この狂気と希望と幻滅のまっただなか
前節で挙げた『各国の大洪水伝説』は、その多くが創世神話につながってゆく。生き残った主人公が他の生存者、ときには妹、ときにはインコ、ときには犬や仔牛を配偶者と選び、子孫を増やし、それが現生人類となったのだよ、という話になる。一部パートナー選定がややインモラルな気もするが、人間自体が絶滅危惧種で他に相手がいなかったというやむにやまれぬ事情も鑑みるべきで、我々、その道の素人が軽軽に触れるべき話題ではない。
では日本ではどうか?
1980年代までの資料を眺めると、「残念ながら本邦には似たモチーフの洪水伝説は見つからない」とされている。
多くの研究者が目を通したに違いないフレイザー卿の『洪水伝説』のなかでフ卿は以下のように触れている。
特に注目すべきことは、東アジアの偉大な文明国民であるシナ人の場合も日本人の場合も、わたしたちがここで考察しているような大洪水の、すなわち人類の全部、またはその大部分が滅亡したと言われる世界的氾濫のいかなる土着の伝説も、わたしの知るかぎりでは彼らめ彪大な古代文献の中に保存されていないということである。
サー ジェイムズ・ジョージ・フレイザー –洪水伝説 P173 博覧強記のフレイザー卿が知らないというのならば、ないのだろう――そんな予断があったのか、日本における大洪水伝説は触れられてこなかった。
国内の資料では申し訳程度に、イザナギ・イザナミのオノゴロ島――日本神話における、いわゆる『国生み』伝説――が紹介されることが多い。これは端的に言えば「日本がまだ水面で漂う油のような状態だった頃、矛で海をかき混ぜ、その先端から滴ったものが島になった」という創世神話で
「『矛でかき混ぜる』=ってさ水がこう、大洪水っぽくなるワケ。そして『水面に島が生まれる』=ってのは大洪水でこう山頂だけがポツンと残った、みたいな風景になるワケ。これってなんだかこう大洪水を伝えたい的なニュアンスを君は感じないか」
というやや苦しい話になる。個人的にはニュアンスちっとも感じなかった。
「偉大なフ卿とはいえ、日本のローカルな伝説までは網羅しきれまいよ。ここはひとつ『地元民』として取りこぼしを探してみよう」――
と、考え、何かないものかと日本国内でのケースを地道に探してみると、いくつか興味深いものを見つけることができた。
沖縄県 伊良部島
ひとりの漁師が人魚を捕まえる。せっかくなので食べることにする。
すると人魚は海に向かって助けを呼んだ。
海の霊を信じる子供が危険を第六感で察知し、「怖い」と泣き叫ぶので、その母親が子供を抱いて逃げる。その直後に大津波がやってきて、漁師の家を飲み込んでしまう。1
沖縄県 宮古島
兄と妹が野良仕事をしていると、大津波が見えたので、あわてて島でいちばんの高所に登った。
この津波でほかの島民や家屋が海の藻屑と消えた。生き残った兄妹はしかたなく草の庵を結び、契りを結んで子孫を増やした。2
奈良県 十津川村 玉置山
雷に打たれてしまい現存しないが、かつて玉置山に『犬吠えのヒノキ(南方熊楠は犬吠の杉と呼んだ)』があった。伝説によれば、かつてそのあたりまで海水が押し寄せたことがあった。白犬(狼?)が『犬吠えのヒノキ』あたりで吠えたら水が引いた。すべてよし。3
(地図からみると、おおむね海抜600メートル地点かと思われる。玉置山は1076メートル)
岩手県 雫石町 南畑
はるか昔、天変地異が起こり、山は崩れ大洪水が何日も続いた。そこらじゅうが海水に満たされ、人々や動物その多くが死んだ。
地は大海原となったが、そこに2つの小島が見える。
片方の小島に漂流していた男が、もう片方の小島に、やはり漂流していた女がそれぞれ漂着した。どちらも、この天変地異で生き残った最後の人類だった。
3年ほど経過し、やっと洪水が引けると、この小島が山の山頂であることがわかる。男と女は山を降りて、そこで出会い夫婦となった。そうしてまた人類は増え始めた。
この山が現在の男助山・女助山である。4
このように、フレイザー卿の蒐集した『大洪水説話』に取り入れられてもおかしくない伝説があった。
