ノアの箱舟――大洪水で繋がる世界

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ある時、ある男が、ある山の頂近くにて、氷漬けになっていた木材を発見した。
人跡もなく草木も生えない極寒の世界、そこで見つかった『加工された木材』
その山の名はアララト山。聖書、創世記に語られた場所。そこはノアの箱舟が漂着した高峰。
眠っていたのは伝説の船か、神代の遺物か。

世界中に残された大洪水伝説が指し示す一つの答え――ノアの箱舟は実在したか?


失われた船と禁断の山

そして主は仰せられた。
私が創造した人を地の面から消し去ろう。人を始め、家畜やはうもの、空の鳥に至るまで。私は、これらを作ったことを残念に思うからだ

創世記 6:7 (新改訳聖書刊行会版)

1955年。
日本が戦後の混乱から落ち着きを取り戻しつつあった頃。その後も続く米ソの冷戦が『幻の雪解け』を見せかけた頃。
あるいは――UFOマニアたちがいうところの謎のヒューマノイドとの遭遇戦『ホプキンスビル事件』が起こった――とされる頃。遠く、バミューダ海域では貨物船アルモリカ号が消失し、フランスではJ・スチュアート氏がUFOから落ちてきた部品をMIBに奪われ、英国ではテイラー夫人の聖母像が涙を流し、日本では謎の子象が浜辺にうちあげられていた頃。

そんな激動の時代の1955年7月6日午前7時。トルコ。

フランス人探検家のジャン・フェルナン・ナヴァラが、標高5,137mを誇る孤高のアララト山――その山頂付近にいた。
山の高さを表記されてもピンとこない諸姉兄もおられるかも知れないので、比較対象として挙げておけば、日本の最高峰である富士山が標高3776.12mである。つまりナヴァラのいた場所は富士山頂より1300mほど高い――より過酷な場所であったといえる。

万年雪に閉ざされ、谷には氷河が。薄い大気に草木も鳥もなく、そこにあるのは静寂と、『伝説』だけ。

その『伝説』は次のようなモノだ。
ナヴァラが登山する数千年前、神は地を眺め、人間を作ったことを後悔した。堕落し、悪徳と欺瞞に満ちている、すべての肉なるものがその道を乱していると。

そうして神は、曰く「肉なるモノらを地とともに滅ぼそう」と画策した。
どうにも、他の神罰ケースも見る限り、万能のホマレ高い神も人間を作る才能には恵まれなかったらしい。かような行いはよく耳にする『短絡的で自己中心的な犯行』に思えてならないが、それはいい。

神は堕落した『肉モノ』のなかで、ノアという男を選び、その家族だけは救ってやろうと考えた。彼、ノアがこの腐敗した世界にあって数少ない『善なるもの』であったからだ。
そしてノアに命じる。

あなたは自分のために、ゴフェルの木の箱舟を造りなさい。箱舟に部屋を作り、内と外とを木のヤニで塗りなさい。
それを次のようにして造りなさい。箱舟の長さは三百キュビト。その幅は五十キュビト。その高さは三十キュビト。
箱舟に天窓を作り、上部から一キュビト以内にそれを仕上げなさい。また、箱舟の戸口をその側面に設け、一階と二階と三階にそれを作りなさい。

わたしは今、いのちの息あるすべての肉なるものを、天の下から滅ぼすために、地上の大水、大洪水を起こそうとしている。
地上のすべてのものは死に絶えなければならない。

【中略】

またすべての生き物、すべての肉なるものの中から、それぞれ二匹ずつ箱舟につれてはいり、あなたといっしょに生き残るようにしなさい。それらは、雄と雌でなければならない。
また各種類の鳥、各種類の動物、各種類の地をはうものすべてのうち、それぞれ二匹ずつが、生き残るために、あなたのところに来なければならない。

あなたは、食べられるあらゆる食糧を取って、自分のところに集め、あなたとそれらの動物の食糧としなさい。

創世記 6:14-21 (新改訳聖書刊行会版 昭和50年版)

