それはどんどん濃くなって、やがて吐き気を催させる。
ある人は嘔吐し、頭痛にのたうち回り、ある人は意識不明に陥り人工呼吸で蘇生された。
目撃者は言う。全身黒ずくめの不審者がいた。騒ぎの直後に去っていった。窓の外にいた。
人々を毒ガスで襲った夜の徘徊者――マッド・ガッサー。
怪人、狂人、ご用心。
甘い香りは危険な香り
1944年、世界は混乱の中にあった。第二次世界大戦はますます戦火を拡げ、海も空も陸も赤く燃えていた。
日本は悪名高いインパール作戦を実行に移し、連合軍はノルマンディーに上陸、太平洋では謎の魔女『東京ローズ』の扇動的な言葉がラジオから響いていた。そんな時代の話だ。
そんな賑やかな時代の片隅に、静かな夜があった。
場所はアメリカはイリノイ州、閑静な住宅地が広がるマトゥーンの町。
9月1日、午後11時すぎ、この住宅地の夜のなかでバート・カーニー夫人は息苦しさに目を覚ました。
寝ボケた頭にも、息苦しさの『原因』はすぐにわかる。匂いだ。
むせかえるほどの甘い匂い。
これはなんの匂いかしら、夜風とともに窓から花の匂いが?
と考えたその時、カーニー夫人は突然の嘔吐感に襲われ、次の瞬間には下半身が麻痺し始めたのを感じた。
なにが起こったのか、なにが起きているのか、まるでわからない。
カーニー夫人はパニックを起こしながらも助けを呼び、その叫びを聞いた妹マーシャが飛んできた。
やはりマーシャもその甘い匂いに顔を歪めた、なんだこれは。
異変を察したマーシャはそのまま隣家へ走り、隣人のアール・ロバートソンによって警察へ通報がなされた。
その後、カーニー夫人の夫であるバート・カーニー氏が深夜12時30分に帰宅した際、家の窓辺に不審者がうごめいているのを目撃している。
不審者は窓から家の中をのぞき込んでいたがバート・カーニーに気付いてすぐに逃げ出した。
この時はまだバート・カーニー自身が『攻撃』があったという事実を知らなかったため、しつこく追いかけることもなく取り逃がした。
目撃したカーニー氏の証言によると、不審者は背の高い男で、全身をすっぽり黒衣に包み、ぴったりフィットした黒帽子をかぶっていたという。
ガス攻撃を受けた後、カーニー夫人は唇と喉に燃えるような苦痛があると訴えた。そして、これは『毒ガス』の効果に違いないと考えられた。
この出来事は翌日新聞によって報じられ、マトゥーンの町ではちょっとした騒ぎになった。
だが当初、その『奇妙な攻撃』は強盗による犯行という見方が大半を占めていた。
ちょうど攻撃にあった夜、カーニー家には大金が置かれており、夕方にはカーニー夫人がそれを数えていた。
たまたまその大金を目撃したであろう不逞の輩が金目当てに襲ってきたのだろう――そう考えられた。
だが、違った。
カーニー家への攻撃が行われた9月1日の夜に、他の場所でも状況の酷似した事件が起こっていた事が明らかになった。
どれも、甘い匂いに始まり――嘔吐感と痺れ、めまいが起こるというカーニー夫人の証言と同じ経過を辿っていた。
同じ夜に被害を受けたのはカーニー家から1㎞ほど離れたプレイリー・アベニューに住むライダーファミリーだ。
チャールズ、アン・マリー、ジョー、そして別枠で匿名の女性も子供と一緒にいるときに被害にあった。
被害者たちは何らかのガスによる攻撃を受けたに違いないと警察に訴えたが、襲撃者についてはハッキリと説明することができず、現場には手がかりも残されていなかった。
警察としても首をひねるしかない。
なんだこれは。
様々な噂が錯綜する中、次の事件が起こる。
最初の事件から4日後の9月5日、午後10時のこと。
北21番通りに住むカール&ビウラ・コーデスが帰宅したところ、裏口へと続くポーチ(註:アメリカによく見られる屋根のある玄関。ベランダの一形態)のあたりに妙なモノが落ちていた。
それは白い布で、男性用ハンカチほどの大きさだった。
ビウラ・コーデスはそれに歩み寄り、拾い上げた。
そのとき、ビウラはその布が『水ではない何かしらのもの』で浸されている事に気付いたが、気付いたからこそ本能的な動作でそれを鼻先に寄せ、嗅いだ。
その時のビウラを襲った症状が、本人の証言として残っている。
