実験の成功に沸く観測船とは裏腹に、エルドリッジ艦内は叫びと悲鳴に満たされていた。
身体は唐突に燃え上がり、精神は錯乱をきたす。霧のように空気に溶けた者もいれば、船体に身体が飲み込まれた者もいた。
フィラデルフィア実験、それは公表されなかった極秘プロジェクト。
フィラデルフィアは燃えているか
1943年。第二次世界大戦の末期、米軍は終戦へのビジョンを模索しつつ、秘密裏に実験を行っていた。この大戦の後に始まるであろうソ連との覇権争い。そのため大戦末期といえど兵器開発に終わりはない。
この年の5月には映画にもなったメンフィス・ベルが25回目のドイツ昼間爆撃に成功し、同年の10月にはイタリアが盟友ドイツを裏切った。枢軸国側の勢いが急速に失われていた――そんな時代の話だ。
1943年10月28日。アメリカ、フィラデルフィア海軍工廠。
最先端の科学理論をもとに強力な磁場を利用し、軍艦を不可視化せんとする。フィラデルフィア実験の目的は以上のようなモノだった。
アインシュタインの提唱した統一場理論が正しければ、強力な磁場にレーダー波や可視光は吸収されるとされる。
成功すれば海上を航行しながらも敵のレーダーに捕らえられず、『透明』という究極的な隠密が達成されることになる。
事の発端は交流電流や無線トランスミッター、蛍光灯などの発明で知られる電気技師ニコラ・テスラの関わった『レインボー・プロジェクト』であり、このフィラデルフィア実験もこのプロジェクトの一環であった。
フィラデルフィア実験が行われた10月を前にニコラ・テスラは死去しており、プロジェクトの指揮は別の科学者に引き継がれていた。
驚異的な計算能力で『悪魔の頭脳』との別名があったフォン・ノイマンである。原子爆弾開発を目的とするマンハッタン計画にも参加していた近代科学史の超重要人物だ。
実験に使用される船は同年7月25日に進水したばかりのキャノン級護衛駆逐艦エルドリッジ。
エルドリッジ少佐の未亡人により命名された新造船はノイマンの指揮の下、実験に使用される。
幾多の視線に見守られながら磁場の発生が始まると、観測艦からもすぐに変化が観察できた。
誰も見たことのない緑色の霧が発生し、強力な磁場とともにエルドリッジを包みこみ始めたのだ。
霧は見る間に大きく広がり、やがて半球状となってエルドリッジ全体を包んだ。
そして忽然とレーダーから船影が消え去り、霧が晴れてみれば『実体』そのものも消えていた。
これは大成功である。
だが歓声に沸く観測船とは裏腹に、当のエルドリッジ艦内には嗚咽と悲鳴が満ちていた。
精神に異常をきたした者の悲鳴。
唐突に身体が燃えだした者。
液体窒素に浸けられたかのように身体が一瞬で凍結した者。
空気に溶けるようにして消えた者もいたし、まるで船に飲み込まれたように艦内の壁と同化してしまう者もいた。
そして、フィラデルフィア港から遠く340キロ離れたヴァージニア州ノーフォーク沖まで移動してしまっていた。
エルドリッジはテレポートしたのだ。
プロジェクトの肝とも言える各種の機械を収めた部屋は厳重な隔壁に守られており、その中にいた乗組員たちは被害が少なかった。彼らは必死で機器の動作を止めようとしたが、実験機器は完全に暴走してしまっていたという。
実験は終了した。
死者16名、半数以上が精神異常をきたした。これは「成功セリ」と判断して良いのか、そうでないのか、報告を受けた軍部首脳は頭を抱えた。
そして同年、軍部は実験の継続を断念し、フィラデルフィア実験の全内容を重要軍事機密として封印した。
陰謀の噂と関係者たち
軍事機密がなぜおおやけにされたか。
それは1955年、モーリス・K・ジェサップ博士に届いた手紙に始まる。
モーリス・K・ジェサップ博士は天文学で博士号を取得した物理学者で、UFO研究者でもある。UFO研究者という肩書きの破壊力でオカルト懐疑派、否定派は「論じる価値なし」と断じそうな気もするが、ここは抑えていただきたい。
手紙の差出人はカルロス・ミゲル・アレンデとなっている。
その内容はアインシュタインの統一場理論から始まり、ジェサップ博士の著作『UFOについて』の科学的考察を好意的に評したものであった。
博士だって人の子。褒められると嬉しい。ジェサップ博士は「もっと話を聞かせて欲しい」と、いくつかの質問もそえて返信を書く。
すると翌年、1956年1月13日に手紙が返ってきた。
