万病を治すルルドの泉 認められた奇跡

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少女は四つんばいになって洞穴の奥へと進み、染み出していた泥水を手にすくった。そして言った「“あの方”がそうしろとおっしゃった。泉の水を飲み。洗え、と」そして指示に従った者たちに奇跡の治癒が起こる――。薪拾いの少女ベルナデットを導いた『白い貴婦人』は何者だったのか。

バチカンが認めた奇跡。その始まり。

現在のルルド。巡礼者の行列が絶えない。

現在のルルド。巡礼者の行列が絶えない。


1858年2月11日。リンカーンが大統領に選ばれる二年前。世界は良くも悪くも活気に満ちて、来るべき新時代の足音を人々の横耳に聞かせていた。
しかし、事件が起こったのはそんな時代の活気とはほとんど無関係な南仏の寒村だった。
スペインとの国境に近いフランスはルルド。

その日、3人の少女が薪拾いの仕事をしていた。のちに有名となるベルナデット(ベルナデッタ)・スビルー、その妹のトワネット、スビルー家の隣に住むジャンヌ・アバティー。

ベルナデット・スビルー

ベルナデット・スビルー


彼女らは燃料となる薪と、細工物の材料となる動物の骨を捜して山中をうろついていた。山中を行き来するうちに、やがてマッサビユエの川辺で奇妙な現象が起こった。

川と川が合流する地点、そこは岸壁が切り立っており、その岸壁には大小ふたつの洞穴があるといういささかに気味悪い場所だ。
妹と隣家の少女が川の対岸へ渡ってしまい、体の弱かったベルナデットは1人取り残されていた。
――喘息が酷くなっても困る。

周囲の木々がざわめきを聴かせる。だが風はない。
何の音かと周囲を見回すと、奇妙なモノが視界に入った。

岩壁にあいた大小の洞窟、下の洞窟は大きく、上の洞窟は小さい。その上の小さい洞窟に白い服を身にまとった女性が立っているではないか。

マッサビユエは村から遠く離れた場所だ。人がいるなんて奇妙なこと。それに純白の衣――。

その貴婦人が何者か解らないままベルナデットはポケットのロザリオを握りしめていた。
この最初の出会いにおいて、『白い貴婦人』は聖母マリアと表現されていない。だがベルナデットはなにか神聖なるものを感じ取った。
一方で同行した2人はこの貴婦人を目撃していない。

湧きだした奇跡

現在ではベルナデットが貴婦人を目撃した地点に聖母像が置かれている。

現在ではベルナデットが貴婦人を目撃した地点に聖母像が置かれている。


最初の目撃からベルナデットは魅入られたかのように洞窟へ通い、半年ほどで18回『白い貴婦人』と会った。

ベルナデットから最初に目撃を聞かされた両親はその現象を訝り「もう洞窟へ行ってはならない」と念を押したが、ベルナデットはその言いつけを守ることができず、洞窟へと足繁く通う。

「なんだか、面白いことが起こっている」という噂が瞬く間に近隣へと伝わり、出現後2週間足らずで見物人は8000人を越えたという。

そして2月25日に現れた貴婦人は、ベルナデットに言った。
「泉の水を飲み、洗いなさい」
ベルナデットは洞窟内に這い入り、湧いていた赤褐色の泥水をすくい、飲んだ。
顔を泥まみれにしたベルナデットに対し、見物に来ていた群衆からはヤジが飛んだ。
泥水があふれる穴にペラールという婦人が棒を差し込むと、一気に水量が増し、水も美しく澄んだそうだ。

wikipediaに奇跡が数例載っていたので以下引用
最初の奇跡
3月1日、ルルドから7キロばかりはなれたルバジャックの村にカトリーヌ・ラタピという女性が住んでいた。妊娠9カ月の身重であったが、自分にも理解できない心のうながしに従って、二人の子供の手を引いてルルドにやって来た。カトリーヌは、以前木から落ちて腕を脱臼し、長い間医者にかかったが治らず、右手の指が曲がったまま動かず感覚もなかった。しかし、泉の水に右手を浸すと、身体全体に快い感覚が広がり、手が柔らかくなったように思えた。それと同時に曲がっていた指は、突然もとのように動くようになった。彼女が感謝の祈りを唱えると陣痛が始まり、自分の村に戻ってもお産を手伝う人もいなかったが、痛みもなしに男の子が生まれた。男の子は、奇縁にちなんでジャン=バティスト(「洗礼者ヨハネ」の意)と名付けられ、後に司祭になった。
蘇生する赤子

