プロパガンダを聴きながら
太平洋戦争に従軍した米兵にとって、重要な日本人は3人いた。エンペラー・ヒロヒト。
トージョー・ヒデキ。
そしてトーキョーローズ。
「米兵の皆さん、ガダルカナル島へようこそ。でも期待してる増援はこないわ。お仲間さんたちの船は全て太平洋の藻屑になってしまったの。可哀想に、貴方たちは完全に孤立して、太平洋の孤児になっちゃったのよ」
「可哀想な坊やたち。貴方たちが狐の穴より居心地の悪い塹壕で眠っている間に、貴方たちの奥さんや恋人は他の男とあたたかいベッドで眠っているわ」
ラジオから流れてくるその放送は、米軍兵士たちを釘付けにした。
発信源は東京都千代田区。日本のラジオ東京――NHKの海外放送部門だ。
音楽とニュースとトークを含むラジオ番組『ゼロアワー』
その番組は全て英語で放送され、前線で戦う米兵たちの数少ない娯楽となっていた。
そしてその放送を勤める魅惑的な声をした名も無き女性DJ。
彼女はいつからか『東京ローズ』の愛称を付けられ米兵たちの話題の的となっていた。
謎の女、魅力的な声、オブラートに包んだ毒薬のような言葉。
1944年11月1日、初めて東京上空に爆撃機B-29が偵察任務で飛来した際、その機体には妖艶な魔女を連想させるイラストと、『TOKYO ROSE』のロゴが描かれていた。
東京ローズは、まさにアイドルだった。
顔も知れぬ、名も知れぬ、ただ声だけの東京ローズ。
現代でも熱狂的なアニメ声優ファンをして『声豚』、萌えれば全て良しとする分別のない者を『萌え豚』などと揶揄する口の悪い人々がいるが、当時の米兵はまさに声豚で、じつに萌え豚であった。
右に貼った画像を見てもらえば、B-29の機体に東京ローズがペイントされているのが確認できる。これも現代で言う『イタ車』の通じるものと言えなくもない。
よく訓練された軍人でもタフガイでも、案外中身は我々と変わらないのかもしれない。
実際、彼女の人気にあやかった映画も作られている。
囚われの身である東京ローズを日本軍から救い出す――という何とも独善的なハリウッドストーリーだそうだ。
日本にいるローズを助ける前に、自国収容所に叩き込んでいた罪もない日系アメリカ人を助けてあげるべきであるが、それはいい。
ちなみにアメコミのスーパーマンにも登場し、以下のような台詞をスーパーマンにぶつけている。
「アメリカのスーパーマン、気をつけなさい。世界で自分一人がスーパーマンだと思ってるらしいけど、有名な日本の科学者はお前の競争相手を作ってる。まったく本物の血の通った日本製をね」
なんだか。ものすごく勇ましいです。魔女というか、アマゾネス。
ともかく、ミステリアスな東京ローズは兵士たちの間で大人気だった。
「トーキョーに乗り込んだら、俺が一番にローズを見つけてやる」 そんな風に豪語する兵士もいた。そして実際、終戦を迎えて大挙した米兵たちは競って東京ローズを探した。
むろん、罵倒された恨みを晴らすためも探したワケでなく、愛するアイドル東京ローズに会いたい一心で。
そして、ほどなくして『東京ローズ確保さる!』との報が駆け巡ることとなる。
誰もがひと目みたいと願っていた東京ローズが、とうとう白日の下にさらされたのだ。
彼女の名はアイバ・トグリ。
英語を生活言語とし、日本語は片言しか喋れない日系アメリカ人だった。
病床の親戚の見舞いに日本へ訪れていた時に戦争が始まり、彼女は米国へ帰れなくなっていたのだ。
だが『東京ローズ確保さる!』のニュースに歓喜していた米兵たちは、すぐに苦い感情を共有することとなる。
「なんだよ! おもてたんと違う!」
「ぜんぜん薔薇じゃねえ!」
「チェンジだ! チェンジ! もっと若ぇのいねぇのか!」
米兵たちがそんなふうに憤ったかは定かではないが、少なからず失望があったのは確かだった。
彼らの中に築き上げられた魔女トーキョーローズ――その虚像と重ね合わせるに、アイバは野暮ったすぎた。
とりあえずオリエンタルな感じではあるのだが、少なくとも魔女だの魔性だのが似合うタイプではなかったのだ。