だが差し出し人の名前はカール・M・アレンと変更してある。その内容は奇妙なモノだった。
それは博士の質問に応える内容などではなく、1943年にフィラデルフィアで行われた極秘実験をリークしたものだった。
手紙では参加した乗員を悩ませる後遺症についても触れられ、精神異常はもちろん、身体が消失する現象に今も乗員たちが苦しんでいるいることを告白している。
家族の目の前で消失したり、人体自然発火(SHC)に襲われている――実験後も恐怖は続いているのだと訴えていた。
手紙には新聞記事の切り抜きも同封されていた。『酒場で騒いでいた元乗組員2人が他の客の目の前で突如消失!』という事件を報じたものだった。これは証拠なのだと博士は考えた。
手紙の差し出し人であるアレンデはある商船(アンドリュー・フュールセス号)で航海していたところ、ノーフォーク沖で実験を目撃したのだと書いていた。同僚の航海士3名の名が証人として書かれていた。
これがフィラデルフィア実験が世に広まった『第一日』までの流れだ。
あまり触れられることはないが、この後、ジェサップ博士は海軍研究局から出頭要請を受け、そこで係員から一冊の本を手渡された。
表紙には見覚えがある。
――これは拙著『UFOについて』ではないか。
そして開いてみれば、本の余白にはびっしりと書き込みがしてあった。コメントや注釈。その内容も不可解である。
『母艦』『巨大な方舟』『完全冷凍』『大爆発』『大戦争』『海底建造物』
係員によれば、本は差出人不明で送られてきたのだという事だった。書き込みは3人の筆跡からなっており、筆跡に見覚えがあれば教えて欲しいとの事だった。
博士は言う。
一つは、アレンデのそれに酷似している。
係員は博士の証言に興味を示し、届いたという2通の手紙の提出も求めた。
――荒唐無稽な話だと思っていたが、こいつぁ怪しいぜ! 何しろ政府機関が動いているのだ。
博士のセンサーはビンビン反応する。
アジェンデからの手紙はぷっつりと途絶えたが、それがゆえか博士はフィラデルフィア実験の真相究明にのめり込んで行く。
だが1958年4月20日、ジェサップ博士はフロリダ州デイド郡立公園の駐車場で亡くなった。自らの所有する車の中で謎の死を遂げていた。
関係者にまつわる奇妙な死は、ニコラ・テスラにもいえることだ。
ニコラ・テスラは当初、レインボー・プロジェクトの指揮を執っていた。
集められた科学者ジョン・ハッチソン、エミール・クルトナー、デビッド・ヒルバードなどと協力し、初期は小規模な不可視化実験を行っていたのだという。
だが実用化を急ぐ軍部の圧力で、『人体実験』という形を余儀なくされる。人を乗せてやれと軍部は言う。
ニコラ・テスラは反発し、プロジェクトをわざと遅延させたり、サボったりした。
あらがうもむなしく、テスラは追放される。
そして後継者として、フォン・ノイマンが抜擢され、フィラデルフィア実験が行われる流れとなる。最初の小規模実験で被験者である乗組員たちが体調不良や不快感を訴えたためノイマンも危険性を悟ったが、圧力にはあらがえない。そして悲劇へ向かって計画は進んで行く。
一方のニコラ・テスラも悲劇へと向かっていた。
フィラデルフィア実験に先立つ1943年1月7日。ニューヨーク・マンハッタンのホテルで死んでいるのが発見される。
孤独なホテル暮らしの最後には似つかわしくなく、死の報を聞きつけた軍部やFBIなどの政府機関がドカドカと彼の部屋に押し入り、数トンとも言われる研究資料を持ち出した。未発表の発明品、独自研究、実験資料、むろんそれには噂の『世界システム』や『レインボー・プロジェクト』のものも含まれていたに違いなく、価値は計り知れないが、これではほとんど墓荒らしである。
sponsored link
どこまでが事実か
非常にオカルト的魅力に溢れた事例である。超科学にマッドなサイエンティスト、奇現象に陰謀、謎の死に隠蔽工作。デマや噂を呼ぶに充分な要素を備えており、SF小説的ですらある。
しかし、悲しいかな証拠がない。これほどの大事件であるにも関わらず、物証は皆無である。ゆえに懐疑の槍玉にあがってしまう。
オカクロだって懐疑します。好きだからこそ疑うのです。
まず、リーク元であるアレンデ。誰でも最初に怪しむであろう人物である。そして、どうも最初に怪しむのが最後になる。
