椋平は虹を見たか――地震予知に捧げた人生

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にじのおぢさんは虹を見たか

キリスト教の牧師で童話作家として知られた沖野岩三郎は、椋平のひたむきな研究姿勢に心を打たれ、椋平自身に取材を重ねた上で、事実に基づく伝記童話として『にじのおぢさん』を上梓した。
だが本当に全てが事実なのだろうか?

諸兄らもコミケや二次創作、二次元美少女にひたむきな姿勢で向き合う『二次のおぢさん』であるのだが、子供に聞かせられる話ではないので、それはいい。

前ページで触れた『宮本論文』で否定されて以降、椋平は表舞台から姿を消していた。

それでも支援者は多く、研究の火は消えていなかった。支援者の元には椋平から地震予知の手紙が届き、そのたびに的中するので支援者としては『科学界から黙殺されている』といった印象もあった。

1970年。昭和45年9月3日。
朝日新聞に載ったある投書から、椋平は再び脚光を浴びることとなる。
それは
「金をつぎ込んでいるワリには、全然地震予知について研究が進んで居ないじゃないか。この際、在野の研究家の意見も採り入れろよ無能」(毎日新聞S45.9.3) というモノで、コレをキッカケにして市民からの同趣旨の投書が相次ぎ、椋平も久々にその名が紙面に載ることとなった。

このとき、毎日新聞にコメントを求められたのは京都大学阿武山地震観測所の所長で地震学者の三木晴男だった。

三木はいわゆる『宏観異常現象』に対し、否定的なコメントを出した。

だが三木自身、「良くも知らないで一方的に評して良いものか。果たしてこれが科学者として正しい立場なのか」と自問し、20年前に出された『宮本論文』に目を通した。そしてそこで目にした『的中率25%』に興味を持つ。
宮本貞夫が寄稿した『椋平虹が地震と直接的関係なき証明』から、的中率に関する考察。画像出典:椋平虹が地震と直接的関係なき証明

宮本貞夫が寄稿した『椋平虹が地震と直接的関係なき証明』から、的中率に関する考察。
画像出典:椋平虹が地震と直接的関係なき証明


86%が25%となった落差に目を奪われがちだが、顕著地震25%というだけでも充分に凄いじゃないか。(註:顕著地震238回中59回)
というワケで、三木も椋平に興味を持ち、宮津まで出向いている。
そしてその対面から間もない1970年9月29日。瀬戸内海で小さな地震が起こる。

地震の翌日、三木の元に椋平からの葉書が届いた。もちろん地震を予知したモノで、消印を見れば地震の前日に投函されていた。

つまり、見事的中というワケである。

そして間を置かず三木の元に手紙が届く。その中には『地震予知的中証明書』なる一枚の紙が入っていた。その用紙には地震の起こった日時や場所などが清書されており、三木の肩書きや名前まで書かれている。あとは三木自身が捺印するだけ、という状態だった。

ハンコを押せば地震学者の三木晴男は、予知に立ち会った証人――という事になる。

椋平はこのような証明書を『的中』のたびに発行し、地震予知における信憑性の担保としていたようだ。
だがこの地震予知的中証明書は三木に疑心を生じさせる結果となる。

「なんだか胡散臭いぞ、これは。なんだか、ハンコ押したくねぇよ」と。

三木は再び椋平の元へとおもむき、葉書や電報でなく、虹が観測できた直後に電話で報告してくれないか、と要求した。

だが、椋平はこの要求に耳を貸そうとはせず、その一切を拒絶した。
電話など面倒な事はしない、葉書で証明できているではないか――さっさと証明書にハンコを押せ――。

だが三木の疑心は晴れなかった。たしかに消印を見れば、地震の前に投函されたことはわかる。だが、葉書には数日のタイムラグがある。それならば起こる前に電話で知らせてくれれば、なにかと有用であろうに――。なにかカラクリがあるのではないか――。

