ファフロツキーズ――落ちた魚で昼食を

スポンサーリンク


魚雨ニモ負ケズ、蛙風ニモ負ケズ

言うまでもなく、ここまで参照してきたケースを一つの仮説に当てはめて説明することは誠実な態度ではない。

『空から何かが降った』という話を前にして「知ってますよ、犯人は竜巻だ。不思議でもなんでもない」と反応する人は少なくない。

こういう者の脳内では、ある種の固定観念――因果関係の強烈な紐付けがなされており、その者を前にして「ファフロツキーズのね、謎がね」などと発言しようものなら、輩はやれやれと唇を歪めて、こちらの無知を指摘し、なおかつそれとなく無能と嘲り、「やだナァ、素人は」「最近のニワカはこれだからナァ」と見下し、本人ばかりか郷里まで(お里が知れる発言などで)中傷、親兄弟や家の名誉もその舌鋒で汚し、モノはついでと『月刊ムー』まで罵倒、そのうえで一方的に話をしたくせに「話にならない」と結論するワケだ。
被害妄想かも知れないが、最近はそういったイケ好かない手合いも少なくない。1

だが、前述した通り、実際のところ『空から降った』という共通点だけをもって、原因をも一点に求めるのは無理がある。
そして、ことファフロツキーズ現象と向き合うとき、我々はまず最初にある視点から始めなければならない。『本当に降ったのか、否か』である。

過去のファフロツキーズ事例をみても、『降ったところ』その瞬間は目撃されていないケースがままある。
たとえば1947年の豪シャルルビル、1994年の豪ノーザンテリトリー州ダンマラのケースなどでは、目撃者はいないものの、「内陸部の道路に魚がいた=降ったのだろう」という解釈がなされている。これはカエル雨などにも言えることで、これらの事例は注意深く扱わねばならない。

ファフロツキーズ現象の説明にどれほど竜巻説が適確だとしても、『降ったところを目撃』ないし『落下してきたと考えるのが妥当と思われる状況証拠』などがない場合は別の可能性も捨てるべきではない。

『降ったのか、否か』は重要な点だとふまえた上で、様々な仮説を見てみよう。

竜巻説



現状において最大にして、最適にして、最終的な仮説――と言えるのが竜巻説だろう。
特に魚雨などを説明する場合は『水上竜巻』『ウォータースパウト(Waterspout)』などと表現される。
水上にて発生したウォータースパウトによって、遊泳中の哀れなサカナたちがその渦に巻き込まれる。そのままスパウトの移動とともにサカナたちも遠方に運ばれ、やがて落下。それがファフロツキーズ現象のメカニズムだとする説だ。



図にする意味もなかった気もするが、それはいい。

一般には、上昇気流を伴った渦はすべて『竜巻』と特に区別なく呼ばれるが、太く強い力をもつ竜巻はトルネード、細く弱い竜巻がウォータースパウト、陸上で発生した場合はランドスパウトと区別される。(最近ではオカルト界隈にて台風人間というのも提唱されている)

気象の専門家、防衛大学校地球海洋学科教授の小林文明先生の著書によれば

同じ海上で発生する竜巻でも、ウォータースパウトとトルネード的な竜巻とは見た目にも違いがあります。
ウォータースパウトは、漏斗雲が細く、海面から雲底まで直線的に伸びているのが特徴です。また、比較的安定した日に局所的な積雲・積乱雲に伴い発生するため、移動速度は小さく、親雲のスケールも相対的に小さいといえます。

このスパウトにより『降りモノ』たちが上空へ巻き上げられ、やがて上昇流よりも重力がまさると落下する――というメカニズムが考えられている。

ことファフロツキーズ事例と竜巻説の関係は深く、その歴史も古い――いわゆる『海賊と船』の関係にあり、現在においてもほとんどの場合セットで触れられる。

ふと、「各種竜巻がファフロツキーズ現象の原因であるなら、その発生に相関が見られるのではないか」と考え、データを探してみると――

気象予報士の森田正光氏による『竜巻のふしぎ』に、アメリカ、英国、日本における季節ごとの竜巻発生数グラフが掲載されているのを見つけた。


アメリカでは晩春~初夏にかけて突出した件数を叩きだし、日本では9月の台風シーズンに発生することが多いようだ。『竜巻のふしぎ』の解説によればアメリカでは空気の寒暖差によって積乱雲が生まれやすく、冬の乾季と暖気とが混ざり合う春に竜巻が発生しやすい。
日本の場合は台風の影響によって生じる積乱雲が起因となるゆえ9月前後の発生が多く、英国は冬に大西洋で発達した低気圧が通過する際にソレに伴って竜巻が発生することが多いという。

この対照として、データベース内に収められたファフロツキーズ事例の発生を季節ごとグラフ化すると以下のようになる。


グラフは、発生月が特定できた事例279件から生成。
X軸ラベルが『月』表示でないのは、北半球と南半球で季節が逆転するため、『月』でなく『季節』で仕分けするのが妥当との判断から。冬季の長い国もその期間にあわせて初・中・晩に調整して分類。赤道に近い国などは、乾季と雨季で分け――――ようかと思ったが、頭が痛くなったので今回はすべて除外した。報告事例自体の大半が米国・英国発となっておりそれに欧州フランス、ドイツなどが続く。特殊すぎる事例も除外している(一部スポーザー、牛、人間、宇宙人、魔女など)


