週末まで、例年なみの奇現象
スポーザー
経済感覚の優れた者は「魚とかシーフードとか、謎豆とかいらんから、金かシータでも降ってこいよ、ええ、おい」と考えるかも知れない。シータでないほうは過去に降っている。
1940年夏のロシア、ニジニ・ノヴゴロド州(旧ゴーリキー)にて、雷雨とともに数千枚をこえる硬貨が降ってきた。それは16世紀の銅貨らしいことは分かったが、結局、出どころも持ち主も判明しなかった。1
同じように、1956年英国ブリストル市ハンハムにて下校中の子どもたちにペニー硬貨が降り注いだ。
翌1957年にはフランスはブールジュで千フラン紙幣が何千枚も降っている。人々は金を拾うのに夢中で、そのミステリーに関心を払わなかったという。2
すこし奇妙な事例としては、1968年、英国ケント州ラムズゲートでの一件が挙げられる。『デイリーミラー』が報じたところによると、この日、やはり街にコインが降った――はずだが、落下してくる様子は誰も目撃できず、ただ舗道に落ちて跳ね返る金属音だけが聞こえていたのだという。枚数は50枚程度で、15分間続いた。奇妙なことに拾われたコインはすべて曲がっていた。3
他にも1958年米国ノースカロライナ、1995年英国オックスフォードシャー州キドリントンなどで同様の出来事があり、1975年のイリノイ州シカゴではラサール通りにやはりドル紙幣が派手に降っている。善良な市民により少なくとも588ドルぶんの紙幣は警察に届けられたが、それが降った全てかどうかはわからない。4
一応、日本にも同様の事例があるにはある。
年代は定かでないが、静岡県の須走で金もないのに店で食事をした男が、あわやしょっぴかれるところ――天に祈ったら金が降ってきたと。不思議だけど無銭飲食はするな。5
降りモノ最高額としては1995年米国マサチューセッツで降った「緑色の雲に見えたけど、よく見たら全部ドル紙幣だったよ」ケースが暫定1位の『7000ドル以上』となっている。6 当日のドル円レート(89.50円:TTS)で換算すると、少なくとも626,500円以上ということになる。
ひどく残念な事例としては、英国キングストン・アポン・ハルにてリン・コノリー夫人の裏庭に降った銀製の『札入れ』がある。降ってきて、夫人の頭にコツンと当たった札入れは、札入れなのに札は入っていなかった。残念である。
余談になるが、この札入れ落下ケースは微妙に奇妙なミステリーがある。
大きさは19cm×3.5cm、中には半分ほど使用されたメモ帳と小さい鉛筆。札入れに『TB』とイニシャルらしきモノがあり、同時に『クライペダ(Klaipeda)』と刻印されていた。謎の言葉であったが、後にリトアニアの古い港の名前だと判明している。
結局それがなぜハルに降ったのかは判然としなかったが、「鳥が運んできて落としたのだろう」という従来どおりの説明にコノリー夫人は「高所から落とした感じではなく、頭にコツン、程度ですよ?」と反発した。のちにフォーティアン・タイムズのアンソニー・ベルが直接取材に出向いているが、結局よく分かっていない。7
これらのコインや札入れなどの人工物が降った事例は数多い。
分類の便宜上、これらはファフロツキーズの下位分類として『SPOoSAR(Spilled out from the Sky;Artifacts)』と呼ばれる。
「そんなの聞いたことないぞ!」と憤る諸兄もおられるかも知れないが、当然である。これは過去にオカクロ特捜部が便宜上作った造語であるからだ。他にもいくつかある。必要は発明の母ではあるが、カタギとして生きてゆけば一生使うこともない分類名であるので覚える必要はない。が、せめて、あと15分間だけ覚えていてほしい。
定義としては、『降ったなかで、人の手によって作成されたとおぼしき加工物、工芸品、工業品』である。
ともかく、このスポーザー事例には特に奇妙なケースが多く含まれており、特にストレンジネスだ。
たとえば、1969年9月3日フロリダ州プンタゴルダでは、空から大量のゴルフボールが降ってきた。下手くそゴルファーが「ファー!」を連発したにしても、あまりにも多すぎた。
通報を受けたプンタ・ゴルダ警察がせっせとボールを拾ったが、結局ソレは何箱にも重なり、出どころも判明しなかった。8
フォートの触れたスポーザーとしては、1888年10月12日の『釘の雨』事例が有名だ。
