ノアの箱舟――大洪水で繋がる世界

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挫けないで、嘆かないで、恨まないで探そうよ



2010年、フランスのAFP通信からもたらされたニュースが衝撃とともにオカルト界隈を駆け巡った。

記事のタイトルは次のようになっている。
「ノアの方舟」確率99.9%で発見と探検チーム、トルコ・アララト山頂1

ノアズ・アーク・ミニストリーズ・インターナショナルのチームががアララト山の山頂近くで発見した残骸箱舟の内部。
木材を組んだような部屋と、ベッドにも使用できそうな大棚が見て取れる。

画像出典:AFPBB「ノアの方舟」確率99.9%で発見と探検チーム、トルコ・アララト山頂


これは中国とトルコの探検家チームにより、同年4月26日にアララト山の標高およそ4000メートル地点で発見されたモノだ。
記事によると、木片が炭素年代測定にかけられ『4800年前』との鑑定結果がでたゆえ、ほぼ『ノアの箱舟に由来する木材』だと報じられた。
捜索隊に参加していた香港のドキュメンタリー作家、楊永祥氏はAFP通信の取材に「(ノアの方舟であるということを)99.9は確信している」と強気の発言で応じた。

世紀の大発見である――はずだった。だが違った。

この大発見報道から間もなく、捜索に参加した考古学者がこの大発見をして、「でっちあげである」と暴露したのだ。
木材は古い建造物から取り外したものを、わざわざアララト山まで運び上げて、そこで組み上げたのだと。なんとも罪深いことをする。

かくしてAFP通信、そして世界中の創造論者・箱舟探索者たちはまたも担がれ、またも無念の涙を流したワケである。
確固たる証拠さえあれば、いけずな懐疑論者たちの鼻をあかせるに違いないが、過去150年にもおよぶ箱舟探索史にあって、いまだにコレといった証拠を提示できていないのが現状だ。

お前、この項の冒頭に挙げた『ナヴァラの木片』の話はどうなったんだよ! アレも証拠だろ! 忘れてるだろ

と、記憶力の良い諸姉兄は言うかも知れない。前半書いてたの2ヶ月ぐらい前だったので正直、忘れていました。まいったね。

そう、ナヴァラの話をしよう。

1955年7月6日、ジャン・フェルナン・ナヴァラが、アララト山の標高5,137mあたりでクレバスの下で氷に閉ざされた箱舟を発見し、氷の中から木片を持ち帰った。

この木片も、当然科学的な鑑定にかけられることになる。ナヴァラはよほど自信があったのか、複数の研究所にサンプルを持ち込んだ。
具体的には
・スペインのマドリード農林省、森林研究所。
・フランス、ボルドー大学、先史及び人類学研究室。
・フランス、第一木材研究センター。
・パリ森林研究所。
・エジプト博物館

これらの研究施設に鑑定依頼をした結果、ナヴァラは自著『禁断の山』にて、その副題「ノアの方舟を発見した」に相違ない結果であると報告した。
つまりは、持ち帰った『木材』はノアの箱舟由来であった――と。

鑑定では、それはオーク材で4484年前のもの――おおよそ聖書の記述に符合する時代の木材であるとされた(スペイン森林研究所)。アララト山の森林限界を越えた場所でみつかり工作痕もあること――からナヴァラは確信を深めた。さんざん苦労したが、ようやく『箱舟』を見つけのだ、と。


だが、違った。
その後も厳密な検査が続けられた事により、より正確な年代が浮かび上がってきた。

ナヴァラの持ち帰った木片について、これまで七つの大学・研究機関でC14絶対年代測定が行なわれたが、その数字はいずれも異常に新しいもので、西暦6、7世紀ないし11世紀ごろとなるのだ。
英国立物理研究所のデータは、1190±90年前、カリフォルニア大学(ロサンゼルス校) が1210 ± 90年前といったところ。詳細については前記”Antiquity”誌(1980年LIV号、34-36頁)を参照してほしい。例外はあるとしても(3〜4世紀)、測定された年代の多くは6、7世紀ごろにおちつく。