この人類滅亡を趣旨とするデスゲームの開始を告げられたノアは、曰く「そのようにおこなった」

そして完成した箱舟にノアの一家、および動物たちが乗船し、その7日後、大洪水が起こった。地上は天から降りそそぐ雨に満たされ、それは40日40夜続いた。

水は、いよいよ地の上に増し加わり、天の下にあるどの高い山々も、すべておおわれた1

その水は150日間ふえ続け、そのあいだノアの一家は動物たちの世話におわれる日々。
その間に地上を闊歩していた肉モノたち、そのすべてが死に絶えた。

やがて、神の気が済むとしだいに雨はやみ、大水が引きはじめた。文字通りの『洗礼』――大浄化が終わったのだ。
生きのびたノアたちの乗った箱舟は、長きにわたる漂流の果てに漂着する。

箱舟は、第七の月の十七日に、アララテの山の上にとどまった。2

漂着したノアは、40日目になって偵察のため箱舟の窓からカラスを放つ。が、出たり入ったりするばかりでガッカリした。
次にノアは鳩を放つが――やはり、水が引いておらず、羽を休める場所がなかった鳩は、やはり戻ってきてガッカリ。

それから一週間待って、ふたたび鳩を放してみると、夕方になって鳩が戻ってきた。見よ、その嘴にオリーブの若葉があるではないか。
しかし、用心深いノアは、そこからもう一週間待って、再び鳩を放してみた。この鳩は、もう戻らなかった。

こうしてノアは地上から水が引いたことを知り、箱舟を出た。
圧倒的な殺戮を終えて神は言う。「生めよ、ふえよ、地に満ちよ」と。「もう二度とこんなことはしない」とも。どうもDV男がよく使う手法に思えてならないが、それはいい。

かくして、ノア一家と動物たちは生んで、ふえて、地に満ちた。
以上が旧約聖書における『ノアの箱舟』のエピソードである。

創世記8章4節にて言及される漂着した山――それが、ナヴァラの登ったアララト山だとされる。

古くから、箱舟を目撃したという報告は多く、最も古い記録は紀元前275年。バビロニアの歴史家ベロッソスが
アルメニアのGordyaean山地に箱舟の残骸が残されており、地元の人々はその残骸から瀝青(註タール)を削り取り、お守りにしている」と記している。3

紀元一世紀にはユダヤの歴史家ファルビウス・ヨセフが、「ノアの方舟の残骸は、アララット地域のアルメニア住民によってすでに発見されており、それを見ることもできる」と記載し4、四世紀――330年、聖グレゴリーの時代には、ある修道僧が箱舟を探し何度も登頂を試みた。諸事情により念願は果たせなかったが、やがて彼は天使より神託をえた。

何人も立ち入ってはならぬ聖域ゆえ、登るのは諦めなさい。そのかわり、その執念にめんじて箱舟の欠片をさずけよう」と。

彼が得たその木片はアララト山の裾野にあるエチミアジン修道院に保管され、聖堂の至宝とされていた。が残念ながら、1829年アララト山周辺を襲った地震によって聖堂も倒壊し木片も失われた。5

640年ごろには東ローマ帝国・ヘラクリウスー世の事績に関する記録に「アララト山のふもとにあったテニアを占領した後、箱船の見物におよんだ」との興味深くもややカジュアルな記述があり、12世紀になると『東方見聞録』で知られるマルコ・ポーロが旅の途中、アルメニア地方で箱舟の話を耳にしている6

どうやら、あの山に箱舟があるらしい」と皆が当たり前のように考えるようになっていたものの、それがゆえかアララト山は聖域とみなされ、立ち入るものもほとんどなかった。それから熾火がくすぶったまま時は流れ、近代――1829年になってドイツ人の自然史教授で医師のフレデリック・パロットがアララト山の登頂に成功。ヨーロッパ人として初の偉業となった。

パロットは箱舟探しにはるばるアララト山に赴いたワケではなかったが、箱舟の遺物があるとされる場所を現地のガイドに教えてもらった。この出来事を起点として、近年まで続く『箱舟探し』が始まる。



1876年


英国の代議士ジェームズ・ブライス卿が標高5000m地点のくぼみで『長さ1・3m、厚さ2.54cm』ほどの木片を見つける。「明らかに人間の手によって加工されたものだった」という。7

1892年


『ヌウリ事件』ネストリアン教派カルディア教会のヌウリ副司教が山頂近くで箱舟を発見と発表し物議をかもす。

船の前部と後部とだけが近づける部分だった。中央の部分は、氷の下に閉ざされたままだった。方舟は、ひじょうに部厚い木材の暗褐色の梁材でできていた

ヌウリはすぐさま第二回の登頂を企画。自らが発見した箱舟をアララト山から降ろし、翌年に開催が迫っていた1893年のシカゴ万国博覧会で展示しようと画策した。

この計画のためにヌウリは意気軒昂に会社まで立ち上げたが、トルコ政府の横槍が入り計画は頓挫する。トルコ政府からすれば(その存否はともかくも)大事な観光資源である国の財産を勝手に持ち出されては迷惑であると。その後なぜかヌウリは精神病院に収監された。8