サンプル数が279例と決して多くはないため、苦労したワリにそれほど有意な結果もでなかったが、竜巻と同じくおおむね気温が上がり始める初春から夏に向かって発生数が増え、そこから晩夏に向かって減少に転じる傾向は見てとれる。

ちなみにミミズ・ワームが降ったという事例に関しては、そのほとんどが晩冬~春に集中して発生しており、なんらか、竜巻の発生とは別の要因があるように思われる。
赤道に近い国で起こった事例は都合上除外したが、先に上げた『おサカナ定期便』ケースがそうであったように、おおむねその地域の雨季のはじめに報告されることが多い。季節性の反復とも言えるだろう。

竜巻が発生しやすい場所は『水面・平野部』となっており、これは空気の流れが障害物に邪魔されず、異なる温度、異なる湿度の流れが起伏のない場所でキレイに衝突――上昇気流を生じさせやすい、結果それが竜巻を発生させるというメカニズムになっている。ゆえに空気の流れが散りやすい――つまり障害物の多い都市部では比較的発生しにくいという。

先に取り上げたファフロツキーズ現象で落ちてきた生物の割合――そのうち水棲・両棲に属するものが計63.8%。羽虫の類が水辺で発生したと仮定すると実に72.3%が水絡みになる。なるほど、竜巻の発生しやすい湖や海といった場所と関わりが深い場所に暮らしている生き物たち――と言えそうだ。

奇現象研究家のジョン・スペンサーはファフロツキーズ現象に関し「まともな仮説は立てられていないし、この現象の研究は、メカニズムや意味という点ではなんの参考にもならない、おもしろおかしい事例の列挙で終わっていることがほとんどだ2 と、ここまでの努力が報われない、非常に耳の痛い指摘をしているが、竜巻の発生とファフロツキーズの発生において、多少の相関や関連は見てとれるゆえ、まだ竜巻説はまともな仮説と言えるだろう。

だが、やはり、例によって例のごとし、『海賊と船――と、ラム酒』よろしく、お決まりの反論がつく。諸兄だってゴブリンがごとく憤慨するのだろう。

ふざけるなよ、竜巻だとすれば、なんでサカナならサカナ、カエルならカエル、と一種類だけ運ばれるんだ!? それもイワシならイワシだけとか、付随するゴミや小石などもなく『ソレ』だけ巻き上げて運ぶなんておかしいじゃないか!? ちかごろの竜巻というやつはよほど優れた選別眼を持っているらしいな! 今のは皮肉だからな! ええオイ!」と。

たしかに、優れた選別能力である。この選別眼をもってすれば、我々には判別の難しいアイマスとラブライブ、あるいはルッツとワーレンを見分けることも将来的には可能かも知れない。

イメージ。あくまでもイメージでは『一種類の生き物だけが降る』という印象が強い。だが、事例を多く並べてみれば、必ずしもそうでないことがわかる。
先に挙げた『サカナとカエルのシェア争い』を始めとして、古くは――

1666年英国ケント州クランステッドで「イワシ、ワカサギ、タラ3の混合雨であったし、

1901年サウスカロライナ州カーショーで降った雨は「ナマズ、マスなど」の混合4

1901年カリフォルニア州では 「ナマズ、パーチ、トラウト5

奇妙さが先行して『サカナ』という一括で捉えがちだが、つねに「サカナだけ、同一の一種だけ」というワケでもないらしい。

もちろん、冒頭に挙げたオーストラリアの「イワシ雨」など一種だけで構成される事例も多いが、そうでない場合も多数あることは頭の隅に置いておきたい。


つづいて『一緒に降ってくるはずのゴミ』問題について触れる――まえに、興味深い事例をいくつか見ておこう。

2007年、あるアスリートのドイツ人女性が、パラグライダーにて飛行中に発達中の積乱雲に遭遇、上昇気流にのせられてしまった。彼女は地上からはるか上空に漂う雲のなかでマイナス50度の世界を体感、テニスボール大の雹もあった。彼女は低体温症や凍傷にかかりながらも奇跡的な生還を果たした。6

奇跡が起きなかった例としては、1930年ドイツのレーン山地でのケースがある。空から凍結した5人の男が降ってきたのだ。5人はおそらくグライダーが乱気流に巻き込まれたため脱出を図ったが、地上へ辿り着くまえに雲のなかで凍りついたらしい。7

雲のなかは極寒の世界であることがわかる。

そして、クリーチャーシャワー事例において『冷凍ないしチルド』状態でサカナたちが降ってきた例は数多い。1896年のドイツでは角氷に閉じ込められた鯉が降ったとリン・ピクネットが言及している。8

すくなくとも、これら冷凍状態で降ったモノは巻き上げられて『積乱雲ないしスーパーセル』の内部に入ったと考えていいだろう。この2種の気象現象はともに竜巻の派生原因としても知られる。

ここで、『ゴミ問題』に戻ろう。「巻き上げた他の異物がサカナなどと一緒に降ってこないのはおかしい」という指摘だ。
たとえばその『異物』は小石であったり、湖底の泥であったり、木の葉であったりが想定されるのだろう。


