空から魚が降ってくる。有史以来そんな報告が途絶えない。
ときにはカエルが、ときにはコインが、ときには食事が、あるいは血肉が。
疑問が議論を呼び、ある謎の解決は新たな謎のはじまりとなる。いったいこの地球で何が起こっているのか。
これは予報ハズレの魚に悩まされてきた人類と、謎のファフロツキーズ現象との壮絶な戦いの物語である。
晴れ、時々サーディン
1989年。動乱の時代。ちょうど日本では長く続いた昭和が終わり、新元号『平成』が始まったころ。
その年の2月6日、ところはオーストラリア、クイーンズランド州イプスウィッチ郊外。
昼食どき、市議会職員のハロルド・ディーゲン氏が息子のジェイソン君(6歳)を連れて自宅へ戻ると、ポツリ、ポツリと雨粒が庭の地面を打ちはじめた。またたく間に、それは轟音をともなう豪雨となった。
だが、どこか、豪雨にしても何かおかしい。
違和感にディーゲン氏が庭先を観察すると、どしゃぶりの雨とともに地面が銀色に染まりつつある。降雪をもって『銀世界』などとする陳腐な表現があるが、ソレどころではない。実際に銀色だ。
地面を銀色に染めるモノ。それは魚だった。それも1匹や2匹ではない、数えきれないほどの魚が降ってきている。
夕立が巻き上げるアスファルトないし土の匂い――などでなく、むせるような生臭さ。
ディーゲン氏が妻デブラを呼ぶ間にも魚のシャワーは降り続き、父と子の頭にもぶつかっては地面へ落ちてゆく。 この魚はサーディン(小型のイワシ)だった。
まもなく降り止むと、サーディンはディーゲン氏宅の前庭45メートル――玄関から郵便受けまで――をびっしり埋め尽くしていた。
過去から現代にいたるまで繰り返されているこの現象に、科学者は、やはり、いつもの解説で決着をはかった。
「竜巻に巻き込まれたサーディンが落ちてきたのでしょう」
これに対しても例によって例の如しということで、やはり超常現象研究者界隈から『竜巻説』に苦言が呈される。
「ディーゲン家のあるイプスウィッチは海から遠く離れているのに?」と。
実際に、イプスウォッチは直線距離にして最寄りの沿岸から50kmも離れている。これは日本に置きかえると都心霞が関から神奈川県は伊勢原ぐらいの距離である。目安としてはメトロと小田急を乗り継いで所要1時間6分、運賃744円の距離になる。
この距離を魚たちが竜巻に乗って移動した――という話に超常現象研究者たちは納得できなかったし、魚たちが公共交通機関を使ったにしては目撃証言が上がってこないうえ、我々ですら感じる乗り換えのプレッシャーに魚類どもが耐えられるとは思えない。
おかしな点はそれだけではなかった。
『サーディン・シャワー』が降ったのは、ディーゲン氏の敷地内、具体的には屋根と前庭にだけ降ったらしく、近所や他の場所では一切見つからなかった。
竜巻で巻き上げられたとしても、散らばらず『ほとんど一点』とも言える場所にだけ降ったのはなぜなのか? これも大きな疑問だった。
この日、ディーゲン家に降ったサーディンはおよそ800匹と言われているが、実数はわからない。たくましいディーゲン一家が、猫の餌用、そして記念用としてボウル一杯ぶん回収し、それ以外のサーディンは飛んできたワライカワセミが食べてしまったゆえ、もはや数えようもない。
この日、イプスウィッチでなにがあったのだろう?
