そして死が感染する。
その先輩、友人、同級生。一週間ごとに次々と、一週間ごとに淡々と。1.2km圏内に死が連鎖した。
7人目の死者が出たとき、誰かが言った。「自殺は9人まで続く」「次はアイツだ」と。
そして、亡くなる直前1人の少女が血まみれでうったえた言葉――「違う、違う」。
あの静かな初夏、熊取町で何があったのか。
失われた10年
1992年。日本はゆるふわだった。
前年に終焉を迎えた平成バブル景気の余韻に浸り、来るべき大不況の萌芽に目もくれず、ただ終わった祭りの感傷に楽観ムードを重ねていた。
『次なるフロンティア』を探していた時代だったのかも知れない。
琵琶湖畔から『風船おじさん』が大空に飛び立ち、宇宙から帰還した毛利衛氏が「宇宙からはいっさい国境は見えません」と発言しヒューマニストたちを喜ばせている。もっとも、国境線が見えないからこそ問題が発生するのではあるが、それはいい。
この年は『失われた10年』の起点であり、時代の節目であった。
その熱狂と冷静の間で、この事件は起こった。
4月29日水曜日、A君(当時17歳)がため池で溺死する。
これはシンナーで酩酊状態に陥り、誤ってため池に落ちたモノと判断された。
それからちょうど1ヶ月後の5月29日金曜日、今度はB君(17歳)が自宅で急性心不全を起こし、亡くなった。
AやBの死は、当時人口3万8千人というさほど人口の多くない熊取町においてショッキングな出来事ではあった。
だが彼らは重度のシンナー中毒者であり、この段階では町内でのシンナー吸引者に対する警戒を高めようとする啓発があった程度で、大きな騒ぎにはなっていない。
Bの死後から一週間ほど経過した6月4日木曜日、今度はA、Bの先輩にあたるY君(17歳)がタマネギ小屋で自殺しているのが発見される。
熊取町のある大阪府泉南地方ではタマネギの生産が盛んに行われており、収穫したタマネギを乾燥させる小屋が町内に点在していた。その中で、ひっそりと首を吊っていた。
Yの葬儀には地元の仲間たちが参列し、その突然すぎる死を嘆き悲しんだ。Yがなぜ極端な手段に出たのか、誰も、動機がわからなかった。
Yの親友が「何で死んだんや」とその死を悲しみ、集まった仲間たちに「俺たちは頑張って生きてゆこう」と前向きに呼びかけた。
だが、Yの死から一週間後の6月10日水曜日、その前向きだった親友K(18歳)も死んだ。
納屋で首を吊っていた。誰もが言葉を失った。
また一週間が経過した6月17日水曜日、今度はYの葬儀に参列するため地元に帰ってきていたT(17歳)が農作業用の小屋で首を吊った。
そして死は続く。
また一週間が経過した6月25日木曜日、熊取町在住の公務員F(22歳)が町内に隣接する森で首を吊っているのが発見される。
またその一週間後の7月2日木曜日、町内の大学に通っていた女子大生G(19歳)が町営グラウンドの側溝で胸から血を流した状態で発見された。
発見時、Gにはまだ息があり、意識が朦朧とした状態で「違う、違う」と繰り返していた。
これで7名の死者が出た。
その誰もに『自殺にいたる明確な動機』がなく、もちろん意志を告げる遺書もなく、残された遺族を困惑させた。
配偶者との結婚を間近に控えた者、陸上競技で新記録を出したばかりの者、仲間の死に直面したことで、むしろ前向きに生きることを公言した者――という積極的に死を選択するとは思えない者たちだった。
自殺した場所が半径1.2km以内に集中し、動機も判然としないことから、様々な噂が飛び交った。
「全部で、9人死ぬことになっている。だから、あと2人死ぬ」
「次はアイツだって聞いた」
「死んだ仲間が寂しくて連れて行った」
「これは祟りだ」
「ヤクザに殺された」
「通り魔が横行している」
「原発の陰謀だ」
不可解な事件に、無責任な噂が飛ぶことは珍しくない。これは恐怖なり恐慌なりという病にかかった社会が生み出す1つの症状だとも言える。実際に、一連の死を自殺ではなく他殺だと考えた同世代の者が夜間の外出を控えていた。
警察はこれらの不可解な死を、「事件性のない事故と自殺」と判断した。
だが、本当にそうだったのだろうか。
「白い車に追われている」「黒い車に追われている」という死者の残した言葉。
