ファティマに降りた聖母――7万人の見た奇跡

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‘O sole mio

fatima000b 前ページで聖母出現現象についていくつかの特徴を紹介したが、そうした中でもファティマが別格扱いされるのは『的中した』とされること、『隠匿された』こと、そして『踊る太陽』のせいだろう。

特に7万人が見たという太陽の舞踏は、その目撃者の数からしても威圧感と説得力を持って迫ってくる。個人的にはこの現象こそ「これぞファティマの奇跡」という印象がある。

だが、根気よく調べてみれば、奇怪な動きをする太陽というのも決してファティマに限ったことではないことがわかる。

事例1 ケリズィネンの聖母
1938年9月15~1965年10月1日。
フランス フィニステール県ケリズィネン。
・当時28歳のジャンヌ=ルイーズ・ラモネのもとに聖母顕現。
・58回の聖母出現、28回のキリスト出現。
・ルルドに似た泉発見の預言、その実現。黙示録的なメッセージ。
・病治。
1963年12月8日、太陽の奇蹟的運動現象。 ・白い花が雨のように降った。
・聖母が聖堂の建立を希望。
・ロザリオの祈りをはじめとして様々な要求。聖体拝領など。
・他にも様々な不思議現象が起こる。(註:書籍『聖母の出現―近代フォーク・カトリシズム考』によれば「光、写真、芳香、ホスチアの奇蹟」など)


事例2 メジュゴリエの聖母
1981年6月24日~現在。
ボスニア・ヘルツェゴビナの田舎町メジュゴリエにて6人(1人を除いて16歳から18歳)の前に聖母顕現。
・顕現から3日目には2000~3000人の群衆が集まった。
・特種な事例。現れたマリアは平和を願うと共に、悪魔バッシング、共産主義バッシングを行う。
・UFOは存在する! となぜかマリアが主張。
・お触りアリの聖母。触ると金属っぽい触感。長いベールを民衆に踏まれ怒って消える。
・聖母が聖堂の建立を希望。
・数百人の巡礼者が銀の鎖やロザリオが金に変わったと主張。鑑定して貰うと、「中世にしかない金(?)だとわかった」
太陽が回転し、色を変化せせるのを数百人が目撃。 ・カトリックはこの顕現に否定的な立場をとった。もともと現地の司教区とフランシスコ会の間に対立があった。フランシスコ会の一部が奇蹟をもとに大規模な金儲けをしたので「聖母カルト化」と批難されている。目撃者の6人も金持ちに。

事例3 カサノヴァ・スタフォーラの聖母
1947年6月4日~1956年6月4日。
当時7歳の羊飼いアンジェラ・ヴォルピーニの元に聖母顕現。
・毎月4日に聖母が現れ、合計85回の出現。
・聖母が聖堂の建立と聖地を要求。
・大きな奇蹟を約束。
・五つの秘密。
太陽の奇蹟的運動現象(1947年10月4日)目撃者数、5000~6000人。

これらは聖母の出現に太陽の異常運動を伴ったものであるが、あまり言及されることがない。あまりというか、まったく触れられない。3例とも教皇庁未公認ではあるがケリズィネンとカサノヴァ・スタフォーラに至っては『聖母の出現』の一覧にすら載っていない。
どちらもファティマに比肩しうる要素が詰め込まれているのに、歴史の闇に葬られている。

さしあたって我々に出来ることは、聖母と聖堂建設業者との間の癒着を疑うぐらいのことだ。とにかく、黙示録をチラつかせて建てろと建てろと要求する。

冗談はともかく、『太陽の奇蹟的運動』に関して言えば、ファティマだけの専売特許ではなかったことはわかった。

もっと言えば
ティイ=シュル=ソル(1901年 フランス)
オンケルゼーレ(1933年 ベルギー)
ボナーテ(1944年 イタリア)
エスピ(1946年 フランス)
アックアヴィーヴァ・プラータニ(1950年 イタリア)
ヘーロルツバッハ(1949年 ドイツ)
フォイエルバッハ(1950年 ドイツ)
サンダミアーノ(1965年 イタリア)
トレフォンターネ(1982 イタリア)
キベホ(1983年 ルワンダ)

などがある。唐突に中部アフリカのルワンダが混ざってるのが異色に感じられるが、こと『マリア顕現』に関しては日本を含めた世界中で目撃例がある。このキベホの事例ではルワンダ内戦の光景が見えたという。

上記に詳細を挙げた3事例についてはバチカンは奇蹟として認定しておらず、懐疑的に調査する余地は充分に残されている。

ケリズィネンの聖母などは、ルルドなりファティマなり他の場所で起こった奇蹟がそっくり再現されるばかりで、目新しい現象がない――として「他の奇蹟を知って、追随ないし模倣したのではないか」と体験者に疑いの目が向けられている。