「布から臭気を吸入したとき、私は高圧電流に触れたかのようになりました。それに伴って麻痺するような感覚が体内で駆け回り、私の膝に集中しました」『Fortean Times:In Search of the Mad Gasser』よりBeulah Cordesの証言
彼女の顔は急速に膨れあがり、唇と喉に焼けるような感覚を覚え、同時に嘔吐感に胸を焼いた。
そしてやはり下半身に部分的な麻痺が訪れる。
この被害状況が知れ渡ると、住民たちは恐れおののいた。
「これは連続毒ガス攻撃だ!」
そして、目に見えぬ襲撃者に様々な『通り名』がつけられた。
『ファントム麻酔医』や『麻酔徘徊者』
そして『マッド・ガッサー』
マッドガッサー・オブ・マトゥーンの誕生である。
ビウラは取材に対して、「布は意図的にあの場所に置かれたのだと思う」と答えている。
ちょうど、布が置かれていたその場所は、普段彼女の飼い犬が眠っている場所だったため、マッド・ガッサーが飼い犬を殺すために布を設置したのだとビウラは断じる。
コーデス家に侵入する際、邪魔になるであろう番犬を排除するため――。
そしてビウラ・コーデスの一件では、いくつかの『証拠品』が発見された。
まず、犯行に使われた布。
それに加えて使い古された合鍵。
そして使いさしの大きなリップスティック。
これらがコーデス家のポーチに隣接する歩道から見つかったが、これらが犯人の遺留品なのか、そうでないのか、この時点では何も判明しなかった。
ビウラ・コーデスが攻撃された同日深夜、もう一つの事件が報告されている。
ビウラの家から800メートルほど離れた北13番通り、レナード・バレル夫人宅だ。
彼女は「窓から見知らぬ者が侵入し、私を毒ガスで殺そうとした!」と報告した。
この時点で、マトゥーンの町は恐慌をきたしていた。
正体不明の怪人が、ガス散布用のフリット銃を手に、夜な夜なうろついている!
ターゲットは、何の罪もない人間!
明けて、翌日9月6日。
不可解な事件ということもあり地元警察が上手く対応できず、市民たちの中には自衛のため武装する者もでてきていた。
事件に対する様々な懸念が急速に事態を悪化させていた。
戦時下ということで、男手のない家庭もあった。
婦人方と子供にできる対策は、なるべく出歩かないこと、きちんと戸締りをすること。その程度しかなかった。
一時は警察が住民たちに住宅地から避難するよう声明も出したという。
そして、この9月6日の時点で、ようやくFBIが捜査に乗り出している。
広域事件でもないのに、事件発生から一週間も経たずにFBIが乗り出してくる――このアクションの速さが当時の混乱を良く物語っている。
だがFBIの登場をあざ笑うかのように事件は続く。
その日、9月6日の夜には6件にも及ぶ事件が発生したのだ。
被害者、目撃者は総数にして8人。やはり『毒ガス攻撃』だった。
9月7日には被害者であるフランシス・スミス婦人によって『細くあがる蒸気のような青い煙』と『機械が唸るような音(buzzing sound)』が報告され、網戸が裂かれた家もあった。
町全体を恐怖に陥れながら、マッドガッサー騒動は9月13日まで続く。
地元警察には通報が相次いだが、イタズラはもちろん誤報も多く、警察は「大部分が、恐怖心に起因した被害妄想による」として、通報に対してのプライオリティーを下げた。
そして、9月13日、バーサ・バーチ婦人が襲撃され、「マッド・ガッサーは男装をした女性だった」という目撃報告を最後に、マッド・ガッサーは忽然と姿を消した。
調べてみると、『最初の攻撃』だと考えられていたカーニー家への9月1日の事件以前にも攻撃があった事実が浮上する。
『マッド・ガッサー』という通り名がつけられる数ヶ月前に2名、8/31の夜に1名の被害者がいたという事実が判明する。
人々はゾッとした。
何の目的があって、何の必要があって、我々は攻撃されているのか。
だが、不可解にも攻撃はやみ、マッド・ガッサーは消えた。
前触れもなくやってきて、前触れもなく消えた。
正体も、目的も、意図も、なにもかもが解らないまま、消えた。
あるいは、目的を果たしたのではないか?