ここで、1人の男が立ち上がった。「カラクリを見つけるのは学者には難しかろう。それをやるのは我々ジャーナリストの仕事だ」と。

男の名は横山裕道。のちに毎日新聞科学環境部長、論説委員を務めることとなる、理学部出身の新聞記者だった。

横山は宮津におもむき、新聞記者らしく足で聞き取り調査を行った。予知葉書を受け取ったという支援者を訪ね、根気よく情報を集めた。

そこで幾つかの事実が浮かび上がることとなる。

届いた葉書の消印は地震の前であるが、葉書が届くのは必ず地震の後であること。葉書が届く前に、付近で椋平の姿が目撃されていること。時には葉書が届く前に椋平自身が訪ねてきて「葉書は届いていないか?」と家人に直接聞く。家人がポストを確認してみると、的中葉書が届いている。郵便配達が来る時間でもないのに、だ。
晩年の椋平廣吉。1992年に亡くなるまで地震研究者として虹の観察を続けた。享年89歳。画像出典:驚きももの木20世紀

晩年の椋平廣吉。
1992年に亡くなるまで地震研究者として虹の観察を続けた。享年89歳。
画像出典:驚きももの木20世紀


これは、とても怪しい。横山は何かあると睨んだ。

そして、届いた葉書をじっくり――注意深く観察してみて、ふとあることに気がついた。

葉書の宛先の部分だ。そこにうっすらと消した痕跡が認められた。

この発見により、点と線が繋がった。

椋平は鉛筆などを宛名書きに使用し、自分宛に毎週ないしもっと短い期間で定期的に葉書を出していた。そして、新聞などで大きな地震を知ると、その日付けの前日、前々日あたりの葉書を取り出してきて宛先を書き換え、自分で直接届けていたのだ。と。

これを毎日新聞がすっぱ抜き、疑惑が確信へと変わった。『椋平はインチキだ』と。
椋平の驚異的な的中率の多くは葉書のトリックによって成り立っていた――と。

かくして椋平の地震研究者――予知者としての名声は地へ落ちた。
幾つかの謎を残したまま。


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ふるえるかハート。揺れるほどビート。

我々に地震の予知予言は可能か?
可能である。

たとえば、『「地震予知」の幻想: 地震学者たちが語る反省と限界 』2012年のデータを元にすれば、日本では震度4以上の地震が1年に81回、つまり4日半に1回の割合で起こった。
体で感じるか感じないかという範囲まで観測を拡げると、震度1以上3139回。M(マグニチュード)3.0以上は10204回、M4.0以上なら1604回。
つまり、以下のようになる。
「明日、東北地方で地震があります」
と予知すればほぼ確実に当たる。もっともらしく、何らかの観測データを示した上で、時期や場所を絞り込んだ形で、
「一週間以内に関東地方でM5以上の地震が起こる」
とする予知であっても、内容を統計的に考えると当たって当然の予知だ。さらに限定した形で、
「5月10日からの一週間で、茨城県沖でM6の地震が起こる」
と予知して5月20日に千葉沖でM5の地震が起きたら
「規模や場所に誤差はあったが、ほぼ的中した」と主張するかも知れない。
千葉県や茨城県沖は地震が多い場所であるからランダムに予測しても地震が起きる可能性は高い。

これをして、オカルトクロニクルとしても上記のメソッドを使用し地震予知サイトとして再出発を期そう――寄付金なり上納金を荒稼ぎして左団扇で暮らそう――かと考えたが、スレきった諸兄らは騙されないであろうし、あまりお金持ちでもなさそうだしで止めておく。

冗談はともかく、正しい意味で考えたとき、地震予知は不可能だ。
皮肉なことではあるが、前述したとおり地震学の発展と共にその難しさが浮き彫りになってきた。

『起きそうな場所』はわかる。『起きている周期』もわかる。だが、次にいつどれほどの規模の地震が起きるのか、様々な要素が複雑に入り組み明言のしようがない。
ゆえに、『地震予知』を謳う者は、どれほど科学的な装飾をまとっていようと例外なくインチキかペテン、あるいは霊能力者、ないしその全部である。