これは無意識のうちに声優とアニメキャラを重ねてしまう声豚諸兄にも通じるモノである。
とはいえ、これはトグリが悪いわけではない。勝手に妄想をふくらませたのは受け手側だからだ。憤慨するのは見当違いというもの。
終戦の混乱期、自ら東京ローズだと名乗った女。
その終戦から数ヶ月、その短い月日こそアイバ・トグリの人生が一番輝いていた時かも知れない。
彼女はここから数奇な運命を辿る。
そして、脚光を浴びるトグリを見て、こんなふうに首をかしげる者もいた。
「なぁ、トグリの声って……東京ローズの声とぜんぜん違わないか?」
魔術なきシンデレラ
トグリは東京ローズを名乗り出てからというもの、米国の記者や兵士からVIP扱いを受けた。なにせ、マッカーサー元帥ですら戦地で聴いたという超有名人なのだ。ありがたいったらない。
だがそんな当時から『トグリは本当に東京ローズなのか?』と彼女に懐疑的な視線を向ける者も少なくなかった。
もちろん、そのルックスに対しての疑念ではなく、声に対してだ。
記者会見にのぞんだ記者達の大半は、アイバ=ローズ説に半信半疑だったらしい。東京ローズは魅惑的で流暢、かつ美しい声であったのに、アイバ戸栗は最大限好意的に評価してもそうでない。
オーストラリア人記者同様、アイバの声がいわゆる東京ローズの声ではないと感じた者は意外と多くいた。また彼らは、誘惑的な東京ローズのイメージとはおおよそかけ離れたアイバに少なからず失望もしていた。
上坂冬子『特赦』
ハスキーで発音も汚く、泥臭いとまで表現される声だ。
ゼロアワー放送関係者がアイバ起用した当初に感じた印象も引用する。
初めてマイクを通してアイバの声を聞いたインスとレイズは「ギーギーと金属を切るノコギリのような」「嫌な声」に当惑した。ここで、理想的な東京ローズと、アイバの声を比較してみよう。
インスは「トリのような声」だとも評した。
■理想的な東京ローズ(映画音声)
■アイバ・トグリ
映画音声とラジオ音声を比較するのもフェアでないかも知れないが、アイバの声や発音は、ファンを自認する者たちの琴線に触れるものではなかった。
これはなにか、どこかおかしいぞ、と。
個人的な事を言わせていただけば、『魔女トーキョーローズ』は峰不二子的な存在であって欲しい。CV増山江威子であって欲しい。
余談ではあるが、MAPLUS2というカーナビに増山江威子ナビが存在すると知って、オカクロ運営部はきゅんきゅんしました。動画
ともかく、声質の違いはかなり早い段階から指摘されていた。
「俺の知ってる東京ローズじゃない!」
この主張を『自分の持っていた虚像が崩れてしまった事に対する反発』と切り捨てるのは簡単だ。
なにせ、アイバはアメリカが国を挙げて告発した犯罪者だったからだ。罪状は国家反逆罪。
アメリカ国籍を持ちながら、日本の謀略放送に荷担し、兵士たちやその家族を侮辱した――というものだ。
日本人としては実感しにくいが、米国で国家反逆罪といえば死刑となることも珍しくない重罪である。
アメリカという国がプロパガンダ放送に荷担した裏切り者、国家反逆者としてアイバを裁いた以上『東京ローズ=アイバ・トグリ』の構図は崩しがたい。
なにより本人が『唯一の東京ローズ』と名乗ってるではないか――。
ここでハッキリ言ってしまえば、アイバ戸栗という女性は、『多数いた東京ローズ候補の一人』でしかなかった。
ちなみに国家反逆罪で剥奪されたアイバ戸栗の国籍は1977年に取り戻され、現在では『困難な時も米国籍を捨てようとしなかった愛国者』として表彰までされている。
アイバは確かに『ゼロ・アワー』に関わったアナウンサーの一人ではあったが、『唯一の東京ローズ』ではなかった。
だが一般的にはやはり『東京ローズ=アイバ』という戦後の認識が強く残っており、海外サイトでもやはりアイバが東京ローズとして紹介されている。
これはけっして間違いではないのだが、正解とも言い難い。
なぜ、アイバ戸栗は唯一の東京ローズを名乗ったのか。
それは彼女の虚栄心、あるいは自己顕示欲のためだったようだ。
一躍スターになれる。有名になれる。人気者になれる。