オリジナリティがないからパクリ、インチキ」というのもいささか乱暴すぎる話ではあるが、詳細だけを見れば奇蹟のオンパレード、まさに『霊的ディズニーランド』であるのにバチカンには認められていない。むしろ、その未認定の事実から内情を推して知るべしなのかも知れない。

運営余談今回、これらの奇蹟に付随しがちな『宗教的恍惚』や『神秘体験』『聖痕』『落涙現象』などまで一気に掘り下げる予定だったが、このままではこの項がオカクロ史上類を見ない冗長項になってしまうので、近いうちに上記の事例などを含め別項として上げたいと思う。


話を戻そう。

太陽が狂ったような急降下や回転を繰り返したという奇蹟的運動。
これは何だったのか。

前ページで引用した当事者たちの所感を読んでも、その異常と評された太陽運動がどのようなものだったのか、いまいちイメージがつきにくい。

しかしさすがに1917年と言うことで、写真は撮られた。文明の勝利である。

fatima004

どうだろうか。
奇蹟的なダンスを踊っているようには見えないが、これが『太陽の舞踏』写真だ。

ここで極端に懐疑的な諸兄などは言うかも知れない。

ふっ。語るに落ちたなオカ番マツカク。このような写真は取りあげるに値しない。やはり貴様は商業オカルトの手の者だったか。約束通り今日からこのサイトは我々諸兄連合とASIOSが仕切らせてもらう。貴様は公園でチャネリングでもしてろ」と。

いつもながら手厳しい。

冗談はともかく、ネットで『ファティマ』を検索したとき、多くのオカルト系サイトでこの写真が『奇蹟の証拠写真』として貼られているので、目にしたことのある諸兄もおられるかと思う。

なんだか出自が怪しい写真であるのだが、地道に調べてゆけば出所がローマ教皇庁の半公式新聞である『l’osservatore romano』である事がわかる。

わお、バチカンの半公式新聞って、じゃあこれってガチな奴じゃん! やったね太陽! 証拠が増えるよ!
と簡単に喜んではいけない。

そもそも、なにか違和感を感じる。太陽って、黒く写るのか? 舞踏の起こっていた時間は昼間だろ、太陽がギュイギュイ動いたとしてもあまりに角度が低すぎないか?――と。 

そんな違和感はこの写真が発表された年代を知れば、さらに大きくなる。

こんな写真を見たら、てっきり当時の新聞か何かで報じられたモノだという錯誤が働きがちであるが、ファティマの奇蹟が1917年に起こったのに対し、この写真が公表されたのは1951年。1917年当時の新聞では触れられていない。
奇蹟の認定に時間がかかったから公表が遅れた――のだろうか?

じゃあ、誰が撮影したんだ? と調べを進めてゆけば、この写真がかなりのいわく付きであることがわかってくる。
以下の新聞に興味深い記事が載っている。

The Spokesman Review The Milwaukee Sentinel
The Milwaukee Journal

太陽の舞踏写真を糾弾する三紙。 The Spokesman-Review - Mar 10,1952 The Milwaukee Sentinel - Mar 10, 1952 The Milwaukee Journal - Mar 10, 1952

太陽の舞踏写真を糾弾する三紙。
The Spokesman-Review – Mar 10,1952
The Milwaukee Sentinel – Mar 10, 1952
The Milwaukee Journal – Mar 10, 1952


記事によれば写真の撮影者はアントニオ・メンドーサという男で、この写真はそのアントニオの死後、彼の弟でカトリック教会の関係者であるジョアン・デ・メンドーサの手によってアントニオのコレクションから盗み出され、それが枢機卿教皇使節の手を経由してl’osservatore romano紙に渡った。
この一連の出来事が1951年頃である。

そして一番重要な事実が、この写真が1917年のファティマで撮られたモノではないということだ。

この写真は1921年、ファティマから25㎞ほど離れたバタリャで撮影された『日食の写真』であるということだ。それらがかなり早い段階で暴露されている。
なんだか太陽が黒いのも納得である。

ちなみに、この写真をもとに熱心な考察を行っていたオカルトサイトなどがあったが、なぜかオカクロ特捜部が落ち込んでしまった。ううむ。

しかし、写真はともかくも七万人の目撃した太陽の奇蹟的運動は客観的事実だ。何かはあった。

こんどはその運動を図解したモノを見てみよう。

fatima006

どうだろうか。
このような感じで太陽が動いたという。
②や④が『回転する太陽』で⑥が『ギザギザに移動』なのだろう。

⑦にいたっては良く見れば太陽の中に誰かいる。

fatima007 なんだこれは、ふざけるなよと思われるかもだが、これはおそらくルシアの見た『聖ヨセフとイエス』を表現したモノだろう。

それでもいまいちイメージが喚起されない、という諸兄のために動画を探してきた。
The 13th Day(2009)』というファティマの奇蹟を扱った映画のワンシーンである。