似た事件で有名なケースとしては、英国で起こったアバーデア・ケースが挙げられる。
1859年2月11日、南ウェールズ、グラモーガン地方アバーデア、マウンテン・アッシュにて、13センチほどの魚が降った。
これもイプスウィッチ同様『ほとんど一点』とも言える範囲に限定されて降っており、その範囲はおおむね縦73メートル、横11メートル。
そして、「やんだかな?」と思わせておいて、10分後にまた土砂降りになるというトリッキーな雨でもあった。
『何千匹もの』と表現される魚たちによって地面は埋め尽くされ、タイムズ紙(1859年3月2日付)によれば、『地元の人々が生きた標本を保存しようと、いくつかの標本を塩水に入れたり、真水に入れたりしたが、塩水に入れたものは死んでしまった』という。
回収されたサンプルは大英博物館に送られ、動物学のジョン・グレイ博士によってミノー(コイ科ヒメハヤ属 minnow)とトゲウオ科の魚(stickleback)であると同定された。
鑑定にあたったグレイ博士は「魚が空から降ったことは認めるが、どうせ誰かのイタズラだろうさ」とし、やはり(ごく)一部の者たちから反発を買った。
空から魚が降る――この現象は過去から現在にいたるまで世界各地で報告され、確認できただけでも紀元前7年頃には中国の信都にて15センチほどの魚の雨があったという記録を見つけることができる。1
古い記録でよく言及されるモノとしては、アテナイオス(170-223)による『食卓の賢人たち』も有名だ。この書に「魚が3日間、絶え間なく降った」という記録がある。
現代においては、このような現象を『ファフロツキーズ』と呼ぶようになった。
これは動物学者で奇現象研究家でもあったアイヴァン・T・サンダーソンによって名付けられたもので、『Falls From The Skies』から考案された。
この命名以降、魚や蛙、あるいは他の「何かが降る現象」の総称として(比較的かぎられた)人々の間でこの呼称が定着している。なぜか海外ではぜんぜん定着していないがそれはいい。
気をつけたいポイントとして『ファフロツキーズ』を『ファフロッキーズ』と、小さな『ッ』に勘違いしてしまうケースが多い。言わんとする事は伝わるのでそれ自体は本質的な問題ではないが、こういった些細なミスないし議論不要の小ネタを見つけると、すかさず「コレだからニワカはなァ! やだナァ!」と糾弾し、精神的優位に立とうとする手合も少なくないのでくれぐれも注意されたい。
――ともかく、このファフロツキーズ現象は世界各地で報告され、そのたびに各地の人々の頭上に魚だけでなく疑問符をもバラまいてきた。玉石混交で知られるオカクロ・データベース内だけでも、その事例数は実に600件を上回る。
その中から興味深いケースをいくつか挙げてみよう。
1666年、英国ケント州。
牧草地に小魚の雨が降った。拾ってメードストンとダートフォードで売った。2
1823年、エクアドル。
魚の雨を「中世のたわごとさ」と言って信じない地理学者アレクサンダー・フォン・フンボルト(1769-1859)のもとに魚が降った。フンボルトは「か……火山活動のせいさ!」と強弁し面目を保つ。3
1808年付、インド、ポンディシェリー付近。
行軍中、魚の雨が降ってきた。真面目にやってるのに迷惑。兵士の帽子にまで入ってくる。スミス将軍が集めろと言うので仕方ないので集め、カレーに入れて食った。4
1830年、インド、マディヤ・プラデーシュ州ジャバルブル。
何千匹もの腐りかけの魚が降った。悪臭を放ち、頭がないモノもあった。嵐はなかったが、上空に鳥はいた。5
1861年、シンガポール。
ナマズの雨。55エーカーの土地を埋め尽くす。ちょうど大地震後で食料もなかったので、皆が拾い集めた。みんなで食べると笑顔も美味しい。6
1892年アメリカ、アラバマ州コールバーグ
ウナギの雨が降って山積み。仕方ないので肥料にする。7
1939年、グアム島。
ヨーロッパにしか生息しない魚が雨のように降った。8
1957年、アメリカ、アラバマ州トーマスヴィル。
何千という魚がターミナルを覆いつくした。9
1971年、オーストラリア、ヒューエデン。
激しい雨のあと、イサキがとれたよ。10
1989-94年、オーストラリア、ノーザンテリトリー州ダンマラ。
集落の十字路に5年間で4回魚の雨。何千匹。11
2000年、英国、ノーフォーク州グレートヤーマス。
