ラブランド・フロッグ――カエル男の長い午後

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2週間前の夜、若い警官が二足歩行のカエル怪人と対峙した。
今日の夜、別の警官が怪人に鉛玉をプレゼントした。
明日の朝、確固たるべき統治は窮地に、ニッチもサッチも法治も叡智も及ばぬ驚天動地。

ここは多様性ある怪物が跋扈する町 オハイオ州ラブランド。真偽を問わなきゃなんでも居る。
明後日? そんな先のことはわからない。



忘れられないこの夜を

1972年。
前年に起きたD.B.クーパー事件がいまだ解決をみないまま、アメリカ国内はウォーターゲートに揺れていた。
ニルソンの名曲『Without You』がビルボードのシングル1位を4週連続で飾り、極東アジアでは金日成が国家主席に就任し、日本においては沖縄が返還され、新しくも騒がしい時代が始まろうとしていた。

長野県では連合赤軍によるあさま山荘事件が起き、山荘を取り囲んだ機動隊員が――前年に登場した日清カップヌードルをすする姿が全国中継され、急速に知名度を高めた。
値上げを繰り返した今や、コストプッシュ・インフレ――ないしスタグフレーションの影響にさらされた給料の上がらない低所得諸姉兄のあいだで『高級品』と悪態をつかれ、CMまでもが「日清のCMは基本的にすべってる」と冷評されるようになってしまったが、カップヌードルは昭和後期から平成まで、『安く美味く手早く食べられる非常食』として長らく愛されていた。過去形で語らざるを得ないことを残念に思う。

ともかく、1972年。例によって例のごとし、世界は激動と混沌の中にあった。

その年の3月3日、ひどく冷え込んだ深夜1時ごろのことだった。
警官レイ・ショッキー巡査は凍結した道路で車がスリップしないよう、ゆっくりとパトロールしていた。
そのとき、リトル・マイアミ川沿いの道に何か――そう犬のようなものを見つけ、徐行していたパトカーをとめた。

その生物は車のヘッドライトに照らされると、のっそりと立ちがった。
ショッキー巡査はすぐに気付く。あれは犬などではない、ましてや人間でもない、カエルのようなトカゲのような容姿をしたモンスターだ! 二足歩行のカエル人間だ! ショッキー、ショック!

身長にして約1〜1.5m、体重は推定25kg、レザーのような皮膚――警察官という職業柄に起因する素早い『観察』であったが職務質問まではかなわなかった。ヤツと面を突き合わせたのはホンの数秒だったからだ。

『ヤツ』はヒラリと踵を返して川沿いのガードレールを乗り越え、土手を下り、やがて暗闇ひろがるリトル・マイアミ川に消えていった。

目撃されたラブランド・フロッグのイラスト。
これは事件から数週間後の後に警官2人からの依頼によってイラストレイターによって書かれたもの。

画像出典:Jerome Clark – Unexplained! Strange Sightings, Incredible Occurrences and Puzzling Physical Phenomena P499


ショッキー巡査はすぐさま無線で配車係に連絡し、そのまま署に飛び帰った。あんなモノがウロついていたのでは仕事にならない――とショッキー巡査が考えたどうかは定かでないが、ああいうモノをウロつかせないのも仕事のうちであってほしい。

ともかく、署に戻ったショッキー巡査は同僚のマーク・マシューズ巡査にいま我が身に起きた出来事を伝え、その夜のうちにマシューズ巡査を伴って再度『現場』へ戻ることにした。
しかし周辺を探しまわるも、もはや『ヤツ』の姿はどこにもない。ただひとつ、2人はリトル・マイアミ川へ下る土手にて『擦った痕跡』を発見。『ヤツ』が残したモノと推定された。
後日、別の警官が現場を確認したところ、ガードレールに「ひっかき傷」があった1。という。カエルの手で引っかき傷というのがイマイチ腑に落ちないが、先を急ごう。

ショッキー巡査の事件から2週間経った。1972年3月17日、聖パトリックの祭日――皮肉にも緑色の服を着たり、川を緑色に染めたりする『緑色の日』である。
その日、さきごろショッキー巡査とともに『ヤツ』を探しに行った同僚マシューズ巡査も奇妙な体験をする。
やはりパトロールで川沿いのケンパー・ロードを走行していた時、道路の中央になにかが横たわっているではないか。

