流刑の島の流れる夏に
祟りなどの可能性を差し引いて、客観的にこの人骨事件を見た時、大きな疑問は5つ。
・誰の遺骨か。
・どこから持ち出してきたか。
・どうやって火葬場に持ちこんだか。
・誰がやったか。
・なんの意図があったか。
これら全てを合理的に説明できるなら事件は未解決に終わっていない。
事件に関してあまりに情報が少ないので、オカクロ特捜部は新情報を求めて、2015年現在の状況を南海タイムスさんに質問してみた。――が、事件は島ではほとんど忘れ去られており、新情報など何もないとの事だった。島外メディアのほうが詳しいのでは? とも。
残念ではあるが、事件当時の資料が最新資料というわけだ。
ではかき集めた情報を整理しながら諸説に触れてみよう。
人捨穴
八丈島でオカルティックなスポットとして知られる人捨穴。これは読んで字の如く、遙か昔に『口減らし』のために人を捨てたという場所――つまりは姥捨て山だ。
過去には川口探検隊も訪れたといういわく付きの場所である。
八丈島の歴史を紐解けば、古くから食糧問題が起こっており飢餓飢饉は日常茶飯事だった。
民話の中でも『こんきゅう坂』『人捨て穴』『トコラ』など貧窮が殺人にまで至る話が残っている。
この人捨穴に放置してあった古い遺骨を、誰かが『改葬』した可能性はあるだろうか。
なかば無縁仏のようになっていたであろう遺骨を、不憫に思って弔おうとした者がいても不思議ではない。
が。残念ながら、この可能性は低そうだ。
人捨穴は多くの人が訪れており、はたして1994年まで未発見だった遺骨があったのか――と言われれば、イマイチ弱い。
それに人捨ての風習は遙か昔に無くなっており、『10年~40年』という遺骨の分析結果と矛盾する。
旧日本軍の基地にあった骨
八丈島には戦時中、日本史上初となる特攻兵器『回天』の基地があった。俗に言う、人間魚雷だ。確認できた噂では、発見された七人骨をして「建設作業中に死亡した作業員たちの遺体では?」という話もあったが、どうだろうか。
たしかに洞窟のような八丈島基地を見てみれば、なんだか人骨があっても不思議ではないような趣がある。
だが、これもやはり人捨穴と同じく、「1945年から1994年まで誰の目にも触れない遺骨が七体もあったのか?」と。
犯罪絡みの遺体
七柱の遺骨は、何らかの犯罪に巻き込まれた被害者の遺体で、犯人が痕跡を消すために無理やり燃やしたのではないか。という噂。繰り返しになるが、火葬場で発見された遺骨は『死後10年~40年のもの』と分析された事実を忘れてはならない。
これを念頭に考えると、この七人は殺害された後、少なくとも死後10年は(墓所ではない)どこかに隠匿され、そして1994年になって改葬された――と言うことになる。
なんだか「10年も隠匿できたなら、そのまま隠匿しておくのが賢いやり口じゃないのか」と思ってしまう。犯人がなぜ改葬したのか、まったくもって解らない。
「可哀想だからに決まってんだろ! 犯人が改悛して改葬したんだよ!」と諸兄は言うかも知れない。
だが、それなら何故焼くだけ焼いて炉内に放置したのか?