1904年


ゲオルギ・ハゴピアン少年が叔父に連れられて山頂近くまで登り、北側の斜面で箱舟を見た。ちなみに2回見た。9

1916年


『ロスコヴィツキー事件』ロシア人のパイロット、ウラジミール・ロスコヴィツキーがアララト山上空を飛行中、山頂付近の氷結湖に箱舟らしきものを見た。
湖の端から船の残骸、ないし骨組らしきものが飛び出しており、さながら住居の一角のようにも見えた。

急遽ロシア皇帝により150名をかぞえる探検隊が派遣され、それが箱舟であると確認された――が、その報告書はロシア革命の動乱により失われた。10

1941年


ソ連の作戦部隊長ジャスペル・マスケリーンが、前述1916年の『ロスコヴィツキー事件』の話を部下に聞かされ――箱舟が本当にあるのか確かめてみようと進言されたので、やってみようと思う。
やってみたら、発見した。
凍った湖のなかに、船の残骸らしきモノ。陸上部隊を派遣して調べてみると、たしかに古代の船らしきモノを確認。ところどころ石炭のようになっていた。
ちなみに『禁断の山(1958年)』によれば、資本論の開祖マルクスによって「宗教など『民衆の阿片』」と否定されていた共産党ソ連における百科辞典では、ノアの箱舟の伝説を「科学を冒濱する有害な神話」と切り捨てていた。11

1943年


アメリカ軍のエンジニアであったエド・デイビスはガイドの案内による『秘密のルート』でアララト山に登り、洞窟に保存されている遺物、そしてクレバスの中に閉じ込めれれた巨大な船を見た。クレバスを降りて確認しようと思ったが、天候がアレなのでやめた。箱舟は3~4のパーツに分離し、48の部屋と動物の檻が見えた。12

1944年


敗色濃厚となっていた頃のナチスがなぜか呑気にノアの箱舟探しという噂。アララト山の上空で気球を飛ばして地形写真を取ろうと画策、失敗した。13

1952年


米軍に従軍していたビル・トッドが、雪と氷に半ば覆われた巨大な物体を見た。14

1953年


アメリカのジョージ・J・グリーンがヘリコプターから6枚の箱舟写真を撮影。岩に氷に半分埋まっていた。鮮明な大写しの写真だったというが、例によっていずこかへ散逸。15

1974年


ソ連のレーダー装置を捜索していた米軍の特殊部隊『黒い槍』隊が、ブリザードから逃れるためクレバスに避難すると、底の方へ下ったところに『古代の寺院』のような謎の構造物を発見。報告書が作成され大統領に提出される。16




と、虚実はさだかでないものの、挙げ始めればキリがない。

ともかくも、こうして、ナヴァラが1955年に謎の木片を『発見』し持ち帰るまでには様々な挑戦と発見があった。
ナヴァラ自身、苦難――1952年の8月、そして1953年7月と、2度の失敗探索を経てようやく1955年に『謎の木片』を発見している。

かくしていくつもの挑戦が歴史として積み重なったワケであるが、過去に報告された「箱舟を目撃した」という証言などを並べ、俯瞰してみれば、どうも発見場所や状態があやふや・バラバラで、いまいちスッキリしない。
場所だけでも、ある話では標高4000m付近にあるコップ湖に沈んでいたり、またある話では谷間となった氷河の下、またある話では山頂から遠く離れた麓近く――と広範囲に及ぶ。

『謎の木片』とナヴァラ。
発見は1955年7月6日午前7時、アララト山頂近く標高5000mを超えた地点。氷の中から引き出した。
画像出典:F・ナヴァラ –禁断の山 (1958年)



敬虔さ、信心深さというパラメーターが初期から欠落している諸姉兄は言うかも知れない。

なんだ、バカバカしい。こんなお伽噺に真剣になる方がどうかしている。だいたい、懐疑派の本に『それだけの動物を集められるわけがないし、乗るわけもないだろ。目を覚ませ』と、もっともなコトが書かれていたぞ。宗教家とマナー講師とブロガーと証券アナリストと洋子の話は信じるな」と。

たしかに、現実的に考えれば長期間にわたり動物たちを養うだけの食糧の備蓄、そしてその用意、フンの始末など、かなり厳しい。

だが、そうだとしたら、ナヴァラが山頂付近で発見した『氷に閉ざされた大量の古い木材』は何だったのか?