この日の夜、ポイント・イザベル灯台守の奥さんの頭上に大量の釘が降ってきた。これは実に危ない。そして、翌日の夜にも同じように釘の雨が振り、駆けつけた野次馬たちも恐るべき釘雨を目撃したが、どこから降っているのか皆目見当がつかなかった。2日目のシャワーには牡蠣の殻や土塊などもあったという。9
超常現象について多くの著作を書いたブラッド・スタイガーのお気に入りは、1958年2月7日に起こったケースだ。
この日、イタリアはナポリの市街地になんの前触れもなく砲弾が降ってきた。大砲に装填するアレである。
この砲弾には1942年の日付が刻印されており、出どころも不明であった。
「いったい十六年も前の過去の世界から、どうやってこの砲弾は飛んできたのであろうか?」と、スタイガーはそれとなく『時空を越えてきた感』を出して四次元的な何かに結びつけたそうだが真相は闇の中である。10
時空を越えたかどうかは分からないが、1984年のカリフォルニアでもフレッド・サイモンズさんの庭に10kg近くある二次大戦中の砲弾が着弾しクレーターを作った。空に飛行機もなく、嵐もなく、鳥もいなかった。
着弾の前にいわく「口笛のような音」を近所の人が聞いているので単に「砲撃された」と考えれば済む話かも知れないが、サイモンズさんは自宅を砲撃されるようなタフな人生を歩んではいなかったし、二次大戦も40年前に終わっていた。11
武具でいうと、1686年の夏、スコットランドはクライドサイドで「ボンネットや帽子、剣が雨のように降り、木々や地面を覆った」12という事例があるが、古来から武具、こと『矢じりが降った』という話は枚挙にいとまがない。
これは英国方面で『妖精の矢(elf-shot)』として知られるもので、日本でも多く記録が残っている。海外と同じく、日本でも「神の軍隊が落とした」と考えられ、嵐の後に発見されることが多い。
印象的なケースとしては、839年頃、山形県飽海郡にて10~15日続いた暴風雨のあと、海辺に矢じりが多数落ちていた例が挙げられる。それらの矢じりはそれぞれ違う色をしており、すべて西を向いていた――という。13
同じような話が秋田、宮城、栃木、愛知、長野、茨城、滋賀に伝わっている。
嵐の後ということで、『降った』のではなく、土中にあった古遺物などが流水に洗われて表出したのだろう――という見方も強いが、とりあえずそれは置いておこう。
そろそろ諸兄も事例疲れしてきた頃と思われるので、以降は興味深いものだけをサラッと流したい。
1503年ドイツ。十字架が降った。14
1887年フランス、タルブ。幾何学模様が描かれた石が落下してきた。15
1907年フランス、ルミルモン。鋳型で作ったかのような聖母の形をした氷が降った。伝言入り。16
1955年インド、ビジョリ。工作されたガラス玉がたびたび降る。17
1965年米国、ケンタッキー州。裏庭に袋ごとクッキーが降ったぽい。18
2010年日本、広島。工場の屋根を突き破って落ちてきた機械部品。重さ480kg。19
日本における最古クラスのスポーザー事例としては『日本書紀』第二十七巻における「空から鍵が降ってきた」ケース20が相当しそうだが、こと日本でいちばん有名なスポーザー事例としては、1865年頃にはじまった『ええじゃないか騒動』だろう。
これは、「空から御札が降ってきて、よくわからんけど、みんなで踊り狂った」という話である。これ以前にも「御札が降った」という記録は見られるものの、ええじゃないかほど大規模な騒動に発展した例は珍しい。その始まりは愛知県豊橋市牟呂町だったとされている。
御札がふると、笛をふき太鼓をならし「ええじゃないか、ええじゃないか」と皆がくちぐちに囃したて、祭祀を行ったり酒盛りしたり――と乱痴気騒ぎが繰り広げられた。
皆神龍太郎先生によると、どさくさに紛れて御札だけじゃなく人間の生首や腕なども降ったケースもあるらしく、これは全然よくない。その一方でこのフィーバーのさなか、『股間に御札を貼っただけ』というあられもない姿で伊勢神宮参りに来た女性たちもいたそうで、これはええじゃないか。21
実際のところ、ええじゃないか騒動に関しては一部実際に降ったケースもあったようだが、ほとんどは御札を口実にどんちゃん騒ぎをして鬱憤を晴らしたい『けしからん者たち』が自ら御札をバラ撒いていたのが真相だったという。22
今の時代にこそ、ささやかな『けしからん者』が出てほしいなどと無責任に考えてしまうが、今の時代も、はるか昔も、時代に即した閉塞感があるだけで、案外あまり変わらないのかも知れない。