この映画の終盤にて、太陽の舞踏が再現されている。

演出の流れを言うと
豪雨の中、コバ・ダ・イリアの高台に人びと集結→雨がやむ→聖母出現→太陽の舞踏→難病の病治現象→空から白い花びら奇跡の起こっている瞬間だけカラー映像にかわる)』
となっている。

以下のリンクから太陽の舞踏が始まる6分30秒ぐらいに飛べる。9分00秒あたりから派手にグリグリ動き、凄まじいことになっている。



集まった群衆を弾圧するために招集されていた兵士たちが、任務を忘れて祈り始めた――というのも無理からぬレベルのインパクトである。

こんなのが目の前で起こったら、誰だってそうなる、諸兄だってそうなる。

この現象はなんだったのか。
本当に奇蹟だったのか。あるいは違う何かだったのか。

次項では諸説に触れながら、もう一歩踏み込んでみよう。


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あの娘は太陽の小町

七万人、七万人と言うが、七万人とはどれぐらいの人数なのだろう?
いざ問われてみれば、オカクロ特捜部は「なんとなく、たくさんっす」ぐらいの著しく愚鈍な返答しか持ち合わせていない。

このままではオカクロにも諸兄にも良くないので、『七万人』に対してわかりやすい比較対象を見つけてきた。日本における各地域の有名ドームおよびライブ会場の収容人数だ。
把握できたモノはアリーナ席込みの数値にしてある。

日産スタジアム:75,000人
新国立競技場【未】:68,000人
東京ドーム:55,000人
京セラドーム大阪(旧大阪ドーム):55,000人
札幌ドーム:53,845人
広島ビッグアーチ(エディオンスタジアム広島)50,000人
福岡 ヤフオク!ドーム:38,500人
名古屋ドーム:40,500人
横浜アリーナ:17,000人
大阪城ホール:16,000人
日本武道館:14,471人
ZEPP TOKYO:2709人
後楽園ホール:1655人

ちょうど満員の日産スタジアムからZEPP TOKYOと後楽園ホール満員ぶんの人数を引けば七万人になる。あるいは横浜アリーナの4倍は新国立競技場とファティマを足して2で割った数にほぼ等しい、と覚えておくと試験の時に「これオカクロでやったやつだ!」となるかも知れない

冗談はともかく、カトリックの司祭であったジョン・デ・マルキ(John De Marchi)は1943年~1950年の7年間ファティマで調査を行い、『The Immaculate Heart, The True Story of Our Lady of Fatima』を上梓した。

これによると、この太陽の異常運動はファティマから遠く離れた場所でも確認されたとある。ざらっと目を通した感じでは、詩人アルフォンソ・ロペス・ビエラの約40km遠方からの確認が最長距離だった。

では一端『奇蹟』であるという可能性を横に置いて、他で説明をつけようとしている諸説を見てみよう。

オーロラじゃねぇの説
これは前述のデ・マルキの著作でも触れられている。

オーロラのスペクタクルが太陽の舞踏を演出したのではないかということだ。

オーロラは『北極光(northern lights)』とも呼ばれるぐらいであるからして、さすがにポルトガルでは見られないだろう――という意見も聞こえてきそうだが、この可能性は排除すべきではない。

1938年にはファティマと負けず劣らずの低緯度であるローマでも観測されているからだ。

イタリアのローマが北緯約41度、ポルトガルのファティマが北緯おおよそ39度。(註:0に近づくにつれて赤道に近くなる
ローマより低緯度なのでオーロラ説はちょっと厳しく感じられるかも知れないが、1770年9月17日に現在の北九州、長崎佐賀あたりでもオーロラが現れたことが40種の文献に残されている。その長崎と佐賀の緯度はおよそ北緯33。とても低い。

珍しいからこそ、注目され、珍しいからこそ多くの文献に記録されたのだろう。

いやファティマの群衆も気付くだろ、オーロラならよう
と諸兄は思うかも知れない。

だが、先に預言のついでに触れた1938年のヨーロッパ超オーロラでも、人びとは「世界の終わりじゃあ!」と大騒ぎしている。

オーロラという大気現象の知識があったとしても、目にしたそれをオーロラだと認知できなければ炎のカーテンに見えても仕方がない。
たいそう赤かったそうだし、なんとなくオーロラかな? と気付いていたとしても「世の末じゃあ!」と無責任に騒ぎ立てたくなる気持ちはわかる。

しかし、ファティマでの出来事もオーロラだろうか?