5000m級の山頂付近は、もちろん樹木の生える森林限界を超えており、その『大量の古い木材』の由来については何らかの説明が必要となる。

のちに行われたナヴァラの『謎の木材』に関する科学的な分析は後の節に回すとして、『箱舟伝説』の傍証と捉えられた、『世界中に残る大洪水伝説』を見てみよう。

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今日みたく、雨ならきっと泣けてた

空を覆う紫黒の雲、天地がひっくり返ったような土砂降りの雨。荒れた水面をただよう箱舟。
これが過去から現代に至るまで多くの人たちに共有されてきた『ノアの箱舟』伝説のイメージだろう。

洪水は決して珍しい災害ではない。が、全世界を覆い尽くすような壊滅的大洪水は本当にあったのか?
過去にも、現代にも、何事も、証拠をもとに判断しようとする誠実な人たちがいる。その眼差しは大洪水伝説についても向けられる。

古くは2世紀、カルタゴのキリスト教神学者テルトゥリアヌスは『化石』に目をつけた。
各地方の丘陵や山頂などに見つかる様々な化石――見慣れぬ生物や、あるいは貝の化石は、大洪水があったことのなによりの証拠であろう、と。
16世紀ごろまでは化石が生まれるメカニズムもはっきりしておらず、これはノアの洪水が起こった傍証――否、明確な証拠である――と考えられた。

1517年、イタリアはヴェローナ市にて大規模な工事が行われたとき、曰く「多数の不思議な化石」が発掘された。人々は当時の常識に照らし合わせて様々な『解釈』を論じあったが、その中でも最も有力とされたのが『ノアの箱舟伝説に由来する』――というものだった。

大著『金枝篇』で有名な社会人類学者サー・ジェイムズ・ジョージ・フレイザーは、『洪水伝説』のなかで、次のように触れている
地質学者のチャールズ・ライエル卿によれば、数多くの海棲生物の遺骸は、大洪水に由来する――とされ、これに賛同しない者は、聖書全体を信じないものだという非難にさらされた

フランスの哲学者ピエール・チュイリエによれば、英国の博物学者ジョン・レイ(1627-1705)は自ら化石を調査し、事実上正しい結論にたどり着いていたが――「『聖書と神学者の見解を信じたいという熱烈な欲求』によって道に迷った17

――と、おのおのがその信仰心――あるいは時代の強調圧力により、事実に迫りきれなかったことがわかる。アララト山には箱舟もあるというし、大洪水の証拠である化石もある――。ならそうなんだろう。そういうことにしておこう。
そういうことになる。
17世紀まで時代が進んでも、イタリア半島の某所でガリレオが地動説を主張したために、異端審問で裁かれたのを我々は知っている。16世紀に「化石はノアの大洪水由来じゃない」と主張することのリスクは推して知るべしだろう。

さすがに現代では聖書の記述を否定することによって異端審問なり魔女裁判にかけられることは無くなり、どうにか懐疑論者たちは命拾いをしているが、いまだにタフすぎる――あるいは敬虔すぎるファンダメンタリスト(根本主義者)の間では「聖書の教えは絶対」という事になっており、そこに書かれていることは基本的に事実と考えるらしい。もちろん――大洪水も。

彼らが主張したかどうかは判らないが、大洪水の伝説は広く世界中に残されているのは事実だ。過去、それこそ人類が黎明の期にあったころ、破滅的な大洪水が地球を襲い、その悲劇の記憶がそれぞれの地方にそれぞれの形で残され、その代表的なものが『ノアの箱舟伝説』として語り継がれたのではないか――そんな話もある。

一説には世界中に洪水伝説は200以上あり、細部は異なるものの「洪水が来ると何某からか啓示を受け、一部の人間だけが大きな船や高台に逃れて助かった」というノアの箱舟に似た話は多い。
試しに大洪水を扱った資料からコツコツ事例を集めてみると、たしかに200ケースを超える――実数225ケースもの伝説が見つかった。