犬か、野生動物かの死体だろうと考え、マシューズ巡査はパトカーを停めて確認することにした。
そう、この時点で気がつくべきだったのだ。この異物が『ヤツ』であるということに。そう、ほんの2週間前の出来事、そしてショッキー巡査が遭遇した場所から400mほどしか離れていない場所であるのに――マシューズ巡査は気がつかない。気がつけない。

そうしてマシューズ巡査が車のドアを開けた瞬間、その音に反応したのか『ヤツ』がむっくりと起き上がった。
「ヤツだッ!」ようやく気がついたマシューズ巡査を尻目に、立ち上がったヤツはおぼつかない足取りで川沿いのガードレールの方へとヨタヨタ歩いてゆく。

ヤツがガードレールに近づいた時、マシューズ巡査は腰のリボルバー(357マグナム)に手をかけた。するとヤツはマシューズ巡査に顔を向け、曰く『ニヤリと笑ったような表情』を見せた。これが公務員をナメている現れなのか、挑発しているのか、あるいはそういう顔なのかは判然としないが、マシューズは『とりあえず撃ちコロしてあとは天に任せよう』と判断。都合3発ヤツに銃口を向けて発砲した
それらの銃弾が命中したかどうかは定かでないが、ヤツはそのまま、曰く『はげしく跳ねて川に落ちた』2という。
その後、結局、遺体のようなものは発見されていない。

これが『1972年のラブランド・フロッグ事件』のあらましである。

マシューズとカエル男の遭遇戦があった日から10日後、この奇妙な出来事が地方紙『シンシナティ・ポスト』紙に掲載され3、世間の耳目を集めることとなった。
この話が広まるとラブランド在住の農業従事者が、同じ1972年3月に自分も同じようなモノを見たと名乗りでて4、さらに事件から2ヶ月後には匿名のラブランド高校の学生が、長さおおよそ1.2m、重量68kgはあろうという緑色のモノを見たと報告している。5
ある現地在住の男性は証言する。「1972年の夏の間中、私と友人たちはカエルの捕獲器とショットガンを持って、夜な夜な川を探し歩きました」
拳銃が効かなくともショットガンならあるいは――つまるところ「こいつにかぎるさ、接近戦は」である。推定1.3mほどもあるカエル男の捕獲器にも興味が尽きない。

地元紙『ラブランド・ヘラルド』によれば1985年には20からなる地元企業が合同で資金を拠出しカエル男に賞金さえかけている。6
捕獲が2000ドル、写真だけでもの50ドル。当時のドル円レート(プラザ合意の一ヶ月前)でみると捕獲がおおむね47万円、写真が12000円となる。しょぼいのでもう少し頑張って集めてほしい。

ともかく、この怪人騒動をして、同地ラブランドで起きた過去の出来事を想起する者もいた。
もしかしたら、17年前、騒ぎになった『アレ』が帰ってきたのではないか――と。

最初期に描かれたカエル男のイラスト。
これは最初に目撃したショッキー巡査の妹が事件直後に描いた。
先に挙げたイラストはこれをもとにイラストレーターによって描き直されたと思われる。13

画像出典:tetzoo



1955年5月25日。

ロバート・ハニカット氏は仕事を終えた。帰途のさなか深夜午前3時30分頃、ブランチヒルにあるマデイラ・ラブランド・パイクを北上していた時のことだ。
ふと路肩のほうを見やると、3人の男がうずくまっているのに気がついた。「誰かが怪我をしているか、バカなやつらが楽しんでいるのか」――これがハニカット氏の受けた第一印象だった。

だが違う。
車のライトに照らされたのは『人たち』とは思えない異形のクリーチャーだったのだ。

身長は一メートル強。顔も衣服も同じ色合いのグレイで、なんとも醜かった。大きくて横一文字の口は唇らしいものがなく、顔の下半分をほとんど横断しているので、カエルを思わせた。鼻はこれといった特徴がなく、目も眉毛がない点を除けばごく普通だった。頭頂部は禿げており、贅肉が何本か横方向に走っていて、ペンキで描いた人形の髪の毛のようにウェーブしていた。

最も目についたのは上半身で、胸が明らかにアンバランスだった。右胸が脇の下から腰のあたりまで異様に膨れていて、非対称なのである。それにともなって腕も長さが違い、右のほうが左よりも長かった。

