これから言うことは、誰にも喋ってはなりません――。
恐ろしい3つ預言を残し、遠からず訪れる牧童の死を予告し、そして集まった7万人の前で奇蹟を起こして見せた。
ローマ教皇が卒倒し、バチカンが隠匿し続けた第3の預言。そして踊る太陽の奇蹟。
あの日、ファティマで何が起こったか。
遠くで奇蹟をききながら
1981年5月2日。ロンドンはヒースロー空港である事件が起こった。
ダブリン発のアイルランド航空に籍を置く旅客機が着陸態勢に入った直後、何者かにハイジャックされた。
多くのハイジャック事件がそうであるように、犯人は人質の身柄と引き替えにある要求を出してきた。
それは金銭でなく、仲間の解放でもなく、「ファティマ第3の預言を全世界に向けて公開せよ」という前代未聞のものだった。
犯人は元カトリック(トラピスト会派)の修道士、ローレンス・ダウニー(55)だった。
緊急対策本部が慌ただしく立ち上がったが、できることは多くない。
譲歩を引きだそう――あるいは要求を飲もうにも、ファティマ第3の預言はカトリックの総本山であるバチカンによって宮深くに秘匿されており当地イギリスはもとより、全世界でもその内容を知るものはいないからだ。ローマ法皇を除いて。
現場は騒然とし混乱もあったが、給油のために寄港したフランスの空港で看護師に扮した特殊部隊が突入し、事件はあっさりと解決を見た。
ほどなく、ハイジャック犯ローレンス・ダウニーは精神異常者だったと公式に発表された。この修道士、過去にはローマのカトリック教会に籍を置いていたが、1954年にメンタル上の理由から退会させられていた人物だった。
かくして『ハイジャックは強迫観念にとらわれた異常者による犯行』として歴史の闇に葬られ、忘れ去られていった。
その強迫観念を生んだ『第3の預言』とは何だったのか。
それはハイジャック事件から遡ること64年前、現代から99年前にあたる1917年に起こった一連の出来事に端を発する。
1917年。ポルトガル。
このころ、歴史書は躍動感に溢れている。人々は史上初の世界大戦のさなかにあり、ロシアでは女性労働者によるストライキから二月革命が勃発し、ロシア最後の王朝ロマノフ家が倒れた。
血液を燃料としてみたとき、それこそ何万バレルという単位で血が消費されていた時代だ。
そんな混乱の時代の5月13日。ポルトガルの寒村である事件が起こった。
その日、コバ・ダ・イリアの高台は雲一つ無く晴れ渡っていた。
そこに、3人の牧童があった。ファティマの町に住むルシア(10)、フランシスコ(8)、ジャシンタ(7)の3人だ。
牧童たちがいつものように羊を放牧していると、晴天の空に突如として稲妻が閃いた。
これは、まさに青天の霹靂というやつで、牧童たちは珍しい事態に揃って空を見上げた。
すると視界の端にあった古い樫の木の茂みに妙なモノが浮かんでいることに気付いた。
それは光球だった。虹色の光を放つ球体だ。
やがて光球は膨張し、変形し、女性の姿へと変わった。年の頃にして18歳くらいに見えた。
不可解な状況に牧童たちが立ち尽くしていると、その女性はこう告げた。
「怖がることはありません」
危害は加えない、怪しい者ではないと言う。だがルシアがどこから来たのかと聞くと、女性は「天国から」と言う。充分怪しいが、それはいい。
その女性は幼い牧童たちに幾つかの指示と、予告を行っている。
・10月まで毎月13日にここへ来るように。
・自分と出会った事を誰にも言わないように。
・毎日かかさずロザリオの祈りを唱えるように。
・牧童3人は揃って天国へゆけるだろう。
そして女性はフッと消えた。
ルシア、フランシスコ、ジャシンタ。3人の牧童たちはその言いつけを守ろうとしたが、結局、一番幼いジャシンタが親に秘密を打ち明けてしまった。
親は「嘘をつくなんて、とんでもない子だよ!」と牧童たちを叱りつけ、さらには当地の神父に相談した。話を聞いた神父は「なんだと! 嘘をつくなんてけしからん子だわ!」とやはり子供たちを叱った。