地域の分類は国連が定める世界地理区分による。事例は、フレイザー卿、A.コンドラトフ、松村一男、金子史朗、後藤明、南山宏、郭富光、依田千百子、小南一郎、豊島泰国、石原龍樹、大河内勇、バーリッツ、ナヴァラ、レッドファーンなどの著作から抽出。225例みつかったが、これが全数ではない。


世界中に分布が見られるが、地域別に見たとき比較的ヨーロッパが少ないのが不思議に思えるが、これは旧約聖書『ノアの箱舟』、ギリシャ神話『デューカリオンの洪水』(後述)のカバー圏である影響かと思われる。
アフリカは極端に少なく、宣教師ジョン・ロスコーによれば、彼は中央アフリカ――ウガンダ周辺で25年過ごしたが土着の洪水伝説は確認することができなかった18――という。

少し冗長になるが、興味深いものをいくつか見てみよう。



中南米


■コフコフ、テスピ、テオシパクトリ族
大洪水が起こり、イトスギの根で作られた船・イカダによって一部の人だけが助かった。
船から鳥を飛ばす。コンドルは人間や動物の死体をついばむのに夢中になって帰らない。ハチドリは木の葉をくわえて箱舟に戻ってきた。そのおかげで魔の山コルワカンに上陸できた。今後のため、チョルーラにピラミッドが建てられた。そのピラミッドはいまだに残っている。19

■アステカ
終末の日、大人はミシュトランの国に去り、子どもたちは、奇跡の木のもとに座った。この木は樹液で子どもたちを養った。
巨人が新たに生まれ、それは4008年存続。神はそれを良しとせず、地に洪水をもたらす。アフエフエテの木の枝にかくれた夫婦をのぞいて、人間はことごとく魚となった。大洪水はアトルの10日目におこった。洪水が終わり、人類が再生したとき、新しい人種が生まれた。20

■ブラジル リオ・デ・ジャネイロ近郊
大洪水が起こり、一部のものだけが丸木舟に乗って助かる。

■ペルー インカ人
ある男に、家畜のラマが「5日のうちに洪水が起こり、地上の生き物は滅びる」と突飛なことを言う。
男とラマは連れ立ってヴィルカ=コトという山に食料を持って逃れる。そこにはすでに多くの動物が避難していた。
洪水きた。みんな死んだ。男を始祖として人類はまた増えた。

■ペルー
水位が最も高い山より高くなり、人類滅亡。
一組の男女のみ生き残った。二人は『箱』に乗って水面に浮かび助かった。
『箱』はティワナコ周辺(プマプンクに近い)に漂着した。

■西メキシコ コーラ族
謎の女から洪水の警告。そのとおりになる。キコリの男と一匹の雌犬だけが箱状の船に乗って助かった。
船からキツツキを放して水面を確認。何度目かにキツツキが「すべてよし」と言ったので、船から出た。すべてよかった。
雌犬が人間になったので妻とした。

ヨーロッパ


■デューカリオンの洪水
ゼウス、ペラスゴスの息子たちの不信心と悪行に義憤を感じる。いっそ人類ごと滅ぼしてやれと短絡的に大洪水を起こす。
しかし敬虔だったデューカリオンだけはプロメテウスから事前に警告を受けていたので、箱舟を作り妻ピュラとともに助かる。

■アイスランド
神の息子たちが霜の巨人の祖先・巨人ユミルを殺害。ユミルの血が洪水となってすべての巨人は溺死した。
ベルグルミルと妻と子は箱舟に乗って助かった。

■アイルランド
古代ケルト人から脈々と続くアイルランドの民話は少し特殊である。
大洪水が起こり、主人公ビトとその家族だけが一艘の舟でアラン諸島とおぼしき島に漂着。
ビト一家、助かった。と思ったら空の雲が大地に落ち、ビト一家も死んだ。人類は滅びた。

中東、西アジア


■シュメール ジウスドゥラ
神々は洪水を起こす。エンキがジウスドゥラに警告し、ジウスドゥラは『巨船』を造り、洪水を逃れた。
七日後に洪水が過ぎた。

■ギルガメッシュ叙事詩
神々は洪水を起こす。
知恵の神エアがウトナピシュテイムに警告し、ウトナピシュテイムは『箱舟』を造り、動物たちとともに洪水を逃れた。
箱船に乗らなかったすべての人間は粘土に戻っていた。