もし噂が正しく証拠の隠滅が目的だったのだとすれば、発覚させないのが一番安全なワケで、わざわざ取り出してきて、焼いて、放置もなかろう。
そして、オカクロ特捜部が調べた限り戦後八丈島で一家惨殺や、7人同時の行方不明者はでていない。
「なら戦前の骨?」と諸兄は頭の上に疑問符つきの推察を浮かべるかも知れないが、発見された時点で『10年から最大40年ほど』という分析結果は無視できない。
ここで一端、『改葬』について考えてみよう。
まず、土葬といえば木製の棺桶に遺体を収めて埋めるという印象があるかも知れないが、八丈ではかつて『カメカン』と呼ばれる水瓶を使用していた。
高さ60cm、口径50㎝ほどの大水瓶だ。
遺体はこの瓶に入れられ、地域ごとの共同墓地に埋葬される。
死者の年忌は1年、3年、7年、13年、17年、25年、33年、最大で50回忌まで継続されるが、13回忌、17回忌の頃に『シャリトリ』と呼ばれる改葬が行われる。
この改葬の時期は厳密には決まっておらず、痩せていた者は早い時期に、太っていた者はそれよりもう少し時間をおいてからシャリトリされた。これは白骨化に要する期間の問題だそうだ。ゆえに13回忌、17回忌でなくとも墓所内の埋葬スペースが足りなくなったときは早めにシャリトリが行われた。
具体的な手順としては、遺体を墓所から掘り起こし、白骨化した遺体を焼酎や海水で綺麗に洗う(特に頭蓋骨)。そして清めた遺骨を再び先祖の墓に埋める。
途中で初潮を迎えていない少女による数日間の奉公があるが、いまいち諸兄が喜びそうな内容ではないので省略した。
伝統的な葬儀は概ね上記のような流れを辿る。
ではなぜ『シャリトリ・改葬』を行うか。
これは墓所の省スペースという合理的な意味の他に、「死者に会った気持ちになれる」という感傷的な意味もあった。
死者は幾つかの段階を経て、その性質を変化させてゆき、そしてシャリトリを経て再埋葬されたときその性質が『個人』から『あまたの先祖霊』となる。
つまりこのシャリトリは「故人が一個の霊として、一個の人格として遺族と対面する最後の機会」と捉えることが出来る。
つまり、手間暇はかかれど、敬意や愛情をしめす最後の機会でもあるわけだ。
現代に生きる者としては、掘り起こして遺体を洗うという行為に『恐ろしさ』などを感じてしまうが、根底には流れているモノは温かい。
この改葬へのスタンスを理解した上で七体人骨事件を見ると――ますますよく解らない。
火葬場に侵入し、無断で焼き、放置する。
これは本当に改葬だったのだろうか? と思考のラビリンスにイントゥである。
『スタンス』を踏まえて考えてみれば、『なぜ遺族でもないモノが改葬したか』という疑問が沸き上がってくる。
全国紙や地方紙は「改葬じゃねーの?」と推理しているが、もしかしたらなにか、他の意味なり意図があったのかも知れない。
ここで改葬という発想から離れて、他の可能性を考えてみよう。
以下はオカルト・クロニクル特捜部の私見であり、あくまでも可能性の一つとしてみて欲しい。
悪い奴ほどよく眠る説
八丈島には数年前まで『N』という会社の看板が多く見られた。空き地や、道の脇、山奥にまで『売り地』看板があったという。
現在は撤去されたのか、ストリートビューで探しても見あたらなかったが、八丈島の不動産を紹介するサイトでもしっかり『N』が取りあげられている。
その『N測量』という会社は、違法業者だった。
看板に表記していた不動産業者の免許番号は実際には存在しないもので、どうも悪どい商売をやっていた(やっている)らしい。
一時期、日本中で騒がれた『原野商法』をご存じだろうか。
これは、無価値――どう考えても価値の付かない土地を、「今後、開発が進めば高騰します。区画整理も終わっています」などと事実と異なる話を並べ、二束三文の土地を高値で売りつける悪徳商法だ。
1960年頃から被害が増えはじめ、1980年代には落ち着いたのだが、じつは現在でも業者が手を変え、品を変え、名前を変えて暗躍し、被害が出続けている。
(余談だが滋賀県の有名心霊スポット『大塚団地』も、琵琶湖空港に絡む原野商法で扱われた土地のなれの果てである。少し前に調べたが、この大塚団地にまつわる『怖い情報』は9割がデマだった。老婆が殺された未解決事件だけは事実であるが、現場は団地から離れた山畑)
訴訟トラブルを避けるため、名前は伏せさせていただくが、この『N測量』という悪徳業者が八丈島でダーティーな業務に手を染めていたのは事実のようだ。ソースとしてはアレだが、yahoo知恵袋に「この業者は全国的な詐欺グループであると八丈島の住民が言った」――と書いていてある。
これと人骨事件は結びつかないだろうか。
土地を扱う業者ということで、この『ナイル測量』という会社が――あっ! 名前だしてもた!