これらは、もしかしたら、気づかれなかっただけなのかも知れない。

魚と一緒に巻き上げられた異物が、竜巻や各種のスパウトの生みだす回転のなかで、その重量、その形状、その状態によって、巨大な洗濯機内よろしく自然により分けられた可能性はないのだろうか。



砂礫などは、上空で雹のコアとなり、それ自体が砂礫であったと認識されない場合もあったかも知れないし、実際に石や砂が降ったという報告も多数ある。湖底の泥なども上空で大量の雨水に薄められ、『洗車した直後によく降るやつ』になったのかも知れない。

雹などはそれほど珍しいモノでもないので、よほど大きなモノでないと奇現象として記録されることはなかったろうし、わざわざ雹を割ってそのコアを確認することもなかったろう。そして溶けてしまえばやはり珍しくもない小石などが残るに過ぎず、だれも気にとめない。

この説の弱点としては、海藻や水草など、内陸部で『残れば』やはり目を引くそれらの異物だ。少なくとも、600件のファフロツキーズ事例のなかに「海藻だけ降った、ないし地面に残された」というケースは見つからない。マナとして食った?

あやうい仮定に過ぎないが、これ、つまり藻も『別の種類の怪雨』すなわち『色付きの雨』として認識された可能性はないだろうか。
世界各国で赤や黄色、茶から黒まで、様々な色の雨が降ったという報告は数多い。こうした色付きの雨は実際のところ分析してみれば苔類や花粉、虫由来の成分で着色されていることが多いようだが、水藻着色があっても別におかしくはないだろう。

一応、「緑色の雨が降った」というケースは報告されており(1948年オハイオ州デイトン9、日本でも1976年岩手にて20分間降った10)、湖底の藻・水草などが竜巻によってフード・ディスペンサーよろしく微細に切り刻まれ、降ったさいにはそれが『緑色の雨』として認識された可能性はあるのかも知れない。


とはいえ自分で言っておきながら、いまいちスッキリしない。水草がフード・ディスペンスされるレベルなら、魚だってシーチキンになろうものよ。

そうだろう、そうだろうさ。だいいち、魚とか大きいものを水上竜巻風情が持ち上げられるのかよ
そう食い下がる偏屈な諸兄もおられるかも知れない。

コレに関しては、やはり『竜巻のふしぎ』にて、8歳の少年、赤ん坊、そして犬が吸い上げられたケースなどが取り上げられており、魚ぐらいなら問題なく持ち上げるパワーはあるようだ。

実際に、水上竜巻によって魚が上空に舞い上がったところが目撃されているケースも報告されている。

たとえば初期のファフロツキー事例収集で卓越した成果を残した魚類学者E.W.ガッジャー博士は、自身の論文のなかで1921年にメキシコ湾で起こった水上竜巻について言及している。

報告によれば、目撃者は竜巻が形成され、間もなくソレが消滅するまでを目撃し、さらに崩壊にともなって乗っていた船に大量の魚が降り注ぐのを体験した。11

1975年にもやはりある農場にて水上竜巻の発生とカエルの雨が同時に起き12、ガッジャーの記録によれば、1795年7月25日ドイツはシュタイアー、1828年5月28日にやはりドイツはクラッツブルクにて水上竜巻の発生と魚の雨が重なった。

1873年のドイツでは、アイストロップの町にやはり魚雨が降ったが、これは時を同じくしてシュタインフーバー湖で報告された水上竜巻によるものだった――とガッジャー博士は書いている13

ガッジャーの『Rains of Fishes』では湖と町の距離は「4マイル(約6.4km)ほど離れた――」となっているが、実際に図ってみると少なく見積もっても30kmはあった。アイストロップとシュタインフーバー湖のそれぞれの事象に実際に関連があるのかどうかは別として、本当に運んだとなると、水面から内陸まで結構な距離を飛ばしたことにはなる。


小魚などが捕食者――他の大きな魚や水棲哺乳類などに追われて水面近くに殺到するシーンはテレビなどでよく見ることができるが、このタイミングで(もしかしたら小魚の作る水面の渦なども地表側要素として影響するのかも知れないが)水上竜巻が発生すれば、ウンカの如く集合した小魚たちはその群れごと中天へと巻き上げられるのではないか。

水上竜巻――ウォータースパウトはその規模が小さく、局所的であり、かつ短期間で消滅するので、それほど多くの異物を巻き込まず、巻き上げた小魚だけを地表に降らす。

魚雨事例に散見される「生きていた」ないし「新鮮だった」という証言は、規模も力も弱いウォータースパウト由来で、一方「凍っていた」「チルドだった」というケースはもう少し大型の竜巻に『高く・長く』巻き上げられたモノ――と考えられるかも知れない。

少なくとも、『生きてピチピチ』だった事例などは、水棲の魚たちが「それほど長い時間は空中にいなかった」――長期間のフライトでなかったことを如実にあらわすモノであり、小型の竜巻由来――ウォータースパウト説と矛盾しない。

前述した魚類学者E. W.ガッジャー博士の収集記録のなかには、降った魚が実は身近な場所に居たものだったという事例がある。

1819年、パリ近郊で激しい嵐のあと街中に魚が落ちているのが発見された。よくある魚雨事例ではあるのだが、このときは「魚を飼っていた近所の生簀がすっかりカラっぽになっている」のが後に判明している14