貧しい職工のジャン・ブオールには、一人息子であるジュスタンがいた。ジュスタンは、骨軟化症で生後2カ月経ってもゆりかごのなかで座ることもできなかった。3月2日午後、発熱性の消耗性疾患で食欲が減退し、もはや何も受け付けなくなった。赤子の衰弱はなはだしく、かかりつけ医のペリュ博士にももはや打つ手がなく、刻々と死が近づいていた。不自由な身体で一生を過ごすよりこの方が本人のために幸せだ、とジャンは悲嘆にくれる母親のクロワジーヌを慰めた。しかし、諦めきれないクロワジーヌは「この子はまだこと切れていない」とつぶやくと、赤子を前掛けに包み、洞窟を目指した。そして、「そんなことをしたら、子供を殺してしまうぞ」という周囲の人々の制止も聞かずに、子供を裸体のまま冷たい水につけた。15分間もつけたかと思うと、また大急ぎで家に戻って寝かしつけた。この様子の始終を、聖母の出現の際にベルナデットに立ち会ったドズー博士が見ていた。赤子は一言も発せず誰の目にも絶命したものと思われた。昏睡状態は翌朝まで続いたが、朝になると赤子は突如目を覚ましてさかんに乳を求めた。そして、3月4日には起き上がり室内を走り回るようになるまでに回復した。
アンリ・ラセールがブオール家を訪れると、病弱どころか、元気すぎて遊びに夢中で勉強しなくて困ると母親のクロワジーヌがこぼす、ジュスタン少年がそこにいた。
そんなこんなで『奇跡』が次々に報告され、それに比例して周辺から奇跡を求める者たちが殺到した。
かくして今日もルルドの泉に巡礼者が絶えることはなく、カトリックの人々にとって最大規模の巡礼地となっている。

ベルナデットの見たもの

白い貴婦人との邂逅。

白い貴婦人との邂逅。


一般に、ベルナデットの見たモノは『聖母マリア』だとされている。
検索して引っかかる画像も洞窟に聖母マリアが立っているものが多い。
だが、面白いことにベルナデットは自らその『白い貴婦人』を聖母マリアだとは言っていない。
それこそ騒ぎの当初は、ベルナデットの見たモノはこの地域に住み数年前に死んだ少女の霊ではないか。あるいは悪魔ではないかという諸説が飛び交っている。

ではなぜ白い貴婦人が聖母マリアだとされたのか。
それはその地区を仕切るペラマール神父の指示でベルナデットが白い貴婦人に名前を訊ねたことに起因する。
ペラマール神父は当初、ベルナデットの言葉を信じていなかった。平たく言うと懐疑派の立場であったそうだ。(それでも「彼女の見たモノは悪魔に違いない」という宗教家らしいズレた懐疑であったが)
そして神父の指示に従い、ベルナデットは貴婦人に名前を訊ねた。しかし貴婦人は、貴婦人らしく微笑むばかりで名前をちっとも教えてくれない。
そして何度も何度も訊ね続けた結果、3月24日にようやく貴婦人の口から言葉が発せられた。

「Qué soï era inmaculado councepcioũ」
美しい声でこんな事を言ったという。
宇宙人の言葉かと訝ってしまうが、これは「私が無原罪の宿りです」というコトらしい。なんだかピンとこないが『無原罪の宿り=処女懐胎』という意味だそうだ。つまり「私は処女懐胎です」

貴婦人から聞いた言葉を、学のなかったベルナデットはペラマール神父にそのまま告げた。
すると神父は驚いた。
それはラテン語じゃないか。

無原罪の宿り、つまりはキリストを身ごもった聖母マリア様じゃあないか。
白い貴婦人は聖母マリアだったんだ! という流れになる。
かくして、ルルドの泉は奇跡の泉になった。

追記:『無原罪の宿り』について
――【2019年10月6日追記】――
『無原罪の宿り』の解釈について、ちゃんとした理解が得られるメールを頂いたので許可を得て転載させて頂く。

