井の頭バラバラ殺人事件―迷宮の深淵から

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――魚の切り身か、豚肉だと思った。
丁寧に梱包されたビニール袋を清掃員が開けてみると、中身は人の足だった。
駆けつけた警察による捜索でブロック状に切り分けられた遺体が次々見つかる。
その数27パーツ、その寸法22㎝。その動機、その理由、不明。
多くの謎を残したまま迷宮入りした平成の怪事件。

都会の森の片隅で

注意:
この項は事件内容の特性上、遺体の損壊に関する猟奇的な記述・表現が多く含まれています。予めご了承の上ご覧ください。
InokashiraMMurdertop 1994年、東京・吉祥寺。

井の頭公園で清掃業務に従事していた女性(59)が園内のゴミ集積所にて奇妙な包みを発見した。

それは半透明のビニール袋に包まれており、うっすらと透けるピンク色が見えた。清掃員の女性はそれを第一印象で『魚の切り身か豚肉』だと考え、そうならば猫のえさにしてやろうと開けてみることにした。

その小袋は厳重かつ特種な方法(後述)で梱包されており、苦労して開けてみれば中には人の足が入っていた。
これは猫のエサにはならない。なっても困る。清掃員たちが慌てて警察へ通報し、事件が発覚した。
これが1994年4月23日午前のことだ。

駆けつけた警察によって集積所および園内のゴミ箱が検められた結果、7カ所のゴミ箱に遺棄された24袋の遺体が見つかった。いわゆるバラバラ殺人だった。

遺体パーツは測ったように22㎝で切断されており、これは「ゴミ箱にちょうど入るサイズに切り分けたのではないか」という推測がなされた。当時の井の頭公園のゴミ箱は郵便ポスト型と呼ばれる箱形で、ゴミの投入口のサイズがちょうど縦20×横30㎝だったからだ。

発見された当時のゴミ箱と情報提供を呼びかける立て看板。
当時のゴミ箱は縦20㎝横30㎝の投入口に蓋がついており、投入してしまえば人目に付くことはほとんどなかった。
現在は公園内から全て撤去されており、「あんな事件があったから……」と噂される。が公園関係者の説明によれば撤去は事件に起因するモノではなく、持ちこまれるゴミの量があまりにも多かったため、自粛を喚起する意図――とのことだ。
画像出典:週刊現代 36(18)1994.05


通常、このようなバラバラ殺人事件では被害者の身元を特定するために多くの捜査リソースが裂かれる。特にこの井の頭のケースでは、発見された手指から指紋や掌紋が鋭利なナイフのようなもので削り取られ、かつ頭部も発見されていないことから通常のバラバラ殺人よりも身元特定が困難に思われた。

だが、すぐに身元は特定される。
捜査の結果、遺体発見から3日後に被害者が井の頭公園の近辺に住む一級建築士、川村誠一さん(35)だと判明する。

川村さんは公園で発見される前日に妻によって捜索願いが出されており、遺体に微かに残っていた真皮から採られたわずかな指紋やDNA鑑定から川村誠一さん本人だと断定された。


ではなぜ殺されたのか。
これは現在に至るまで未解明だ。

川村さんは人当たりの良い温厚な性格で、身辺にトラブルは一切なかった。バラバラ殺人における捜査のセオリー通り、家族親族に始まり仕事関係、友人関係と幅広く捜査されたが、殺害に至るようなトラブルはとうとう確認されなかった。

日本では数多くのバラバラ殺人が起こってきたが、この井の頭公園のケースはその中でも『特異』と位置づけられる。
通常のバラバラ殺人では、主に関節部分が切断される。言うまでもなく、これはそれが一番容易であるからで、戦後日本で起こった120件以上のバラバラ殺人――その多くが関節部での切断を採用している。