金子 史朗 – 古代文明不思議発見P18


『R.E.テーラーとR.バージャーによる論文(『古代』54巻,P34-36,1980年3月号に掲載)の表から翻案したもの』
画像出典:アーヴィング・M・ クロッツ 『幻の大発見―科学者たちはなぜ間違ったか 』P198


結局、ほぼ中世あたりの木材であろうとの鑑定がくだされ、ナヴァラが主張する『ノアの箱舟の残骸』とするには無理がでてきた。一番古い時代を示した鑑定結果を見ても、キリスト誕生以後の木材ということで箱舟由来とするには矛盾が生じる。

しかし、無理があるにしても疑問もある。森林限界より上にあり、工作痕までみとめられたナヴァラ木材、これはなんだったのか?

これを考えるとき――アララト山が『ノアの箱舟が漂着した地』――特別な場所であることがヒントになる。つまりは聖地ということで『巡礼者などのために建てられた聖堂などの残骸』であろう、と。

6~11世紀のあいだに、信心深い者たちの手によって森林限界を越えた場所まで木材が運び上げられ、お堂が建てられた。それが長い年月のあいだに風化なり崩壊などを経て、忘れられ、やがてナヴァラに発見されたのだろう――と。

木材の鑑定にも参加したメアリー・ワシントン大学のビェーレント・アタレー博士も「発見地点の高度を考えると、漂着した船とは考えられない。紀元前のヒッタイト人、バビロニア人、またはシュメール人がつくった神殿か何かが、氷河に押しつぶされたのでは?」と木材の箱舟由来説に懐疑的見解を発している。

箱舟の実在について肯定的な記事が散見される月刊ムーにおいても、1982年2月号にて、ナヴァラの発見については懐疑的な意見を掲載している。

ところが、1970年にアララト山に逮征したイタリア探検隊が、同じ場所を捜しても何もでてこない。そのとき、ナバラのガイドを務めたことのある現地人が“ナバラさんはあの木材を、登山するときにはすでに持っていた”というではないか。箱舟を発見するには、そうするのが一番賢明だ、とはそのガイドの言葉だが、箱舟探検にはこの種のイカサマが絶えないのだ。

月刊ムー No015 1982-02 P30 大河内勇

過去にナヴァラが行った捜索隊のメンバーが、「ナヴァラが木材を購入しているのを見た」と証言したり2、そもそも木材の年代が合っていないということで、今やナヴァラの発見を真剣に扱う者はいなくなった。

ナヴァラ本人は亡くなる最後まで木材が本物であると主張し続けたが、少なくとも『まごうことなき証拠』とはなり得なかった。かくして時代はめぐる。

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あのとき笑ってつくった箱舟のように

現在に至るまで、箱舟の実在を示すような証拠は何一つ発見されていない。

アララト山におけるさまざまな『発見談』は伝わっているが、そのどれもが曖昧で、ちぐはぐで、不透明で、発見談によって箱舟の状態や形状に材質、場所も違う。
残念ながら、多数の『発見談』が出れば出るほど、ソレそれぞれがそれぞれの信憑性を累積せず毀損するようにも思えてならない。

懐疑派は「いや、そもそも有ったとしても原型とどめてるはずがないだろ」と歯牙にもかけない態度するし。

ハードコアなビリーバーは「いやさノアの箱舟ってUFOだったんだよ? 動物のDNAを載せて宇宙に飛んでいったの。しらなかった?」って言うし。

ラエリアンの人たちは「核ミサイルが地球に投下されることをルシファーが知って、ノアに命じて3段式ロケットを建造させたんだよ?