ハニカット氏による説明だけでは何がなんだか何を見たのか判然としないが、明らかに人間ではないということは確かなようだった。
ヤツらとの距離は約3m。シェフでありながらもソリッドなフィアレスマン・タイプでもあったハニカット氏は、この妙ちくりんなヤツらをよく観察してやろう、と車を降りた。

ハニカット氏が目撃した『ラブランド・トロール』の有名なイラスト。
これは、目撃したハニカット氏自身が描いたものではなく、遭遇事件の翌年にあたる1956年の取材の際に、ストリングフィールドがハニカット氏から話を聞きながら描いたモノとなる。
図版中央にいる『トロール』が『パチパチと火花を散らす光る棒』を掲げていた――という。

画像出典:Isabel Davis,Ted Bloecher – Close Encounter at Kelly and Others of 1955P142


一歩、また一歩――。人間をナメてるとしか言いようのない体型をしたヤツらに、ハニカット氏が近づく。ヤツらは引かずハニカット氏も譲らなかった。

濃密すぎる緊迫の時間――やがてヤツらが動いた。ハニカット氏の方へゆっくり前進してきたのだ。
本能的とも言える直感でハニカット氏は感じ取った。これは「これ以上近づくな」という警告なのだと。

立ち止まり、対峙し続けること約3分。
ハニカット氏に『恐れ』の感情はなかったが、やがて彼は「この妙チクリンどもを是非みんなにも見てもらおう」と思い立ち、車に戻った。そこで強烈な『アルファルファ草とわずかにアーモンドの香り』を嗅いでいる。

そうして車を発進させたところでハニカット氏ようやく怖くなってきた。なんだったのアレ。やだこわい。あんなモノがウロついていたのでは、気持ちよく帰宅もできない。
時刻にして朝の4時近くだったが、恐怖にとらわれた彼はそのままラブランド警察署長ジョン・K・フリッツの家に車を走らせた。

もともとハニカット氏と面識のあったフリッツ署長は「この話をストレートに信じることは難しいが、ハニカットが死ぬほど怯えていたことは間違いない」と1年後にうけた取材で語っている。

当夜、ダイレクトに通報してきたハニカット氏をそのまま家へ帰すと、フリッツ署長は銃とカメラを手にハニカット氏に伝えられた遭遇現場へと向かった。そうして、その付近を5回に渡って念入りに巡回し、ヤツらを探したが何の痕跡も発見することはできなかった。だが「なにか、奇妙な感じはした」とは語っている。
この夜、目撃されたヒューマノイドはのちに『ラブランドのトロール』とも呼ばれる。

余談になるが、この『ラブランドのトロール――ブランチヒル事件』に関して日付の同定が少しばかり興味深い。

ここまでの記述は主に事件の1年後に現地取材をした2人のUFO研究家――レナード・ストリングフィールド『Inside Saucer Post … 3-0 Blue』(1957)及びテッド・ブローチャー『Close Encounter at Kelly and Others of 1955』の記述を元に再構成しているが、ブローチャーによれば当初、発生から1年後の取材ということもあってか、ハニカット氏もフリッツ署長も正確な日付を失念していた。

ふたりとも別個に「たぶん3月か4月」「たしか3月か4月」と、しかし「たしかその日の夜にラブランドでUFO騒ぎがあって、なんだか新聞でも報じられていたナァ」とぼんやり回想した。

この言葉を元にブローチャーが後年その『UFO騒ぎを報じた新聞』を執念か幸運かマニア特有の粘り腰かによって発見。日付を同定した。結果として3月でも4月でもなく5月24日だった。全然違った。
とはいえ時系列で考えれば当地でUFO騒ぎが起こったその数時間後にハニカット氏が『トロール』と遭遇した事実――をしてオールドタイプのUFOファン諸姉兄たちもニンマリだ。ああやっぱりな、と。

少年少女の曇りないマナコ――を失ったうたぐり深い諸姉兄などは「いやさUFO騒ぎにインスパイアされてトロール目撃をでっち上げたんじゃないか。ハニカット氏が注目を浴びたくてさ。インチキ、インチキ」と呪われた言葉を吐くかもしれない。