ともかく、以上のことから、ことクリーチャーシャワー事例においては――その多く――体感的にはその過半数が水上竜巻説で説明がつくと考える。


が、やはり水上竜巻仮説ですべてが説明できるワケではない。

世の中、一概にいえないことを一概に言ってしまう者が「わかりやすい」「簡潔だ」などとモテはやされる傾向があるが、それは往々にして言責ないし文責を負う気もない非専門家であったり無責任な者による言説で、我々が目の敵にする情報商材販売者などはまさにソレの典型だといえる。一概には言えないが気をつけたい。

ともかく、このファフロツキーズ現象においても、原因を追求する際にはやはり『一概に言えない』面倒さがある。

どうにも竜巻では説明できないようなケース――それらを無視して解決というのはどうにも座りが悪いし、誠実な態度とも思えない。

他の仮説も見てみよう。

鳥起因説



トリさんの食べ残しが降ってきたのだよ、という説。

なんとなく牧歌的で、「そうか。それなら仕方ないね」と優しい気持ちになりがちではある。
が、ことファフロツキーズ事例の説明というフィールドにおいては、様々なケースで報告された「何千匹もの魚が降った」というケースを引き合いに出して否定されることが多い。

トリさんがそんなにも落とさんだろう、爆撃じゃあるまいし、という意見だ。一部のケースでは、わざわざ報告の文末に「空にトリはいなかった」と釘まで刺す始末。

だが、ごく少数――それこそ1匹~10匹程度の落下ならばトリが犯人であった可能性も十分にある。

たとえば、10年ほど前に日本各地で報告された『2009年おたまじゃくし落下騒動』がある。

これは2009年の6月上旬から同月中旬にかけて、空からオタマジャクシが降った――ないし降ったかのように死んでいた――というケースで、各新聞でもたびたび取り上げられた。
報告があがった場所としては、特に多かった石川、そして広島、静岡、宮城、埼玉、長野、鹿児島、富山、愛知、岩手、福井、秋田――とかなりの広範囲にわたった。

数量としては2匹~100匹程度の報告が多く、概ね2~3cm。
特に詳しく報じられた石川県白山市、七尾市、輪島市では、気象庁によって「当日は竜巻が起こるような、不安定な状態になかった」――つまり竜巻説が公的に否定された。

このケースの場合、オタマジャクシが雨のように降ったところを見た者はほとんどおらず、石川県中島町の男性が「ボタッ、ボタッ」という音15、宮城県大和町の女性が「バラバラバラッ」という着地音らしき物音16 を聞いただけで、ほかは住民が事後、道などに落ちているのを発見したという経緯となる。

当時、竜巻説からワームホール説まで様々な説が唱えられたなかで、当初からトリ(鷺)の犯行を疑う物は多かった。だが、専門家による「トリが飛行中に吐き出すことはありえず、また吐き出したとしても団子状になっているはず」という見解から、鳥も主犯から外された。

だが、違った。
のちの調査・研究により、「吐き出すし、必ずしも団子状になるわけではない」ことが分かり、同専門家も認めた。このあたりの興味深い話は石川県七尾市でのケースを追ったASIOS『謎解き超常現象2』を参照されたい。素晴らしい調査結果が掲載されている。

同書の本城代表も様々な検証の結果「鳥説が最も可能性が高い」と結論しており、この一連のオタマジャクシ騒動に関してはほぼ決着と考えて良さそうだ。

いくつか報告されている『魚が一匹だけ町中で見つかった』ケースなど、それほど大量でない、かつ大気状態の安定した場所で起こったクリーチャーシャワーの場合は鳥の犯行も疑う必要がある。

これは一部、スポーザー事例においてもこれは言えること。

たとえば、1955年インドはビジョリにて「糸を通す穴のある色どり豊かな硝子玉が周期的に降った17との報告が残されている。

話によれば、それは百年近く続いていた奇現象であるとのことだが、これなども『光り物』を好む習性を持つ鳥類が咥え、運ぶ途中に落とした――という可能性もあろう。
言及されたその『周期』が繁殖期などと一致すれば面白いが、詳しい情報がわからないのでなんとも、ではある。

しょうもない小ネタではあるが、前述の『出エジプト記』におけるマナシャワー事例においても、マナが降る直前の描写――16章13節にて「それから、夕方になるとうずらが飛んできて、宿営をおおい、朝になると、宿営の周りに露が一面に降りた」とあるので、マナシャワーの裏でも鳥どもが暗躍しているかも知れない。油断できない。


フラッシュ洪水説



さも空から降ってきたかのように思えて、そのじつ、そうでない事もあったのではなかろうか説。

多くの事例をみれば明らかであるが、ファフロツキーズには雨、大雨、雹雨、暴風雨、嵐などの荒天がつきものである。そのなかで、「サカナやカエルが降ったところを目撃したワケじゃあないが、雨上がりにたくさんいたので、こりゃあ降りやがったに違いありませんぜ」という事例が多々ある。

この奇現象に対し、「見てないなら、空でなく、増水した池から出てきたのかもよ」という説明になる。

川や池や湖が一時的に氾濫し、水際の境目が曖昧になると、カエルやサカナがそこから自由を求めて境界を超えてくる。そうして雨が上がり、氾濫水が引くとともに機動力を失ったそれらの生物が取り残されたのだろう、と。
水はけの良い地域なら、住民が閉じこもっている夜のうちに氾濫し、朝までに水が引くこともあったろう。