『ずぶ濡れのまま野外にいても大丈夫な気温』で『真っ昼間』に『北緯39度でもはっきりと見られるオーロラ』――と冷静に条件を並べてみると、やはり厳しそうだ。

そしてその日、他の地域での天候の異常は報告されていない。

異常なのは太陽じゃなく群衆の眼説
物理学者のオーギュスト・ミーセンや懐疑論者のジョー・ニッケルなどが主張している。
端的に言うと群衆の多くが『日食網膜症』の影響下にあった、とする説。

太陽を直視することで網膜の細胞が損傷を受け、視力低下を引き起こしたり視野の中央に暗点が残ったり、最悪の場合は失明することもある障害だ。子供の頃に軽度のものを経験した人もいるのではなかろうか。日食と名が付いてはいるものの、裸眼で太陽を見ることでいつでも罹患することが出来る。

ファティマでは群衆たちが長時間太陽を注視していたため、網膜が損傷し、残像なり色彩の変化を体験した。

皆、奇蹟を待っていた。なかには6時間もコバ・ダ・イリアの高台で待機していた者もいた。
ぼんやりと空を眺め、じわじわと彼らの網膜は傷ついた。
そこで唐突にルチアが叫ぶ。「太陽を見て!

瞬間、太陽を直視すると傷ついた網膜が奇妙な像を結ぶ。
すぐに「奇蹟だ! 奇蹟だ!」と騒ぎ立てるモノが現れ、他の日食網膜症の影響にある者もそれを認めて声を上げる。ここで集団心理が働き、『奇蹟の目撃』が情動感染した。

当日に起こった何らかの気象現象、光学現象もそれらを少なからず演出したかも知れない――という事だ。

ミーセンは実際に『太陽の舞踏』が起こるか自らの眼で実験までしている。

『回転する太陽』『極度に肥大、ないし近づいてきた太陽』『ブレるように動く太陽』が起こるプロセスはミーセンの論文で詳しく解説されており、他の場所で起こった太陽の奇蹟にも言及されている。

PDFを上げておくので気になる諸兄は参照されたし。
Apparitions and Miracles of the Sun
真摯に向き合って、他の事例とも照らし合わせ、科学的根拠もある。
だが、なんだかスッキリしない。

七万人の中には懐疑論者も不信心者もいた。彼らはその場にあって、「これ奇跡っていうか、太陽見た時に目がクラクラするやつじゃん?」と気付き、指摘しなかったのだろうか。
現代と同水準の科学的知識はなくとも、子供の頃に太陽ぐらいは見上げただろうに。

――――【2016-05-14追記】―――――― 興味深いtweetがウイジェットに表示されていたので引用させていただく。
閃輝暗点
・片頭痛の前兆症状。まず、視覚障害が起きる。突然、視野の真中あたりに、まるで太陽を直接目にした後の残像のようなキラキラした点が現れる。視界の一部がゆらゆら動きだし、物がゆがんで見えたり、目の前が真っ暗になったり、見えづらくなる。
その後、みるみるうちに点は拡大していく。ドーナツ状にキラキラと光るギザギザしたガラス片や、ノコギリのふちのようなもの、あるいはジグザグ光線のような幾何学模様が稲妻のようにチカチカしながら光の波が視界の隅に広がっていく。これは無数の光輝く歯車のような点が集まり回転しているようでもあり、視界の大部分が見えなくなることもある。これらの視覚的症状は短時間に進行する。

・眼球の異常ではなく、ストレスがたまり、ホッとしたときにこの症状に見舞われることが多い。片頭痛の原因は、頭の血管が何らかの誘因で収縮し、その後異常に拡張すると共に血管壁に炎症・浮腫をおこすためと言われている。閃輝暗点が起こる原因は、脳の視覚野の血管が収縮し、一時的に血の流れが変化するためと考えられている。チョコレートやワインの飲食でなりやすいと言われている。

tweetで指摘されているとおり、7万人が頭痛持ちというのは考え難いが、一時的にソレを引き起こすなにかしらのバックグラウンド(麦角菌やガスなど?)が確認できれば説明が付くかも知れない。症状はたしかに太陽の舞踏と酷似している。
――――追記ココマデ――――

やっぱ大気光学現象だろ説
日食網膜症と双璧をなす説だ。
なんらかの珍しい気象、光学現象が奇蹟に思えたのだろうとする。
これは日食網膜症と複合されたりもする。

具体的にはジョー・ニッケルによって幻日、モック・サン、サンドッグなどと呼ばれる大気現象の可能性が指摘されている。

様々な幻日。 太陽から離れた場所に光源が見える。 一番右はニュルンベルク年代記で描かれた幻日。 デンマーク語ではsolhunde(太陽犬) スウェーデン語ではsolvarg(太陽狼)とイヌ科と結びつけられているようだ。太陽の飼い犬と考えたら、なんだか可愛い。 画像出典:sandog