だが、13日になるたび聖母はコバ・ダ・イリアの高台に現れた。
そして回を重ねるたびにヤジ馬感覚の者や難病を患った者が高台に集まった。
本人が宣言したとおり、聖母は10月13日まで7回に及んで出没し、幾つかの預言と、奇跡を起こした。
細かく書くと酷く冗長になるので、箇条書きで簡単に紹介しつつ甘めの寸評をつけてみよう。真偽は後述。
【大まかな預言】
・ジャシンタとフランシスコはもうすぐ天国へ導かれる。だがルシアはもう少し現世で頑張りなさい。 【寸評】的中。フランシスコは1919年4月(享年10歳)、ジャシンタは1920年2月(享年9歳)に病気で亡くなり、聖母に「アンタ、長生きするわよ!」と告げられたルシアは確かに長寿で、97歳まで生きて2005年2月に亡くなっている。・第一次世界大戦はもうじき終わる。 【寸評】的中。ファティマでの聖母出現の翌年に当たる1918年11月11日にドイツが連合国との休戦協定に調印。
・人々が主に背き罪を犯し続けるなら、次の教皇の在位期間中にもっとひどい戦争が始まる。 【寸評】ズレてるけど、まぁ的中。預言がされた1917年に在位していたのはベネディクト15世で、『次の教皇』にあたるのはピオ11世。だが、ピオ11世の在位期間は1922年2月6日~1939年2月10日、そして第二次世界大戦の始まりであるポーランド侵攻が1939年9月1日となっており、この時分の教皇は『次の次の教皇』にあたるピオ12世。『半年』と『一代ぶん』のズレを誤差と評価するなら的中か。
・その大戦(二次大戦)の前兆として、ヨーロッパに不気味な光が見えるだろう。 【寸評】的中。ポーランド侵攻の前年にあたる1938年、ヨーロッパの広範囲な地域で夜空に巨大なオーロラが観測された。これは非常に珍しい事態。空を覆ったソレは『炎のカーテン』のように見えた。New York Timesの1938年1月26日付けの記事によれば、少なくとも英国、イタリア、スペイン、スイス、ポルトガル、ジブラルタル、フランス、バミューダ諸島ハミルトンなどでこの不気味な光が観測されたとある。
・ロシアは駄目。改心するように働きかけなければ、善良な人々が苦しむことになる。多くの国が滅びることになる。とはいえ最後に勝つのは我々の汚れ無き御心。 【寸評】何とも言えない。『ロシアによって国が滅びる』に着眼したとき、ロシアは近年でも2014年のクリミア侵攻、2008年の南オセチア紛争などの軍事行動を行っているが、滅ぼしたわけではない。この預言が時期を明確に指定していない以上、いくらでも恣意的な解釈ができる。 ・あなたがたは聖ヨセフとイエスの姿を見るだろう。 【寸評】的中。7回目、最後の出現である10月13日のクライマックスに登場。幼子イエスを抱いた聖ヨセフが太陽の傍らに現れた。手で十字架の形を切った。ただし、7万人以上の群衆がいたが、聖ヨセフとイエスはルシアしか見ていない。
・あと、ここに聖堂を建ててね。 【寸評】建てました。
・教皇、暗殺されるってよ。 【寸評】非公開だった『第3の秘密』と言われる預言。公開されたのに、「こんなライトな出来事じゃないはずだ!」と誰も信じず、陰謀論の温床となった。一応、『空飛ぶ教皇』の異名を持つヨハネ・パウロ2世に対して1981年と1982年に暗殺未遂事件が起こされてはいるが、完遂はされていない。
7万人の見た奇跡、太陽の舞踏
最後の出現となった10月13日、しとしと降る雨の中、集まった7万人の群衆は見た。太陽がネズミ花火がごとく異常な回転を見せはじめ、それに伴って周囲に光の矢を放った。それだけで終わらず、地表に対して急降下したり色彩を七色に変化させたりと、まさに奇跡としか言えない動きを約10分間にわたって見せた。
この踊る太陽の放つ猛烈な熱で、雨に濡れていた群衆の服は乾いてしまった。