以下のようなサイトは顕著な例だ。

mukuhira009a

訴訟トラブルを避けるためサイト名は伏せさせていただくが、見事に予言を外している。

しかも、故宜保愛子先生の弟子の美月先生に教えて貰ったものを有料で人に教える――という、なんだか人のフンドシを幾重にも借りたビジネスモデルになっている。そして外している。誰のフンドシが悪いのかわからない。
人間は恥というものを知らなければね。

『大地震に生き残るには守護霊のパワーアップが必須! 20万でパワーアップ実施中!』

と、あるが自分だけ生き残ろうなどという浅ましい性根の者を助けるなら、それは守護霊ではなく悪霊の類であろう。だいたい20万でパワーアップって、車か。

この『霊視による地震予知 日本霊能者連盟』のようなサイト――あっ、名前出してもた! ともかく、このような一線を踏み越えたサイトは、基本的にゴテゴテとした下品な色遣いで、フォントも一時期のテキストサイトのごとく大小おり混ぜるので、見にくいったらない。一見してソッチ系だとわかるのは便利だが、商売でやるなら改善すべきである。
画像上:八戸測候所で専門家によって観測された光学現象。画像下:椋平虹の形状。a-関東大震 b-相模強震 c-中国強震 d-伊豆大震 e-奥丹後烈震 f-相模強震 g-但丹大震 h-三陸大震 i-埼玉強震 j-台湾強震 k-紀伊強震 l-仙台強震 m-二重性虹 n-向灘強震 o-後虹。円形、虹霧虹、環水平アーク、環天頂アークなど様々な光学現象があり、個人的には見分けられる気がしない。 画像出典:On the So-called Mukuhira’s Arc as the Foreshadow of an Earthquake

画像上:八戸測候所で専門家によって観測された光学現象。
画像下:椋平虹の形状。a-関東大震 b-相模強震 c-中国強震 d-伊豆大震 e-奥丹後烈震 f-相模強震 g-但丹大震 h-三陸大震 i-埼玉強震 j-台湾強震 k-紀伊強震 l-仙台強震 m-二重性虹 n-向灘強震 o-後虹。
円形、虹霧虹、環水平アーク、環天頂アークなど様々な光学現象があり、個人的には見分けられる気がしない。
画像出典:On the So-called Mukuhira’s Arc as the Foreshadow of an Earthquake


上記のような有象無象の心霊地震予知家はさておき、『宏観異常現象』はどうだろうか。

・地震雲

・発光現象

・太陽あるいは月の暈

・通信機器の異常

・動物の異常行動

・ナマズが騒ぐ

・鶏が騒ぎ始める

・日中カラスの大群

・井戸水の水位の急激な変化

・夕焼けや朝焼けの空の色が異常

など様々な事象が地震と結びつけられているが、現時点でどの事象も因果関係を証明されていない。

オカルトクロニクルとしても地震を予知して荒稼ぎしたいので、『誰でもわかる地震雲』的な書籍を数冊読みあさったが、結局どれが地震雲なのかわからなかった。誰でもわかるって言ったじゃん!
googleの画像検索で『地震雲』を検索すればズラッと出てくるが、その幾つかは飛行機雲に思えてならない。

一つ一つ説明すると冗長になるので宏観異常現象に興味のある諸兄には『前兆証言1519!―阪神淡路大震災1995年1月17日午前5時46分』をオススメさせていただく。

これは地球環境情報学者、大阪市立大学名誉教授の弘原海清氏による書籍で、阪神淡路大震災の際に目撃された宏観異常現象をアンケート方式で収集、収録したモノである。前述した様々な現象がほとんど報告されている。

1519にものぼる報告の中で、ひとつ、興味深いモノがあったので引用させていただく。

3.人間-41 当日午前0時半頃、2歳の幼児が突然「エライコッチャ」と言った。 地震当日の午前0時半頃、生後2歳5ヶ月の長女が突然「エライコッチャ、エライコッチャ」と大きくはっきりわかる声の寝言を言いました。普段娘の寝言など聞いたことがなかったのでビックリしました。(川西市・男)
ワロタ

