サンジェルマン伯爵――時空の旅人

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不老不死。そう噂された男がいた。その男は数カ国語を流暢に話し、キリストの死に立ち会い、ルイ15世に謁見しナポレオンに助言し、ダイヤの傷を消し、予言めいた発言もした。世界のあちこちに現れ、世紀をまたいで生きる男――伝説の錬金術師は今も生きているか?

                         

その男、不死につき。

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サンジェルマン伯爵


18世紀の中頃、フランスの社交界を1人の男が騒がせていた。

年の頃にして50歳前後。
小柄な体を覆う黒い衣装に、白いサテンのネクタイ。
豪奢な衣装に身を包むのが流行していた当時、その男の装いはシック過ぎる、あるいは地味すぎるという意味で『逆に』目立った。

洗練された紳士然とした物腰ではあったが、その男の口から生まれる言葉は荒唐無稽の極みにあった。

その男の名はサンジェルマン伯爵。
その男は自らの不死を主張し、数カ国語を流暢に話し、錬金術や化学に通じ、歴史についての膨大な知識を披露した。

時の国王であったルイ15世にも謁見を許され、国王の愛人であったポンパドール夫人にも寵愛を受けている。
(余談ではあるが、女性のヘアアレンジの一つであるポンパドールは、この夫人のヘアスタイルから由来する)
サンジェルマン伯爵の主張は、宮廷の生活に飽きた者たちの耳を大いに楽しませた。

「私は、ネブカドネザル大王の築いたバビロンの都を見たことがある」

「私は、キリストが起こした最初の奇跡と言われる『カナの婚宴』に立ち会った。無論、彼の死にも」

「シーザーのローマ凱旋は素晴らしい体験だった」

歴史上の人物たちとの交流を生き生きと語るサンジェルマン。

無論、18世紀とはいえ、このような怪しげな男を素直に受け入れる者ばかりではない。
ある懐疑的な男はサンジェルマン伯爵の召使いを捕まえて、カマを掛けた。

「お前の主人はとんでもない嘘つきだ」

しかし召使いは動揺した様子もなく、平然と答える。

「そうかも知れません。主人は誰に対しても、ご自分を4000歳だと言っておられます。私はお仕えしてまだ100年しか経っていませんが、私が仕え始めたとき、主人は私に自らの年齢を3000歳だとおっしゃいました。900歳お間違いになったのか、あるいは嘘をつかれたのか私にはわかりかねます」

違う従者はこんな事も言う。

「伯爵様は、私がお仕えしてまだ500年しか経っていないことを、多分お忘れなのだとおもいます」

その男、多芸多才につき。

サンジェルマン伯爵の人気を支えたのは、その話術に支えられた壮大な体験談だけではない。

彼は裕福な生活を送り、一流のヴァイオリン奏者であり、巧みな筆致を見せる画家でもあった。
こと芸術に関する知識は専門家さえ舌を巻くほどであり、ほとんどの絵を一見しただけで作者を言い当てたという。
作曲なども行っており、一流の文化人であったことは確かなようだ。

そして彼は食事というモノを一切取らなくとも生きて行けると公言する。
実際、彼が食事を取っている所を見た者はなく、もっぱら自分で調合した丸薬や秘薬の類を口にするだけだった。

錬金術の申し子というべきか、マッドサイエンティストの先駆というべきか、この奇妙な男が不思議な魅力を持っていたのは確かで、サロンの人気者となるまでさほど時間はかからなかった。

錬金術師サンジェルマンとして有名な逸話が『ダイヤの修理』だ。
あるとき、サンジェルマンは王にむかって言った。

「私はダイヤモンドから傷を取り除く術を知っている」

面白がった王から6000フラン相当の傷物ダイヤを預かり、サンジェルマンは王中を辞した。
そして一ヶ月ほど後、彼は傷の消え去った同ダイヤを王に献上したのだと言う。

錬金術の神秘にあてられた王や貴族たちはサンジェルマンを信頼し、彼の話に酔った。
世の常として、権力者は不老不死の実現に並々ならぬ興味を示すもので、この時代も例外ではなかった。