上坂冬子による『特赦』でも、アイバが強烈な個性と自己主張の持ち主であったことが触れられている。
気乗りしないまま親族の見舞いに日本まで来て、どうしても日本という国が好きになれず、さっさと帰国しようとした矢先の開戦。
彼女からすれば『嫌いな日本に閉じ込められた』という意識が強かったのではないか。
戦争の被害者であることは間違いない。
とはいえ、アイバの行いは周囲の反発を買うようなモノばかりだった。
アイバの局内での評判は決して良くなかった。ゼロ・アワーには欠かせないアナウンサーとして恒石(参謀本部の軍人)が認めているので、スタッフは黙認してはいたものの、遅くやってきて時間ギリギリにスタジオ入りし、持ち時間が終わるとサッサと帰って行く彼女のワガママを決して良く思っていなかった。他の女子アナたちと同程度の給料を貰い、それでいて賃上げ要求はしっかり行い、その後も数日の欠勤から長期の欠勤を繰り返すアイバに局内の反発は強かった。
二世たち(他の女性アナウンサー)には高慢な態度で接し馴染もうとしないくせに、捕虜とは仲がよいと彼らはアイバを評した。
英文のタイピストから非正規とはいえアナウンサーに抜擢され、ゼロアワーの放送に加わったやっかみ――だけでは済まされない。
トグリは日本滞在中に日系ポルトガル人の男性と結婚したが、夫のいうことに耳を貸さず、黙って帰国しようとした事もあった、
自由奔放というか、『気』と『我』の強い女性だった
そう言う意味では、たしかにアメリカ人気質なのかも知れない。
知ったかぶりして利口ぶり、聞きもしないことまでベラベラしゃべる。そして終戦直後、アイバは高額の報酬と引き替えにコスモポリタン誌との独占インタビューに応じる。
その報酬は2000ドル。
1ドル15円換算にして3万円だ。当時一ヶ月の生活費を100円程度で暮らす一家が多いなか、3万円は大金だ。
もちろん、戸栗にとっても大金だった。
彼女は契約する。
1.アイバ戸栗はラジオ東京より放送した「たった1人の東京ローズ」であったこと。この契約書を見ても、後に契約が無効とされるのは明らかだ。それは本人も判っていたと思うのだが、彼女は契約する。
1.彼女には女性アシスタントや代理が居なかったこと。
1.彼女の話は初めて語られる真実の話であり、コスモポリタン誌が記事の独占掲載権をもち、その後ISNがシンジケート権を持ち、決して他の人にそれを繰り返してはならぬこと。
契約書より抜粋
だがやはり契約違反があったということで、残念なことに2000ドルの報酬は支払われなかった。
ただ、この時の契約違反は『ただ1人の東京ローズ』の部分が抵触したわけでなく
「オーケー、アイバ。ここに他社に喋っちゃ駄目って書いてあるでしょ? 独占の意味説明したでしょ? なのに、喋ったよね? なんで喋るの」ではあったが。
すこし人間的に未熟な部分があったようだ。
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みんなの美声は誰のもの?
アイバはゼロアワー内で『孤児のアン』を名乗っていた。その孤児のアン戸栗がゼロアワーに加わったのが1943年11月以降である。だが東京ローズそれよりも前から存在しており、記録も残っている。
・1943年6月
海兵隊だったジャック・ホーグが1943年6月ごろ、ガダルカナル島へ向かう船で東京ローズの放送を聴いている。その放送のなかで、極秘であるはずのガダルカナル攻撃を何故かローズが知っており、それを放送で触れた。海兵隊員は「なぜローズは知っているんだ?」と気味悪く思った。
・1941年~1942年初頭
コレヒドール島にいたダグラス・マッカーサーが放送を聞いたことを回想記に書き残している。
「初めに私がまだコレヒドールにいた頃。夜ごと、敵は誘惑的な東京ローズを使ってアメリカの援軍は他に向けられており、フィリピンの運命は敗北と死だと、生傷をこするように繰り返した」
このようにアイバが放送に加わる以前にも、東京ローズは話題にあがっていた。
ではそれは誰だったのか?