牧童の中心人物であったルシア自身はこの現象を目撃しておらず、手記でも触れていないが(註:この現象が起こっていた時に、ルシアは前述の『聖ヨセフとイエスの顕現』を見ていた)出版されたルシアの手記に注釈として当時の新聞記事が紹介されている。
少し長いがその記事の内容を引用する。
午后1時頃、雨はピタリとやみ、空を覆っていた雲は散り失せて、太陽が薄灰色の光を放って次第に暗くなるように見えた。
われわれは有明の月を見るように、ベールに包まれたこの珍しい太陽を見つめていた。すると真珠草の灰色の光線が銀の円盤のようにかわり、次第に大きくなって、突如太陽が雲の間から輝きはじめた。そしてたちまち灰色の光の円盤の中で火の車のように回転しはじめ、幾百条とも知れない光線が四方へ放たれ、回転するに従って光線の色が変化した。
雲も、地も、木も、岩も出現を見る3牧童も、これを見守る大群衆も黄、赤、青、紫、と次々に色どられていった。
太陽が一時回転を停止すると、再びさらに強い光を放って踊りはじめた。
そのうちに、また回転を停止したが、こんどは如何なる仕掛け花火の名人も想像することが出来ない不思議な花火を散らしながら、3度運動を開始した。
大衆が受けたこの印象をなんと表現できようか? 観衆はただ恍惚として動かず、かたずを飲んでこの光景に見入っていた。すると、群衆は太陽が大空を離れてジグザグに跳ね返りながら、自分たちの頭上に飛びこんで来るのを見た。
『ああ!』と恐怖の叫びが一斉に起こった。すべてのものが聖書の預言にある世の終わりの光景を思い出したのであろう。
『奇跡だ! 奇跡だ!』『私は神を信じます』『主よ、憐れんで下さい』『めでたし聖寵(せいちょう ガラサ:カトリックで、神の人間に対する救いの業をはじめ、無償で与える超自然の恵みをいう。プロテスタントでは恩寵・恩恵などという―デジタル大辞泉)充ち満てるマリアよ!』と口々に叫ぶ姿は壮烈たるものであった。
太陽の回転は中止時間も加えて10分間ぐらいだった。参加者は例外なしに1人残らずこの回転を目撃した。その中には信者もいれば信者でない者もいた。学者も、新聞記者も、自由主義者もたくさんいた。そして驚いたことには、数分前に雨でぬれ、泥にまみれた着物がすっかり乾いていたことだった。
ファチマの聖母の啓示―現代の危機を告げる ルチア修女の手記よりオー・ディア・ジョールノ紙の記事 興味深いのが懐疑論者も目撃していることだ。
懐疑論者で反宗教主義者だったオ・クロ紙の編集長アベリーノ・デ・アルメイダはこの奇跡に立ち会い、以下のような所感を書き残している。
宇宙のあらゆる法則をやぶるこの事件は、当然、太陽がふるえ、動きだすことで始まった。のちの調査によってこの異常な太陽の動きは半径50kmの範囲で目撃されたといい、それを加味すれば実際の目撃者数はもっと多いのかも知れない。
太陽は、農民の典型的な表現を借りるなら“踊っている”ように見え、現場の無数の人間は驚き、畏怖の念に打たれて見守るばかりだった。
今日ファティマで起こった出来事に、信心深い人たちは心から神を讃える大合唱を湧きあがらせた――事実わたしも、感銘を受けるに値する現象だと認めるにやぶさかではないし、教会の権威を無視する自由思想家も、宗教問題にまったく興味のない人びともひとしく感銘を受けたことだろうが、この出来事を“太陽の死の舞踏”と呼ぶのがふさわしいかどうかの結論を出すのはさしひかえよう。
この現象を信じない者にとっては、二度とないめずらしい出来事にすぎないだろうし、じかに目撃しなかった者にとっては、まったく信じがたい現象だろう。一大群衆がいっせいに雲の切れ間からのぞいた青空をふり仰ぎ、隣に立つ者が『奇跡だ、奇跡だ』と叫ぶのを聞く。そんな現象だったのだ。
このあまりにも多い人びとの眼前で起こった『太陽の舞踏』、そして牧童たちに告げられた預言。これらをしてファティマの奇跡と呼ばれる。
だが、本当だろうか?