王侯貴族たちはサンジェルマンから不老不死の術や霊薬の秘密を聞き出そうとした。
だが、彼は決して答えず、言葉を濁すばかり。
食事代わりに口にしている霊薬をポンパドール夫人が所望しても、「このような怪しげな者を、差し上げるなど恐れ多く……」と取り合おうとはしなかった。

その代わりにシワ防止の効果のある化粧水を献上し、事なきを得たのだという。

他にも絹や革製品の新しい染色技術を披露したこともあった。

当時の有名人たちも、手記や著作の中でサンジェルマン伯爵について触れている。

サンジェルマン伯爵というのは不思議な男だ。50歳くらいに見えるが、もっと若いかも知れないし、もっと歳をとっているのかも知れない。恐ろしく話題が豊富で、ついつい話に引き込まれる。彼と話していると、なんだか時間を超越した世界に生きているような気がしてくる。

音楽家ジャン・フィリップ・ラモー

サンジェルマンという男は、あらゆる事を知っている。

ヴォルテール

時の旅人。

サンジェルマン伯爵フランスからドイツ、ロシアからインドまで転々とし、公式には鬱病とリューマチに苦しんだのち1784年2月にドイツはシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州のエッケルンフェルデにて亡くなったとされている。

エッケルンフェルデの教会戸籍簿に記録が残っている。
世に言うサンジェルマン、あるいはヴェルダン伯爵。1784年2月27日死去。3月2日埋葬。その他の次項不明。一個人として当協会に埋葬。
なんだよ、あっさり死んでんじゃないのよ! 不死じゃないのかよ! と憤慨の諸兄もおられるだろうが、これはあくまで『公式に』である。

公式には死んだはずのサンジェルマン伯爵が、様々な時代の様々な場所で目撃され、この奇人物の伝説に彩りを与えているのだ。

最初の目撃報告は1785年。サンジェルマンが公式に亡くなった翌年のものだ。
ヴィルヘルムスパートで開かれていた秘密結社の会合に彼が参加していたと証言する者がいた。パリで行われたフリーメーソンの集まりにもサンジェルマン伯爵が出席していたとアレッサンドロ・ディ・カリオストロが証言した。

ギロチンが貴族にふるわれた1790年ごろ、革命広場で目撃されたり、アントワネットの侍女をしていたアデマール夫人が彼と会うこともあった。彼は自分の警告が王宮に受け入れられなかったことを残念がり、去っていった。葬儀に参列したほどの仲だから間違うはずがないとアデマール夫人は主張する。

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きれいなサンジェルマン


この後も散発的に目撃情報が報告され、サンジェルマン伯爵の不死者伝説、タイムトラベラー説が補強されて行く事になる。
以下は巷で語られる『あれってサンジェルマンじゃなかったのか伝説』

・ロシア遠征の失敗で失意にあったナポレオンが会ったという『赤い服の男』。彼はナポレオンにいくつかの忠告をして去っていった。

・アントワネットが宮殿で会った。

・1775年アメリカ独立戦争のさなか、マサチューセッツにフランス訛りの奇人物が現る。歴史の知識に長けた謎の人物で、本名は名乗らず『教授』とだけ呼ばれる。ワシントンやベンジャミン・フランクリンとも面識があった。教授は木製の棺桶を所有していたが、中身を見た者は誰もいない。

・神智学のブラヴァツキー夫人はサンジェルマンに何度も会っていると主張。

・チャーチルが対ドイツ戦におけるアドバイスを受けた。

・フランスの歌手エマ・カルヴがサンジェルマン伯爵の訪問を受けたと主張。

・モーツァルトにレクイエムの作曲を依頼した『謎の灰色の男』はサンジェルマンでなかったか←現在ではフランツ・フォン・ヴァルゼック伯爵であったと判明。

・画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥールがサンジェルマン伯爵の使用する特殊な絵の具の製法を尋ねたが、教えてもらえなかった。

・『ジョジョの奇妙な冒険』で知られる漫画家の荒木飛呂彦が実はサンジェルマン伯爵なんじゃあないか、という噂。(荒木先生の風貌が連載開始当時から変わらず、むしろ若返っているという評判のため)