当然、アメリカ兵たちも『東京ローズは何物か』と噂話に花を咲かせていた。
以下は確認できた当時の噂。
・東京ローズはアメリア・エアハート説 1942年頃に浮上した噂。
アメリア・エアハートは女性として初めて太平洋の単独横断飛行に成功した女性で、女リンドバーグとうたわれた。
だが1937年7月1日、愛機での世界一周に挑戦中、太平洋はマリアナ諸島付近で消息を絶った。これは20世紀10大ニュースの一つとさえ言われ、時の大統領ルーズベルトはその捜索に数隻の軍艦を派遣したほどである。
そのエアハート女史がサイパン島付近で撃墜されたのち捕虜となり、強制的に対米謀略放送に荷担させられている。というもの。
・そうじゃない来栖特派大使夫人なのだよ説 外交官であった来栖三郎、その妻アリスが東京ローズじゃないかという噂。
来栖はパールハーバーの奇襲などに関して米国で非難され、開戦と共に日本へ強制送還された。悲劇の外交官とされる。
・いやさ東条英機の愛人だろ説 東条英機陸軍大将に愛人があり、その愛人が東京ローズなのだよ。という噂。
なんで愛人なのか、東条は結婚してたんだから来栖みたく嫁でいいじゃないか――と思ったが、妻東条かつ子は日米開戦時にすでに50代に突入しており、年齢的になんとも萌えがたいからかと推察される。英語も喋れないかもですし。
妙齢の外国人の愛人と言われれば、まぁ萌えなくもない。
とはいえ、このロジックを使うなら、「なんだよ! それなら別に山本 五十六海軍大将でも、牟田口 廉也中将でもいいじゃないか! むしろ卑劣な牟田口に蹂躙される妙齢の混血女性のが萌えるぞ!」と諸兄が憤りそうであるが、まさにその通りで言い返す言葉もありません。
なんで東条なのか。スキンヘッドで眼鏡だから絶倫ぽい? 夜も陸軍大将?
となると諸兄らは言うのでしょうね。「なんだよ! そんなら牟田口なんてスキンヘッドであるばかりかヒゲであるぞ! どう考えても牟田口のが変態だろ! 愛人をネットリ攻めさせるなら、東条より牟田口のがいいんだよ、シチュエーション的に!」 たしかに。シチュエーション的に。
・マウイ島出身のフラダンサー なんで?
・オワタ出身の日系二世 なんで……?
・こういう場合、犯人はだいたい意外な人物説 オカルト・クロニクルとしても噂を流しておきたい。
東京ローズ=ローズ本の著者説だ。上坂女史、詳しすぎるし。美人だし。
写真を見てもらえば「ははーん。なるほど、なくはないね」と納得してもらえるかも知れないが、上坂先生はローズ全盛の1941年当時、11歳。
ローティーンなお良し――という堂々たる諸兄もおられるかもだが、さすがに11歳の少女が妖艶を醸し出すには無理があると思います。まことに残念ですが。
とまぁ、冗談はともかく。根も葉もない噂は色々あったワケですが、実際にはラジオ東京(現NHK)に雇われていた女子アナウンサーの誰かが東京ローズだったと考えるのが誠実な大人というものだろう。
確認できた関係者の名前は以下の通り。
・アイバ・トグリ
・ルース・早川・寿美
・マーガレット・加藤・弥恵子
・古屋・美笑子
・キャサリン・藤原
・ジューン・須山・芳枝
・フサヨ・サカエバラ
・キャサリン・師岡・薫
・メアリー・石井
・ウメコ・松永
・フランシス・タビー
・リリー・アベッグ
・フランシス・ホプキンズ
・メリー・樋口
・最所フミ (Foumy Saisho”マダム・トージョー”)
この中に東京ローズがいるはずだ。
とりあえず、写真をかき集めてみた。
テレ朝のザ・スクープ取材班が入手したというFBIの極秘ファイルに、FBIが『東京ローズのホンボシ』として目を付けていた6人の写真があるというので、オカクロ取材班も同じファイルを入手した。
が、写真はなかった。テレ朝に問い合わせても返事無し。いつも無視する。