実際に、雨季の訪れとともに生息地を移動する生き物は少なからずおり、2018年の中国では6月の豪雨によって水浸しになった街なかを錦鯉が悠然と泳いでゆく姿が動画に取られている。

メカニズムとしては少し違うが、降ったワケでなく『もともとそこにあった』という視点では、一部のスポーザー事例がソレに該当する。

前述した『妖精の矢』や日本の『神矢の根石』事例などは、もともと土中にあったものが激しい流水によって地面から表出――その後に発見されたという可能性が指摘されている。


テレポーテーション説


フォートが主張した説になる。
いずこかにいた生物が、なんらかの力により中天に転移、そのまま降ったのだ、という。

その可能性をハナから否定するワケでもないが、少なくともフォートが『証拠』として収集、列挙した事例の多くが、ここまでに挙げた説などで説明がつくがゆえに現実味は乏しい。

先の節にて「いるはずのない場所――作りたての溜池や貯水槽などに出現したサカナ」事例のいくつかを紹介した。さも魚たちが新たな縄張りを求めて他の水場からテレポートしてきたかのような事例である。

が、これらは今となっては『動物被食散布仮説』で説明がつく。

これは鳥などの捕食者が木の実などを食べ、他の土地でフンをすることで植物の分布が拡大する――という種子などではよく知られた話だったが、最近になって魚卵が捕食された場合でも同様のことが起こることが確認された。

News Weekの2020年7月2日の記事から引用しよう。

ハンガリー・ドナウ研究所(DRI)生態学研究センター(CER)の研究チームは、外来種として広く知られるコイとギベリオブナの卵をマガモに与える実験を行い、「マガモに与えた魚卵のうち0.2%が消化器内で生き残り、糞として排泄され、さらにその一部は孵化した」との研究結果を2020年6月22日に「米国科学アカデミー紀要(米国科学アカデミー紀要)」で発表した。

NewsWeek日本版 2020年7月2日付

つまり、魚資源の潤沢な湖にいた水鳥などが卵を捕食し、新しく造成された溜池などに飛来、そのままフンをすれば未消化の魚卵から稚魚が孵化する――というメカニズムになる。


もちろん、鳥ではなく竜巻によって運ばれてきたケースもあったであろうから、これも一概には言えないモノではあるが、少なくともテレポートが起こったという証明にはなりそうもない。

大量発生説



これも『実は空から降ってない』ケースになるのだろう。

この説は主にカエルなどに適用される。カエルは繁殖力が強く、短期間で爆発的に増えることがある。その大量発生したカエルが、先にあげたフラッシュ洪水などで一気に町になだれ込んだらならば、さも空から降ったかのように錯覚してもしかたない。『謎解き超常現象』の本城代表によれば、「多いときには1万匹以上が一度に現れる事がある」そうだ。

カエルはオタマジャクシを経て成体になるので、その大量発生に適した生育環境は必要になろうが、この可能性も軽視すべきではない。

ミミズなども、一部降ったところを目撃されていないケースがあり『実は降ってない』パターンがあるかも知れない。

・大地になにかミミズにとって好ましくない薬剤などが撒かれたため、一斉に地表に顔を出した。

・火山活動によって地熱が変化し、地表へ這い出した。

などの可能性もあるのではないか。
ただ、前述したとおりミミズの報告は晩冬~初夏に集中しているので、ほかになにか裏があるかも知れない。想像力が足りなさすぎて、よくわからない。

大量発生という観点でいえば、2020年9月に『ヤシガニが大量にやってきた』ニュースがあった。

足元に大量のヤシガニ。

画像出典:Christmas Island Tourism 2020,9-20 Facebook「Robber crabs behaving badly!」


これはオーストラリアの離島であるクリスマス島にて、リューティッヒ一家がバーベキューを楽しんでいたところ、その臭いにつられてワラワラと姿を表したということらしい。18
バーベキューにされる側がいっちょ前にグリルに集まるなど、ちゃんちゃらおかしい。

息子さんが数えてみたところ、その数は52匹いたといい、クリスマス島ではヤシガニは珍しい生き物ではないが、ちょっとしたホラー感がある。

『飛んで火に入る夏の虫』よろしく、焼いて、マヨネーズないし醤油などで食べたいモノであるが、同島ではヤシガニは保護対象になっており、そのような野蛮な振る舞いは許されないらしい。残念である。

ともかく、予想外の大量発生は、このケースのように大量出現だった可能性も考慮すべきだろう。

航空機由来説



航空機によって落とされたとする説。
ブルーアイスと呼ばれる色付きの氷が落下してくる事例などでは、航空機のトイレや機体にはり付いた氷が剥落した可能性が疑われた。

イタズラ説



誰か愉快犯が面白半分にバラ撒いたのだろう、とする説。

シーフードシャワー事例としてふれた1881年5月のウースター・ケースなど、イタズラ説が唱えられた事例は少なくないが、それが証明されたことも、犯人が名乗りでたケースも寡聞にして知らない。少なくとも収集した650件のなかには見つからなかった。

だが可能性としては常に考慮しておく必要がある。『意図しない犯行』もあるからだ。
オカクロ特捜部の主筆は、小学生の頃この『意図しない犯行』に手を染めている。少しだけこの昔話をしよう。