ながらくその存在は『謎』とされており、ミステリーの成長に一役買っていたが、『謎のフィラデルフィア実験』の著者であるチャールズ・バーリッツが探し出し、その存在を白日の下にさらした。
だがアレンデにインタビューしてもイマイチつかみ所がない。無駄話が多く、それでいてフィラデルフィア実験の話題になると話を誤魔化したり逸らしたりしたそうだ。
アレンデはその後、当時名の売れていたUFO研究団体にフィラデルフィア実験の詳細情報を売ろうとしたり、UFO研究の大家ジャック・ヴァレーにコンタクトを取り、アレンデ注釈入りジェサップ本を売りつけようとして断られたそうだ。(始値6000ドル。断られ続けて終値は1950ドルまで下落したそうだ。それでも売れず)
ジャック・ヴァレーは「この人、インチキ臭いです」と印象を語る。
もっとも、こうなる以前にアレンデ自身が「フィラデルフィア実験は嘘八百でした」と告白している事実も彼の印象を悪くしている。その告白は本人によってすぐに撤回されているが周囲に与えた疑心は挽回できない。
面白いことにこの頃にはすでにフィラデルフィア実験の噂は広く世に流布されており、完全にアレンデは置いて行かれていたようだ。
人々が真相よりも、ショッキングな噂を好むのはいつの時代でも変わらないのか、あるいは真相として知られるアレンデ創作説自体がデッチ上げなのか。
上記のジャック・ヴァレーがリサーチを続けた結果、『本当のフィラデルフィア実験』に参加したという人物を突き止めた。
その男はエドワード・ダンジョンという名の技術者で、彼の話によれば実際のフィラデルフィア実験は完全な不可視化を目指した実験などではなかったそうだ。
艦体に付着した磁気を消し去る消磁実験だったのだと。
消磁することにより磁気魚雷による被害を未然に防ぐ、つまりは魚雷に対して不可視化せんとする実験だった。
対魚雷不可視化という実験が、噂として拡大する際に尾ヒレハヒレがついたモノそれがフィラデルフィア実験の真相なのだと。
事実、駆逐艦エルドリッジは実験があった後も活動しており、1951年にはギリシャ軍に引き渡されている。
噂に語られるように『壁に人間がめり込んだ』艦ならば、軍事目的よりも他の研究目的で使われるのが常道であろう。
かくしてロマンは失われた。
伝説は死なず
上で述べた調査をひっくり返す事のできる論法がある。『全ては軍や政府によるによる隠蔽工作』と言えばいい。
実験で使用されたエルドリッジは極秘裏に他へ運ばれ、さも何もなかったかのようにエルドリッジBを就航させる。事件を知るクルーや書類も処分。
こうすればフィラデルフィア実験を調べれば都市伝説だったという結論に辿り着かせる事ができる。
オカルト原理主義、あるいは陰謀論の深みにハマった者はこの陰謀論で主張を継続できる。
「ニコラ・テスラだって、研究資料などを軍に接収されたではないか――」と信じる者は論理を補強するのだろうが、どうだろう。
たしかにテスラの死後、FBIによって接収は行われたようであるが、その膨大な資料も後に返還されており……。
と言っても
「見られてはマズいモノは極秘裏に処分され、返還されていないに決まっている!」となるのか。
どうも政府や軍部が絡むと話はいつも複雑になる。
面白いのが、フィラデルフィア実験の噂がいまだ生きているという事実だ。
話によれば、フィラデルフィア実験の母体となったレインボー・プロジェクトの終了後、すぐに次のプロジェクトが発足したそうだ。
それはモントーク・プロジェクトと呼ばれる極秘計画だという。
モントーク計画の研究対象はマインドコントロール、洗脳、死者の復活、思考の物質化、年齢遡行、魂移転、タイムトラベルから火星の古代文明(例の人面石も関係するYO)などで、この計画の折にも様々な奇現象がおこったそうだ。
この項で触れると長くなるので別項で改めて記事を書くが、このモントーク・プロジェクトは……。戦慄である。
フィラデルフィア実験との関わりをさわりだけ言えば、以下のようになる。
フィラデルフィア実験に参加していた乗組員2名(A氏とB氏とする)が、フィラデルフィア実験のさなか1983年のモントーク基地にタイムトラベルしてしまう。
そこにいたフォン・ノイマン博士から2人は「もう一度1943年に戻りエルドリッジの暴走を止めよ」という指令を受け、A氏は1943年に戻ったが、もう1人のB氏は1983年に残った。残ったモノの、B氏は時空を移動したせいで急激に年を取り、死んでしまう。