ひとりは後ろ手に手首を縛って首を吊った。
ひとりは手が届くはずもない高枝にシャツをかけて首を吊った。
そしてひとりは、まだ人目につく午後8時に、道ばたで自分を刺し殺した。「違う、違う」と最後に呟いて。
これらは何を意味するのか。
資料を洗い直し、もう一度、事件全体に謎に光を当ててみよう。
sponsored link
点と線と面と縁
連続殺人などの凶悪犯罪が発生した場合、FBIの心理分析官はまず被害者の共通点を探すという。この熊取町の自殺者たちに共通点を探すなら、1つ。
それは言うまでもなく、全員が熊取に住んでいたということ。
Yの葬儀に参列するために帰ってきていたTも、半年ほど離れていただけでホームタウンは熊取だ。
そして、公務員F、女子大生Gを除いた残り5人は地元で密接に繋がっていた。いわゆるヤンキーコネクション、ヤンコネである。
ここで7人のパーソナルなデータをチェックしてみよう。
Y(17)無職
【3番目の自殺者 6月4日(木)】6月4日木曜日、タマネギ小屋にて首を吊っているのを発見される。
警察がマークしていた暴走族グループである『風(KAZE)』をKと共に旗揚げする。地元では有名なワル。
翌週に自殺するKとは中学の同級生であり、親友であり、バイク仲間であり、シンナー仲間であった。
中学3年頃からほとんど学校に顔を見せず、仲間とダベったり、パチンコなどに興じていた。
中学卒業後、美容師の専門学校に入学するも、1年も経たずに中退しており事件当時は無職だった。愛車はHONDAのCBX400。父親が某学会員。
4日午前0時ごろ自宅に帰り、同2時ごろ再び外出。その3時間後に遺体で見つかった。
ポケットの中に「借金を返して欲しい」という折り込み広告の片隅に書かれたメモを所持していたが、遺書らしき遺書は発見されていない。自宅の仏壇にはYが金を借りたとみられる友人2人の名前と10数万円と記したメモが残されていた。
生前に『白い車』に追われていた。
K(18)建設作業員
【4番目の自殺者 6月10日(水)】警察がマークしていたグループ『風(KAZE)』のリーダー。上記の無職Y同様、地元では有名なワルだった。
やはりシンナー常用者で補導歴もあり、シンナーをキメているときに公務執行妨害で逮捕されたこともある。愛車はHONDAのCBR400。
駅前にワンルームマンションを借りており、そこが仲間たちのたまり場になっていた。
駅前の住民の証言によれば、バイクや自転車の盗難はおろか、自動販売機や公衆電話を破壊するので迷惑してしていたという。
親友であった無職Yの葬式で、「なんで死んだんや」と泣いて憤り、その時参列した仲間たちに「悩みは相談し合おう。Yのぶんまで俺たちが頑張って生きよう」と訴えかけるなど前向きな姿勢を示していた。
ヤンチャではあったが、人望は厚かったようで、当人が自殺した際、その葬儀には彼を慕っていた後輩や、近隣のグループからも参列者がつめかけ、その数400名にもおよんだほどだった。
中学卒業後、旅館従業員T(翌週に自殺)と共に父親の会社を手伝っていたが、1991年にその会社が倒産した。それと同時に住家を手放すことになったのだが、それをとても悔しがっていたという。
なすすべもなく家を手放した後も、一生懸命働いて家を買い戻そうとしており親孝行でもあったとされる。
自分が会社を再建させ、母親を早く楽にしてやりたいと常日頃から公言しており、本人も自身をして『マザコン・ヤンキー』と評していた。
彼の通っていた中学校の校長は以下のように証言している。
窓ガラス49枚というのは尾崎豊を彷彿とさせるタフな枚数であるが、その一方で優しい人柄を覗かせる部分や、教師に「体に響くから、シンナーはやめろ」と諭され「うん」と頷く素直な部分もあり、これらが人望に繋がっていたと思われる。
尾崎豊同様、繊細な所があったのかも知れない。尾崎豊も変死であるし。
ともかく、近所でもキチンと挨拶をする子という評判で、「ヤンチャはするが、弱い者いじめはしないKのことだから、いずれは人の上に立つひとかどの人間になるだろう」――と教師は見ていた。
当時付き合っていた女性が妊娠していたため、「いよいよ生まれるんや、お祝いくれよ、お祝い」などと笑って話しており、近々結婚する予定で新居も探していた。