小学生の頃、バス釣りがちょっとしたブームになったことがある。松閣少年は皆のように大きなバスを釣って英雄の殿堂に入りたかったが、いつもさっぱりの成績だった。

あまりにも釣れず、外来種ふぜいにコケにされたように感じたので、バスをあきらめてブルーギル釣りに方向転換した。ご存知の諸兄も多いと思うが、ブルーギルという魚は多くの場合我々よりアホなので、テクニックを駆使すれば針に餌をつけなくても釣れる。ギルになら優位にたてるのだ。

釣れる、釣れる、釣れる。食用にもできず、鑑賞するのも馬鹿らしい外道の王道。釣ったところで誰にも褒めてもらえない、何の意味もないブルーギルがバケツいっぱいに貯まる。
バスなら、食べるなり、最悪でもリリースすれば良いのだろうが、ブルーギルはそうもいかない。当時から外来種の問題は取り沙汰されており、外来種駆除の機運はあったものの今のように川岸・湖岸に回収ボックスもなかった。

仕方ないので家まで持ち帰ろうと思ったが、持ち帰ったところでどうこうできるモノでもなかったし、だいいちバケツいっぱいのブルーギルは重かった。
そこでなぜか「干物にしよう」と閃き、自宅近くの公園のコンクリートの上にバケツいっぱいのブルーギルをぶちまけ――満足して、帰った。明日になったら、きっと見事な干物になっているに違いない――。

残酷であるし、無責任であるし、迷惑な話でもあるが、当時の松閣少年には『地面での干物作り』がギルを楽に持ち帰る合理的手段に思えたワケだ。この公園は、魚を釣った川辺から距離にして3kmほど離れており、見る人が見れば、魚雨と勘違いしたかも知れない。

このように純真無垢で全く罪のない、いたいけな子供による意図しない魚のバラ撒きは常に起こりうる――その実例ではある。

その後、翌日には干物計画のことをすっかり忘れて別の遊びに取り込んでいたので、不憫な魚たちがそれからどうなったかはわからない。近隣住民の方にはこの場を借りて謝罪させていただく。純真無垢で悪気はない、いたいけな子供のやった事とはいえ本当にすみませんでした。

昔話はともかく、デマやデッチ上げの可能性は常に考慮すべきだろう。

こういった奇現象をアレコレ言う場合、まずそれが『実際に起ったかどうか』そこはある程度慎重に見る必要がある。特にこと奇現象においては、デマをデマと知りながら吹聴、あるいは捏造・脚色する輩も少なくないので、基本的にはオカルト界隈者を信用してはいけない。

こういった態度に対し一部のビリーバー界隈では「真偽にこだわらず愉しめばいいのに」という声――真偽の追求に苦言を呈する層があることも承知しているが、作りモノでいいなら最初から村上春樹でも読んで無駄にメタファー感じてろと。

義憤はともかく、1990年代、オホーツク海で操業していた日本の漁船があった。いつもどおりの日常であったが、そこに牛が降った。
上空から凄まじいスピードで、ミサイルさながらに、牛。空気を切る、牛。それは漁船に見事命中、数分後には轟沈せしめた。

まもなくソ連軍によって救助された大破漁船の漁師たちは、牛が降ったことを必死に訴えたが信じてもらえず、そのまま精神病院に送られた。

だが、後になってこの空対艦牛がソ連の補給機から投棄された牛だったことが判明した。接収した牛をうまく拘束できなかったので、日本海上空でハッチから落としたのだ。これは1990年6月1日モスクワにて報じられた――。

海外で広く知られているこの奇妙な事例。最初から最後までデマである。そもそもソースとして書かれる1990年6月1日にそのような記事は存在しない。

話の起源は1965年にまで遡り、忘れられ、再登場するたびに時代に合うように細部が改変されてきた。さまざまな媒体で『奇妙な実話』として触られたせいで信じている人も多いが、そのローカライズ・バージョンも多岐にわたりスコットランドやドイツバージョンまであるという。典型的な都市伝説である。この件については、海外の事実検証メディア『スノープス』が詳しい。

もうひとつ
完全にデマ――かどうかは判然としないが、2018年の中国、山東省の沿岸都市青島にて起こったとされるシーフードシャワーが怪しい。この事件はSNSなどで広く拡散されたのでご存知の諸兄もおられるかも知れない。同年6月13日に投稿されたtweetは以下のものだ。



画像からはタコ、ヒトデ(キヒトデ)、エビ、貝などが降ってきた様子がわかる。
だが、少なくとも一枚目のタコに関しては、フェイクである。素材サイトから引っ張ってきたタコ画像の角度を変え、街の背景と合成したものだ。

落ちてきたタコの比較画像。配布元サイトはdreamstime.comになる。


こうなってくると他の写真もその真偽が疑われる。

ヒトデに関しては同素材サイトや中国の検索エンジンなどを3時間ほど探したが、合成元とおぼしき画像は見つからなかった。

が、そもそも2018年の青島に関していえば、報道などを含めてもネット上に流布しているのは上記のtweetにて貼られている4枚ばかりで、スマートフォンが広く普及している昨今の現状をかんがみれば、街中にシーフードが降った大事件にも関わらず写真が少なすぎるようにも思える。