ともかく、この有限会社ナ○ル測量が会社の所有する管理地の造成時ないし測量時に偶然人骨を発掘し、土地に『いわく』がつくのを嫌がって秘密裏に――という仮説。
どうだろうか。
訴えられるだろうか。
しかし、手前味噌ながら正直これも今ひとつ、『何かに欠けた仮説』であると言わざるを得ない。
悪徳業者が人骨を発見したとして、わざわざ火葬場まで持ってくる義理はない。
そして火葬場には鍵がかかっていたし、火葬炉の使用法を知っていたとも思えない。
だいいち、こういう悪徳会社は測量も造成もしないまま他者に売りつけることが多い。悪徳が悪徳であるがゆえ、『造成で人骨を見つけた』という可能性は低くなる。
疑ってすみませんでした。
スピリチュアルな人たち説
発見された七人骨は、ダンボール箱にして三箱分にも相当したという。
島内に掘り起こした痕跡がないとすると、外部から持ちこんだと考えるのが自然ではあるのだが、単独でそれほどの量を運び込むのは手間がかかるし、目立つ。
諸兄らは思うのでしょうね。
「やっぱ、人数が要るとなると……あれか。スピリチュアルな人たちの動員力か」と。
時は1990年代。新興宗教が隆盛を極め、そして淘汰を見せた時代だ。
ちょうどオウム真理教による様々な事件が起きていた時期で、ほかにもミイラ事件のライフスペースや加江田塾などが世間を賑わせた。
ここで、ある新興宗教団体に着目したい。
その教団は、全世界の公称信者数300万という巨大教団だ。これは名指しすると冗談ですまなくなる可能性があるので、伏せさせていただく。
信者数公称300万人と書いたが、何度も内部分裂を重ねており、枝葉教団まで含めるとその総数は量りきれない。
オウム真理教の信者が1995年の強制捜査以前に公称1万人だった事実から考えると、その規模が桁違いであることが判る。
その教団Xは、『手かざし』『オーガニックな農業』が特徴的である。
街頭で「あなたの健康と幸せをお祈りさせて下さい」と呼び止められた経験のある諸兄もおられるかもだが、それはおそらく教団Xの分派である。
ちなみに、筆者も中学性の頃に呼び止められた。
個人的な経験談ではあるが、ちょうど筆者のブログにその時の回想があったので貼っておく。
あるとき、中学時代、僕が仲間との溜まり場だった路地裏に向かってる際、柳原可奈子によく似たオバさんに呼び止められた。この教団Xの施設が八丈島にある。
てっきりショタ趣味の貴腐人が、いたいけな美少年中学生を……と思ったんですが、彼女の第一声は
「祈らせて下さい」
世間知らずだった松閣少年は考えた。
「ああ、しまった。おれ偉大すぎて、知らない間に神にまでなっちまった。あえて言おう、キリストとかショボイ。ブッダ? ふふん」
そりゃあ断りましたよ。信者とか俺には必要ない。後の世で崇拝されてこそ本物ですからね。でもオバちゃん粘ったねぇ。しつこいので、崇拝させてあげることにした。
オバちゃん俺に目を閉じさせて、手をかざした。
数分の時間が過ぎたと思う。俺に言わせりゃ、手をかざすのは俺の役目だと言いたかったが黙っていました。
中年柳原「どうでしたか?」
少年松閣「どうって? 何がっすか」
中年柳原「何か感じましたか?」
少年松閣「だるくなりました。あと頭も痛いし、腹も減りました。コーヒー牛乳が飲みたいです」
中年柳原「それはね、貴方の血が汚れているからですよ」
い、言うに事欠いて このババァ! 神に対して失敬な!