にも関わらず、このケースでは骨ごと22㎝ずつブロック状に切り分けた。「定規で測ったかのような」と表現されるほど、これは発見された遺体パーツの全てに共通していた。

「ゴミ箱に捨てるため」と推察されたのもむべなるかなと言うところだ。「むしろゴミ箱に捨てる必要があった」と言う人もいるがどうだろうか。

だが、なぜゴミ箱に捨てる必要があったのか。

手間をかけてまでブロック状に遺体を切り分け、厳重に梱包してまで――。遺棄するだけならば、他にもっと手軽で露見しずらい方法があるはずだ。

真相についての諸説は後述するとして、項の前半では様々な資料からえられた断片的な情報を総合し、事件を整理してみよう。

現在までに判明している被害者の足取りを時系列にすると、以下のようになる。
(日時が青色になっているものは聞き込みによって得られた目撃情報)

日時出来事
4月21日
午前
7時30分
勤務先へ向かうため自宅を出発。
4月21日
午前
8時30分
港区新橋の建築事務所に出社。
4月21日
昼頃
妻に「今日は飲んで帰る」と電話。
4月21日
午後
5時30分
勤務先を退社し、高田馬場にある以前の勤務先を訪問。その後、元同僚らが開いてくれた本人の昇進祝いの飲み会に参加。
4月21日
午後
11時30分
JR新宿駅で元同僚2人と別れる。
これが証言によって確認できた最後の姿。
4月21日
午後
11時30分頃
JR中央線の荻窪~西荻窪間の電車内で川村さんとよく似た男性の目撃証言。人相、服装、および所持していたショルダーバッグが失踪直前の川村さんと似ていたが、目撃者によると吉祥寺に着いた頃には車内にいなかったという。
4月22日
午前
0時10分
元同僚と別れた後、JR中央線に乗車していればこの時間に自宅の最寄り駅である吉祥寺駅に着いていたことになる。
4月22日
午前
0時15分ごろ
推定帰宅時間とほぼ同時刻に、吉祥寺駅に近い場所で川村さんに似た男性が2人の男に一方的に殴られているのを見た、という近辺で働く女性の証言。
「いたい」「やめてくれ」「眼鏡が落ちる」などの叫び声。
4月22日
午前
0時~1時ごろ
推定帰宅時間とほぼ同時刻に、川村さんの自宅付近にあたる井の頭通り(推定帰宅ルート)に面したマンションの住人数人が、「ドーン」という何かが衝突したような大きな衝撃音がしたと証言。
4月22日
午前
9時ごろ
井の頭公園から約2㎞の距離にある杉並区久我山のコンビニで大量のゴミ袋を購入する2人組の男。東京都推奨の半透明ゴミ袋10パック(合計100枚)を購入。
「1人は30歳前後でTシャツ姿。もう1人は50歳前後で黒っぽい作業着。2人は別々に入店し、ゴミ袋の棚に真っ直ぐ向かった。キョロキョロと周囲を気にするような様子で落ち着きがなく、おかしな感じだった。1人がレジで支払いを済ませている間、もう1人が入り口付近で周囲の様子をうかがっているだった」と店長の証言。
以上の情報を事件から半年経った10月21日に東京新聞がスクープ。捜査本部はスクープ記事で情報を知る。店長は通報していたが、捜査本部までは届いていなかった。
ちなみに朝日新聞の夕刊での二人の特徴は『30歳前後白っぽいトレーナーに白いズボン、もう1人は40歳前後で黒っぽいジャンパー姿』と少し違いがある。
4月22日
夕方
夕方頃に妻美代子さんによる捜索願が出される。
22日の朝、帰らなかった夫を心配して川村さんの勤務先へ電話をかけたが出勤していないとの返答を得た。川村さんが無断外泊・無断欠勤をすることがなかったため、不安に思っての捜索願だった。が「あまりにも早すぎる」と疑いの眼が向けられた。
4月23日
午前
4時頃