次項ではファティマの一件に類似する事例を紹介しつつ、もう少しファティマの奇跡を掘り下げて考えてみよう。
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泣かないで僕のマリア
そもそも、なぜ聖母なのか。
神などの概念を発明品だと考えている不信心なオカルトクロニクルとしては、キリストが母親をパシリに使っている不道徳者に思えてならない。
「なんだよ! 俺は今週号のジャンプ買ってこいって言ったろ! こりゃサンデーじゃねぇか! 読む連載ねぇじゃねぇか!」
と母親を足蹴にする自立できない息子――が想起される。コナンがあるだろう、コナンが。
カトリック界隈からの批判覚悟で言うと、「罪深い人類に言いたいことがあるなら、母親じゃなく、自分で出向いてこい」と言いたい。
怒られますかね? 怒られますよね。でもカトリック関係者には赦されなくとも、神なら赦して下さるでしょう。
反抗的な言動はともかく、記録を漁るとなぜか聖母ばかりだ。
カトリックの総本山であるバチカンが正式に『奇跡』として認めた事例だけでも22例。ファティマの事件以降では5例。地区司祭による認定、および未認定のものを数に入れれば250例はゆうに越える。
マリア顕現の研究で知られるシルヴィ・バルネイは2000例を越えるとまで言う。カトリック界隈では19世紀から21世紀までの期間をして『マリアの世紀だ』とまで言う。
なんだか出現しすぎてありがたみが薄く感じられてしまうが、これはブームなのかもしれない。哲学者ジャン・ギトンによって、このマリア顕現、出現現象を指す言葉として『mariophanie(マリアファニー)』という造語が作られるほどだ。
もちろん、聖母だけでなくキリストが顕現している事例も報告されている――が、いまいちカーチャンの陰に隠れてしまっている印象がある。
ファティマの最終日にもキリストは一応顔を出してはいるのだが、幼子の姿で抱かれているだけ。他の事例でも似たようなもので、やはりインパクトに欠ける。
「なんだよ! みんなの知ってる姿でババーンと出てこいよ! なんで幼子の姿なんだよ! 俺の知ってる『きれいなラモス瑠偉』みたいな姿で出てこいよ! さあ!」
と不信心な諸兄は不謹慎に憤るかも知れないが、そこらへんは宗教学の受け持ちであるのでオカクロでは触れない。
正直言えば、なぜ幼児の姿なのか一応気になって色々読んではみたが、正直、よくわからなかった。有識者の方で理由を知っておられる方はこっそり教えて下さい。
――――【2016-12-26追記】――――――
この『幼子問題』について、有識者による回答をいただきました。転載許可をいただいたので以下関連tweetを引用。@matukakAlt 初めまして。ディアトロフ峠事件を調べていて貴サイトを知りました。オカルトネタ好きなので今楽しく読ませてもらっています。ところでファティマ第3の予言のところで「なんで聖母なんだ。なんでイエスは幼児なんだ。知ってる人は教えて欲しい」と書かれてましたよね(続)
— フラン@HMM(女王陛下のモデラー) (@francescomgm) 2016年12月25日@matukakAlt (承前)今更かもしれませんが中世史を学んだものとして少し説明いたしますと、中世ではキリストは人類の罪を厳しく断罪する厳父のイメージでした。そこで人間側から赦しを求めるため「とりなしの聖母」という考えが一般化します。(続)
— フラン@HMM(女王陛下のモデラー) (@francescomgm) 2016年12月25日@matukakAlt (承前)結果カトリック文化圏ではマリアの方が信仰を集めてしまいます。で、マリアが人類をかばう優しいお母さんなので、イエスは厳格な大人ではなく幼児時代のイメージで描かれることが多くなったわけです。こういうイメージは現在でもカトリック文化では一般的です(続)