だが彼は死んだ。
恵林寺という古寺の、参道脇の納屋で首を吊って。
「自殺する前々日には仕事先に持ってゆく保温式のランチボックスを買っておいてくれるよう頼まれていたんです」と母親は息子の死を信じられないでいた。
現場に駆けつけた母親は、ロープにぶら下がる息子の姿をして、『あり得ない様子だった』と主張している。
肩をいからせて、前のほうを睨むようにして、こぶしをギュッと握りしめとったんですよ。ふつうは体はダラリとなるでしょう。警察の人に私言うたんです。『これでも自殺なんですか』って。『いや最近はこう言うのも多い』とか言われましたけど、首吊った体に最近とか昔とかあるんですかね。
あの夜は(註:息子が亡くなった前日に当たる6月9日)夕方、私と一緒に食事をしたんですよ。友達と何かの約束があって、『あんまり腹一杯やと具合悪い』いうて、御飯も少なめに食べてね。出かけていって、そのまま……普段と全然かわらへんかったし……。
『不思議ナックルズ』より母親の証言
なにやら重大な事実が示唆されているような気がする証言であるが、ここでは深く触れず先に進めよう。
母親はKが生前『白い車』について話していたことにも言及している。
息子は確かに言うてました。カローラやったと思うけど、白い車にいつも付け回されて『俺ヤバイんだよ』とか。息子だけやなくて、友達のY君も集会の時、ふと後ろを見るといつもおるんやって……。運転しとるオッサンの顔がどうとか、息子と話してたこともありますわ。『不思議ナックルズ』より母親の証言 『白い車』の噂は周知の事実であったようだ。
T(18)旅館従業員
【5番目の死者 6月17日(水)】
高知県出身。元野球少年で、野球で有名な私立高校を中退後、大阪に出てきて事件前年までKの父親が経営していた土建会社で建設作業員Kと一緒に働いていた。
事件当時は三重県鳥羽市の旅館従業員。
無職Y、建設作業員Kのバイク仲間で『風』のメンバーだった。
斜面になった畑の側にあった小屋で手を縛り首吊り自殺を遂げる。
鳥羽市の職場には「友達の葬式に出るので休みが欲しい」と告げ2日間の休暇を取り、建設作業員Kが自殺した2日後の6月12日に熊取へ戻った。だが葬儀には間に合わなかった。
そして帰郷後は友人宅を転々としたのちに自殺。
農作業小屋で首吊り自殺をしたが、両手がビニール紐で後ろ手に縛られていた。
検死官が来て調べたが、現場に争った形跡がなく、自分でも縛れる縛り方であったため、警察は自殺と断定。すぐ近くの民家の人も物音を全く聞いていない。首吊りの紐をほどかないよう、自分で縛ったものとされている。
Tが勤めていた旅館の支配人によれば、Tの評価は悪くない。
勤務態度は真面目で、服装もきちんとしており、ヤンキー風のところは全然見られなかった。
金を貯めて18歳になったら自動車の免許を取るんだと話していたという。
亡くなる5日前にあたる6月13日昼に勤めている旅館に「明日帰ります」と電話をしているが、帰らず、そのまま自殺している。
16日昼。帰郷して半年ぶりに会ったかつての恋人に「近く結婚する」という話を聞かされ、その直後から「ロープはないか」と自殺する素振りを見せていたという話がある。これをして自殺の根拠と考えることも出来るが、これに関して「あくまで冗談ぽく言っていた」という証言もある。
そしてやはり『白い車』を知っていた。
自殺という警察発表に納得できない建設作業員Kの母親が、Tが自殺する2日前にTに電話で問いただしている。
母親が「息子が白い車に追われていたと言っていたが本当なのか?」と問うと、Tは「うん、俺とKは見た」と答えたという。
このことから、Tが三重県へ働きに出る前に『白い車』の話が持ち上がっていたことがわかる。一連の自殺騒動の半年前だ。
F(22)公務員
【6番目の死者 6月25日(木)】
熊取町在住だった岸和田市職員。『風』連中とは交流があった形跡なし。
熊取と隣接する貝塚市との境にある山林で、ピンク色のカッターシャツをロープ状にして首を吊る。
仕事はゴミの回収が主で、Fは粗大ごみの担当だった。無断欠勤もなく真面目な勤務態度、好青年だったと同僚は評する。
マラソンが趣味で市役所の陸上サークルに所属していた。