こうして、さまざまな伝説が語り継がれている。
あまりにも年代が飛びすぎてわかりにくいので、簡単な年表を作成してみた。

紀元前  ネブカドネザル大王が築いた壮大なバビロンの都を見たと主張。
シバの女王と談笑。
シーザーのローマ凱旋を見てきたと主張。
紀元後  キリストのカナの婚礼に立ち会った。
十五世紀  スペインのフェルディナンド5世の大臣を務めたと主張、当時の極秘文書を見せたりした。

1710年  フォン・ゲルギー伯爵夫人。夫が駐ヴェニス大使でその地に滞在していた頃、サンジェルマン伯爵がその地にいたと発言。45歳ぐらいに見えた
1735年  自筆の手紙によると、オランダのハーグにいる。
1743年頃 王位を要求してダービーの野を進軍していた若僭王チャールズ・エドワード・スチュワートのスパイ容疑で逮捕される。
1755年  金持ちで、ウィーンにいる。ここでベリル将軍にひろわれてパリへ着いてくる。
1756年  フランスに姿を現す。外見にして50歳ぐらい。この頃ダイヤを直す。
1758年  4月15日にヴォルテールと会う。 ヴォルテールは、プロイセンのフリードリヒに送った手紙の中でサンジェルマンについて言及している。
1760年  王はサンジェルマン伯爵を外交使節としてオランダへ派遣。
1761年  ジェルジ伯夫人が50年前にベネチアで会ってないかと指摘。同様に音楽家のラモーがベネチア時代を指摘。サンジェルマン認める。
1762年  7月ロシアでエカテリーナのクーデター。首謀者オルロフ伯爵を助けて将軍の地位につき、ヴェルダン伯爵と名乗った。
1774年  ルイ15世死去にともない、フランスに戻るも、白眼視され去る。アンスバッハのシュワヴァッハに住む。チャールズ・アレキサンダー辺境伯の庇護下に入る。
1776年  ライプチッヒ、ドレスデン、ベルリン、ハンブルグを転々とする。
1784年  二月に鬱病とリューマチに苦しみながら死去。
1785年  ヴィルヘルムスパートで開かれた秘密結社の集会に参加していた。
1790年  フランス革命。革命広場で彼の姿が目撃される。
1791年  アントワネットの侍女アデマール夫人を教会に呼び出して会う。彼は自分の警告が受け入れられなかったことを残念がり、去っていった。
1793年  ダデマール伯爵夫人が1836年に出版した『回想録』の中で、この年にサンジェルマンと会ったと主張。その際、マリー・アントワネットが殺されると警告。そのとき、彼は彼女に今後五年会うだろうが「六度目はない」と言った。現実に1820年までに五回会った。(G・B・ボルツはダデマール伯爵夫人の存在自体に疑問があり、回想録はインチキだと主張)この年マリー・アントワネットが処刑される。
1815年  没落しつつあったナポレオンが『赤い服の男』に会った。
1821年  ジャンリ夫人がヴェニスで彼を見かけたと主張。
1822年  公式(?)には最後の目撃証言。インドに旅立つ直前だったという。

1896年  マダム·ブラヴァツキーは、サンジェルマン伯爵と頻繁に会っていると主張。 サンジェルマンはヒマラヤのシャンバラと呼ばれる地下の国からやって来たのだという。
1897年  フランスの歌手エマ・カルヴェはサンジェルマン伯爵の訪問を受けた。彼女は彼をして『偉大な占い師』と呼ぶ。
1914年  第一次世界大戦下の8月。ドイツ軍の兵士が正体不明のフランス人を捕らえる。その人物は尋問には応じず、奇妙な予言めいた言葉だけを残して姿を消した。その予言内容は一次大戦後のドイツを襲うハイパーインフレや二次大戦、ヒトラーの台頭などに触れるものだったという。何者だったかは依然として不明。
1939年  アメリカの飛行士がチベットでサンジェルマンと名乗る僧と出会った。僧とは言うものの『中世の頃の身なりをしたヨーロッパ人』だったという。
1940年  英国ウィンストン・チャーチル首相が対ドイツ戦におけるアドバイスを受ける。
1972年  リシャール・シャンフレーという青年が自分はサンジェルマンの生まれ変わりだと主張。キャンプ用のストーブだけを用いて、鉛を金に変えて見せた。
1984年  サンジェルマン研究家によると、サンジェルマン伯爵は1984年から日本に滞在しているという。
1987年  『ジョジョの奇妙な冒険』連載開始。