イツカ ドコカデ ジシンアル オカクロ

藤原咲平教授はこう言った。
「しかしね、何かあるだろう。何かあるような気がしないかね?」
宮本貞夫は否定的な論文を発表した際、こう呟いた。
「1人の男が人生をかけて、こつこつと40年近くやってきた研究を否定するには7年かかりました」

「良くも知らないで一方的に評して良いものか。果たしてこれが科学者として正しい立場なのか」 椋平虹を追いかけた最後の科学者である三木晴男は、そう自分に問いかけ、椋平にそっぽを向かれたあとも撮影機材に予算を投入し、様々な角度から椋平虹を証明ないし解明しようとした。そして三木自身は最後まで世間の笑いの種になった椋平研究を嘲笑することはなく、晩年、こんな事を言った。
「結局何にもならなんだ、いうことですけどね。だけど、研究ってそんなモンです。だから上手くいかなかったからって、恥じゃないと思います。それ専門の学者が笑うべき事ではない」
そして、最後まで沈黙し続けた志田順。

様々な科学者が通り過ぎていった。
少なくとも、彼らには椋平への『敬意』があった。長年、コツコツと一つの研究に打ち込んだ研究者として、畏怖の念すらあった。
三木晴男は初めて椋平に会ったときの事を以下のように書き残している。

「彼は窮乏の中でその七十年の人生を地震予知に賭けてきた。
職業上の特権で便宜を受け、そのことによって生活している私に、彼の存在は威圧感を伴って迫ってくる。
地震予知について自分が無能なら、少なくとも彼の提言にまともに対処するべきではないか」

椋平は89年の人生において、実に72年を自らの名を冠した虹の研究に費やした。
『インチキだった!』と大きく報じられて以後も、朝夕晩と毎日宮津湾へ出向き、何も変わらず死ぬまで観測を続けた。

気象学者の根本順吉は、やはり何かあったのではないか、という。
「初めは何かを見つけたと思うんです。ところが、初め見つけたやつが当たり出すと、こんどは『当てなきゃいけなくなる』。最初は何かあったんだ。きっとね」
たしかに、有名になって以後の椋平は『予知的中』にこだわっていた様子がうかがえる。好意的に捉えれば、インチキを行ってでも、信憑性を担保したい――そんな気持ちがあったのかも知れない。
トリックを暴かれて以後、誰も注目しなくなって以後も20年観測を続けていた事に、得も言われぬ凄みを感じさせる。

そして、トリックでは済ますことの出来ない事実も残っている。
昭和5年11月26日午前4時ゼロ3分。北伊豆地震の電報は、確かに前日に打たれていた。これにトリックの介入する余地はない。

そして北伊豆地震で有名になる以前
「アス アサ カントウ ダイジシン アル」
と地震学会の権威東大の今村教授に宛てて打たれた『関東大震災を予知した電報』。残っていれば物的証拠になるであろうそれは、理学部の事務所が火事になったため消失した。これには「実は電報を送ったという事実はなく、火事を知った椋平の創作なのではないか」という懐疑的な見方もあった。

だが、これの真偽を藤原咲平教授が追うと、電報が届いたと思われるその日の午後1時半頃、問題の電報と思われるモノが確かに配達されていたことがわかった。
天橋立局も受信局も、一定期間を過ぎた情報は破棄しており、その内容までは知ることはできなかったので真相は闇の中ではある。

北伊豆地震の予知を「偶然である」とする立場に立てば、幾つかの事実を引き合いに出すことになる。
以下は東大の今村教授による指摘だ。

予知された北伊豆地震が起こる前、伊豆地方には2週間前から中小規模の地震が起こっており、その時間も午前4時から6時までの間だった。 25日にはそれがより頻繁化しており、伊豆在住で地震についての見識を持っている者なら、予測し得たかも知れない。要するに、伊豆地方の地殻運動の情報、連発地震の統計的分布、前日の頻発ぶりを知っている人で、地震学の若干の知識を有していれば椋平青年たらずとも予知できたろう――という。