というわけで、ザ・スクープで映された写真キャプ+映されなかったモノもかき集めてきた。
この写真の中に東京ローズがいるものだと思われるが、数人を除いて名前がわからない。関係ない者も混ざっているかもです。FBIのファイルにも名前が無く、確認のしようがないのでご容赦いただきたい。
でも、ほら、右上の女性なんか、良い感じじゃないすか? 旦那。
ちなみにこのリストの中で、正規のアナウンサーだったのは3人。
・ルース早川
・ジューン須山芳枝
・マーガレット加藤弥恵子
トグリを含めた他の者たちは、人手不足で他の部署から起用されたタイピストだ。アナウンスのプロはこの3名しかいない。
・マーガレット加藤弥恵子 日本生まれ、ロンドン育ち。英国アクセントの低音ボイス。
・ルース早川寿美 日本で生まれ、ロサンゼルスで育った。高く澄んだ声の持ち主。
ゼロアワーの担当者との会話が東京ローズ裁判の供述書に出ている。
「ケン(担当スタッフ)が外務省からきたとかいうニュース・コピーを見せてくれました。そこで私が東京ローズとは誰のことかと聞くと、彼は私だと言ったのです。私は日曜日の夕方に放送している上、優しい魅力的な声をしているが、アイバの声はまったく違うとケンは言っていました」
宣誓供述書 1949/8/24
・ジューン須山芳枝押しも押されぬ最有力候補。通称『南京のウグイス』
生粋の日本人であるが、須山ファミリーは1924年からカナダバンクーバーに移住し、芳枝も4歳から19歳までの15年間をそこで過ごした。
声は低いが落ち着いた魅力的な英国式の英語をしゃべり、放送も上手かった。ラジオ局内では才色兼備とうたわれ、女子アナのなかでもズバ抜けた人気を誇った。戦前には彼女の元へ海外からファンレターが送られてくるほどであったという。
元NHKアナウンサー水庭進氏は当時、ラジオ東京の学生アルバイトとして働いており、須山のことを知っていた。
局を訪れた外国人がボーッと立っていた。水庭にとって彼女は師であり憧れの女性だった。
僕が「どうしたんですか?」と聞くと「聞いてみなさい、この声を。この声を聞くと僕は……立ち尽くしてしまう」もっと聞きたい、ずっと聞いていたい、そんな気持ちにさせる声だ、とそんな事を言う。
金の鈴を転がした音というのはこんなふうに違いない。
ローズと呼ばれるに相応しい人は彼女を除いていない――と僕は今でも信じています。
ザ・スクープより水庭進の証言
ザ・スクープはアメリカに残されていたローズと目される録音30時間分の声の分析を毎度おなじみの日本音響研究所、鈴木松美所長に依頼した。
モンタージュボイスと呼ばれる顔写真から骨格を割りだし人物の声を特定する技術を使用し、ジューン須山であろうと鑑定された声が選別される。
アイバはもちろん、その他にも5名の声が識別され、それの全てを前情報なしで水庭氏にも聞いてもらった。
すると科学的に『須山』であろうと推測される声と、水庭氏の記憶に生きる『須山』の声、それが一致した。
以下がその音声である。
須山は戦前からラジオ東京でアナウンサーをしており、その記録も残っている。
以下は1941年12月14日、真珠湾攻撃の一週間後、南京の鶯が東京ローズとなる以前に世界へ向けて放送されたものだ。
美しい原稿だとおもう。
人類史上、最悪なこの戦争が始まってから
初めての月曜日を迎えました。
私には理解できます。
息子の死に直面した母の気持ちを。
若妻が夫を失った苦しみを。
日本にも愛しい人を送り出した女性が沢山います。
そして私たち日本女性は
男たちがこの国を守るために
戦い 死んでゆくことを知っているのです。
ジューン須山芳枝
残念ながら、須山は29歳の若さで終戦後間もなく亡くなっている。