でも堪える少年松閣。当時から批判には慣れっこでした。
少年松閣「僕の血は汚れているんですか? でも、なんか格好いいですね呪われた血って。ジョジョのDIOみたいで。知ってますか? ジョジョ」
中年柳原「格好よくないですよ。あのね、悪い血だから浄化し……」
少年松閣「悪の方がいいです。正義ってダサイっすよ! 戦隊モノとかでも怪人一人に対して、5人で襲いかかるんですよ? 正義って、勝つためならなんでも許されるんですか? 卑怯っす。怪人の方が男らしいっすよ。……で、知ってるんですか?ジョジョ」
中年柳原「そういう話じゃなくてね」
少年松閣「大事な話ですよ。僕の血が汚れてるっていうのは、結局正義がショボイからじゃないんですか。多対一でボコられる怪人に同情する僕の気持ちは正義じゃないんですか? で知ってますか? ジョジョの奇妙な冒険」
中年柳原「……もういい!」
議論を捨てて去ろうとする柳原の背中に、少年松閣はトドメの言葉を浴びせかけた。
少年松閣「知ってるんですか? ジョジョ! 読んでね!」
後に調べたところ、彼女は県内で精力的な活動を続けていた某宗教の勧誘員だったようだ。
なんだよ! 話が違う! 俺の信者じゃ無いのかよ!
どうも教団内部で、跡継ぎについてのお家騒動があったらしく、現在では複数に分裂しているらしい。
柳原は、どの勢力に帰属したのだろうか。
あのとき、ちゃんと僕が導いてあげるべきだったと、今でも悔やまれます。
ジョジョ読んだかなぁ……。
そして、この教団の原理主義者は『現代医療』を否定する。どんな病気も『手かざしで治る』という。投薬すら拒否し、何度かそれでトラブルにもなっている。
ライフスペースが「シャクティパット」と称する頭叩きで病気が治る――と主張していたのと似たようなモノだ。結果、ライフスペースは信奉者に適切な治療を受けさせず、ミイラにしている。
これと同じような事が、教団X内部、ないしその枝葉組織で起こっていたとしたら? どうだろうか。
手かざしの甲斐無く亡くなった遺体。その始末に困ったまま数年が経過し、ちょうど一連の『カルト事件』が起こった。事が発覚すれば、自分たちも『カルト』の誹りを受けかねない。それがゆえ、ミイラ化した遺体を八丈に持ちこみ――。
と、なんだか強引な推測であるが、色々と調べてゆくと、その教団に関係するとおぼしき施設が八丈にいくつかあった。
表面上は教団とは無関係で、名前を聞いただけでは、一瞬公的な施設かと思えたが――出るわ出るわ、怪しい繋がり。
「なんだよ! なんでここまで強引に新興宗教に話を繋げようとするんだよ! 信教は自由だろ!」と諸兄は憤るかも知れない。だが『スピリチュアル教団説』なら『密室』の謎に素直にアプローチできる気がする。
調べてみれば、当時火葬場の鍵を持つモノは6人。
火葬場が密室であった事から『何者か』は侵入したあと、火葬炉を使用し、その後施錠して姿を消した。
順当に考えれば鍵を持つ6人、あるいは過去に火葬場の鍵を持ったことのある人間を一人ずつ洗っていけば侵入者の特定は出来たのではないか。
しかし結局、捜査は進展しないままコールドケースとなった。
もし、この鍵にアクセスできた者の中に、教団関係者がいたら?