スポーザー事例はこの程度にし、次にいこう。
以降はそれぞれ興味深いものの比較的面白みに欠けるので、あっさりいきたい。
プラント・シャワー
植物の種子などが降る事例も多い。1897年のイタリアでは、謎の赤い雲が観測された直後、何十万という種が降りそそいだ。これは中央アフリカに自生する木の種子だと判明したが、どうして遠く離れたイタリアに降ったのかは不明。その大部分は発芽途中にあった。
インセクト・シャワー
けっこう降る。虫の雨。羽虫、ミミズ、幼虫、蝶、ウジ、毛虫、蜘蛛、イナゴ、巨大アリなど。
石の雨
よく降る。
石や岩、砂礫などが降った事例。報告多数あるも、冗長になるため割愛。騒霊現象がらみで見られることもある。
大きい氷塊など
やはりよく降る。
最近ではメガクライオメテオ(Megacryometeor)と呼ぶのがトレンド。ハイドロメテオル、小分類ではブルーアイスも。
民家に降る場合は、なぜか台所とベッドルームが狙われやすい印象。事例多数あるも、冗長になるため割愛。
色付きの雨、ゼリー状のなにか
これもよく降る。
メカニズムが解明されたケースも多い。ゼラチン状のものはスターゼリーと呼ばれる。健康被害が報告されたケースも少なくない。やはり事例多数あるも、冗長になるため割愛。
(チベット北部の丘で降るという『光る雨』、その雨に触れると病気になって死ぬという“悪魔の光”について、ご存知の方おられたら詳細教えて下さい)
天使の髪
忘れた頃に降る。
エンゼルヘアー。白や金色などの髪に似た物体。古代中国や日本でもよく降っていた。事例多数あるも、やはり割愛。別の機会にでも。
古くから妙なモノが降っていたという記録は、1555年に出版されたオラウス・マグヌスの『北方民族文化誌』にていくつか確認できる。
このなかでマグヌスはクリーチャーシャワー、プラントシャワーなどの出来事を語り、そしてプリニウスの書を引いて、巨石、乳、血、鉄、羊毛、レンガなどが降ったと触れている。23
マグヌスはこれらを「雲から降るもの」として紹介したが、常識はずれなことに2011年にはその「雲」自体が降ったという我々を挑発するような事例すらある24。
こうなってくると珍奇すぎて何が何だか分からない。
話によれば、落ちてきた雲は地上で緩慢な動きを見せ、モゾモゾと分裂さえしたという。
そして面白がって寄ってきた現地のおじさんたちが、豪気なことに触ったり、手を差し込んだりして、穴を開けてしまったという。ひどい。
「石油の発掘ドリルによって生じた泡ではないか」という見方もあったそうだが、日本フォーティアン協会の並木伸一郎御大によれば、「ふわふわ雲の成因は謎である」とのことなので、謎である。
世の中はミステリーに満ちている。
かくして、大規模な文字数削減に成功しつつも、様々なものが降ってきたのはわかった。
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レインソングは聴こえたか
ファフロツキーズとして分類すべきかどうかは迷うところであるが、多くの場合『一点降雨』という現象も広義でのストレンジレイン分類に含まれる。これはその名の通り、ごく限られた、ごく狭い範囲にだけ雨が降るというケースになる。
有名なものでは1958年のルイジアナ州アレクサンドリアでいわく「30メートル四方にだけ雨が降った」といい、それは2時間半ほど続いた。
1892年11月に起こったケースはもっと狭い。ペンシルバニア州ブラウンズビルのわずか4.26メートル四方にだけ――1本の桃の木にだけ恵みの雨が降った。フォートは「桃の木が雨を呼び寄せた」可能性に言及した。
近代化とともに降るものに変化も見られる。
これはスポーザー事例ではあるのだが、たとえば、『謎の金属球』が降ったというケースはデータベース上では1965年以降に頻繁に現れるようになる。
最初のケースとしては、1965年12月20日、スペインに謎の金属球3個が落下。いずれも直径約38センチ、重さは約19キロ25。
新しいところでは2011年12月22日、AFP通信が伝えるところによるとアフリカ南部ナミビアの草原に直径35センチ、重さ6キロの鉄球が降ってきたという。ソレは中空構造になっており、2つの半球を溶接でつなぎ合わせた形になっていた。