様々な幻日。
太陽から離れた場所に光源が見える。一番右はニュルンベルク年代記で描かれた幻日。
英語でsundog。デンマーク語ではsolhunde(太陽犬)、スウェーデン語ではsolvarg(太陽狼)とイヌ科と結びつけられているようだ。太陽の飼い犬と考えたら、つかず離れずの距離にいるのがなんだか可愛い。
画像出典:wikipedia:sandogs


いや、なんか凄いけど、ファティマのアレとは違うだろこれ
と諸兄は訝しがるかも知れない。

たしかに太陽犬は興味深い現象である。だが、「これがファティマのアレなのだ」と断定的に言われても、なんだか腑に落ちない。

だって

fatima007c こう、でしょう?

しかし実際に幻日現象を見たこともないのに、否定的に評するのも不誠実かも知れない――と思い、Youtubeに上げられている太陽犬現象をいくつか観察してみた。

が、退屈だった。犬が全然動かないんだもの。もっとこう、グイグイ動いて欲しい。
一応、ファティマの奇蹟っぽいを選んできたので貼っておく。

Weird Video Shoot
Jumping Sundog Crown Flash
ファティマのアレとは違うとしても、凄い現象だとは思う。

未確認飛行物体説
近年、若者のUFO離れが騒がれて久しいが、ことファティマの奇蹟において、こと『太陽の舞踏』において、UFO説は(一部のコアな諸兄に)根強く支持されている。

UFOと言われれば、条件反射で宇宙人を思い浮かべる人が多いだろうが、これは各メディアで繰り返し印象の紐付けが行われたためだろう。
その紐付けは一過性のブームを形成する事には成功したが、商業主義に後押しされた粗製濫造の果てに、コンテンツとしての寿命を縮め、大衆の飽きをも加速させた。結果として懐疑論者たちの儲かりもしない調査業務を増やしたに過ぎない。

実際に『誤認を排除した後に残ったUFO』が何であるのか誰にもわかっていないはずだが、こと日本では『UFO=宇宙人の乗り物=安っぽいオカルト話』という印象が到底払拭できないレベルにまで浸透してしまったように思われる。
UFO研究をしている科学者=学会から見放されたエキセントリックな変人――と見なす向きも強い。

だが世界中で『UFO事件』に分類される奇妙な事件はたしかに起こっており、『宇宙人の乗り物である』という先入観を排してそれらを科学的に解明しようとする人たちもいる。
本来ならここで天文学者であるジャック・ヴァレ博士や他の研究者による調査、あるいはジョン・キールの『超地球人説』などに触れるべきなのだろうが、これらを説明するには冗長難解になりすぎるので別の機会に譲る。そもそも自分でも正しく理解できているのかわからない。

それらの『個々の事例を丹念に精査した結果、難解になってしまった話』に対して、『宇宙人だったに違いないんだよ説』はいたってシンプルだ。

言うまでもないだろうが、この説では動く太陽をUFOとし、聖母は搭乗員だったとする。

そしてルシアが書き残した聖母の姿の詳細をもとに、ファティマに現れた聖母のイラストが描かれた。
以下のモノがそうである。

これが聖母だ! の図。 海外UFOファンサイトで目にすることが出来る。残念ながらイラストの出典元の特定は断念した。 色をつけたらボーボボーになることがよくわかる。

これが聖母だ! の図。
海外UFOファンサイトで目にすることが出来る。残念ながらイラストの出典元の特定は断念した。
色をつけたらボーボボーになることがよくわかる。
余談だが1978年にアルゼンチンに現れたヒューマノイドと似ているとの指摘もあった。


なんだかボーボボーだかレディー・ガガだか判然としないが、とにかく面白い格好をしていることはわかる。

そしてこれが

fatima010

なんだこれは。
聖母をオモチャみたいにして、いいかげん怒られますよ?

冗談だか本気かわからない話ともかく、このファティマ太陽=エイリアンクラフト説は結構人気があるようだ。だが例によって、ちゃんと説明が付いているように見えて、全部宇宙人に丸投げしているだけとも言える。

しかしながら、「いや奇蹟だから」で説明を終わる宗教界隈、預言の利用にばかり執心したスピリチュアル新宗教界隈、「七万人の目がどうかしてたんだよ。解散」とする科学界隈と比較したとき、一番真摯な姿勢で太陽の舞踏を説明しようとしているのがUFO界隈に感じられる。(もちろん箸にも棒にもかからないモノもあるが)

ちなみに、この太陽の奇蹟を扱ったwikipedia(英)のノートで、UFO説を取りあげるかどうかの議論があったのだが
それは仮説ではなく、陰謀論だ」とバッサリ切り捨てられている。ううむ冷たい。