あまり興味ないヒトは「ノアの息子のハムって、禁じられてたのに箱舟の中で性行為したんでしょ? へ、へ、へ」と下世話なこと言うし。

もう、どうしたら良いのかわからない。なにがへ、へ、へ、だ。

ともかく、ノアの箱舟に対する人々の関心は依然として世界中で高く、新説もふくめ今後もさまざまな『発見』が繰り返されることは間違いないだろう。
余談になるが、2007年5月、実際にノアの箱舟がアララト山にその姿を現したことがある。

アララト山に箱舟が!


だが本物ではない。

これは環境保護団体のグリーンピースが、地球温暖化への対策を各国に呼びかけるために行ったパフォーマンスである。

全長10メートル、幅4メートル、高さ4メートルと、やや小ぶりな箱舟ではあったが、話題にはなった。

これはアララト山の中腹、標高2500メートル地点に建造されたが、もしかしたら今から500年ほど後には、このパフォーマンスの残骸や端材などが後世の箱舟探索家に目ざとく拾われ、「ノアの箱舟の証拠発見!」と、また話題になるかも知れない。


信仰のためか、名誉のためか、それとも金のためか。それぞれの目的は判らないが、アララト山ではコアな箱舟探索家とトルコ政府とのトラブルも多かった。

船形地形にて大量に集めたサンプル――『貴重な遺物』かも知れないモノを勝手にトルコ国外へ持ちだそうとして空港で拘束された箱舟探索家もいて、マナーやモラル、ルール遵守の精神が欠落しているとして批判された。

『分子振動スキャナー』のファーソルドが属していたワイアット隊の隊長ロン・ワイアットは、船形地形のサンプルをやはりこっそり無断でアメリカへ持ち帰り、記者会見を開いて公表した。
トルコ政府、そしてトルコの人々からすれば、よそ者が『遺物』を盗んだように感じられるワケで、この行為に大反発。

ターキッシュ・タイムズ紙は通関手続きや規則を平然と破る行為、マナー、モラルに欠けた箱舟探索家たちの所業を次のように皮肉った。

そうした配慮をなくしてしまったら、われわれは未開人のレベルにまで堕落し、神は大洪水を起こして世界を滅ぼすことだろう

カルタゴのキプリアヌス、そして『悪魔の辞典』で知られる作家アンブローズ・ビアスは大洪水をして『洗礼』であると言ったが、どうも一部のキリスト教徒には『洗い』が足りなかったらしい。

ともかく、せめて箱舟の乗船名簿に名が記されるよう、まっとうに生きてほしいモノである。そう、我々のようにね。

オカルト・クロニクルとしては「ノアの箱舟がアララト山にある可能性は著しく低く、話自体がローカライズされた説話に過ぎない」という立場をとるが、説話・寓話としては素晴らしく完成されていると考える。完成されているがゆえ、西洋文化の根幹をなし、抜群の知名度と、幾多の信奉者を生み出したのだろう、と。

現代でも、ノアや箱舟の名が使われることがよくある。種子を月面基地に保管する計画や、富裕層・有力者の生存を目的として作られるシェルター、次世代に何かを残さんとするとき、宗教文化圏の枠を超えて『箱舟』の名が冠される。これは我々現生人類が異議なく共有できる数少ないモチーフなのだろう。

だが、世界を覆うほどではないものの、なにかしら『大洪水伝説』の元になった洪水は実際に起こっただろうと多くの科学者が考えている。

有名なものでは黒海の大水がある。1993年コロンビア大学の地質学者ウィリアム・ライアン率いる調査隊が、黒海の水面下に『元の海岸線と砂浜』の痕跡を発見した。ライアンの調査によると、50m~60mの水位の上昇があり、16万平方キロメートルもの陸地が水没した推定されている。