はじめまして。いつも楽しく記事を読ませていただいています。松閣さんのオカルトへの愛と熱意とユーモアに溢れた文章は読んでいて本当に面白いです。

「万病を治すルルドの泉 認められた奇跡」の記事について気になった点があったのでメールさせていただきました。

3月24日に貴婦人がベルナデットに言った文の解釈ですが、松閣さんの記事には、
 これは「私が無原罪の宿りです」というコトらしい。なんだかピンとこないが『無原罪の宿り=処女懐胎』という意味だそうだ。つまり「私は処女懐胎です」

とあります。
一方、大野英士氏の「オカルティズム 非理性のヨーロッパ」(講談社選書メチエ)という本のp.141には次のような記述がありました。(参考のため当該ページの画像を添付します)
『……日本ではしばしば、この「無原罪の御宿り」と聖母マリアの「処女懐胎」とが混同 され、シュルレリストのブルトン、エリュアールの共作 L’Immaculee Conception に「処女懐胎」の訳語が与えられるなど混乱が見られるが、両者は全く別の教義である。
「処女懐胎」が、マリアが夫ヨセフとの性的交わりなしに「聖霊」によってイエスを身ごもったのを指すのに対し、「無原罪の御宿り」は、マリア自身が、聖霊の特別な恩寵のもとに、あらかじめ「原罪の穢れ」を免れてマリアの母アンナの胎内に宿ったことを指す。』

つまり「無原罪の宿り」で宿るのは「聖母マリア」であり、「処女懐胎」で宿るのは「キリスト」なので、「無原罪の宿り=処女懐胎」というわけではないようです。

和羅事典によると「無原罪懐胎」はラテン語で Conceptio Immaculata なので、貴婦人が語ったのが本当にラテン語ならば、貴婦人は「処女懐胎」ではなく確かに「無原罪の宿り」と言ったのだと思います。
ですので、ペルナール神父に問い詰められたベルナデットが「私が処女懐胎をした乙女です」と言い換えたという記述にも疑問を感じます。

それでは「貴婦人」が「処女懐胎」を「無原罪の宿り」と言い間違えた、あるいはベルナデットが聞き間違えたのかというと、なんとなくですが私はそうではないと思います。

先に引用した大野英士氏の著書によると、教会内でも議論のあった「無原罪の御宿り」がカトリックの公式教義になったのは1854年です。これはルルドに聖母が出現した4年前です。
また、1830年には「無原罪の御宿り」の聖母がパリに現れその周囲には「原罪なく懐胎されたマリアよ、御身の加護を請う我らのために祈りたまえ」という文字が現れたといいます。同著には「一八三〇年のこの日付から、約五十年間、つまり一八三〇年から七六年までの間に、マリアはほとんどひっきりなしに民衆の前に姿を現した」とあるので、ルルドに聖母が現れた当時は「無原罪の御宿り」としてのマリア信仰がブーム真っ盛りだったのだと考えられます。

なのでルルドの聖母は、「無原罪の御宿り」ブームの一つとして起こったような気がします。

松閣さんが記事を書くにあたって、あえて「無原罪の御宿り」よりも日本人にとって馴染み深いであろう「処女懐胎」という言葉を使われたのであれば、申し訳ありません。どうかご放念ください。

あえて、ということはまったくなく、筆者の無知に基づく言葉選びでした。わかりやすく丁寧な指摘ありがとうございました。

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懐疑派は黙っちゃいない

美談である。
貧しくも清らかに生きた敬虔な少女が清水とともに奇跡を運ぶ。美しい話である。“口から牛乳”のサン・メダール教会にも見習って欲しい。
だが、「現代まで続く奇跡」と言われると、オカルト懐疑派、否定派が黙っちゃいない。
やはり徹底的に調べられています。

「私は処女懐胎です」について。 これは文法的にも、論理的にもおかしい。とペルナール神父に問い詰められ、ベルナデットはのちに「私が処女懐胎をした乙女です」と言い換えた。本当に貴婦人が間違っていたなら聖母にラテン語の補習を受けてもらわねばならないが、本当の聖母が間違うだろうか?
ベルナデットが聞きかじりのラテン語を使ったせいでおかしな表現になったのでは? と懐疑る。