1949年7月18日、須山は横浜で友人と映画を見たあと帰路についた。そこに泥酔したアメリカ兵のジープが通りかかり須山を轢いた。
これは死亡事故でありながら警察にも米軍にも記録はなく、新聞記事もない。
そんなドラマチックな生涯も重なって、彼女は敬意を持ってたたえられる。
ジューン須山芳枝。彼女こそが真の東京ローズだった、と。
だがまだミステリーは残っている。
どこに消えたか東京ローズ
「なんだよ! なんだか須山芳枝が東京ローズっぽいってのはわかったけど、ぜんぜんオカルトじゃないじゃないか! ダラダラ書きやがって!」とそろそろ諸兄が憤慨しそうなので、オカルト的な部分に触れる。
先述したように東京ローズは折に触れて、知るはずもない米軍の極秘情報や機密情報を喋ったとされる。
海兵隊だったジャック・ホーグ。彼によれば彼の部隊は、1943年6月ごろガダルカナル島へ向かう船中で東京ローズの放送を聴いている。
その放送のなかで、極秘であるはずの米軍のガダルカナル攻撃についてローズが触れたと言う。
ゴードン・トマスとマックス・モーガン・ウイッツの著書によれば、東京ローズはとある部隊を名指しで取り上げ、聴く者を驚かせている。
名指しされたのは爆撃機を主とする陸軍航空隊509混成部隊だ。彼らがテニアン島に上陸したとき、ローズはその事実に触れ、「死なないうちに帰りなさい」と囁いた。
それを「下らない」と笑う者もいたが、心配になった者もいた。東京ローズが何故、アメリカ全航空隊のなかでも重要機密に属するこの部隊の動向を知っているのか、と。
それから二週間後。
第509航空部隊が再びローズの槍玉に挙がる。
ローズは放送の中で、「第509航空部隊の爆撃機は、尻に「R」の記号がはっきりついているから、日本軍の高射砲部隊はすぐ見分けられるわよ」と脅した。
前回と違い、今度は誰も笑ったりはしなかった。機体にその記号がペイントされたのは、そのすぐ前のことだったからである。
尻にRがついた509部隊の爆撃機――。
エノラ・ゲイである。
ミリタリーの知見に乏しいオカルトクロニクル運営部でも知っている世界で一番有名な爆撃機だ。
腹に原子爆弾リトルボーイを搭載し、広島に投下した機だ。
最高機密であるエノラ・ゲイの動向を知っていた東京ローズ。
転じてそれが
『東京ローズの放送を直轄していた軍部がアメリカの機密を知っていた』
という推測に繋がり、さらにそれが
『日本軍部は広島への原爆投下を事前に知っていた』 という陰謀論に発展してゆく。
軍部、敷いては天皇陛下も原爆投下を知っており、黙殺した――という話だ。
これは鬼塚英昭『原爆の秘密 (国内編) 』に詳しいので、興味のある方はそちらを参照されたし。項が冗長になるのでオカクロでは触れない。
そして、もっと踏み込んだのが五島勉『東京ローズ残酷物語(改題:東京ローズの戦慄) 』だ。
もう、あの『ノストラダムスの大予言 』の五島せんせいというだけで眉に唾を付ける諸兄もおられると思いますが、諸兄は正しい。
深く触れてもことさら意味があるとも思えないので、概要だけ書く。
・東京ローズ=トグリ
・トグリは秘密工作員
・トグリは工作員の画策によって日本へ
・アメリカで知り合ったスパイに『マヤ言語の暗号』を教わり、それを放送にちりばめた。内容は日本軍の動向に関して。「○○島の戦力は……」など。
・『マヤ言語の暗号』ふくみの放送を聞いた米国側のエージェントがそれを解読。利用。
・ヒルダ(仮名らしい)なる人物がゼロアワー内部の米国側スパイだった。シュミット商会なる家がスパイ本部。
・トグリ放送による内部情報の漏洩でアメリカの作戦はうまくいった。
・でも戦後、裏切られた。シュミット商会も家も、別人が住んでいた。ヒルダは消えた。トグリは切り捨てられたのだ!