ファンタスマゴリー説
これは人気サイト超魔界帝国の逆襲さんで取りあげられていた。

18世紀末、幻灯機と呼ばれるスライド映写機のルーツとなる機械が開発されると、それを用いて廃墟などで『幽霊出現ショー』が行われた。この見せ物がファンタスマゴリーと呼ばれたそうだ。

ファティマの奇蹟もこれを使用ないし応用したものではないか、という。

一例として、1915年3月にポーランドのプシェミシルという要塞都市で、 ロシアとオーストリア両軍の兵士と街の住民によって、 聖母マリアとその子供キリストのビジョンが繰り返し上空に現れたのが目撃されているそうで、 周辺にいた何千人もの証言がある事から、これらの物語は実質的に真実であるとも見なせるものの、 一方で、防衛担当の役人が仕込んだ飛行機の投影装置を利用した事が考えられるそうです。

1917年11月17日付けのメカニックに関する人気雑誌でJ.E. マーフィーさんという人物が書いている報告によると、 「ビジョンは常に夜に現れました。これは彼らが、 雲が低地で覆われた場合にのみスクリーンとして機能する、 ステレオプティコン(立体幻灯機)を飛行機に乗せて、 雲の下700~1000フィートを飛んで映像を投影していたという推測が出来る」という事らしいです。

とても面白い説だ。好き。
航空機を利用して映写する図。

航空機を利用して映写する図。
画像出典:Haunted Ohio


だが昼間の雲に向かって飛行機でなく、地上からハッキリ見えるレベルの映像を投影するのにどれほどの出力が必要となるのか。

仮に技術的にもエネルギー供給的にもそれが可能だとして、高価であったであろう大出力の機械を折からの雨天の下に晒し、ただ雨が止むのを待っていたのだろうか。

『演出された奇蹟』というのは実に興味深いが、『演出』ならば『計画』も必要で、聖母の予告した10月13日にそれを遂げねばならない。もし雨天が続いた場合は照射を中止する予定だった――ならあるいはであるが。

球電とかプラズマとか火の玉だったんじゃね説
またお得意のソレかよ!
と諸兄は憤るかも知れないが、薄い可能性を承知の上で指摘しておきたい。

当日は雨天、のち曇天。球電に付きものと言われる落雷の事実を裏付ける記述は確認できなかったが、雲の中で雷が発生していた可能性もある。
そこから史上類を見ないほど巨大な球電が発生し、こう、複雑な動きを見せて、10分で消えた。
どうだろうか。

あるいは――。
ファティマに集まった群衆は風呂嫌いが多かった。
雨に濡れ、雑菌も繁殖した。その群衆から、こう、メタンガス的なガスだかなんだかが発生して、七万人ぶんのそれが上空にのぼって、こう、何かのキッカケで発火して光球を形作った的な?

あるいは、その発生したガスがあまりにも強力で、吸引して、こう、ガンギマリのアッパーなフィーリングになって、こう――

すみませんでした。

胸がパチパチするほど騒ぐ玉説
原理はよくわからないが、七万人ぶんの元気が、こう、なんというか、呼びかけに応じて、上空に集まって――

すみませんでした。

むしろ、動いてたのは地球説
すみませんでした。



陽はまたのぼり繰り返す

結局、諸説はあるものの、どうもハタと膝を打つようなスッキリ感が味わえない。カトリック界隈の勝ちだろうか。

極端に懐疑的な諸兄などは

いやさ、全部宗教的トランス状態と集団ヒステリーが引き起こした出来事だろ。なんで群衆を映した写真が沢山あるのに、太陽だの奇蹟だのを映した写真が一枚もないんだよ。おかしいだろ

と至極まっとうに訝しがるかも知れないが、仰るとおりである。

せめてボケててもいいから、雲なり太陽なりを映した写真が一枚ぐらいあれば、と悔やまれてならない。
結局、『奇跡が起こった』とする証拠は一切無く、ただ証言の多さが信憑性を牽引している形だ。

この出来事について網羅しようとカトリック解説からUFO論まで様々な資料に目を通したが、文献だけでも凄まじい数が出版されていた。だが出版物の多寡で信憑性は判断できまい。

この項はそんな玉石混合の情報に惑わされ、ほとんど先人の足跡をなぞるだけの無駄足に終わった感があるが、今後ファティマに興味を持って真相を調査せんとする諸兄に情報の足がかりを提供できたと信じて涙を呑みたい。屍を越えていって欲しい。
これを読んだあなた。どうか真相を暴いてください。それだけが私の望みです。


ちなみにヨタ話かな、蛇足かな、とバッサリ切った文章があるのだが、せっかくなので余談がわりに貼っておく。

――――

資料を眺めていて、少し興味深いのが「エンゼルヘアー」についての話だ。
これは空から白い糸が降ってくる奇現象で、最近は話題にもならないが一時期はUFO現象と何らかの関係があるのではないかと考えられていた。
それがファティマの奇蹟の時にも降って来たという話が(主にUFO界隈で)しばしば言及される。

