはりその意図には『おびき出し』という強引な解釈が必要になる。
ただ、1934年3月にロレンツが楽園農場でバロネス達とモメた際『戸棚に入った自分の荷物を取り戻そうとして――ひどく痛めつけられた』という出来事には留意すべきかも知れない


マルグレットの確信
男爵夫人が姿を消してから起こった多くのできごとはみんな一本の線――その線を私がすっかり知っているのではないけれど――で結ばれているような気がしてならない。その線の所々を偶然が結びつけているのか、偶然のように見える作意が結んでいるかも、はっきり言うことはできない。しかし、どうしてもそんな気がしてならない。

夫人を見た最後の日、夫人は船が来たといい、リッターは船をみないと言った。そういえばタルに手紙が入っていなかった(船が来ればたいていは手紙があった)し、船が来たことを示すものは何もなかった。

では夫人たちはどこだろう? 島のどこかにいるのだろうか。それはまずあり得ない。何故ならそうする理由がまず考えられないし、外部との接触なしにそう長くはこの島で生きられるはずがない。そしてさらに不審でならないのは、タヒチ島あるいは他の何処からでも夫人の消息が全く聞かれないことだ。彼女が世を忍んでいるとは考えられない。
こう考えてくると、前から心の奥にめばえていた不吉な疑惑が頭をもたげてくる。

リッターとロレンスの二人を考えてみよう。3月末のあの日、この二人の言動には夫人が決して島に戻らないという確信がちらついていた。それはほとんど夫人が島を去ったところを目撃したかのような確信でさえあった。そのあとリッターはロレンスを早く島から去らせようとせきたてた。
そして、二人には夫人を憎む理由が十分あったことを考えねばならない。


マルグレットの確信2
これですべて終わるのだよと自分に言い聞かせたものの、この島から夫人を消し、その罪を着せることで私たちまで消そうとした男を忘れることができるだろうか。

今こそ彼が死の床で私たちに手を合わせたことの意味がわかった。やはり許しを求めたのだ、ドーレが仄めかしたように。

だが許せるかしら、その美しい島から私たちを追放しようとして卑劣な試みをした男――彼を許せる時があるとしても、それには長い長い時間がかかるだろう。

この場合の『彼』はもちろんリター博士。マルグレットはリターが下手人で、ウィットマーファミリーまで罠にハメようとした卑劣漢であると考えた。
マルグレットの推理
もちろんミステリーは、いまだミステリーであって、そのカギは私の手のなかにありはしない。私よりずっと事情にくわしいはずのドーレは、いわばミステリーの本当の生き残りのわけだが、ベルリンに住んでいて、リッター博士についていろいろ書いたものを発表していた。
偉大なる哲学者リッターは深遠なる思索の途中で不幸、急性肺炎のために倒れた、と彼女は言いふらしていたが、私は肉食中毒をそのまま書いた。

そしてあの時のことをまた反芻した。

――私たちの所へ知らせるのに1日おいたのはなぜだろう? こうは考えられないだろうか、つまりリッターは死ぬ前の日、すでに病状悪化を知って助けを呼んでくれとドーレに頼んだ。ドーレはそれを無視し、完全に手遅れになるまで放置した。つまり、ドーレはみすみすリッターを死の手にひきわたしたのではないだろうか。死の直前リッターが彼女に示したただならぬ憎悪はそう考えるとうなずけないことでもない。では、なぜ彼女がそういった仕打ちにでたか。そこに男爵夫人失踪と結びつく線がひそんでいるように思えるのだが――もしかすると男爵夫人殺害にリッターが関係していることをドーレが知り、それをめぐってドーレとリッターの間がこじれていた……だが、すべては推測の域をでない。そこまで書くことは無論ひかえたが、ドーレからは激しい抗議文が舞いこみ、新聞社は私の立場を支持した。
(2年後彼女は『悪魔がエデンの園にやってきた』というフロレアナ島の回想記を米国から出版し、1942年に死んだ。その本にも真実は語られていない。ミステリーを解きうる最後の人物もついにいなくなった)

▶︎このマルグレットの手稿をまとめたものは当時勢い付いていたナチスの横槍によって、出版が大幅に遅れた。(バロネスの親族がナチ党の高官にいたため)
このマルグレットの語る『事件の推測』は納得できるものだが、これは結局、「タヒチへ行く」と言ったバロネスと上手く噛み合わない。このタヒチ計画がロレンツを誘い出す口実だった――と強引に解釈するしかないのだが、そうすると「私の可愛いローリー」と連日ロレンツの誘い出しに成功しているという話とイマイチ整合しない。

誘い出しに成功しているなら、ウィットマー家から離れた場所でロレンツを拉致し、無理やり何処へでも連れて行くことは可能だったはず。このあたりのついてマルグレットは触れていない。


私の可愛いローリー全文
ところが一夜あけてみると奇妙なことになった。わが家の門のところに現れた夫人がいとも優しくロレンスを呼んでいるではないか、まるで歌うように。
「ローリー、お願いよ。ちょっと出ていらっしゃい。私のかわいいローリー、聞いて欲しいことがあるのよ」
ロレンスは机に向かって考えていたが、ついに立ち上がり彼女と一緒に小道をおりていった。
何時間かたって戻ってきたのをみると、晴れやかな楽しそうにさえみえる顔をしていたが、テーブルの前に座ると、わっとつっぷして泣き出した。私は何も聞かなかった。

それから毎日、夫人はやってきて、
「かわいいローリー……」
を繰り返し、その度にロレンスは出てゆく。どこで何をするのか何を話すのか私たちには一言も話そうとしない。仲直りしかけてるのか、同じ屋根の下にいなければいいとでもいうのか、ロレンスをいじめていたのはフィリップソンだったとでもいうのか、さっぱりわからない。
こう、得体の知れない気持ち悪さが漂うエピソード。
バロネスは(戦略的に)性的な誘惑をよく行っていたらしく、そこら辺もリターに嫌われた要因。記事では触れなかったが、ドキュメンタリーフィルムで見ることのできるバロネスの垂れに垂れた乳――腹のあたりまでだらしなく伸びたソレのせいか、彼女の容姿は私たちの共感を得るまでに至らない。

ロビンソン・クルーソーの妻
本書は1959年に『Floreana Postlagernd』(フロレアナ局留め郵便)の題で西独フランクフルトで出版された。『ロビンソン・クルーソーの妻』というのは原著の副題である。出版後この本は英、仏、スペイン語などに訳されイギリスではベストセラーになっている。原著は全文30章の作品だが英語訳では原著者の希望もあって19章にちぢめられた。日本語訳もこの英語版にならっている。
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