が、この『ブランチヒル事件』に関しては個人的に資料を見るかぎり『目立ちたい』というモチベーションは感じられない。そもそもの話で言えばストリングフィールドとブローチャーが別件(1955年 橋の下事件)の取材をしていた際にフリッツ署長がポロッと「そういや話は変わるけど似たような変な通報はあったなぁ」とハニカット氏の体験を漏らしたのが発端になる。当事者たちにすら忘れられていた些細な出来事であったわけだ。

気になる点がある。ハニカット氏が助けを求めてフリッツ署長の自宅にまで押しかけてきたとき「呼気からアルコールの臭いはしたよね」と回想しておりコレは明確に飲酒運転である。

ニューヨーク州では1910年の時点で飲酒運転禁止法が施行されており順次基準や検査法が整えられていた、当時のオハイオ州の法律は不勉強で知り得ないが、1955年ともなるとオハイオでも飲酒運転がなんらかの法に触れたと考えるのが自然。その『取り締まる側』のところに慌てて車で乗りつける――というのが『本当に何かあった感』をそこはかとなく漂わせていないだろうか。

まぁ、酔っ払いが枯尾花に幽霊でも見たんじゃろ」と言われれば、まぁそうかもという話になってしまうが。

ともかく、1955年だけでもラブランドでは他に『小さな人間を見た』『臭くて小さい人を見た』という報告が残っており、地元紙『ラブランド・ヘラルド』紙によれば、

匿名を希望するある実業家は言う。
長年ラブランドに住むその男性は、川に巨大なカエルが住んでいるという話を1950年代に初めて聞いたという。

「昔からあることなんだ」
「目撃するのはだいたい子供で誰も信じなかったがね」

Loveland Herald 1985年7月18日付

この町には何かがいる。

未確認生物の研究者ディーナ・ウェスト・バッドは著書の中で「マイアミ族には、何世紀も前にラブランド地域に水陸両用の生物がいたという伝承がある。この生物は日本の河童やラテンアメリカのチュパカブラに似ていると多くの調査者が信じている7としているし、

作家カレン・ファリントンの著書には「伝統的なショーニー・インディアンの物語では、オハイオ州のリトル・マイアミ川流域に住むショーナホック(Shawnahooc)ないし『川の悪魔』の話が伝えられている。1950年代になると、オハイオ渓谷の住民たちは、体長2.4メートルにもなるピンク色のトカゲについて先祖代々語り継いできた。これらの報告は、民俗学者のデビッド・K・ウェッブによって何十件も集められ、1954年8月の『コロンバス・デスパッチ』紙に再掲載された8とある。



ほかの様々な資料を見ると、ショーニー族は二足歩行する爬虫類っぽい『ヤツ』にたびたび遭遇し、ある時は矢などを放ってみたが全く効かなかったと書かれている。9これはやはりショットガンでもないと勝てそうにない。

この町には何かがいた。
そして、まだいまも。


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WE★LOVE★ラブランド

何から何まで謎に包まれたカエル男さん――令和最新の技術でその謎と正体に迫れないだろうか。

そう考えて、とりあえず3Dモデル化してみようと試みた。有名なラブランド・フロッグのイラストをさまざまな角度から観察すれば、また違った発見があるかも知れない――。

諸姉兄はCSM-AIというものをご存知だろうか。これはAIの技術を使って『たった1枚の写真から立体的な3Dモデルを生成できる』――という素晴らしくも恐ろしい先端技術である。
これにラブランド・フロッグのイラストを放り込んでみた。

完成したのが以下のモノである。


なんておぞましい!

特にここ。


我々はなんというモンスターを生み出してしまったのだろう……!

可愛い――つぶらな瞳が、なんだかちいかわを連想させてくれるのは実に良い。かわいい。警官に撃たれたときも「わわわァ」となったんだろうか。

ともかく
特に色を指定したわけでもなく、白黒のイラストを読み込ませただけで緑色に着色されているのは『AIもカエルと認識した』という点においては前進かも知れない。でもまぁカエルと認識したなら裏面もちゃんと生成しろよと思わぬでもない。

とはいえ結局3Dモデル化したところで、何が出来るワケでもないのでこの計画は比較的早い段階で頓挫した。


太古のテキストサイトのような冗談はともかく、情報の外堀から埋めてゆこう。

『UFO Review』10 というユーフォロジスト発行による小冊子にて『オハイオで定期的に目撃されるクリーチャー』が紹介されている。その中にはモチロン我らがカエル男さんも含まれているが、他にも