民家の庭一面が魚で覆われる。12
2002年、日本、岐阜県山県市。
山間の小学校にハリセンボンが一匹降ってきた。13
落ちてくる状況、そして落ちてきたモノの状態は様々あり、生きたまま降ったケースもあれば、死んでミイラ化していた例、あるいは完全に凍結していたケースも少なくない。
ここに挙げた事例の中でも『食べた』というタフな話に戦慄し、嫌悪、あるいは軽蔑さえする潔癖な諸兄もおられるかも知れないが、冷凍――もしくはチルド状態で降ってきたなら、なんとなくイケそうな気はするし、過去には「食べてくれ」と言わんがばかりの状態で降ってきたケースもある。
1981年2月、英国ロンドン郊外のバーンズでは、民家の庭に『焼きヒラメ』が直接デリバリーされた。これはしっかり網焼きにされており、実にうまそうだった。機内食が落とされたのでは?という意見もあったが、結局出どころは判らず未解決に終わっている。14
別の資料によると、『おまかせ定期便』もある。
ホンジュラス共和国のセロ・エル・マル・ノンブレでは、毎年雨季の訪れとともに新鮮な魚が空から降るのだという。
当地では黒い雲の出現が「お魚配達アラート」の働きをし、そんな雲が見えると住民たちは我さきにとバケツやバスケットを手に町外れの草原へ駆け出すのだと。そしてやはり、みんなで食べると笑顔も美味しいのだと。
ホンジュラス共和国の当局筋によると、これは大昔からの定例行事なのですよ――という話になる。
じつに興味深い――が、ソースが『ストレンジ・ワールド〈PART2〉』という書――いわんや著者が色々とやらかしているフランク・エドワーズである。それがゆえ、どうにも嘘くさく感じていたが、調べてみるとこの現象は実際に起ったモノであり、驚いたことに現在も続いているという。
ホンジュラスの地元紙『LA PRENSA』紙が報じるところによると、2014年5月21日、ビクトリア州ヨナにて2~3時間続いた嵐の後にやはり魚が見つかっている。
この現象は当地で『ルビア・デ・ペセス(=魚の雨)』と呼ばれおり、ホンジュラスの北部で雨季にあたる5~7月の間によく起こるとされ、1970年代にはナショナル・ジオグラフィックの科学者チームも調査も入り、その現場に遭遇したらしい。
その始まりは1860年頃、この地域に住む貧しい住民のため、宣教師スビラナが神に祈ったことで――魚が天から降ってきた。それ以来この地は祝福を受けたまま、毎年のように魚が降るのだ――という。15
エドワーズ先生、疑ったりしてすみませんでした。
ともかくも、ただ「魚が降った」という事例だけ追えば、これは膨大な数に及ぶ。
創作物でもファフロツキーズはたびたび登場しており、新しいところではリブート版『FARGO/ファーゴ』がある。シーズン1中盤、視聴者がちょうどシナリオに退屈したあたりで凍った魚が脈絡なく大量に降り注ぎ、ハッとさせられる。このシーンはインパクト十分なので、Netflixに加入している諸兄はそのシーンだけでも見る価値はある。16
小説では村上春樹の『海辺のカフカ』でも18章にてイワシとアジ、20章にてヒルが雨のように降って、あるいは、メタフォリカルなメタファーになっている。そう、形而上的にはね。
それはともかく、降るのは魚だけではない。
次節では他のよく降る生き物を見てみよう。
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ところによりカエル
魚とともに『落ちモノ』界で大きなシェアを誇るのがカエルである。データベースから抽出した統計によると、『生き物が降ってくる』いわゆる『クリーチャー・シャワー』分類において、カエルのシェアは実に20.4%と、1位のサカナ34.9%に迫る勢いとなっている。理解をふかめるため、以下にグラフを用意した。
よほどシェア争いが苛烈を極めているのか、1841年7月には英国ダービーシャー州ダービーでは、魚とカエルが同時に降ったことさえある。17
南アフリカでも「ガゼルが飛び跳ねたり、体を揺すったりするのが遠くから見えて、なんだろうと調べに行くと、ガゼルのアホが魚とカエルの雨に打たれててワロタ」という悲劇的な出来事があった。18 絵面として面白いが、シェア争いに巻き込まれナマモノどもに爆撃されるなどというのは、ガゼルにとっても屈辱だったろう。
魚とカエル、どちらがより迷惑なのかは意見の分かれるところであろうが、食べられるだけ魚のほうがマシとはいえる。