それだけなら「ふうん」で終わるが、面白いのはこのエンゼルヘアーがいつの間にか「白い花」に替わったという話だ。

これはジョン・A・キールが『Operation Trojan Horse』でサラッと書いている。興味が湧いて多くの引用元となっているジョン・デ・マルキの『The Immaculate Heart, The True Story of Our Lady of Fatima』を確認してみれば、たしかに「花がふってきた」とある。
先に挙げた映画『The 13th Day』でもマルキ稿を参考にしたのか白い花だった。
そもそも、エンゼルヘアーが降ったという逸話そのものに信憑性があるのかどうかわからないが、本当にスリ替わったのなら、我々はどこに信憑性を求めればよいのか――と五里霧中である。
カトリックがUFO現象と神の存在を隔てるため、すり替えたのだ!」と『UFO=神』論者は糾弾するかも知れないが、これに取りかかると時間がいくらあっても足りないので見なかったことにする。

――――

オカルトクロニクルとしては、『ルシアの言に客観性なし』という視座からこの項を書いたが、じつはルシア自身はそれほど突飛なことは言っていない。
預言うんぬんに関しても、周囲が派手に騒ぎ立てた結果、様々な憶測や解釈が生まれたに過ぎない。

聖母顕現の諸説については別項で取りあげるが、ルシアは敬虔な一カトリック教徒として、至極まっとうに生きた。

彼女はファティマをネタに自分を神格化して新宗教を立ち上げなかったし、露骨な集金もしなかった。

きっと3牧童は何かを見たのだろうとオカクロ特捜部は思う。それが脳外の出来事か、中の出来事かはわからないが。

祈りを捧げるジャシンタ。 歌と踊りが上手く、情緒的な女の子だった。だが聖母に会ってからは、娯楽を罪と考えるようになり、それらの一切をやめてしまった。 彼女はこの後2年足らずで、流行病におかされ亡くなる。 埋葬されてから列福のため15年後30年後と2度掘り起こされたが、遺体に腐敗(特に顔)が見られなかったため死してなお、不朽体として担ぎ上げられた。 せめて笑顔の写真を、とかなり資料を漁ったが、結局、ジャシンタが笑顔で写っている写真は一枚も見つけることは出来なかった。

祈りを捧げるジャシンタ。
彼女は歌と踊りが上手く、情緒的な女の子だった。だが聖母に会ってからは、娯楽を罪と考えるようになり、それらの一切をやめてしまった。
彼女はこの後、2年足らずで流行病におかされ9歳で亡くなる。
埋葬されてから列福のため15年後30年後と2度掘り起こされたが、遺体に腐敗(特に顔)が見られなかったため、死してなお不朽体として担ぎ上げられた。
女の子なんだから、こんなしかめっ面じゃなくせめて笑顔の写真を――と、かなり資料を漁ったが、結局、ジャシンタが笑顔で写っている写真は一枚も見つけることが出来なかった。



聖母顕現に立ち会った多くの子供たちのなかには、のちに「嘘でした」と告白する者もいる。

『ポンマンの聖母』(註:1871年、フランスはポンマンで起こった聖母顕現事例。間近に迫った敵軍の撤退、戦争終結と徴兵された子供たちの生還を預言した。バチカンの数少ない奇蹟認定事例のひとつ)を体験した主要人物の一人、ジャン=マリ・ルボセ(当時9歳)は半世紀後にそれまで語っていた体験報告を撤回している。

この事例でルボセは、最初に目撃した男の子の発言をなぞり、自らがおこなった証言も体験も、それを反復したモノに過ぎないと認めた。
つまり自分は何も体験していないと。

それほど多くもない暴露事例を引き合いに出して、「そらみろインチキだ」と鬼の首を取ったかのように言うのは決して品のある行いとは言えないが、我々は他の出来事との共通点を指摘することができる。

それは、スピリチュアリズム。降霊会の『フォックス姉妹【別項】』を連想した諸兄も少なくないはずだ。

彼女たちも子供の頃に霊媒として祭り上げられ、大人になったのちにインチキを暴露している。

聖母の出現―近代フォーク・カトリシズム考』で関一敏氏は
パフォーマンスとオーディエンスの協同作業」が聖母出現事例やスピリチュアリズムの事例に見てとれることを指摘し、最後にこう結んでいる。

この世ならぬものとの交流をはたした英雄的主人公は、この世への「帰還」という最大の試練に直面する。
たとえば天理教教祖中山みきのように固有の表現媒体を獲得しえた存在は、それまでの生活体験を一個の新たな世界観へと練りあげるところにまで到達する。この場合、見者の帰還はそのまま教祖の誕生であった。
10代前半の子供たちは、どのようにして「帰還」しなければならなかっただろうか。