洪水自体はあったようだが、怪しげな案件であるとは言えそうだ。


こういったこともあるので、ファフロツキーズに限らず、何かの事象と向き合うとき一歩引いた視線を持つことも必要である。フォーティアンの道は修羅の道。
久々の大ジャンル大ネタということで文字数が凄まじいことになってるので、このあたりにしておく。

sponsored link


今日の魚雨、傘がない

かくして、このファフロツキーズ現象が一筋縄にはいかないことを我々は学んだ。

これまでに挙げた諸仮説にぴったり当てはまる事例もあれば、複合的な要素が考えられる事例、あるいは1から10までデタラメということもあった。

なにかしら合理的な解決を考える――この態度は超常的な結論を期待する層にはつまらない話かも知れないが「その時、そこで何があったのか」を考えるのも、珍奇な星に住むチンケな生き物として、せめてもの奥ゆかしい楽しみではないか。何かあるたびに宇宙人や幽霊、四次元的なエンティティーに原因を求めては、彼らだって迷惑だろう。

ここまで見てきたように竜巻説でその多くが説明できるとしても、いまいち原因がよくわからないケースも非常に多い。

前述した『ケンタッキー肉の雨事件』は何だったのだろう? 結局、血肉が降ったという話だけが残って、真相は闇の中。何肉だったのかもよくわからない。

『血の雨』だけに関して言えば古くは紀元前280年頃、中国は斉の国で数百里に渡って不吉な血の雨が降り人々の衣を赤く染めた話19をはじめ、多くの話が伝わっている。近代化以降に起こった似たケースの科学分析により、このような事例の多くは、菌類や藻類に起因するのだろうと推定されるが、生肉は何に由来するのだろう?

日本の民話に「龍のバラバラ死体が降り、また真っ赤な雨も降った20というものがあるが、これも似たような事例だったのだろうか。

竜巻で上空に巻き上げられた牛などの生物が、やはり上空で発生した真空状態によってカマイタチ現象よろしく切り裂かれた――あるいは同時に巻き上げられた『異物』により上空でミンチにされた。それらが降り注ぎ――などと浅薄な仮説は浮かぶものの、どうにも弱い。

1860年のインド周辺で起こった一連の事件などはどうか。
これは魚の雨にはじまり、赤い謎物質の降下、地震の発生と続き、太陽黒点の肥大化、街が『不自然な闇』に包まれ、氷に包まれた隕石も降り、仕上げに美しいオーロラが出て大団円――と思いきやUFOまでやって来た21。B級映画でもここまで内容を詰め込んだりしない。

1983年のモンタナ州ベルビルで起こったスポーザー事例も奇妙だ。
民家の屋根に『E』の文字が大量に降ってきたのだ。数えて35枚あった金属製のソレはガレージの屋根にも突き刺さっていた。結局この母音も「失くした」と名乗り出る者はおらず、未解決に終わっている。22

モンタナ州イリノイの小さな町ベーレビルに降ってきた『E』の字。
どれも長さ13センチ、幅5センチほどだった。
電気会社、航空会社、警察の関係者が調査したが、結局でどころは分からずじまいだった。
画像出典:月刊ムー No027 1983-02 P175 HOT PRESS



宇宙人が降ってきただの、魔女が降っただの、排泄物が降っただの、触れてはいけないような事例も多々あるが、フォートの意思を継ぐ『Doubt』誌には1957年に「チェリーのパンケーキが降った」という幸せな事例もあり、これは食後のデザートに嬉しい。23
紅茶を淹れて待っていれば、1857年秋のクリア湖でのケースように、空から氷砂糖がそそがれるかも知れない24



こうして様々な事例を収集し、紹介してきた者として言わせてもらえば、残念ながらこのような事例を数多く知っただけでは実際のところあまり意味がない。

あちらを立てればこちらが立たずと単なる知的メタボリックに陥り、「やれ誰々はこう言った、だれそれはこう言った」とああだこうだ権威者の言葉を再発声するだけで、自らの結論もだせず、何ら本質には迫れていない。小ネタという贅肉だけが肥大化した、小回りの効かない知識デブというやつだ。

結局のところ、ファフロツキーズ現象においては、それぞれに個別の仮説を当てはめるのが妥当で『一概には言えない』としておくのがやはり真摯な姿勢だろう。
様々な事例を集めたなかで、無意味ではなかったのは「この結論を再確認した」という一点に尽きる。

一つの結果である『人の死』が、さまざまな病気や事由によって引き起こされるように、ファフロツキーズも発生に至るプロセスはさまざまだ。
一概に言えないまま、仮説と事例を組み合わせる地味な作業が続く。

100年の疎外



だがこの事象と向き合う者たちは、確実に進歩している。

たとえば、100年ほど前にはオタマジャクシが降ったという事例がほとんど見つかっておらず、それがゆえ蛙雨――この奇現象の本質にあと一歩迫り切ることができなかった。「竜巻だというのなら、なぜ成体だけ降るのだ?」と。だが現代ではオタマジャクシが降った事例は決して珍しいものではなくなっている。