「自分がやった」と言い出せば、いろいろな者を巻き込む事になる。
通常、関わる人間が多人数であれば多人数であるほど、事件の真相は露見しやすくなるが、それが強固な団結を持った集団なら――と妄想は膨らむ。
とはいえ、このスピリチュアルな人たち説でも、「どうして放置した?」など色々疑問は残る。炉内に受け皿を置いていなかったことから、最初から火葬後は放置するつもりだったとも考えられる。
いよいよ良く解らない。仮説すら上手く立たない。
情けないったらない。
ひとつ、似たような事件を紹介しておく。
この八丈島の怪事件に先立つ1989年、7月22日。
東京都新宿区戸山の建設現場から35体ほどの人骨が見つかった。この人骨も死後20年以上経過しており、所轄の警察では『事件性ナシ』として捜査を終了している。
この大量人骨事件でも、やはり様々な噂が持ち上がった。
これは並木先生の著作から引用させていただく。
そしてすぐに憶測されたのが、「人体実験の名残り」ではないか、というものだった。
というのも、人骨が発見された現場は昭和4年から二十年四月まで、軍医養成のための旧陸軍軍医学校があった場所で、士官候補生を対象とした軍医機関と東京第一陸軍病院も併設されており、さらには、同学校内には、中国大陸で細菌や毒ガスの人体実験を行ったとされる、あの「第七三一部隊」で知られる石井四郎軍医中将が主管する「陸軍防疫研究室」もあったからである。
謎の怪事件ファイルX 日本篇 (二見文庫―二見WAi WAi文庫) より 結局この事件でも、詳しい事実関係は判明せず、全ては闇の中だ。
こういうのも調べてみると、案外、新事実が発見できるかも知れない。
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赦免の花が咲く頃に
八丈島は流刑の島だった。
慈運法印という名の僧侶は、無実の罪で流されたことに対し、抗議の断食を行いそのまま無念の死をとげた。
その後、彼の墓に植えられた2本のソテツに花が咲くと同時に、彼の赦免状が届いた。それからというもの、このソテツに花が咲くと吉報が届く予兆とされ――赦免花と呼ばれるようになった。
実際のところ、ソテツはほぼ毎年花をつけるのだが、それをあえて赦免花と呼んでありがたがっていたところに、どこか悲哀を感じる。
八丈島は良いところだ。古くから唄われるショメ節という歌にもある。
沖で見た時や鬼島と見たが、 来てみりゃ八丈は情け島。
黒い髪の毛 長さは背丈 可愛いあの子は 島育ち。
こんなに恋しい 八丈をすてて どこへ何しに おじゃるやら。
実際に流人たちは島民たちに尊敬され、手厚い保護(?)を受けていた。だがこんな良い島でも、流人者たちは故郷に思いを馳せ、いつの日にか帰りたいという帰郷の念を持ちながら、やがてこの地に骨を埋めた。
きっと、無念のまま亡くなった者は多いだろう。流人のなかには墓石無き墓に葬られた者もいたかも知れない。
だが少なくとも、発見された七遺骨は戦後のもの。流人のモノではない。
かくして、なんの解決も見いだせないまま、情報を漁って新聞を眺めれば、ある記事が目に付いた。
■集団密入国から七ヶ月■ 八丈島空港にほど近い、浄土宗開善院。仏壇の下に遺骨の入った木箱が並ぶ。
浜野文雄住職が箱の一つを開ける。中に添えられた封筒には、遺体から写した顔写真。町の火葬許可書には「本籍、住所、氏名不詳」とある。彼の“名前”は「八丈島一号」。それが「六号」まで続く。どれも身元不明の水死体として発見された。
カラー写真の顔は、荒波に流され岩にぶつかったのか、傷が目立ち痛々しい。年齢は二十代から四十代ぐらいまで様々だ。
《後略》
毎日新聞 1992.11.18夕刊より 彼ら、八丈島1号~6号は、中国福建省から冷凍運搬船でやってきた。
密入国するため八丈島に上陸せんとし、運搬船から小舟に乗り換えたところで、大波に煽られ、あえなく溺死したと考えられている。
どうも、中国の犯罪組織で有名な『J』などがブローカーとなり、運搬船を行き来させていたようだ。