8000人の目撃者について。 文献によっては洞窟日参において、8000人が『白い貴婦人』を目撃したと書かれることも多いようだが、貴婦人を目撃したのは最初から最後までベルナデット1人だけであった。
ベルナデットが貴婦人と遭遇している瞬間に立ち会った人たちは「なんだか高貴な雰囲気が漂ってる気がする」と感じただけで、実際に貴婦人を目撃していない。ベルナデットが幻影、あるいは幻覚を見ていたのではないかと指摘する向きも多い。

それで奇跡は本当か 文法を間違っていても良い。目撃者がいなくたっていい。奇跡さえあれば他に証拠なんていらない。
だがそれも少し怪しいようだ。
泉が発見されてから150年以上経過しているが、教会側が「奇跡である」と認定したのは66件。年間を通して500万人以上が訪れるルルドにあって、66件というこの数字は少し心もとない。
単純計算でフェアな数字ではないかも知れないが、7.5億人中の66人だ。1136万人に1人が奇跡の治癒を体験していることになる。2年に1人という奇跡率である。
これが多いのか少ないのかイマイチ判断がつかないが、皮肉にも『奇跡』的な数字とは言えるんじゃなかろうか。

画面中央と左に無数の松葉杖が並べられている。治癒した者が置いていったという。

画面中央と左に無数の松葉杖が並べられている。治癒した者が置いていったという。


「特に近年では奇跡認定率はおしなべて低い」と懐疑派は結ぶが、これは教会側が認定する基準を厳しくしたので仕方がない。

治癒したと申告した患者の医師に問い合わせ、偽りがないか確認し、なおかつMRIなどの科学分析によって現代医学を越えた治癒……本当の奇跡だと証明されねばならないそうだ。神の奇跡を科学的に解明、というのもなんだか妙な感じではあるがそういう事らしい。

ちなみに1960年から2000年までの期間で認定されたのは4人だそうで、実にカラい。

教会に認定されない申告は毎年結構な数があがるそうだが、教会はそれを認めない。これは詐欺やインチキ、ペテンの類が横行しないための対策で、なんだか教会が冷たい……奇跡を黙殺しているようにも思えるが、仕方がない。決して安売りはしないのだ。
大人って大変です。

聖ベルナデッタ

安置された聖ベルナデッタ。その遺体は腐らないとされる。

安置された聖ベルナデッタ。その遺体は腐らないとされる。


いまだに大量の巡礼者を受け入れているルルドであるが、個人的には詐欺だのペテンだのとは思わない。
人々は何かを信じたいし、信じるに足るわかりやすい対象が欲しいのだろうとおもう。

たとえ66件でも奇跡が起こったならそれで良いじゃないか、と思う。
たとえその確率が道ばたを歩いていて、突然健康になるのと同じぐらいの確率でも良いじゃないか。
人は起こらないから奇跡と呼ぶのだから。

面白い話として、ベルナデットは周囲の盛り上がりに反して最後の最後まで冷静な態度だった。
あの泉が奇跡を起こす、万病に効く清水が湧き出す、と本人は言っていない。35歳で修道女として亡くなるまで、ほとんど奇跡の泉とは無関係を通した。
彼女にとって、たしかにルルドは白い貴婦人と出会った霊性の土地ではあったが、奇跡の泉は教会や周囲が勝手に盛り上がった結果生まれたモノでしかない。

彼女は最後まで清貧を突き通し、貧困と病に苦しみながらこの世を去った。
死後数年経過してから掘り起こされた彼女の亡骸は腐敗せず、いまだにガラスの棺の中で眠っている。薪拾いの貧しい少女ベルナデットは死して聖女ベルネデッタとなった。
腐敗しないベルナデットの遺体に関してはいずれ別項で取り上げる事にして、この項の幕を引く。

万病に効能ありとされるルルドの水は、ベルナデットの病弱な体を治せなかった。確かなことはこれだけである。
これまでにおびただしい数の人々がここで水浴し、おびただしい数の希望がくじかれてきた。ここで働く人たちにとって、病気の治癒ほど思いがけないことはないのである。

イギリス人ジャーナリスト パトリック・マーンハム

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