かくして、ファティマの奇蹟は幾つかの謎を残したまま、事件からもう間もなく100周年を迎えようとしている。

あの日、奇蹟に立ち会った者たちのほとんどが世を去り、信仰と議論と聖堂だけが残った。
そしてきっと、これからも誰かの思惑に添った『新しいファティマ第3の預言』が作られ、まことしやかに囁かれてゆくのだろう。

最後に
俺たちには人類の融和と平和と平等を訴えるくせに、聖母はカトリックにばかり肩入れしてる! こんな不平等なことはない!

と憤りを感じてしまうヒネくれた諸兄のために、メジュゴリエで取材を受けたあるカトリック司教の発言を引用してこの項を終わる。

「きりがない! わしはひとりの日記を見た。聖母との対話が書かれているやつだ。戯れ言だらけだよ! 聖母マリアが、司教たるこのわしの悪口をいっている。おまけに、フランシスコ会の連中に肩入れしている。聖母マリアがどの宗教も同じだとぬかしている。それから、聖母は自分の誕生日を変更していた。そのうち、無原罪の御宿りの日付けも変えるだろう」

ワロタ

■参考資料ファティマ第三の秘密-教皇庁発表によるファティマ「第三の秘密」に関する最終公文書ファチマの聖母の啓示―現代の危機を告げる ルチア修女の手記バチカン・シークレット—教皇庁の秘められた二十世紀史THE TRUE STORY OF FATIMA Father John de Marchiファティマ 第三の予言検証 予言はどこまで当たるのか聖母の出現―近代フォーク・カトリシズム考奇蹟との対話マリアの出現 (serica books)ファチマのロザリオの聖母日本における「ファチマの聖母」に対する信心(声 917)日本精神病院協会雑誌 1985.vol4no5 時評 ファティマの予言Operation Trojan Horse: The Classic Breakthrough Study of UFOs奇説・戦時中の聖母や天使の降臨は軍事戦略的なホログラムだった?:超魔界帝国の逆襲The Real Secrets of Fatima – Joe Nickell‘Miracle’ Statue of Fatima – Joe NickellApparitions and Miracles of the Sun地中海歴史風土研究史 12巻『マリア出現に見られる物語性』聖母マリア崇拝の謎—「見えない宗教」の人類学 (河出ブックス)ヴァレ『見えない大学』を読む:又人にかけ抜かれけり秋の暮The Pope’s Fatima fraud:Vati Leaks聖母の出現Miracle of the Sunファティマの聖母ufoplanet.ufoforumL’ASPETTO UFOLOGICO DEI PRODIGI DI FATIMAファチマの聖母マリア・ファチマの真実脳はいかにして“神”を見るか―宗教体験のブレイン・サイエンス「19世紀フランス聖母出現考察:ルルドとポンマン」関一敏茨城工業高等専門学校研究彙報 19「エンゼル・ヘアーの起源と本性について」週刊Xゾーン 33 ――以下それほど参考にしていないリスト――UFO contactee No.113 / ・千年世紀末の大予言 (角川ホラー文庫) / ・絶対に明かされない世界の未解決ファイル99 / ・ファティマ聖母の光績―ノストラダムス、ヨハネ、マラキ、ファティマ予言の統一解釈 21世紀への光明 / ・UFOはこうして飛んでいる!―UFO衝撃の未来図 米軍機にすでにUFO飛行原理が実用化されていた (トクマブックス) / ・第3の予言―UFOからの警告・ファティマ / ・月のUFOとファティマ第3の秘密―NASA極秘写真が明かす (トクマブックス) / ・ノストラダムスの極秘大予言 (大陸文庫) / ・ファティマ・第三の秘密―法王庁が封じ続けた今世紀最大の予言 人類存亡の鍵を握る (1981年) (ノン・ブック) / ・ファティマの真実 (スピリチュアルメッセージシリーズ) /
ファチマ奇跡の写真集―聖母マリア最後の大警告 / ・聖書の暗号は読まれるのを待っている 前文明ムーからの愛のコードと闇の勢力の悪のコード / ・甦るファチマ大預言―戦慄!!聖母マリア血と涙のメッセージ / ・神々の大いなる秘密―宇宙考古学が解き明かす異星人の足跡 / ・予言 ←江原 / ・2001年 人間はこう変わる―ファティマ最後の預言 あなたの人生を進展させる新法則 ←福永 法源 / ・Two Sister Lucys of Fatima?
The 13th Day聖母マリアが現れた?!チーズ・トーストが300万円で落札!レシピ付き。:abc振興会
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