・ビッグフット
・サーベルタイガー
・有翼人
・ファントムキャット(ABCみたいな)
・巨大な怪鳥
・ナゾのカンガルー

が挙げられている。基本的になんでもいる。

作者、および出典不明の『ラブランド・フロッグ遭遇時の再現イラスト』
とにかく――なにがイイって、ケツがいい。引き締まって均整のとれた非常に美しい臀部である。
画像引用元でも「ケツがいいよね。ケツが」と言及されている。

画像出典:tetzoo


ラブランド周辺の水辺――同水系に属するリトル・マイアミ川、オハイオ川に限定しても水棲クリーチャーたちが精力的に活動してきたことが判る。ラブランド・フロッグと関連するかは判然としないが、確認できたものをいくつか見てみよう。

ラブランドでの目撃年表
年代概要
1950年代川に大きなカエルが住んでいるという噂11
1955年5月25日ブランチヒル事件(上記)
1955年6~7月橋の下事件。CF青年が橋の下に4体のクリーチャーを目撃。警察に飛び込んだが笑われた。経緯は不明も警察が橋を警備。FBIが一枚噛んでいるとストリングフィールドは主張。12
1955年8月25日火口の近くに立っている発光する生物。グリーンヒルズ付近にて4人が目撃。13
1955年8月21日ジョンソン夫人、オハイオ川にて水中で緑色の手に掴まれ、引きずりこまれそうになるも生還。足首に傷と緑色の痕跡のこる。15
1959年1月30日とても醜くとても表現できない怪物。トラック運転手が川から上がってきたソレに遭遇。その生き物はとても醜く、とても表現できないと目撃者は記者団に語った。16
1959年1月30日タコに似た怪物がオハイオ川で目撃される。触手あり。『とても醜いヤツ』の2時間後。17
1972年3月ラブランドの農夫がカエル男を目撃。18
1972年3月3日警官ショッキーの遭遇(上記)
1972年3月17日警官マシューズの遭遇(上記)
1985年7月4日?シェパード犬サイズのカエルを少年たちが目撃。19
1998年9月体長約1・5mのカエル男目撃。20
1999年8月 巨大なカエル が川を上がってくるのを見た。21
1999年9月「大きな緑色のもの」を目撃。22
2002年7月4日ジュード・ティレリーと友人が川下りをしている時、川岸に直立した「大きなカエルのような男」を見た。23
2008年3月カップルがカエル男と遭遇。24
2016年8月サム・ジェイコブスが恋人とポケモンGOをやっていたらカエル男と遭遇、とりあえず写真を撮る。Getだぜ。25

(どうでもいい註記:比較的どうでもいい話だが、上記『橋の下事件』と『ブランチヒル事件』を混合してしまっている資料が少なからずあるので研究者は注意されたい。おそらくローレン・コールマンが『Mothman And Other Curious Encounters』などで混合してしまっているのが原因。それを参照して書いた者がさら誤情報を広め混乱を生じさせたと思われる。『橋の下事件』はカルロス・フラニガン(当初は実業家と記述されていたがコレも誤り。ボランティア民兵)が橋の下に4体のヒューマノイドを見たケース。『ブランチヒル事件』はハニカット氏が道端でヒューマノイド3体を見たケース。2つのケースの場所や登場人物がごちゃ混ぜになっている場合が多い。
さらに、並木御大の書いた古い記事などで72年の2人の警官名がウイリアムスとジョンソンになっている場合があるが、これは当初は2人の名前が仮名で報じられたため。85年までに出版された資料にはそうした表記揺れがあるので注意されたい。ウイリアムス=ショッキー、ジョンソン=マシューズ)


おおむね網羅できたのでないかと思う。

地理的に一番遠いのは1955年8月21日に起こった『ジョンソン夫人が水中で緑色の手に掴まれたよ事件』になる。ラブランドと直線距離で300kmも離れていることから除外すべきかとも思ったが、リトル・マイアミ川とオハイオ川が合流した下流にあたる場所での出来事であってからして、ラブランド・フロッグの犯行が根強く疑われている。「カエル男の川流れぐらいあるだろ」というワケである。
同じ流域とはいえちょっと遠すぎるので、個人的には無関係――冤罪を疑ってしまうが、少なくない資料で『ラブランド・フロッグ事例』として紹介されている。

ちなみに未確認生物界隈の大家ローレン・コールマン『Curious encounter』によると、襲われたジョンソン夫人のもとに事件後『空軍大佐』を名乗る男が訪れ、彼女の話から大量のメモをとり、しまいには「事件についてこれ以上誰にも話すな」と警告さえされたという。コールマンは「Men In Black事例と酷似しているのは言うまでもない」としている。UFOだけでなく、UMAにまで魔の手が!