『居るはずのない場所にいたサカナ』事例も、気の長い観察の結果、テレポートの可能性を考慮する必要はなくなった。

竜巻のもつエネルギー、落ちモノたちの生態、落とすモノの生態、それらもよく研究され、知識が蓄積されている。

かくして、ファフロツキーズ現象の多くがある程度合理的に説明できるようにはなった。

とはいえ、合理的に――科学的に説明できるケースが増えた一方、未解明のままになっているケースも多い。

情報が少なすぎる、もしくは大きく脚色されている――それにより仮説にはまらないのか、あるいはフォートが指摘するような力――本当に知られざる何かが働いたのか。よくわからない。一定数は『Unsolved』のタグがつけられたまま、再びデータベースの底に眠る。

いまや反逆者フォートの意志を継ぐものたちですら、『超サルガッソ海』仮説を信じてはいない。彼の科学に対する反逆は失敗に終わったと見なされている。

だが、もしかしたら、本当に未知の『超サルガッソ海』が存在し、ごくまれに(竜巻で落ちてくるよりも遥かに低い確率で)天空の海からサカナがこぼれ落ちてきていたのかも知れない。水鳥に啄まれた魚卵が空の海に運ばれ、空の海で孵り、我々の知らないところで魚群をつくり、おいしいシーフードたちと豊かな海を育んでいるかも知れない。そこには乱獲も、排他的経済水域もない。
そういえばサカナたちの餌になるミミズだって、いつだか空からこぼれてきた気がする――。

――そうであれば愉快なのだが、残念ながら科学は個人的な快・不快によって結果を覆してはくれない。『超サルガッソ海』を支持する根拠はミミズシャワーぐらいのものだ。


ヒッチングは分析した。チャールズ・フォートは幼い頃、厳格すぎる父によって事あるたびに乗馬鞭で打たれた。その経験が『反権力』を信条とする反逆児を生んだと。
父親という権威に、そして科学という権威に、とうとう不器用なフォートは勝てなかった。

コリン・ウィルソンは書いた。「科学者はフォートを無視した」と。だが、フォート以降も科学力でなく、徒手空拳の想像力を頼りに世界の奇現象を説明しようと試みる者は後をたたない。珍説と笑われた者、無知と罵られた者、盲信する者に盲従する者。

その者たちの多くは、やはり相手にされることも評価されることもなく消えていった。が、フォートも含め、その活動――ないし活動の余波が、皮肉にも批判あるいは検証されることによって少なからず科学の発展に寄与した。わずかでも世界の輪郭を明確にし、解像度をあげた。ほんの少しでも、軽微でも、たしかに。


これらの活動が無駄であったなど、誰にも言えないことだろう。もちろん、データベースからグラフを作る行為も――たぶん。

他愛ない話はともかく、ヒッチングが引用したフォートの言葉にて、この冗長な項を終わる。

これらは提案であり、模索であり、刺激剤に過ぎない。
だが、資料はみんなのものだ。だれもがそれぞれの意見を組み立てるためのものだ。

わたしは自分なりの答えを探すだけだが――
――もしも、同じ志があるなら、それを、一緒に探そうではないか。

チャールズ・フォート

■主要参考資料

Bob Rickard & John Mitchell 『The Rough Guide to Unexplained Phenomena』 2nd
ミッチェル,リカード『怪奇現象博物館―フェノメナ』
Charles Fort -『LO!』
Charles Fort -『The Book of the Damned』
E.W.Gudger『Rains of Fishes』
サイモン ウェルフェア, ジョン フェアリー『アーサー・C・クラークのミステリー・ワールド
フランシス・ヒッチング 『謎学・解明されざる不可思議』
マイク・ダッシュ『ボーダーランド』
ASIOS『謎解き超常現象』
ASIOS『謎解き超常現象2』
コリン・ウィルソン『超常現象の謎に挑む』
コリン・ウィルソン – 『ミステリーズ―オカルト・超自然・PSIの探究』
李家 正文 – 『怪奇伝承集―史実と伝説の間』
森田正光,森さやか『竜巻のふしぎ』
小林文明『竜巻ーメカニズム・被害・身の守り方ー』
Fortean Times #203 2005-11
月刊ムー No018 1982-05
――他――
ブラッド・スタイガー – 『謎の大消滅 ブラック・スペースはどこに』南山 宏 『世界怪奇情報大事典』南山宏 – 『ちょっと不思議な話《1》』原田実『オカルト「超」入門』並木伸一郎『ムー的未解決事件並木伸一郎 『世界怪奇事件ファイル』並木伸一郎 -『驚愕のビックリ事件簿―写真が証拠!』フランク・エドワーズ『ストレンジ・ワールド〈PART2〉』フランク・エドワーズ『世にも不思議な物語』オラウス・マグヌス,谷口幸男 訳『北方民族文化誌』〈下巻〉Journal of the Fortean Research Center PaperboundJerome Clark『Unnatural Phenomena: A Guide to the Bizarre Wonders of North America』佐敷二郎『知らざれる超常世界』ジョン・スペンサー アン・スペンサー 『世界の謎と不思議百科』リン・ピクネット『超常現象の事典』グードリッチ著,須川賢久『具氏博物学』2巻早坂一郎 『地と人』泉昌彦『富士霊異記』不思議ナックルズ Vol-08Australian Natural History v17仙洞隠士『世界探険怪奇談』血の雨T.Vembos『Fortean Falls in Greec』William.R.Corliss『Handbook of Unusual Natural Phenomena』Charles Tomlinson『The rain cloud and The snow storm』/ほか多数
 
タイトルとURLをコピーしました