だが有識者は言う。
このような事件は、1944年だけに起こったモノではない、と。
「マッド・ガッサーはやって来たのではない。戻って来たのだ」と。
sponsored link
マッド・ガッサー・ビギニング
時はマトゥーンでの一連の事件が起きる11年前まで遡る。
1933年。世界は熱狂の中にあった。
ドイツではアドルフ・ヒトラーが民衆の支持を背景に首相指名を受け、キューバではクーデターで軍事政権が発足し、アメリカ・シカゴでは万国博覧会が催されていた。
良くも悪くも人々は拳を上げて、何かを叫んでいた。
そんな時代の静かな夜、バージニア州ボテトートで奇妙な事件が起こった。
クリスマスも近い12月22日のこと、ヘイマーカー・タウンに住むキャル・ハフマン夫妻がリビングで談笑していると、窓の隙間からガスが立ちこめてきた。
それは甘い香りで、最初は心地よく感じられたが、ハフマン夫人はすぐに吐き気を催した。
しばらくして甘い匂いは消えたが、夫人は立っていられなくなりベッドルームへゆき、一方家長のハフマン氏は警戒を強めリビングに待機していた。
――なんだこれは、何かおかしい。
そして30分ほど経過したころ、またガスが漂ってきた。
この『甘いガス』の危険性を察知したハフマン氏は、すぐに家族を連れて家を出て、地主であるK・W・ヘンダーソンの家に駆け込みそこで電話を借りて通報した。
そしてヘンダーソン家の息子アシュビーを伴って自宅へ。
――これは何が起こっているか、突き止めねばならない。
ハフマン氏が自宅へ戻ると、ちょうど警官のレモン巡査が来ていた。
ハフマン氏は安全を確認してから妻と子供たちを家の中に避難させ、アシュビーとレモンと3人で家の周囲を一晩じゅう見はることにした。
だが夜半を過ぎた頃、パトカー無線で呼び出されたレモン巡査が他の現場へ行ってしまうと、それを待っていたかのようにハフマン家に対しての『攻撃』が再開された。
家中に異臭が充満し、ハフマン家の子供たちはもちろん、助っ人にかり出されていたアシュビー・ヘンダーソンも吐気、頭痛、喉の筋肉の圧迫感に襲われた。
19歳になる娘アリス・ハフマン嬢はガスを吸引したせいで意識不明に陥り、人工呼吸によってなんとか蘇生したが、その後数週間は激しい痙攣症状を主とする後遺症が残ったという。
事件後、警察のサポートをするため現場を訪れたW・N・ブレッキンリッジ医師によって科学的調査が行われ、催涙ガスとクロロフォルムらしきものが検出されたが発生原因は不明とされた。
この日、12月22日の夜だけでハフマン家は3度におよぶ襲撃を受けたことになるが、この3度目の襲撃の際、ハフマン氏とアシュビーが、現場から逃げてゆく筋肉質の人影を目撃している。
そして、ハフマン家の窓の下からはレモン巡査によって『女性用の靴の足跡』が発見され、事件は人為的なモノと判断された。やはり攻撃だ。
女性用の靴を履いた筋肉質の人物。
なんだか、奇妙な感じがするがそれを深く考える時間も検証するヒマもなく、次の事件が起きる。
不穏な空気の中で迎えたクリスマス・イブ。
午前9時頃クラレンス・ホールは彼の妻と2人の子供を連れて礼拝から帰ってきた。
家に入ったとたん、強烈な甘い匂いとともに吐き気が襲ってきた。
そしてやはり、ホール家の者たちも、ハフマンファミリーと同じ症状に見舞われた。
警察の調べによれば、ガスの濃度が高かったと思われる場所の釘が引き抜かれており、『攻撃者』はそこから毒ガスを注入したのだろうと考えられた。
他にも似たような事件がこの時期に集中した。
結局、1933年の年末から、翌年1934年の2月まで二ヶ月近くボテトートの住民たちはガス攻撃にさらされ続けた。
2月までに『女性の足跡』が多く見つかり、被害者の症状もマトゥーンの時と同様に吐き気、頭痛、顔の膨張と口と喉の筋肉の収縮が報告されている。
興味深い証言をあげれば
・攻撃された時、1933年式の怪しいシボレーが家の前に停まっていたよ。
・攻撃される前に窓のブラインドの向こうでブツブツ何かを呟く声を聞いたよ。
・ガス発生後、急発進して行く車をみたよ。中にはひと組の男女が乗っていたよ。
・なんか、怪しいヤツがいたので、すかさず発砲したよ。逃げられたけど。
などがある。
そして、ジェローム・クラークの『Unexplained! Strange Sightings, Incredible Occurrences and Puzzling Physical Phenomena』によれば、ロアノーク郡リディアでは被害者の家の付近で変色した雪が発見されている。
その雪は甘く匂い――なにやら油性物質が付着していた。
怪しんだ警察がサンプルを採取して分析してみると硫黄、ヒ素および鉱油を含んでいた。
当局は、これをして殺虫剤残留物の可能性を指摘したが、特定には至っていない。
雪には足跡も残っていた。
足跡は家から納屋まで続いており、やはり女性のモノだった。
後に起こるマトゥーンの事件と同じく、人々は目に見えぬ襲撃者に怯え、自警団を結成したり武装したりしている。
愉快犯や模倣犯の犯行もあったが、ボテトートで『真のマッド・ガッサー』が関与したとおぼしき事件は14件にのぼっている。
そして1934年2月9日。発見された雪上の足跡を最後に犯行は止まり、ボテトートに静かな夜が戻った。
マッド・ガッサーは消えた。
ここでも、前触れなくやってきて、前触れなく消えた。
そして11年の月日が経った1944年。
ヤツは町を替え、再び現れた。
戻ってきたのだ。
その日、人類は思い出した。
怪人にウロつかれていた恐怖を。毒ガスに怯えていた屈辱を。
一連の事件はいまだ未解決になっており、現在でも様々な憶測が飛び交っている。
真面目なモノから荒唐無稽なモノ。様々な憶測、様々な説、様々な犯人像。
それらのどれかは正しいのだろうか?
次ページでは明かされなかった容疑者の秘密と、事件の真相に迫ってみよう。
12