プロジェクトチームは過去世界にいるB氏の父親にコンタクトを取り、子供を作らせ、死んだB氏の魂を過去世界にいる新生児の体に転移させ……。
ほんの一部ですがこんな感じです。
いやー。なんだか凄まじい。
もうね火星へのテレポートとか、火星の古代人とか、異星人グレイがアブダクトで集めてくる金髪碧眼の少年たちモントーク・ボーイとか。原色宇宙人図鑑がリアルに思えるような世界が広がっている。
以上のようにフィラデルフィア実験はモントーク・プロジェクトへ引き継がれ、いまだに伝説は広がり続けている。
皆神龍太郎氏はモントーク計画を「親亀に乗った子亀」と表現しているが、さすが上手いことおっしゃる。フィラデルフィア実験の信憑性を疑う立場の者からすれば、モントーク・プロジェクトはそもそも議論する価値がないのだろう。
内容だけで言えば、いまや子亀のほうが大きくなっているような気もするが。
なぜこんな事になったのか。
それはフィラデルフィア実験という話が、人々を引きつける魅力を持っているということ。フィラデルフィア実験をして『都市伝説』と評する向きもあるが、個人的にはもはや『近代神話』と言えるんじゃないかと思う。
どこかSF的なロマンがあり、奇妙で、ショッキング。フィクションでは得られない僅かばかりの『リアリティ』
出典は失念したが、フィラデルフィア実験の『着想』について、面白い噂があった。
当時、海軍にいた売れないSF作家が、「こんなんあったら面白いよな」と統一場理論をからめて船艦のテレポートなり、燃え上がる乗務員なりの空想話を同僚にした。このSF作家が誰とされているかは忘れたが(P・K・ディック?)彼のヨタ話を近くで聞いていた乗組員が、それをおもしろがって噂として広め、それがアレンデの耳に入ったというものだ。
※加筆※
Tweetで指摘をいただいて、調べ尚した結果、ソースが判明しました。明日、ペンパル募集がいないさん、馬場秀和さんありがとうございます。
『世界の謎と不思議百科』によれば、フィラデルフィア実験が行われたとされる1940年代にフィラデルフィア海軍工廠に3人のSF作家が籍を置いていた。(1942年~1945年頃)
まず『夏への扉』『月は無慈悲な夜の女王』で知られるロバート・A・ハインラインが軍属技術者として海軍航空実験科で働いており、そこに『闇よ落ちるなかれ』のL・スプレイグ・ディ・キャンプが同僚とした加わった。
ハインラインとディ・キャンプが揃っただけでも凄いことだと思うが、そこに『I, Robot』アイザック・アシモフも配属されてきたというから驚くほかない。まさに『事実は小説より奇なり』である。
アシモフの述懐によれば、軍での仕事は退屈でしかなかったようだが、その退屈な仕事の空き時間や休憩時間に交わされる雑談はいかなるものであったろうか。今なら後世に名を残したこの偉大なSF作家3人の『雑談』を金を払ってでも聞きたいというファンもいるのではないだろうか。
この3人にブラッドベリなどが加わっていれば、「泣けるフィラデルフィア実験」もありえたかもですね。お国は違えどダグラス・アダムスがいたなら「爆笑フィラデルフィア実験」になっていたかも。想像するとワクワクしますね。
話はそれたが、この3人の雑談を聞いたアレンデがそれを自分のネタ『フィラデルフィア実験』としてモーリス・K・ジェサップ博士に売り込んだのではないか――そんな説だ。
たぶん、これも事実ではない。
だけど、なんだかものすごくあり得そうで、魅力のある説だ。
『なんだか、あり得そう』が都市伝説の主成分であるゆえ、いずれこの説も『事実』として語られるのだろうか。
伝達されるたび血肉を吹き込まれ、いまだにフィラデルフィア伝説は生きている。リビング・デッドとはこういう事を言うのかも知れない。
■参考文献及びサイト 世界不思議大全 謎解き超常現象 トンデモ超常現象99の真相 世界の謎と不思議百科 (扶桑社ノンフィクション) Anatomy Of A Hoax:The Philadelphia Experiment 50 Years Later PX and Montauk Link Archive Philadelphia Experiment from A-Z