— フラン@HMM(女王陛下のモデラー) (@francescomgm) 2016年12月25日@matukakAlt ファティマの聖母もそういう伝統イメージの影響だと思います。なお「とりなしの聖母」については私の先生の書いた『地獄と煉獄のはざまで』という本をお勧めしておきます。中世の人たちが神をどんなふうに感じていたか、面白い説話がたくさん載ってますよ(長文失礼しました)
— フラン@HMM(女王陛下のモデラー) (@francescomgm) 2016年12月25日すごくわかりやすい解説に感謝です。@matukakAlt あ、ちなみにカトリックに多くの守護聖人がいるのも「聖人は今は神の傍にいるけど元は人間なんだし、俺たちの願いを神にとりなしてくれるんじゃ?」という発想からです。ペスト流行が神の怒りとされた一方、その守護聖人セバスティアヌスが信仰されるのが一例です。
— フラン@HMM(女王陛下のモデラー) (@francescomgm) 2016年12月25日
ちょっとした疑問にも、こうして優しい有識者が答えてくれる。いろいろ言われがちなインターネットではあるけれど、やはり素晴らしい時代だと思う。
tweetで紹介されておられる『地獄と煉獄のはざまで―中世イタリアの例話から心性を読む』も読んでみたいと思います。 ――――追記ココマデ――――
バチカンが認めたなかでも、奇跡の泉で知られるルルド『万病を治すルルドの泉 認められた奇跡【別項】』やラ・サレットの聖母、ポンマンの聖母、そしてこのファティマあたりが有名である。
それぞれの事例に関してはwikipediaに聖母の出現の項があり、概要を読むことが出来るので興味ある諸兄はどうぞ。
こうして有名無名を問わずそれぞれの事例を眺めてみれば、ある程度の共通点があることにも気付く。
詳細に書いても項が冗長になるので、大ざっぱに分けて、4つ。
①多くの場合において、年端のゆかぬ子供が初期の目撃者である。
②現れた聖母(ないし聖母っぽい存在)は人類に対して警告とちょっとした預言を行う。あとロシア批判。
③子供たち、あるいは群衆に難病の治癒を求められ、たまに応じる。全部は応じない。
④要求。『ロザリオの祈り(註:アヴェ・マリアを唱えながらキリストの生涯を黙想する祈り)』を強く求める。聖体拝受・聖体拝領などの儀式も推奨。聖堂も欲しがる。
以上の特徴をほとんどの事例にみることができる。
よく言えば一貫性があり、悪く言えばワンパターンである。ゆえに網羅するには相当の根気を要する。
興味深いポイントとして、少なくない事例で聖母が『預言・予言』を行っていると言うことだ。預言に関してファティマの聖母ばかりがピックアップされ『ファティマ! 聖母の告げた恐るべき最終預言!』などとサブタイトルが付けられがちな傾向があるが、ファティマ以外でも聖母は地道に預言活動をおこなっている。
それはともかく、多くのマリアファニー事例で『ロシア』が批難されていることに違和感を感じる方もおられるかと思う。なんで聖母のくせに特定の国の悪口言うんだよ、と。
これは『歴史的にカトリックと共産主義はいがみ合ってきた』という政治的なバックグラウンドを知らなければ奇異に感じられるかもしれない。
ながらくカトリックは共産主義の標榜する全体主義や無神論を批判してきた。二次大戦の末期には、ソ連嫌い、反共主義がゆきすぎて、『オデッサ・ファイル』よろしく、教会ぐるみで戦犯であるナチス将校を南米へ逃がしている。ホロコーストの罪よりも、イデオロギーを優先した形になる。
とはいえ反共主義はカトリックに目立つというだけで、他を見回しても共産主義と親和性の高い宗教はほとんどない。それはもちろん共産主義が宗教そのものだから――なんて言ったら怒られますよ?