特に最後に挙げた岩手県雫石町南畑の創世民話――『男助山・女助山伝承』に関しては収録された岩手日報社『岩手の伝説を歩く』内でも記者によって「ノアの箱舟神話を彷彿とさせる」と触れている。
信心深く、かつ独り身の諸兄などは考えたかも知れない。
「ふむ、男助山・女助山、はなはだ素敵じゃないか。ここは一つ、さっぱりマッチングできないマッチング・アプリなど窓から投げ捨てて、それがしも男助山にでも登ってみるか。女助山の女性とマッチングできるやも知れん。由緒ある山なら縁結びも容易かろう。ふふ、それがし、それがしのイブと失楽園しちゃうぞー」と。
が、残念ながら、この両山は神話の舞台になったにもかかわらず現在において、現地ではまったく霊峰扱いされておらず信仰の対象にもなっていない。もちろんスケベ心で『縁結び』を期待するなどちゃんちゃらおかしい。悔改めよ。だいたい一人称にソレガシをつかうオタクなどはここ10年で絶滅した、とUMA本に書いてあった。5
この両山がなぜ信仰の対象にならなかったのかは定かでないが、少なくとも同町の山祇神楽保存会長の村田さんの話によれば、昭和8年頃に「男助山に金が出る!」として一攫千金を目論む山師――採掘者が集まった事があったらしい。ゴールデン・イワテである。この時、採掘関係者が安全祈願のため権現様を山に上げたことがあったらしいが、それも結局信仰対象とはならず、忘れ去られていったのだという。
岩手日報社の言葉を借りれば
「二つの山とも形が凡庸なためか、ムラにあまりにも身近すぎたためなのか、伝説だけを秘めた山となってしまったようだ」
という事になっている。低山ということも、『ありがたみ』を希釈化させる一つの要素になったのかも知れない。
諸兄らがイブのいないアダム、ボニーのいないクライド、なのはもう仕方のないことなので、潔く大洪水で飲まれる側になってほしい。
ともかくも、日本にもそれらしい伝説が残っていることは確認できた。
しかし、ロマンチストたちが言うように、これらの大洪水伝説が『ノアの大洪水』が起こった傍証といえるのだろうか?
ノアの箱舟が発見された――というニュースはこれまでいくつか伝わっているが、そのなかで最も有名なものはアララトの南に位置するドルピナー地域に現存する『船形地形』にまつわるニュースだろう。
その一方、最も真剣に扱われなかったニュースとしては、アララト山から遠く4500kmほど離れたモンゴル・ゴビ砂漠にて見つかったというケースが挙げられる。
これは1989年、ソ連の科学者チームが発見したと報じられたもので、それによれば箱舟の一部が砂漠の砂に埋れた状態で見つかり、全体の35%がほぼ完全な状態であったという。
それだけではない。なんとも挑発的なことに、その箱舟の内部に遺体――それも『トカゲ人間』レプティリアン? の雌雄と思しき白骨体が見つかったというのだ。頭部が大きいため、やっこさん高度な知性を有していたであろう――と推測までされている。
トカゲ人間がノアの箱舟とどういう関係があるのかサッパリわからないが、そういうことになっている。
しかしながら、ニュースソースが『Weekly World News』紙6ということで、信憑性は著しく低い。
ちなみにWeekly World News史観が正しければ、1977年に死んだはずのエルヴィス・プレスリーは少なくとも1993年までは生きており、意欲的に新曲を作成しているし(ちなみにWWN紙によればエルヴィスの曲は万病に効くらしい)、
暗殺されたはずのJFKも秘密裏に生存しており律儀に『自分の墓参り』をし、
リンカーンは100年以上の時を経てミイラ状態で復活。
日本においては名古屋市のタナカミユキさん(19)がエイリアンのX1431氏と二年越しの思いを実らせ結婚している。
Weekly World Newsはともかく、『船形地形』に関しては長らく箱舟探索家たちの注目を集めてきた。写真が雑誌や書籍でさんざん掲載されてきたため、『おなじみ』と言っていいだろう。
二次大戦の終結から間もない1948年5月。アルメニア地域に住むレシット・サリハンという農夫の畑が地震により隆起し、『船形地形』が姿を現した。
雪と土に埋もれ、全体像は計り知れないが、少なくとも『家屋ほどのサイズの舳先』が地面から突出していた。