だがどのみち、我々人類がどちらの雨を好もうと、降ってくるモノを選べるワケでもなく、ただミジメに傘に隠れ、成りゆきに身を任せるしかない。
少なくとも英国バーミンガムの市街は今のところカエルのシェア100%――どうやらカエルたちに愛されているらしい。1954年6月12日、行き交う人々で賑わう市内の公園にて、突然の土砂降りが発生、シルヴィア・マウディ夫人も幼い娘を連れてその雨中にいた。彼女の証言をみてみよう。
エキジビションを見てから、私たちは公園の反対側で聞かれている博覧会を見に行きました。
そこヘ向かう途中で、急にすごい嵐に見舞われたのです。並んだ木立に逃げこもうとして、4歳の娘が小さな赤い傘を開いたとたん、どさどさっとぶつかる昔がしました。見ると、びっくりしたことにそれは蛙の雨でした。
蛙が何百匹も空から降ってくるのです。傘の上も、私たちの肩の上も蛙でいっぱいになりましたが、ふり仰ぐとまだ蛙が雪みたいにどんどん降ってくるのが見えました。足元を見ると、地面は約50平方ヤードの地域にわたって、すっかり蛙で覆われていました。
S,ウェルフェア, J,フェアリー 『アーサー・C・クラークのミステリー・ワールド』 P47 このとき降ったカエルは大きさ約1.3〜1.9cmほどで、黄色がかかったカーキ色、卵から孵ったばかりのようにも見えた。よほどバーミンガムの公園がお気に召したのか、嬉しそうにピョンピョン跳ね回っていた。
このとき降ったカエルがどのような種だったかは不明だが、同じくバーミンガムで62年前――1892年6月30日に降ったカエルは「ほとんど白色」で、当地には生息しない種だったと言われている。19
理由はわからないが少なくとも、バーミンガムがカエルに愛されていることはわかった。
しかし、食料として利用しやすい魚たちはともかく、カエルは降れば降るほどタチが悪いらしい。
歴史を紐解けば、前述の『食卓の賢者』にてカエル雨の生んだ悲劇を見ることができる。
これによれば現在の北マケドニアと小アジアのあたりに数日にわたってカエルが降り、家々から街路まで埋め尽くされたとある。
その数たるやおびただしく、殺しても殺しても次々にダイブしてくるためにラチがあかず、家屋の戸を締め切って籠城を決め込んでも、容器という容器がカエルで溢れ、うかつに料理をしようモノなら、その具にならんと飛び込んでくる。
どこもかしこもカエルの山、市内に死骸があふれ、ひどい臭気が周囲をつつみ、打つ手もないまま住民たちは途方に暮れ、とうとうこの土地から去ってしまった――という。そう、情けなくも人類はカエルに敗北したのである。そうして生き恥をさらしながら今日まで仮初の繁栄を得て生き永らえているのである。
魚と違って、陸上でも機動力を失わないカエルたちは、ピョコピョコ跳ねてはそこらじゅうに入りこみ、逃げまわり、汚しまわる。そうして程なく死骸になれば、周辺の衛生をいちじるしく悪化させる。おそるべき災害である。1686年、英国ノーフォークでも大量に降ったカエルの処理に困り、シャベルで火に投じたと記録されている。20
大量に降ると大量に死ぬのも自然の道理というモノで、1891年英国ボーンマスで起こった『嵐とともにやって来た何千匹もの黄色いカエル』事例をみても、やがて死骸となったそれらによる悪臭が何日も続いたとある。21
1804年フランスのトゥールズでは、晴天の空に突如として黒雲が立ちこめ、その雲からカエルが降ってきたし22、1901年ミネソタ州では「空に緑色の雲があるねぇ」と危機感なく、ボンヤリ生きていたミネアポリス市民に、容赦なく蛙シャワーの洗礼が下された。23
ヨーロッパにおける蛙シャワー事例において、その多くが『地元に生息する種ではない』とされ、その出身地はほとんどのケースでよく分かっていない。ヨーロッパで起こった一部の事例では、専門家によりカエルが北アフリカ原産のものとされたが、詳細が伝わっておらず定かではない。(1981年ギリシャ、1987年英国グロースターシャー)
さすがに手元にある蛙雨事例のなかには「食べた」という話が見つからなかった。残念だ。
他の空のサチ
過去の実績として、落ちてきた生物は水棲および両棲がじつに全体の67.2%を占めている。シーフード関係では
・カニ
(1881年,英ウースター24、1981年,英キレー25)
・エビ
(1918年,豪シングルトン26、2012年,スリランカ27他)