『椋平遠く京都府宮津にあって、伊豆の頻発地震を知っていた』という事実が証明されない以上、デバンキングの足がかりとしては弱い。
ともかく、地震学の権威は、以上の主張をもって、「椋平は心霊野郎である」とした。
今村教授がオカルト予知を闇に葬るため、東大に届いた『関東大震災を予知した電報』も闇に葬ったのだという主張もある。
一方の藤原“先生”咲平は、オカルトにも寛容だったようで、例の『千里眼実験』にも一科学者として参加している。科学者も十人十色である。


1995年1月16日。
椋平虹が観測できるとされ、実際に椋平も滞在した和歌山県田辺市の海岸で、一枚の写真が撮られた。

鈴木優二氏の撮影した椋平虹らしき虹。氏は長年勤めた会社を退職後、第二の人生を虹研究に捧げるため東京から和歌山へやってきた。

鈴木優二氏の撮影した椋平虹らしき虹。氏は長年勤めた会社を退職後、第二の人生を虹研究に捧げるため東京から和歌山へやってきた。


この写真が撮影された翌日、1995年1月17日。阪神淡路大震災が起こった。

写真を撮影したのはアマチュアの地震虹研究家である鈴木優二氏だ。
鈴木氏自身、これが必ずしも宏観異常現象とは考えておられず、「わからない」とあっけらかんと評している。ただ「地震と関係ある『かもしれない』――でもわからない」と屈託ない笑顔で取材に応えている。

『根気よく眺めていると言うことは、自然法則発見に対する有力な態度である』 そんな藤原教授の言葉は今日もこうして実践されている。

椋平が全人生を賭けて見上げた空に、椋平虹はあったのか。
それは当時も今も、誰にもわからない。ただ宮津湾から老人の姿は消えた。

虹と地震に因果関係はあるのか。それもまだわからない。

北伊豆地震から85年。『かもしれない』を追いかけて、今日も多くの人が空を見上げている。

 
■参考資料アスアサ四ジジシンアル―ドキュメント・“椋平虹”の挑戦 (1975年) (Mint books〈1〉)虹のをぢさん日本人は知らない「地震予知」の正体「地震予知」の幻想: 地震学者たちが語る反省と限界「地震予知」にだまされるな! 地震発生確率の怪前兆証言1519!―阪神淡路大震災1995年1月17日午前5時46分地震雲による地震予知ガイドブックと、その予知例集 (1981年)ミステリーゾーンを発見した (ワニの本)地震雲を追いかけて―あなたも地震を予知してみようわかりやすい地震雲の本―これであなたも大地震を予知できる地震の前、なぜ動物は騒ぐのか―電磁気地震学の誕生 (NHKブックス)On the So-called Mukuhira’s Arc as the Foreshadow of an Earthquake(所謂椋平虹について):藤原咲平椋平虹が地震と直接的関係なき証明昭和15年十一月18日紀伊南部强震調査各地方に於ける椋平虹A型の俗稱日本の地震予知研究130年史: 明治期から東日本大震災までフライブルグの宿―科学と文学 (1954年) (朝日文化手帖)京都の教育 (19)週刊読売 35(28)(1448) サンデー毎日 55(46)(3040)地震予知47年間のトリック週刊ポスト 7(31)(311)近代消防 38(3)(464)人の噂 2(1)宝石 4(10)文芸春秋 31(16)驚きももの木20世紀:虹で地震を予知した男 ~それは科学なのか…?宏観異常現象霊視による地震予知 日本霊能者連盟

■他資料Playboy 1974.6.4世界の超常ミステリー―地球には謎と不思議がいっぱい! (ワニ文庫)月刊ムー No025 1982-12 P87
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