このニュースをイスタンブールのAP通信社支局が全世界に向けて打電したが、この時はさほど大きな注目を集めなかった。
それから9年後の1957年にトルコ軍のパイロットにより上空から同地形が再発見される。
続いて1959年に上空から写真も撮影されたが、これも「よくある報告」としてサッパリ注目を浴びず、本格的に『箱舟探索』界隈のHOTな話題となるのは1980年代になってからになる。
1985年に、ロン・ワイアット率いる調査隊がかねてから噂になっていたアキャイラ連山の『船形地形』に到達、その実在を確認する。
翌1986年にはワイアット隊の一員であったデヴイッド・ファーソルドが同地形に再訪、分子振動スキャナーを用いた再調査の結果、「40センチ間隔で鉄の反応が見られた。おそらくは造船に用いられた釘だろう」と発表し、物議を醸した。
ノアの――神話の時代に『鉄釘』というのがオーパーツみがあって趣深いものである。ちなみに聖書には鉄釘を用いたという記述はない。
この有名な『船形地形』であるが、現代ではGoogle Mapの航空写真でその様子を手軽に確認することができる。
39°26’25″N 44°14’06″E
なるほど、たしかに船形の地形であることがわかる。
心霊写真ほどでもないが、「どこがどう船?」と首をひねる諸姉兄のため、以下に着色したモノも用意した。
なるほど船の形になっている。やや斜め気味に撮られていた『おなじみデイリー・テレグラフ』写真と比較すると、真上からの撮影写真ではやや箱舟味が薄れてしまうキライがあるものの、整った紡錘形であり、そこはかとなく船感は漂っている。
とはいえ、箱舟が漂着したと伝わるアララト山の山頂付近とアキャイラ連山は30kmほど離れている。
30kmといえば、都心霞が関から埼玉県春日部市の中央、関西で言えば大阪城公園から神戸三ノ宮の距離に相当し、やや遠い。
この距離を誤差と考えるかどうか――あるいは他の伝承では漂着地はアキャイラ連山近くだったとする話――あるいは聖書の記述は「アララトの山々」だったゆえ、漂着地がアキャイラ連山でも不整合ではない――とするか。は、それぞれであるが、個人的好みで言えば『独立峰で象徴的なたたずまい』であるアララト山にあったほうがサマになるのは確かだろう。
富士山、と言われれば、すぐさま例の山のイメージできるが、箱根山と言われても山じゃなく旅館が浮かぶ――程度の話ではあるのだろうが、やはり人類は独立峰が好きなのだ。
80年代当時は『箱舟はアララト山にあるよ派』と『いやさ箱舟はアキャイラ連山にあるよ派』で互いに主張を譲らず激しい対立が生じていた。外野から見れば内ゲバである。
だが、船形地形を擁する『いやさ箱舟はアキャイラ連山にあるよ派』は、いささか分が悪い。
ファーソルドが分子振動スキャナーにて調査する以前、それこそ20年ほど以前、1960年に同地はすでにトルコ軍の工兵隊と『LIFE』誌によって合同調査が行われており、「泥などが流れ、固まった地形にすぎない」との調査結果が出ていた。ダイナマイトまで使って景気よく掘り返したのに何もでなかったのだ。
しかし、ファーソルドの調査では
・金属を含む一定間隔の9本の線。
・巨船を構築する13本の線。
・竜骨らしきモノ。
・隔壁。
・動物を収容したのであろう金属製の檻――らしき金属。
が船形地形の地中にあるとし、「間違いなくノアの箱舟であろう」と結論づけた。それは葦をセメントで固めて作られたモノで、それが長い年月のうちに朽ちて船形地形になったのだろうと。
これが事実であるなら『いやさ箱舟はアキャイラ連山にあるよ派』の大勝利――そして世紀の大発見であるのだが、そうはならなかった。
創造論研究所(The Institute for Creation Research=ICR)のジョン・D・モリスは、くだんの発見について「なんの根拠も証拠もない」と批判した。
ファーソルドとファーソルドが属していたワイアット隊の隊長の主張にそれぞれ食い違いがあると指摘し、だいたいね――と続ける。
「だいたいね、分子振動スキャナーって何?」
なんだろう?