井の頭公園内にて、ゴミ袋を持った不審な2人の男を見たという目撃証言。
目撃された2人は公園のベンチに座っていた人に出くわすと、方向を変えて逃げるように立ち去るという不審な行動をとった。1人は紺色のスーツの上下、もう1人は黒色のジャンパー姿。ともに年齢は30歳前後、身長は165㎝前後、ジャンパーの男が白いポリ袋を持っていた。公園の別の場所でも、この2人組と似た男たちが目撃されている。
4月23日
午前
11時
井の頭公園にて足首が発見される。
警察の捜索により、7ヶ所のゴミ箱から、合計24袋におよぶ遺体が順次発見。
(註:遺体の袋数、パーツ数について、資料によって24~33のばらつきがある。この項では遺体の司法解剖を担当した杏林大学法医学教室の佐藤喜宣教授の記述と2007年の新潮45による記述を元に24袋27パーツとして進める)
5月11日11日正午前、同公園内で右肩の一部と思われる骨が通行人によって発見される。新たな遺棄かと新聞が報じるが、翌日には何者かによる悪質な悪戯だったと判明する。事件を管轄する三鷹署特捜本部が調べた結果、見つかった骨は豚か牛の骨であったと発表される。
2009年
4月23日
午前0時
公訴時効成立。未解決事件となる。

結局、犯人に繋がる有力な情報もないまま時は過ぎ、事件は迷宮入りとなった。
犯人も犯行動機も、真実も真相も、全てが謎のまま残された。

次節ではこの事件のもつ『不可解』な部分にもう一歩踏み込んでみよう。
あの日、川村さんの身に何が起こったか。残された断片を客観的に眺めれば何か解るかも知れない。


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有力情報いまは絶え

この事件のキーワードは『バラバラ』と『ゴミ箱』だ。
twitterで「井の頭公園のゴミ箱について何か情報はないか」と呼びかけたところ、少なくとも数人のフォロワーの方が「次のオカクロ、井の頭バラバラ殺人事件か」と気付いておられた。さすがです。
事件マニアにとって、井の頭公園は『ジブリの森』でなく『バラバラ事件の森』であることがよくわかる。健全とは言い難いがそれはいい。

ゲームをする人は『真・女神転生』を思い出すかも知れない。
この真・女神転生は、ちょうど井の頭バラバラ事件が起きる1年半ほど前になる1992年に発売されたスーパーファミコンのソフトだ。

ゲームの開始直後に主人公が直面するのが『井の頭公園での殺人事件』であるという、いささか予見じみた展開がある。
怪しげな儀式を行う集団が登場し、どこか現実とも繋がって思える。今を持ってなお井の頭バラバラ殺人と宗教団体との関連を疑う者は少なくない。

InokashiraMMurder002 グ グワーッ!

奇妙な偶然というほかないが、ゲーム自体のもつダークな世界観と相まって、ちょっとした都市伝説になっている。

ちゃんとしたオカルトサイトらしい余談はともかく、この事件における不可解な点を見てみよう。

未解決事件というのは概してモヤモヤ感があるものであるが、この事件に関してはどこか不思議な浮遊感もある。
まったく捕らえどころのない――それでいて真相が手に届く場所にあるような感覚。この得も言われぬ浮遊感はこのケースのもつ『矛盾』に起因するのかも知れない。
ともかく、収集した資料を元に事実を洗い出してみよう。

被害者について


「温厚な性格でおとなしく信頼される存在」
「夫婦仲が良く、どんなに帰りが遅くなってもシャワーを浴びて寝るという規則正しい生活」

なぜ川村さんが狙われたのか。これも大きな謎とされた。

川村さんは1958年東京生まれ。地元の小学校、中学校を卒業後、都立秋川高校定時制から東洋大建築科を出た。
そして高田馬場の建築事務所に修飾した。この職場で事件当夜に『祝いの席』を設けてくれた元同僚たちと知り合うことになる。
その後、小学校時代から参加していたボーイスカウト活動で知り合った美代子さんと結婚した。