ともかく、ソレ以外の事例はほとんどははラブランド内、ないし遠くとも半径30kmほどの範囲での出来事である。
1950年代中盤以降、72年に集中し、その後は散発的になっているのがわかる。

少なくとも70年代は『水辺の〇〇男』のささやかなブーム期だったようで、1972年8月にはカナダはBC州でつとに有名な半魚人騒ぎがあり、1975年ケンタッキー州トリンブル郡では『二足歩行するトカゲ男』、1977年、ニューヨーク州サザン・ティアでは自然保護官が「鱗に覆われた人間のような生き物が、シダとコケに覆われた高地の間を採食するために、赤い藻に覆われた水域から夕暮れ時に現れる」と報告した。11

挙げ始めればキリがないが、こと地域にこだわらずカエル男という個性に言及された事例を探せば――カエル男さんがなにもラブランドだけの専売特許ではないことが判る。
興味深いものとしては

上品なカエル男さん事件
1938年(ないし翌年)、エストニア北部のハリュ郡ジュミンダにて身長1メートルのカエル男が目撃された。大きな――割れ目になったような口。歩き方はなんだか「上品」であった。が、走らせると意外と俊足であったようで目撃者が100mもの追跡を敢行するもあえなく逃げられる。12


戦いは数だよカエル男さん事件
1976年5月2日。フランス、ル・バネル。曰く「まったく正気で善良な性格」であるドミニク・ムヌージュ青年は午後9時ごろ車で走行していた。

突然、彼の車がフォンテーヌへの左折路の10メートルほど手前で、50人ほどの小男たちをライトの光に捉えた。リトルマンたちはかなり近く、彼の左側、道路と同じ高さの畑にいた。彼らは緑色でカエルのようで(スケッチNo.2参照)、直立不動だった。何人かは彼の方を向き、何人かは横顔だった。

緑色だったが、オーバーオールを着ているようには見えなかった。もしオーバーオールを着ていたとしたら、それはぴったりとしたものだった。長い腕が足の半分まで垂れ下がっていた。
手には水かきがあった。足は普通のように見えたが、足にも水かきがあり、カエルの足のようだった。【中略】
50名の彼らの目は光線やビームなどは発しておらず、ただ何もせず、じっと立っていた。

現場見取図と目撃されたフロッグマンのイラスト。これもかわいい。

画像出典:FSR Vol.22, N.6: April 1976


かくしてドミニクは家へ飛んで帰り、見たことを話した。そしてやはり馬鹿にされてしまうことを恐れて直ぐに当局へは通報しなかった――という。

いくらなんでも50体は多すぎるように思うが、少なくない種の水生生物が普段バラバラに生活していても繁殖の際には集合する習性があるのはよく知られているので、フロッグマンの恋の季節だったのかも知れない。


どうでもいい余談だが、このFSRの記事にコメントを付した著名UFO研究家ゴードン・クレイトンの言葉が我々に研究者の矜持を問いかけてくる。

懐疑論者は何年も前から『小さな緑の男』を馬鹿にしており、ほとんどのUFO研究者はその笑いの輪に加わりたがっているように見える
個人的には、なぜ 『緑の小人』が、UFOシナリオの他の部分よりも馬鹿げていると見なされなければならないのか、まったく理解できない!




テスト

ホントそうだよね、ゴードン先生!!

ボクもそうおもうよ!


ともかくも『カエル+人間』の怪人という概念はラブランドに限定して存在するものではない事がわかった。
しかし、過去から現代に至るまでその存在を示唆する証拠は発見・提出されておらず、散発的な目撃と目撃者に対するあいも変わらぬ一笑、失笑、苦笑に嘲笑という多くの笑顔に囲まれている。

しかし笑われてしまうのを承知で、それでも「見たんだ!」と声をあげた2警官やムヌージュ青年の主張をデッチ上げだとたいした精査もせずに一方的に切り捨てることが本当に知的な態度と言えるのだろうか。

次ページでは72年のケースにおける『正体』とされた諸説などを見てみよう。

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