おそらく、読者のほとんどがなんの疑問もなく「ふむ……分子振動スキャナーか」と受け入れていたと思う。
オカクロ特捜部としても「ふむ……分子振動スキャナーか……」と、なんの抵抗もなく受け入れていた。そう、こう、なんとか波などで分子を振動させて、こう、どうにか上手い具合にスキャンする科学の最先端的なモノだろうと。分子振動スキャナー、いい時代になったものだ、と。
ここで流石という他ないのが、懐疑論者の皆神龍太郎先生である。
一見科学を装ったかのような、この「CTスキャナーと同じ」という解説を読んでから、「分子振動スキャナー」とは実はアヤしい装置なのではないかと筆者( =皆神) は疑っていたのだが、その正体が分かったのは、ファーソルドらの箱船探索に同行して撮影されたドキュメンタリー映画『ノアの箱船を求めて』( 歴史ミステリー 神々の足跡第9巻一バンダイビジュアル) というビデオを見た時だった。
このビデオの中に、分子振動スキャナーが写っていた。
分子振動スキャナーの正体は、ダウジング棒のことだったのだ!
ビデオの中で、船形地形の上に立ったファーソルドは、両手にL字形に曲がったダウジング棒を持ってあちこち歩き回りながら、棒がクルリと回るごとに「ここだ」と言って、その場所に目印の旗を立たせていた。
ビデオ内の説明では「一見、占い棒か何かのようだが」地中の分子の周波数から様々な物質が検出できる優れた電子装置である、と紹介されていた。
だが「一見、占い棒」もなにも、ファーソルドが手にしていたのは、占い棒そのもののダウジング棒であった。
新・トンデモ超常現象56の真相 P35 まじかー
科学の最先端どころか、太古の祈祷師から連綿と続く伝統的なアレじゃないか。
『Skeptical Inquirer』誌7によれば、ジョン・D・モリスも「分子振動スキャナーは、手で持って交差させた真鍮の棒を使っており、彼らは古代の占い術を採用しているように見える」とし、ファーソルドの主張や証拠には信頼に足る何者もない、とした。
むしろ最初から「ダウジングですねん、コレな、この棒で調べましたねん」と正直に言っていればまだしも、『分子振動スキャナー』などと高度な科学的調査を装って信憑性を担保しよう――という発想が実にセコい。科学者、そしてダウザー両者への侮辱である。
まんまと『科学臭』に騙された諸兄も今後は皆神先生を見習い、「怪しいぞ」の気持ちを持ってことに当たって欲しい。悔い改める良い機会である。
船形地形についてもジョン・D・モリスは自然造形物つまりは「岩と泥流に押し上げられてできたものであることは明らかである」とし、バッサリ切り捨てている。8
そうして全くの信用を失ったファーソルドであるが、『Az』誌によれば、後に彼は自らの体験談をまとめ『The Ark of Noah』というタイトルで出版した。が、どうも宇宙人までが登場するエキサイティングな内容だったため、真面目な箱舟研究者たちには相手にされなかったようだ。9
かくして『船形地形』は船の形状に見える自然構造物である、と考えられ、『いやさ箱舟はアキャイラ連山にあるよ派』は表舞台から姿を消した。
少なくとも、ネタバレを含まず「ファーソルドの調査で、地中に鉄が見つかり――」と書いてある書籍やサイトがあれば、それは調査不足か欺瞞のいずれか、あるいはその両方であり、信用に足らないと判断するひとつの材料にはなりそうだ。