自ら設計した二世帯住宅に住み、当時、身重だった妻と長男、そして両親と共に暮らしていた。

指紋や掌紋を意図的に削っていたことから、警察は『顔見知り、それもごく身近な人物』と犯人像を見立て、生前の川村さんを知る人たちに捜査リソースの多くを裂いたが、結局なにもでていない。過去のボーイスカウト仲間から、仕事の同僚や関係者、大学時代に付き合いのあった者――。
繰り返し事情聴取を受けた友人などは夢に警官がでてくるほどだったという。

だが川村さんに近しい人々は皆アリバイがしっかりしており、事件に繋がるような動機――トラブルも怨恨も女性関係も、一切浮かび上がらなかった。

もちろん、親族も例外ではない。
「捜索願が早すぎた」として夫人は警察からかなりの追求を受けたようだが、これも身重の夫人に負担をかけたばかりでまったくの空振りに終わっている。

夫人の立場からすれば、これまで規則正しい生活を送ってきた夫が連絡をよこさないないまま一晩が過ぎ、翌日になって職場に問い合わせても無断欠勤となれば不安からアクションを起こしても何ら不思議ではないだろう。無理からぬ事だと言える。

そして夫婦揃って新興宗教にハマっていた、ないし奥さんがとある新興宗教から脱会してトラブルになっていたという風説もあるがその事実はない。夫人がそれらの噂に当惑しながらも否定しているインタビューが新潮45に掲載されている。


切断について


発見された遺体は24袋。どれも定規で測ったかのように22㎝に切り揃えられていた。
前述したように通常、バラバラ殺人は各関節で切断されていることがほとんどだが、この事件では関節を無視するかのように『寸法』を主体にして切られている。
長さだけでなく、筋肉を削ぎ取ることで太さ も揃えられていた。

これは井の頭公園に設置されていたゴミ箱の投入口にキチンと収まるサイズだった。
骨ごと人体を切断した――と聞いて、諸兄は電気ノコギリやチェーンソーの使用を思い浮かべるかも知れない。
現在でも遺体は『電ノコによって切断された』とする記述をあちこちで目にすることができるが、検死解剖の結果、電ノコではなく手ノコによって切断されたことがわかっている。
自らの手でノコギリを挽くと、肉と骨の感触がダイレクトに伝わり並大抵の神経では途中で挫折する。しかし犯人はそれを完遂していることから、猟奇的な犯人像も想定された。

そして『切り口の種類』は3タイプ認められた。これをして解剖を行った佐藤教授は複数犯説を採っておられるが、これに関しては後述する。


血抜きについて


発見された遺体からは完全に血が抜かれていた。
血液は腐敗を促進し、その結果強烈な死臭を発する。この血抜きについて犯人の狙いは定かではないが
『腐敗を遅らせるため』 『袋に入れた際に目立たせないため』 『DNA鑑定を困難にする』 などの意図があったのではないかと推察されている。加えて言うなら、重量を軽減させる狙いもあったのかも知れない。

この血抜きには大量の水が必要で一般家庭では難しかろうとモクされており、それがゆえ血抜きが可能な設備をもった医療施設や精肉施設、町工場などの関係者が事件に関与していると噂された。
司法解剖の結果では、『もみ洗いに近い』状態であり毛細血管の細部に至るまで血は残っていなかった。犯人に繋がるような微物の類も検出されていない。


袋について


使用されたゴミ袋は3種類だ。
・東京都推奨炭酸カルシウム混入袋30リットル
・同炭カル袋45リットル
・台所用水切り袋。

包み方の概要は、まず遺体パーツの『両端』部分に水切り袋(網状)をあてがい、それを炭カルの半透明ゴミ袋1枚で2度包むという特殊な梱包法だ。これは調理人や釣り人、漁師、あるいは医療関係者が内容物の水分や臭いを外に漏らさないために行う方法だった。
ほどけにくいように何度も結び、その結び目を団子状にしてあった。