16km2と言われてもピンと来ないかもしれないが、日本の面積が37万8千km2であり16万km2は計算してみると概ね『東北地方を除いた本州全土』に相当する。日本“半分”沈没である。
ライアンの推定は大きく見積もりすぎ――実際は5~10m、面積も3200km2ほど過ぎなかった、との意見も。3200km2だと、おおむね東京都2187km2がすっぽり収まり、神奈川綾瀬ぐらいまで

世界地図で見ればささやかな範囲に思えてしまうが、それでも当地に住んでいた人々には見渡す限りの水――これは『世界の終わり』に思えただろう。そのとき、もしかしたら――ノアのように船で近隣住民や家畜などを救った人がいたかも知れない。それが改変されながらも『箱舟説話』として改良改変されてきたのかも、と。
歴史にロマンはいらない」と断じた史学者もいるが、それぐらいの想像が入り込む余地余白はあっても良いだろう。

創造論者たちは、つねに科学者たちとの戦いを強いられてきたが、ここ100年の戦いは特に厳しさを増している。

科学の発展とともに神秘のヴェールは剥ぎ取られ、『神の偉業』だったはずの業績が次々に見直されている。すくなくとも、どれほど敬虔な信仰心を持っていたとしても――現代におよんで、化石をして「ノアの箱舟に由来する」あるいは「神が作った」と主張するものは『論外』として論壇を追われた。

かくして受難のさなかにある創造論者であるが、最新科学だけでなく、贋作者にも注意せねば、タフなファンダメンタリストは務まらない。
次のような例がある。

最後まで化石は神が作ったと主張した人々の中の一人がヴュルツブルク大学のヨハン・ベリンガー教授だった。
1726年に彼は自分が発見したいろいろな奇妙な化石を記載した高価な論著を出版した。化石の多くには太陽や月の形や、さまざまなヘブライ語がきざまれていた。

じつはそれらはみな、彼の学生が注意深く粘土で作って焼き、土の中に埋めたものだったが、哀れな教授はある日彼自身の名をほりこんだ化石を発見するまで、そのインチキに完全にだまされていた!

彼は自著を買いもどして焼くことに生涯の残りをささげたが、もちろんそのため本は好事家の蒐集リストにのり引っぱりだこになった。皮肉の頂点は、教授の死後子孫の一人がその論文を再印刷させてかなりのもうけを手に入れたことである。

マーティン ガードナー – 奇妙な論理〈1〉―だまされやすさの研究 P92

この逸話が『喜劇』であるのか『悲劇』であるのか、それを偉そうに評価できる立場にはないが、少なくとも贋作者は神を、研究者を、人類の歴史を、そして美術をも冒涜してきた――とはいえるだろう。そして信奉者、懐疑派、贋作者に扇動者に傍観者、それらを含めた『群像劇』が今日も続いている。
ノアの箱舟探索も、そんな壮大な群像劇の一舞台、一短編なのだろう。序盤なのか、終盤なのかはわからないが。



2016年7月。
アメリカ、ケンタッキー州ウイリアムズタウンに『ノアの箱舟』を主題としたテーマパークがオープンした。
アーク・エンカウンター(箱舟との遭遇)と名付けられたこのパークの売りは、なんといっても『実寸大箱舟』だ。

アーク・エンカウンター、オープン時の写真。とにかく、でかい。
主役である箱舟は、長さ150mとほぼ聖書の記述に準じたサイズになっており、内部も見物可能で、檻のなかには各種の動物が収められている。
画像出典:産経ニュース 2016年7月8日


き、恐竜?
報じた記事によれば、アーク・エンカウンターはキリスト教の団体によって運営され『聖書に記載された事柄はすべて真実であるとのコンセプトの元、ノアが方舟に招いたとされる動物などが再現されている』とある。

恐竜はともかく、おそらく、もう一度神が癇癪をおこして大洪水が世界を襲ったならば、このアーク・エンカウンターの箱舟が浮上しそのまま伝説を再現してくれることを期待したい。