・イカ
(1841年,米ボストン28)
・ムール貝
(1834年,米ピッツバーグ刑務所29、1892年,独バーダーボルン30)
など、うれしい具だくさんとなっている。
この系統で最も有名な事例は、1881年5月30日、英国はウエスト・ミッドランズ州ウースターにて起こったケースであろう。
これは、夕立に混じってエビ、カニ、クルミ貝が降った――という『シーフード・ミックス』事例である。海の幸が空の幸になるという、なんともみんなに嬉しいケースだった。これには諸兄もニッコリだ。やはりみんなで食べると笑顔も美味しい。
この日ウースターでは、信仰深いものは神の恵みと考え、猜疑心の強いものは何者かによる悪戯を疑った――が、結局シーフードミックスが何故降ってきたのかは不明に終わった。
落ちてきた具材たちは当地の主婦たちによって熱心に拾われ、まもなく食卓にならんだが、シーフードの一部をサンプルとして受け取った『Land and Water』紙の記者は、紙面にて『何者かによる悪戯説』に言及し、「イタズラだったとしたら、その費用は何百ドルにも及んだだろう。彼らは誰にも目撃されず、ただことを成し遂げ、何処へともなく消えた――ことになる」と解せない様子で所感を綴っている。31
余談になるが、このウースターで起こった事件、諸兄の大好きなウスターソースの語源となった――ワケではないが、ウスターソースは同州同町の主婦が「19世紀頃、食材の余り物と調味料を混ぜて作った」とされており、もしかしたら降った『シーフード・ミックス』の残りモノだったのではないか――と夢は膨らむ。
しかしながら、一次生産者、卸業者、そして小売を無視してシーフードを無償で産地直送されたのでは、商売はあがったり――経済に深刻なダメージをあたえる。『月刊ムー』1982年5月号の記事によれば、デンマークでは大量に降ったエビのため、海産物会社が倒産したのだという。32
降ってもあまり経済的な影響がなく、実際、食べたくない系統としては――
・クラゲ
(1894年英サマセット33,1933年露コワレロボ34
・ヒトデ
(1985年米ミネソタ州セントクラウド35
などがある。食文化の観点からして海の幸ならなんでも良い――というワケでもないので、このあたりが降るとただ単に迷惑である。
ここまで挙げた事例に目を通し、少なからずファフロツキーズに詳しい諸兄は思ったかも知れない。
「ふん、くだらない、お前は。こんなものは、やはり竜巻が原因だと専門家にさんざん指摘されて来たではないか。貴様のような煽動家は、シャークネードに襲われてろ」と。
たしかにファフロツキーズの歴史は竜巻説と切っても切れない関係にある。水の中にいた魚やカエルが水上竜巻やつむじ風に巻き上げられ、はるばる遠方へ運ばれたのだ――そんな解説を我々は幾度も目にしてきた。シャークネードも見た。
だが、土の中に住むミミズはどうだろう?
・1892年2月4日、インディアナ州クリフトン付近で、空から大量に降ってきた未知の褐色ミミズ。36
・1892年3月2日、ペンシルベニア州ランカスター。傘に落ちてきたミミズ。 37
・1924年1月3日、スウェーデン、ホルムスタッド。雪とともに降る2.5cm〜10cmの赤いミミズ。38
・2007年7月、アメリカ、ルイジアナ州に大量のミミズ。39
これらのミミズ雨まで「どうせ竜巻だろう」と言われても、どうもスッキリしない。その種類がハッキリしない事には空論にすぎないが、土の中から大量のミミズを吸い上げる竜巻というのはどうにも想像しがたいがどうだろう。
しかし、その原因がなんであれ、過去から現代に至るまで様々なモノが降ってきたことは動かしがたい事実。
もう「不思議だね」だの「ミステリーだね」だのと気のいいお父さんのようにボヤかさず、ゴマかさず、我々は認めるべきなのだ。――「我々人類はサカナなどが降ってくる珍奇な星に住んでいます」と。
田畑にサカナが降りそそぎ、市街などもカエルたちに制圧されてきました、と。そして「出処も由来もわからないサカナを拾って、争って食べるような――そんな馬鹿げた星に住んでいる、その程度のつまらない存在なのです」と。どうか笑ってやってください、と。
しかし、この馬鹿げた星に降ってくるのは生き物だけではない。
竜巻説のほか、現象を説明せんとする様々な仮説は後に触れるとし、次ページではもっと不可解な『落ち物』について見てみよう。