■アトラ・ハシス叙事詩
やはり神が洪水を起こす。理由としては「人間が増えすぎて騒々しい」ため。身勝手。
神陣営のエンキはアトラ・ハシスに船を造るように命じる。
アトラ・ハシスは家族、財産、動物を乗せて助かった。
生存者がいると知り、神は怒った。

南アジア


■インドの聖典シャタパタ・ブラーフマナ
お魚さんがマヌという男に「自分を育ててくれたらいいこと教えてあげる」と突飛なことをいう。育ててみる。すごく大きくなった。
大洪水が来るの」と魚が警告。船を作れという。作った。
いよいよ大洪水が来て、マヌが船に乗り込むと、例の魚がやってきて、綱で船を牽引してくれた。
北方の山へつき、マヌ以外のすべての人類は滅んだ。その山の斜面はいまだに『マヌの坂』と呼ばれているそうな。
※予言者マヌが登場する似たような話は、『カタ・サンヒター』『マハーバーラタ』『マツヤ・プラーナ』『バーガヴァタ・プラーナ』ほか中央インドのビール族に見られる。

■インド
ブラジ地方の人々が崇める神をチェンジしたことにインドラ神が怒る。
大洪水を起こして、ブラジ民を懲らしめようとするが、クリシュナ神がブラジ民の避難した山ごと持ち上げて助けた。
この神話に由来して、クリシュナは「ゴーヴァルダナ山を持ち上げる者」という別名を持つ。

東南アジア


■ベトナム
トンビとカニが喧嘩。負けたカニが腹いせに大洪水を起こす。
兄と妹の二人は様々な動物とともに櫃に乗り助かった。それ以外はみんな死んだ。

■ミャンマー カレン族
天まで達する洪水。二人の兄弟が筏に乗って洪水から助かった。

オセアニア・太平洋


■ニュージーランド マオリ族
人々がターネ神への崇拝を忘れる。これに怒った二人の司祭が、祈って洪水を起こす。
司祭二人は筏の上に家を建てて洪水を逃れた。

■ハワイ
ヌウという人物が洪水を予知。家付きのカヌーで逃れ、マウナケア山の頂に。

■イースター島
昔はもっと島が広かった。ウオケの杖が折れたため、高波が押し寄せ島の土地が沈んだ。

北米


■シアトル近辺 トウアナ族
人々が邪悪になり、神が洪水をおこす。
一部の人だけが丸木舟に乗って助かった。

■アメリカ クリー族
怪物大魚 VS 老魔術師。
大魚が憎き魔術師を攻撃するため、大洪水を起こす。山まで沈んだ。
魔術師は水底の泥から円盤型を作り、水に浮かべ事なきを得た。

■アメリカ パパゴ族
コヨーテが英雄に危機を告げる。箱舟を用意して山頂に避難。
水が引いたかコヨーテが確認。すべてよし。

■フロン族
大洪水が来た。
イカダの箱舟に乗っている間、動物たちは文句ばかり言っていたので、洪水後は罰として喋れなくなった。

■カナダ アルゴンキン族系ブラックフット族
陸地がすべて水で覆われたとき、ひとりの老人とすべての動物が大きな筏に乗って漂流していた。

中央・東アジア


■中国 北京市
地球を背中に載せている巨龍があくびをしたところ、大洪水が起こり、兄妹のみとなる。

■中国
伏羲と女媧、ヒョウタンに乗って大洪水をのがれる。

■台湾 アミ族
女子ドキと弟ララカン、方形の木製の臼にのって大洪水を生き抜いた。




と、世界中にある程度モチーフが共通した大洪水伝説が語り継がれていることがわかる。

アフリカはマサイ族からアラスカのエスキモー、隔絶された離島にまでこうした類似するモチーフを有する神話が残されているのは、本当に世界規模の大洪水が起こったからではないか。そう考える人は少なくない。過去、中国に赴いた宣教師たちが「この中華の地にまで似たモチーフの洪水伝説が伝わっているのが何よりの証拠である。ノアの箱舟は史実である」と考えたのも無理からぬことに思える。

プロレスファンの間では「NOAHだけはガチ」というマコトしやかな噂も世代から世代へ口伝にて流布しており、我々はここにささやかな宗教の萌芽さえ見つけることができる。が、それはいい。

どうして世界中に同じような話が残されているのか?
本当に大洪水伝説は失われた人類の記憶――『原体験』の断片なのか?
そして『証拠』とされた様々な物品は、本当に証拠たり得るのか?

次ページではそのあたりを見ていこう。

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