・ちなみにヒルダはダブルスパイだったんだと思うよ。
以上。
せめて大枠のストーリがキチンとしていればオカクロ運営部も調べる気になるのだが、事実に反することが多く書かれており、どうにもね。
内通放送をさせるためにスパイ集団がシュミット商会ヒルダの手引きでラジオ東京に入社させた――とあるが、関係者の証言にそのような事実も人物も存在しない。だいたいアイバはパートのタイピストで入社して、たまたまカズンズ(元捕虜放送責任者)の目にとまったに過ぎない。
『トグリは終戦後、米諜報部から逃れるため関東地方を逃げ回った。兵士達が追い回し、それは大ドタバタ劇だった』などとあるが、家で普通に記者に捕まりインタビューに答えている。
そして、そんな大戦の行方を左右するような重大な任務があるにも関わらず、欠勤を繰り返してるし。
とまぁ、眉に唾を付けるまでもない内容でした。
せめて参考文献なり、資料なりが書かれていれば調べる気にもなるが、それも一切書かれていない。むろん、後発で出版された東京ローズ関連の書籍でも『東京ローズ残酷物語』は参考資料にあげられていない。こうなってくると五島せんせいのソースが俄然知りたいトコロではある。
陰謀論でいうならば
「ジューン須山は事故でなく、殺されたのだ。ちょうど須山が死んだ時期はアメリカでトグリの裁判が行われており、『真の東京ローズ』『沢山の東京ローズ』が現れては困るから」 のほうが信憑性がある。
ちなみに、トグリはアメリカで重大犯罪者として裁かれたが、これは当時の政治が関係していると言われている。
時の大統領トルーマンは支持率の低下にあえぎ、再選を果たすためには『強いアメリカ』をアピールする必要があった。ゆえにどれだけトグリが東京ローズっぽくなかったとしても『アメリカ国籍を持ちながらアメリカを裏切った卑怯者』としてトグリを処罰することで、国内の団結を促し、遺族や保守の票を集めようとした。そして実際、再選した。
逆に言えば、ジューン須山やルース早川などは、東京ローズ候補として機関に目をつけられてはいたものの、名乗り出ず、アメリカ国籍でもないので難を逃れたとも考えられる。
キジも鳴かずば撃たれまい――を地でゆく話だ。
なぜ人々はトグリが捕まって以後も東京ローズに幻想を持ち続けたのか。
本物らしい本物が名乗り出なかったからこそ、虚像は虚像のままに人々の中に存在し、ミステリーとロマンを生み続けたのではないか。
峰不二子を演じてきた増山江威子さんは、長い間、テレビなどで依頼があっても、顔出しを拒否し続けていたという。
その理由は「キャラクターのイメージを壊すから」
彼女のような自分の仕事への矜持を持った『職業声優』が少なくなったんじゃないか、とオカルトクロニクルは寂しく思う。
そう。我々は幼く、全てを知りたがるけれど、どうか全てを見せないで下さい。どうぞ余白を残して下さい。
たとえそれが『永遠に謎』でも、我々は勝手に妄想し、想像し、自分を納得させるぐらいには大人なのだから。
と、いうわけで本人の声ではありませんが、ザ・スクープで流された真珠湾直後の須山スピーチが心のどこかに響くので、置いておきます。
このナレーションを聞いてると、短い文の中に、ジューン須山の優しい人柄までもが滲んでいるように思う。
兵士達は極限状態の前線にあって、ラジオから流れてくる彼女の声だけでなく、言外に滲む須山芳枝という人柄にも惹かれたのではなかろうか。
機密を知り、男たちを虜にし、そして歴史のどこかへ姿を消した。
東京ローズは誰だったのか。本当に須山芳枝だったのか。
もう、誰も知るものはいない。
■参考文献 及びサイト
・東京ローズ―戦時謀略放送の花 (中公文庫) ・東京ローズ―反逆者の汚名に泣いた30年 ・東京ローズの戦慄 (1973年)『東京ローズ残酷物語』の改題
・論争4-「東京ローズ」始末記 恒石 重嗣
・文芸春秋 30-7-東京ローズは三人居た 対米謀略放送のスタア
・正論 2010/11 世はこともなし? 第65回 「東京ローズ」の正体
・エノラ・ゲイ―ドキュメント・原爆投下 (1980年) ・原爆の秘密 (国内編)昭和天皇は知っていた ・原爆投下 黙殺された極秘情報 ・ザ・スクープ 消えた東京ローズを追え! ~戦後65年目の真実~
・earthstation1.com ・年寄りの逆襲~自然死の考察
・FBI Files on Tokyo Rose (Iva Toguri d’Aquino) released under the Japanese Imperial Government Disclosure Act
・Tokyo Rose Case Files 陸軍省憲兵総監部トウキョウ・ローズ関係文書
・Far Eastern Commission Records 極東委員会文書