きっとその時、さんざん信奉者をいびってきた懐疑論者、あるいは我々不信心者も乗船を拒否され、甲板のキリンやゾウさんにじっとり見つめられながら、阿鼻叫喚の悲鳴とともに濁流に飲まれてゆくのだ。想像すると実に愉快である。

どうせ乗れないなら、先に船体の横腹に穴を開けておいてやろう、創造論者たちが甲板で勝利を確信した瞬間、タイタニックの再現をして阿鼻叫喚仲間に加入させてやろう――
あるいは、事前に爆発物などを仕込んでおいて、来たるべき日には箱舟乗員を脅してシージャック――

などと考えているうちは、自分はどう転んでも来たるべき大洪水物語で浄化されるべき配役なのだろう。残念ながら。


■主要参考資料

サー ジェイムズ・ジョージ・フレイザー –洪水伝説
A.コンドラトフ – ノアの大洪水―神話か事実か (現代教養文庫 (1028))
F・ナヴァラ –禁断の山 (1958年)
ウィリアム・H・スタイビングJr –スタイビング教授の超古代文明謎解き講座 (Skeptic library (02))
篠田知和基, 丸山顕徳 – 世界の洪水神話―海に浮かぶ文明
金子 史朗 – 古代文明不思議発見
金子 史朗 – ノアの大洪水―伝説の謎を解く (講談社現代新書 398)
アーヴィング・フィンケル – ノアの箱舟の真実──「大洪水伝説」をさかのぼる
アーヴィング・M・ クロッツ –幻の大発見―科学者たちはなぜ間違ったか (朝日選書)
チャールズ バーリッツ –「超真相」ノアの箱舟
P・チュイリエ – 反=科学史 (1985年)
ASIOS -謎解き 古代文明
と学会 – 新・トンデモ超常現象56の真相 (Skeptic library (06))
Skeptical Inquirer V11n1-1986,V13n2-1989,V17n3-1993,V18n02-1994,V20n1-1996,V42n5-2018

――他――
聖書の考古学―埋もれた世界の発見・大洪水とノアの箱舟・バベルの塔 (1976年)ASIOS – 映画で読み解く「都市伝説」 (映画秘宝COLLECTION)怪奇現象博物館―フェノメナ火星からの使徒 (ボーダーランド文庫)科学で解き明かす超常現象 ナショジオが挑む55の謎 (ナショナル ジオグラフィック 別冊)オカルト (上) (河出文庫)世界の謎と不思議百科 (扶桑社ノンフィクション)超古代史の真相ペンタゴン特定機密ファイル [謎の遺物・古代の核戦争・失われた文明] アメリカ情報機関の極秘調査神々の秘密 (ボーダーランド文庫)神々の指紋 上謎学・人類の出現と太古の知 (ミステリアス)蜃気楼文明―ピラミッド、ナスカ、ストーンヘンジの謎を解く奇妙な論理〈1〉―だまされやすさの研究 (ハヤカワ文庫NF)なぜ人はニセ科学を信じるのか〈2〉歪曲をたくらむ人々 (ハヤカワ文庫NF)古代文明の謎はどこまで解けたか〈1〉失われた世界と驚異の建築物・篇 (Skeptic library (07))失われた古代文明の謎―沈黙する歴史を解き明かす! (大陸文庫)世界不思議大全〈1〉オーパーツ大全世界トンデモ事件簿 アンビリーバボーなウワサ69 (別冊宝島) (別冊宝島 1799 ノンフィクション)ここまで分かった!世界の七不思議 (知恵の森文庫)週刊世界百不思議 no.13 「ノアの箱舟」世界大洪水伝説は本当だった!Fortean Times #120 1999-03Az No17 1991-06Twilight Zone No109 1984-11
月刊ムー No015 1982-02,No097 1988-12,No108 1989-11 , No121 1990-12, No129 1991-08,No209 1998-04,No297 2005-08,No404 2014-07, No462 2019-05

ほか多数



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