ともかく、ファティマの聖母に関しても
「ルシアは当時、貧しい寒村の小娘に過ぎず、『ロシア』という国名さえ知らなかった。最初に聖母から『ロシア』という言葉が出たとき、それがどこかの女性の名だとルシアは勘違いした」
という説明がつけられるが、疑い深いオカクロとしてはここに微かな政治臭が感じられてならない。
このファティマの奇跡。
個人的には様々な界隈――具体的にはカトリック界隈、新宗教界隈、オカルト界隈、商業オカルト界隈、陰謀論界隈、UFOlogist界隈、が各メディアで好き勝手に解釈や憶測を織り込んだせいで、全体像がボヤケてしまっているように思われる。
『第3の秘密』はともかくも、じゃあ第1、第2は? と問われてキチンと明確に答えられる者がどれほどいるだろうか。
次節では様々な界隈に飛び交う様々な言葉――恣意的な誇張や誘導的なデマを排し、出来るかぎり客観的な立ち位置から剥き出しの『ミラクルズ・ファティマ』を見てみよう。
寒村――キラメキ☆MMMBOP
前節で紹介した事例をみて諸兄は憤るかも知れない。
「なんでなんの権力もない牧童とか子供のトコにばっかでるんだよ! 聖母も言いたいことあるならローマ法皇のとこに出ろよ! そっちのが情報拡散早いだろ!」
250例も出現しておきながら、バチカンに認められたのはその一握りにも満たない。なんだか聖母の地道な啓蒙活動が無駄になっているように思えてならない。もしかしたら、出現する場所が悪いのでは? と心配すらしてしまう。だがこれは『ホワイトハウスの庭に着陸しないUFO』にも同じ事が言える。奥ゆかしいという事にしておこう。
ともかく、このファティマの奇跡は長らく隠匿されてきたせいか、あるいはその神秘性のせいか、様々な界隈で言及されている。『スピリチュアル』な人たちも例外ではない。
資料を探してみれば、スピリチュアル・カウンセラーの江原啓之、チャネリングのレムリア・ルネッサンス、そして「最高ですか!」の福永法源という何とも香ばしくも充実したラインナップ。
諸兄の好きそうな教団を挙げるなら――セックス教団として話題になったリトル・ペブル同宿会の母体であるリトル・ペブルもファティマ預言を絡めたり聖母顕現を主張している。
さらに、オウム真理教の機関誌ヴァジラヤーナ・サッチャvol5でも、『戦慄の世紀末大予言』と題した特集で、当時まだ未公開だったはずの第3の預言をサラリと引用したりしている。
霊言したり、チャネリングしたり、啓示を受けたり、エア引用したりと、好き放題である。いいかげんにしないとバチが当たりますよ?
ともかく、そのどれもが例外なく箸にも棒にもかからないモノであるが、ファティマがそれだけ注目度が高いという事はわかる。
これらは『的中した第1と第2の預言』を信憑性の土台とし、続く第3の預言を自分たちの都合の良い方向へと誘導している。『そっち方面』の人たちにはさぞ使い勝手の良い道具だったのだろう。
が、そもそも第1と第2の預言は本当に的中していたのか?