同報道によれば、「過去20年間にほかの南部アフリカやオーストラリア、中南米でも同様の事例あり」と報告されている。
1965年のケースでは『外宇宙からの贈り物』説なども挙げっていたが、少なくとも近年のモノに関しては後の調査により、これらがロケットに使用される燃料タンクであり、切り離されたのちに落下してきたモノという結果で決着した。
なるほど二次大戦後、宇宙開発が活発化するのと並行して『奇妙な金属』系スポーザーがよく報告されるようになったと考えてよさそうだ。
1979年に起こった宇宙ステーション『スカイラブ』事故の際には、バラバラになった破片がオーストラリア大陸に落下したとジョン・スペンサーが報告している。
様々な兵器の進歩も謎の落下物発生に少なからず寄与している。
日本でも1956年9月7日、千葉県銚子市で空から短冊のような銀色の金属片が降ってきたケース『銚子事件』がある。
地元の医師によって回収されたソレは謎の金属箔は長さ4~5cm、幅1mm、厚さ10ミクロン、主成分はアルミ、10%の鉛が混入しているという結果が出た。国内外の専門機関に調査依頼がかけられたが、結局その正体は不明とされた。
これは、『電波妨害用のチャフ』――レーダー探知を回避する目的で、主に軍用機によって空中に散布される電波反射性の金属物質――という説が有力だ。
「当時、軍用機が上空を通った事実はない」という反論もあったがソレには「地球上で作られたものではない」という主張がセットになっており、米国大使館による「米国由来の物質である」という発表と相容れない。
つまらない話ではあるが、分析によって特別な何かが出たワケでない以上、UFOや地球外生命体とするよりチャフとしたほうがシンプルでいい。
金属が降ったという話も古くから見られる。
紀元前1080年頃の中国では咸陽に金が降ったとあり、『竹書紀年』『述異記』では、邑(ゆう:都市の前身)に3日間にわたり金が降ったという。
余談であるが、『邑』という漢字で思い出したので、過去最高クラスで本当にどうでもいい余談に触れる。
UFO研究家である橋野昇一氏の 『UFO―その真相 日本の地名でUFOの謎を解く』P65によれば、この『邑』という漢字はUFOを示すとする。
いわく古代人が「回転しているように見えたUFO」を『邑』という漢字で表現したのだという。
橋野氏によれば、このようなUFO由来の漢字は多数あり――
・もっとも簡単なUFOを示す基本的な文字として『口』
・前述の通り、回転しているように見えたUFOは『邑』
・燃えているUFOは『由』
・ドームと着地用の脚があるものを『六』
・二つ繋がりないし重なったUFOを『呂』『串』
・三本の着地用の脚を強調したいときは『爪』
このようにUFOの象形文字が使われたことは、明確に古代人が相当数UFOを目撃していたことを証明している。――としている。
ちなみに『只』という漢字も、もちろんUFOを指しているのだが、多田や忠は只の当字であるからして、やはりUFOに由来するのだと橋野氏はいうし、そもそもよく見れば『由来』という字自体、『由(燃えてるUFO)』が『来た』という解釈になり、もう我々漢字文化圏の人類はUFOから逃げられない。こわい。
橋野氏にならって独自にこの理論をさらに発展させてみると、『呪』は飛んでいるUFOと着陸したUFOを明示しているようにしか思えないし
『回』はなるほど巨大UFOに格納された偵察むけ小型UFOだと理解できるし、『器』とか完全に囲まれてる。
『古』はもちろんキリストがUFOでやってきた証拠であるし、『吊』はやはりUFOが牛をさらっている牧歌的なシーンを描写し、『因』はUFO研究家が念願かなってアブダクトされてるとこ、『吠』では犬の散歩にまで着手し、『哭』では犬の散歩権を上空でUFOが争ってさえいる。
では旧字体『區』(=区)が何を指すか?
賢明な諸兄なら既にピンときているに違いないが、これはUFOがたくさん格納されていると聞く『エリア51』を明確に示しているのである。旧字として廃されたのは、隠蔽をもくろむアメリカ政府の陰謀なのだろう。おっかないですね。リメンバー・ロズウェル。
このような解釈でよいかUFOに詳しい匿名のUFO研究家に話を聞くと「なくはない」とのことなので、なくはない。
大きく話がそれた。
余談はともかく、次ページではとうとう、ここまで見てきた異常気象――ファフロツキーズ現象を説明せんとする仮説やメカニズムを見ていこう。