この運搬費は10万元が相場で、それは当時の中国で五人家族が10年間暮らせる金額に相当する。
その10万元のうち、手付け金4000元を借金で支払い、残りの渡航費は日本で働いて返済するというシステムであるらしい。借金まみれである。闇金ウシジマくんの世界である。
前述した犯罪組織で有名な『蛇頭』などのブローカーは仕事を速やかに終わらせるため、八丈沖に着きしだい、波が高かろうが、風が強かろうが、密航者を小舟に乗せ替える。
反抗すると腕を青竜刀で切り落とされ、小舟に投げ込まれるというのだから、乱世でござる。
南海タイムスを眺めれば『八丈島一号』の事件だけでなく、密航者による座礁や違法入国の記事が散見され、運搬船が結構な頻度でやってきていることがわかる。摘発率は5~10%だそうで海上保安庁には是非頑張って欲しい。
この『密入国者』が火葬場の七遺骨となったのではないか。
もしかしたら、『八丈島七号~一三号なのではないか』と、オカクロ特捜部は、浅はかにもそんな仮説を考えた。が、もちろん確証は掴めなかった。鍵の問題も引っかかってくる。
こうして結局、なにもわからない。
完全にお手上げである。
事件はその後どうなったか。
大した情報ではないが、ネット上にはないので一応書いておく。
七柱の遺骨は発見されてからずっと署内で保管されていたが、1995年3月14日に町福祉課に引き渡された。そして同日中に福祉課によって改葬され、『八丈島一号』たちと同じ開善院に納骨された。
やはり誰の骨かは判らないため、骨壷に名前も書くことができず、結局町役場の整理番号だけが書かれた。
骨壷は一年間本堂に置かれたのち、永代供養塔の下に埋葬されたそうだ。
名前がないまま供養されたのは、なんとも心苦しさを覚えてしまう。
仕方の無いことではあるが、少し悲しく思う。
たとえば、諸兄が身分証ももたずコミケに行って、溢れかえる人ごみであえなく圧死したとする。
すると、身元不明である諸兄らは『コミックマーケット89の始発組CCさくら専門サークル前1号』とかいう名前で荼毘にふされる。
どうだろうか。先祖や親に顔向けできるだろうか。
徹夜組でないだけ評価されるべきかも知れないが、そういうことじゃない。「いまさらカードキャプターさくら二次かよ!」というtwitter界隈からの心ない誹りもさけられまい。
不謹慎な冗談はともかく
事件は未解決に終わった。
諸説のどれかは真相に迫っているのか、そうでないのか。まったくもってわからない。
もし情報なり、仮説なりをお持ちの方はご連絡いただきたい。
ほとんど事件が風化した現状では、続報もきっと期待できまい。中途半端ではあるが、この記事がこの事件の最終報告になると思う。色々調べて何かしら新発見があれば、名も無き七人の供養にもなるかもと思ったが、結局は拙い妄想を垂れ流したに過ぎなかった。我ながら不甲斐ない。
最後に一つ。
もしかしたら――骨たちは自分で帰郷してきたのかも知れない。遠く、南方の島々で亡くなった兵士、あるいは異郷にて亡くなった者たちが、40年かけてようやく故郷に帰ってきたのかも知れない。
どうせ諸説が不完全であるなら、こんな仮説も悪くないかな、と思う。
もしそうならば――おかえりなさい。
■参考資料 ・八丈島の民話 (1965年) (日本の民話〈40〉) ・八丈島流人銘々伝 ・伊豆諸島を知る事典 ・伊豆諸島民俗考 (1980年) ・怪奇探偵の実録事件ファイル〈2〉 ・午後六時ののろい (ほんとうにあったおばけの話) ・現代日本文学大系 (20) ・謎の怪事件ファイルX 日本篇 (二見文庫―二見WAi WAi文庫) ・死・葬送・墓制をめぐる民俗学的研究 – 国会図書館アーカイブ ・ミサキをめぐる考察-DSpace at Waseda University ・日本の改葬習俗と韓国の草墳:PDF ・七人坊主:瑣事加減 ・南海タイムス 1992-1997 ・毎日新聞 1992.11.18/1994.8.24 ・読売新聞 1994.8.24 ・朝日新聞 1994.8.25 ・東京新聞 1994.8.25 ・週刊新潮 1994.9/2010.8 ・週刊現代 1996.112