気の短い諸兄は憤るのでしょうね。
「なんだよ! 前ページでワザワザ寸評までつけて、的中! とかやってたじゃないか! あれ嘘なのかよ! 知ってて嘘付くなんて、オカクロもけっきょく商業オカルトかよ! もう誰も信じられない! おれもニューエイジになって、宇宙から真理を受信してやる!」と。
チャネリングはおよしなさい。ロクでもないモノ受信するから。
冗談はともかく、前ページで預言を箇条書きしてつけた寸評。あの評価は決して嘘ではない。
ただし、あれが本当に事前に預言されたモノだったらば、だ。
これに関しては『検証 予言はどこまで当たるのか』でASIOSの本城さんによる丁寧な検証がなされている。
詳しくは同書や『バチカン・シークレット—教皇庁の秘められた二十世紀史』などを参照して貰うとして、結果から言えば全て事後預言になる。
それまで頑なに預言の内容を秘していたルシアが、第1と第2の預言を明らかにしたのは1942年。事件から実に25年もの歳月が経った後だ。
しかしこの頃にはすでに、予言で言及のあった出来事は起きていた。
つまり、第1と第2の予言は事後予言なのである。これで的中したと言われても、「事後ですからね」としか答えようがない。
検証 予言はどこまで当たるのか これに加えて、一緒に7回の聖母出現に立ち会ったフランシスコ、ジャシンタの両名は事件からほどなくして夭逝しており、ルシアの証言を裏付けることのできる関係者はいない。
敬虔なシスターとして生涯を終えたルシアの言葉に難癖をつけるのは気が引けるが、せめてそれぞれの出来事が起こる前に手記が出されていたならば、と悔やまれてならない。
では『戦慄の第3の預言』はどうか?
これは1944年に書かれ、2000年に「これ以上の憶測と混乱を呼んではならぬ」というバチカンの判断のもと公開された。
元々は1960年に公表されるハズであったが、公開時期が延びに延び、それが憶測を呼びに呼び、『伝説』にコクと深みを増していった。
では少し長いが、2000年に教皇庁教理省によって公開された第3の預言を『ファティマ第三の秘密-教皇庁発表によるファティマ「第三の秘密」に関する最終公文書教皇庁教理省 (著)』より引用してみよう。
読みやすいように改行を入れた以外は原文ママ。
イエス、マリア、ヨセフ、
ファティマのコーワ・ダ・イリアにおいて、1917年7月13日に明らかにされた秘密の第3部。
レイリアの司教と聖母マリアを通してお命じになる神への従順な行為としてペンを執ります。
すでに述べたあの二つの啓示のあと、わたしたちは、マリアの左側の少し高い所に、火の剣を左手に持った1人の天使を見ました。この剣は、まるで世界を火で焼き尽くさんばかりに、火花を散らして光り輝いていました。
しかしその炎は、マリアが天使に向かって差し伸べておられた右手から発する輝かしい光に触れると消えるのでした。
天使は、右手で地を指しながら大声で叫びました。
「悔い改め、悔い改め、悔い改め」。
それからわたしたちには、はかりしれない光――それは神です――の中に、「何か鏡の前を人が通り過ぎるときにその鏡に映って見えるような感じで」白い衣をまとった1人の司教が見えました。
「それは教皇だという感じでした」。
その他にも幾人もの司教と司祭、修道士と修道女が、険しい山を登っていました。その頂上には、樹皮のついたコルクの木のような粗末な丸太の大十字架が立っていました。
教皇は、そこに到着なさる前に、半ば廃墟と化した大きな町を、苦痛と悲しみにあえぎながら震える足取りでお通りになり、通りすがりに出会う死者の魂のために祈っておられました。
それから教皇は山の頂上に到着し、大十字架のもとにひざまずいてひれ伏されたとき、一団の兵士たちによって殺されました。
彼らは教皇に向かって何発もの銃弾を発射し、矢を放ちました。同様に、他の司教、司祭、修道士、修道女、さらにさまざまな地位や立場にある多くの信徒たちが、次々に殺されていきました。
十字架の両腕の下には2人の天使がいて、おのおの手にした水晶の聖水入れに殉教者たちの血を集め、神に向かって歩んでくる霊魂にそれを注ぐのでした。
トゥイにて 1944年1月3日
ファティマ第三の秘密-教皇庁発表によるファティマ「第三の秘密」に関する最終公文書
なんだこれは。
なにか凄いことを言っているようで、そのじつなにも言ってない気もする。つまるところ、よくわからない。