当日も弁当を持って自宅を出ている。
不可解とされるのがFの死の状況だ。
熊取と貝塚市の境にある山林で発見されたFは、栗の木の幹にシャツを掛けて首を吊っていたのだが、その幹の高さが到底手の届く場所になかった。
結局、警察はFの死を自殺と判断したが、『他殺説』の可能性を捨てきれない地元の者たちはその判断に首を傾げた。
G(19)女子大生
【7番目の死者 7月2日(木)】
鳥取県米子市出身。事件のあった年の4月から町内の大阪体育大学に通い、陸上競技に励んでいた。
『風』連中との接点はなし。前述の公務員Fとも接点はない。無理やりこじつけるなら、2人とも『陸上競技』に励んでいた。
シンナーもなし。
7月2日午後8時40分ごろ、下宿近くの町営グラウンド脇で血まみれで発見される。
発見時、グラウンド横の側溝に倒れ込んでおり、左胸に致命傷、首筋4カ所に切り傷があった。近くに落ちていた果物ナイフが凶器だった。
発見直後は生きており、しきりに「違う、違う」と訴えていた。
病院へ緊急搬送されたが、日付の変わった3日午前2時10分、出血多量で死亡している。
死の2日前に1000メートル走の自己新記録を出して大喜びしていたこと、8月には鳥取に帰省するつもりで、テレビ番組『北の国から』『大相撲ヨーロッパ巡業』の録画を実家の者に自殺の3日前に電話で頼んでいたこと。以上の2点から自殺するほど思い詰めていたとは考えにくい。
異性関係はなく、4月からはじめた寮での新生活でもトラブルはなかった。
発見された当日7月2日の夕方にはスーパーで買い物している姿を友人が目撃している。
目撃した友人曰く、「彼女は普段通りで、何ら変わったところはなかった」そうで、やはり自殺する動機は見あたらない。
左胸の致命傷の他に首筋にためらい傷が残されていたことから自殺と見なされた。
発見された付近は午後8時の時点で人通りもあり、自殺に適した場所とは言い難い。
だが首の切り傷をみとめた警察は、これを『ためらい傷(註:自殺者が自殺を吹っ切れないまま自身に刃物を向けることで生じがちな、致命的ではない傷)』として自殺と断定。
生前、怯えた様子でしきりに「黒い車に追われている」と友人にもらしており、ナイフで胸を刺した日も近くに車が止まっていた。――が、彼女を車が追い回していたという事実は確認できていない。
彼女の父親は、「殺されたんじゃないかと思う」と、はっきりと娘の自殺を否定している。
A(17)板金工
【1人目の死者 4月29日】
紹介する順番が前後するが、Aが最初の死者。『7人』の起点とされる。
当時17歳の板金工。
無職Y、そして作業員Kのバイク仲間だった。そして彼らの中学校の後輩でもある。
仲間とシンナー遊びをした直後、「泳ぐ」と宣言してひとり池に飛び込み、遊泳中に死亡。心不全だった。
B(17)無職
【2人目の死者 5月29日】
無職。自室でシンナーを吸引し、心不全で死亡。
一ヶ月前に死亡した板金工Aと同様、Y、Kのバイク仲間だった。
部屋でうつぶせになって死んでいるところを母親が発見。
母親はBに対し、以前からからシンナーをやめるように言い聞かせていたが無理だった。家庭内不和アリ。
シンナーを乱用していたせいか肝臓が弱く、死亡する時分にはギスギスに痩せていた。
作業員Kはこの後輩たちの葬儀に参列している。
以上である。
奇妙な事件である。
関連性があるか無いかは別として、7人が短い期間の間に連続して自殺。しかも、動機がよくわからないという。
しかし、7人のうち5人が暴走族関係者であり、シンナーをやっていたのも確かなようだ。となるとシンナーの影響を疑わないわけにもいかない。シンナーの影響、そしてウェルテル効果、そのあたりを原因とするのが当たり障りのない結論になるだろう。あと、コメンテーターの十八番である『病んだ現代社会の閉塞感のせい』か。
とはいえ諸兄は言うのでしょうね。
「なんだよ! そんなありきたりな結論で許されると思ってるのか! もっとこう、色々あるだろうが! 暴力団の介入とか、原発利権の闇とか、七人塚の祟り、もっといえば告発の書も!」 さすが、お詳しい。
というわけで、次ページでは『真相』とされた様々な説を見てゆこう。
12