 
神出鬼没のイメージがあるサンジェルマン伯爵だが、こうして年表にしてみると、伯爵がもっとも活発に活動した時期が1755年から1765年ごろだった事がわかる。
その他の時期は情報に乏しく、あまり信用に足る資料はない。

日本に滞在しているというのは驚きだが、『中世の頃の身なりをしたヨーロッパ人』が日本に居るとすればかなり目立つんじゃなかろうか。ルネッサーンス。

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タイムトラベラーかペテン師か。

これほど謎に満ちた人物はなかなかいるモノではない。
しかし、18世紀以前の活動が余りにも少なく、本人の証言以外に18世紀以前に存在していたという証拠はない。

ゆえにその時期に生まれた人物とアタリをつけるのが妥当かと思われる。

だが、その生い立ちを追おうとしても諸説紛々でどこに真実があるかわからない。
本人はトランシルバニアのとある王家の王位継承者だと公言していたが確認は取れない。
英国の民俗学者アンドルー・ラングは著書『歴史の謎』のなかで、スペインの王妃マリー・ド・ノイベルグの不義の息子ではないかと推測している。マリーとその愛人アンダローネ伯爵との間に出来た子供であったとする説だ。

他にもイタリアのメディチ家ゆかり者とする話や、ポルトガル系ユダヤ人だったという説。まさに諸説紛々だ。

コリン・ウィルソンはサンジェルマンという仮名(伯爵本人が仮名と認めている)はフランス北部の町からつけた変名で、サンジェルマン伯爵は1710年頃、そこの徴税吏の息子として生まれたという。ウィルソンが紹介するその教区の出生記録が正しいとすれば、フランスに現れたときの年齢とほぼ符合する。

だが、そうだとしても、膨大な知識や言語、ダイヤの傷を消したワザはいかにして説明するのか。
これらにキチンと説明をつけないまま、サンジェルマン伯爵をペテン師だと断じることはできない。

しかし、ダイヤの傷に関しては説明が付くとされている。
それは『取り替えただけ』とする説だ。

なにも、わざわざ困難に挑戦せずとも、似たようなダイヤを用意してさも傷を消したように振る舞えば良いだけの話だと。

傷アリ6000フラン相当のダイヤ。傷がなければ10000フラン。差し引き4000フランで王の信頼と寵愛を得られるなら安いモノだ――というワケである。つまりは4000フランの投資だった。(モンテ・クリスト伯を参考に1フラン=1000円で計算して、400万円ほど)
そしてサンジェルマンはトリアノン宮殿内の科学施設とシャマンボール城内の豪華な部屋を手に入れた。

実際に、金には困っていない=裕福な貴族として触れ込んでいる割りには、資金提供者となる様々なパトロンの元に身を寄せている。
『金を稼ぎたい王侯貴族と、奇妙な技術をもった錬金術師』という基本関係は主を変え場所を変え、彼が公式に亡くなる1784年まで続いていたようだ。

現代のサンジェルマン伯爵

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歌手ダリダとシャンフレー


1972年。リシャール・シャンフレーという男が「サンジェルマン伯爵の生まれ変わりである」という触れ込みで、メディアに登場した。
シャンフレーは『鉛を金に変える男』としてテレビ出演を果たし、実際に錬金術を行って見せた。

このリシャール・シャンフレーについて、「言うに及ばず」なのか他サイトではあまり取り上げられることがないが、下世話なオカクロとしては取り上げておきたい。

まず、シャンフレーは札付きのワルだった。
1940年にフランスのリオンで生まれ、幼少期をストリートで過ごしている。
盗みに手を染め、やがて婦女暴行のカドで6年の懲役を食らう。

刑務所で過ごしていたシャンフレーは、そこで一冊の本と出会うことになる。
それは希代の錬金術師について書かれた本で、その錬金術師は鉛を金に変え、秘薬を調合し、永遠の命を得たのだという。そうサンジェルマン伯爵だ。
これを読んだシャンフレーは啓示にも似た衝撃を受けたのだという。

――自分もサンジェルマンになる!