この特種な包み方も犯人像に迫る手掛かりとされた。


遺体パーツについて


発見されたパーツは全部で27個。具体的には手足がほとんどを占め、他の部位は胸の一部だけが見つかった。頭部と胴体は結局現在に至るまで発見されていない。

ちなみに24のポリ袋に分けて遺棄されたが、そのサイズだけでなく、重さもほぼ均一だった。合計で20㎏だったというから、一袋当たり830gほどだろう。
この見つかった部位は川村さんの全体重の1/3程度に相当し、パーツ数から推察し全体で50部位ほどに切り分けられたのでないかと見る向きもある。

2014年から井の頭恩賜公園の開園100周年にむけて、『かいぼり』と言われる池の水抜き作業が行われた。1987年以来、実に27年ぶりの水抜き事業だった。
これは池の水質改善および在来種の保護を目的としたものであるが、一部の事件マニアからは邪な熱い視線が向けられていた。もちろん『1994年に池に投棄された遺体の一部が見つかるのではないか』という邪推が働いたためである。

このかいぼり事業は2014年にボート池とお茶の水池、遅れて2015年に弁天池と園内の全ての水域がフォローされた。
だが結局、見つかったのは数多くの外来種と数を減らした在来種、そして自転車約230台、バイク約10台、ビデオデッキ、ラジカセ、ポット等家庭電化製品、携帯電話、財布、買い物用カート、空き缶に菓子やエサ用のビニール袋だけだった。


死因について


これも特定されれば重要な捜査材料となっていたであろうが、残念ながら判明していない。
前述したように頭部や胴体が発見されておらず、判断の決め手となるようなカードがないからだ。
解剖の結果、生きている間に負ったであろう損傷は見つかったが、それも決め手にはならなかった。

具体的には胸郭に属する軟部組織、肋骨の一部に付着している筋肉組織にほんのわずかな出血がみとめられた。が、そこは打撲される場所でもなく、肋骨が折れていたわけでもなく、出血の原因そのものが特定できなかった――と佐藤教授が書いている。

後述するが、死因を薬物や事故によるものとする見方も検死によって否定されている。

遺棄について


人の賑わう井の頭公園に遺体を捨てる――これは大量のゴミに埋もれて誰にも知られずに遺棄できると踏んだ結果なのだろうと推察される。

後述するまでもないので書いてしまうが、被害者の住んでいた場所に近い公園に遺棄するという事実をして「これは見せしめだった」とする言説が多々見られるが、オカクロ特捜部はこの話には懐疑的である。

見せしめというのは、もっと大々的に行うものであろうし、だいたい清掃員がたまたま袋を開けなければ事件そのものが発覚せず今日をもってしても川村氏が行方不明者扱いされていた可能性だってある。
そして見せしめに殺されるような事実関係は(少なくとも川村さん本人には)なかった。

ちなみに、実際に川村さんの自宅は井の頭公園から100mほどの距離にある。

余談だが、オタキングの別名で知られ、近年では愛人格付けリストで世間を震撼させた岡田斗司夫氏が事件後にあたる1998年にこの被害者宅を借り上げて話題となった。本人は事件の被害者宅だと知らず、ちょうど事務所向きの物件だと判断して借りたそうだ。
80股ってホントなんですかね。




以上が事件のあらましである。

ショッキングかつ不可解極まりない事件であったが、事件の発覚した直後の4月26日に中華航空140便墜落事故が起こり、報道と世間の目はそちらへ向けられた。そして11ヶ月後には地下鉄サリン事件が起こったことで捜査一課が招集され捜査本部は解散。

以降、所轄の三鷹署による孤軍奮闘の単独捜査が続いたが、めぼしい成果はあがらず2009年4月23日午前0時、公訴時効が成立した。

被害者の父親である川村誠蔵氏は事件の翌年に『心事の軌跡』を出版し、その胸中の無念を綴ったが、その無念を晴らすことなく時効の前に亡くなっている。

この事件はなんだったのか。
犯人は何者で、何が目的だったのか。

次ページでは浮かんでは消えた様々な犯人像と仮説、そして過去の事例と対照して新しい角度から事件に光を当ててみよう。


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