教皇が十字架の立った山に登って、兵士に銃殺される。たしかに予言と言われれば予言なのかも知れないが、時期も人物も明確でなく、ノストラダムスよろしくどうとでも解釈できる内容ではなかろうか。
少なくとも、聖母が預言を行った1917年以降、殺された教皇は1人も居ない。
最大限好意的に解釈するならば、バチカンが主張したように1981年にヨハネ・パウロ2世が銃撃された事件を預言したモノと捉えることは出来るが暗殺は未遂に終わったし、『他の司教、司祭、修道士、修道女、さらにさまざまな地位や立場にある多くの信徒たちが、次々に殺されて――』いない。
これを読んで、終末論的な内容を期待していた層が肩すかしを食らった事は想像に難くないし、ブッ飛んだ内容を霊言したり、チャネリングしたり、啓示を受けたり、エア引用していた層も知らんぷりは出来ない。
ということで、やはり陰謀論が育ってゆく。
「ルシアが書いた全文ではない。大事な部分は公開されていない」
「ルシアが内容を否定した」
「恐ろしすぎる内容だから、隠蔽し続ける気だ!」と。
ルシアが第3の預言の内容が自分の書いたモノと違う! と主張し、司法省を提訴→和解した――という話もまことしやかに語られていたが、その話のソースなり出所が判然とせず、どうにも陰謀論界隈から発生したデマ臭い。
陰謀論についてはたいして面白くないワリに資料集めが大変なのでオカルトクロニクルとしては触れない。
ただ一つだけ反論しておくならば、ルシアは2000年、第3の預言の公開に先だって、教理省から派遣されたタルチジオ・ベルトーネ大司教による書簡の確認に、『上記の第三部書簡は自分が書いたモノ』であること、そして『それが全部であること』――を認めている。
(ちなみに、1960年まで預言を公開するなと聖母が指示した――とwikipediaを含めそこら中のサイトに書いてあるがこれは誤り。1960年という期限はルシア自身が「なんとなく、勘で」決めた)
これで終わるかファティマの戦慄預言! と見せかけて、いやはや陰謀論は根強い。今度はルシア偽物説まであった。
Two Sister Lucys of Fatima?
なんかルシアの見た目、違うくね? 偽モンじゃね? 替え玉じゃね? だったら「本物と認めた」とかナシじゃね? ということだろうか。
ちょっとワロタが深くは踏み込むまい。
ファティマについて触れるとき、フランシスコやジャシンタを差し置いて、ルシアが、ルシアが、という話題展開になりがちである。オカクロもそうである。
これをして、Perfume好きを公言しながらのっち、あるいはBABYMETAL好きを公言しながらユイメタルにしか言及しない者――を見るような心苦しさを諸兄は覚えるかも知れない。
「なんだよ! 俺はフランシスコやジャシンタの話もききたいぞ! とくに当時9歳のジャシンタの! 幼女! 幼女!」と。
たしかに二人にも詳しく話を聞きたいところである。
フランシスコやジャシンタが何を見て、何を聞いたか、それを整理精査してゆけば預言に関しても違う見方が出来たかも知れない。
だがこれは「ルシアが唯一の生き証人」であるうえに「中心人物だった」ワケでいまさらどうこうできるモノではない。
残念ながら他の2人は早くして亡くなり、『2人が体験した出来事を語った逸話』や『2人の人物評』も結局はルシアを経由して我々にもたらされているものだ。
一応地元の神父マヌエル・フェレイラによって、当時マリア顕現が起きた直後に3人への尋問が行われてはいるのだが、当時3牧童が預言については口を閉ざしていたため、結局詳細は1942年まで出てこなかった。
ルシアというフィルターを通し、かつ亡くなった2人による言質が取れない以上、「ジャシンタはこんなビジョンを見た」や「フランシスコはこんな声を聞いた」という伝聞にルシアによる『後付け』が含まれる可能性が否めない。
聖母出現の1年前に3牧童の前に天使が現れていた――という話も同様だ。
シスターを疑うのも心苦しいが、客観性の乏しさは指摘せざるを得ない。
だがファティマには大いに客観性のある奇跡もある。
そう7万人の見た『太陽の舞踏』だ。
次ページではこの奇蹟について調べを進めてみよう。
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