そう決めたシャンフレーはマジックを学び、その奇術に神秘主義と錬金術の砂糖をまぶしてデビューした。

いつの時代も神秘に弱いセレブというのは一定数居て、1970年代も例外ではなかった。
退屈しているセレブのオカルト趣味に火を付け、シャンフレーは支持者を急速に増やしてゆく。比例して資産も増えてゆく。

そして当時、人気の絶頂にあった歌手ダリダと出会う。ダリダは戦後もっとも売れた歌手としてフランスでは国民的な歌姫だった。
彼女はシャンフレーに心酔し、その錬金術師のいかがわしい主張を受け入れた。

これは、傷心の者が宗教家や占い師につけ込まれる状況によく似ている。
ダリダの夫であったリュシアン・モリスは自殺。次に恋人になったルイジ・テンコもピストル自殺。彼女もこの時期に自殺未遂を起こしていた。
つまり、シャンフレーは彼女の心の隙間にスルリと入り込んだというわけだ。

こうしてシャンフレーは一気に時の人。人気歌手を恋人に持つ錬金術師としてセレブの仲間入りを果たした。

こうして、シャンフレーを見てみると、サンジェルマン伯爵も実際はこうだったんじゃないか――などと考えてしまうのは僕の性格が悪いためか。セレブに取り入り、富を得て、さらにそれを拡大、拡大……。

だがシャンフレーの空は永遠に青いわけではなかった。
華々しくデビューしたちょうど10年後、何の因果かシャンフレー自身も自殺した。そしてダリダも自殺。

自分の世界に引き込むつもりが、彼女の世界に引き込まれてしまったのか。

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2人の比較画像。似てる気もする。


すくなくとも、シャンフレー不死ではなかった。
だがマジシャンでありながら、シャンフレーはトリックを見破られなかったそうだ。鉛を金に変え、死んだ犬を生き返らせ、最後には白髪で憔悴しきった姿……その晩年に同情すらしてしまいそうになるが、超人を演じるに、常人では役不足だったのかもしれない。

シャンフレーはサンジェルマン伯爵ではなかった。そしてサンジェルマン伯爵が『不死の人』であるならば、その生まれ変わりが存在するはずもない。

『サンジェルマン伯爵』という名が世襲制で、様々な人物がサンジェルマンだったという説もあれば、ただのペテン師のヤマにみんなが乗ったという説。さまざまな噂を内包してサンジェルマン伯爵は伝説を補強してゆく。

今、伯爵はどこにいるのか。伯爵はどこからやってきたのか。
そしていつの日にか再び、我々の前に姿を現すのか。ルネッサーンス。

最後に、1822年公式(?)最後の目撃証言。
インドに旅立つ直前のサンジェルマン伯爵が友人たちに告げたという、予言含みの別れの言葉を引用して筆を置くことにする。
私は君たちと別れなければならない。
たぶん、もう一度会えるだろう。まず、コンスタンティノーブルへ行くのだ。私を必要としている人たちのためにね。それから英国へ行って、次の世紀のために、二つの発明の準備をしなければならない。汽車と汽船だ。
季節は少しずつ変わるだろう。まず春が来て、それから夏だ。私にはソレがわかっている。天文学者も気象学者も何も解ってやしないのだ。私の言うことを信じたまえ。私のようにピラミッドを研究する必要があるのだよ。今世紀の終わり頃、私はヨーロッパを去って、ヒマラヤ地方へ出かけるつもりだ。少し休みたいのでね。
85年後の今日、もう一度私に出会えるはずだ。では君たち、さようなら。
■参考文献及びサイト ミステリー人物 (Mu super mystery books―事典シリーズ) 世界不思議百科 東西不思議物語 (1977年) 妖人奇人館 (河出文庫) 世界不思議大全 Richard Chanfray Dalida The Comte de St. Germain Finding Count St.Germain
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