彼女は美人で、生きているかのように脈があり、観客の膝の上に座り、甘えるように囁いた。
真偽の調査あたった科学者が『本物』と認めた美しき霊。
エクトプラズムは生きているか
1870年代。フローレンス・クックという少女がいた。当時15歳(17歳という資料もあり)
ロンドンはイーストエンド出身のうら若き乙女は『霊現象を呼ぶ少女』として、かねてからオカルト愛好家たちの間で評判になっていた。
彼女の開く降霊会の売りは全身顕視と呼ばれる霊が全身を現すものだ。
その霊はケイティ・キング(カティ・キングとも)と名乗る霊で、白いローブを羽織り、室内を徘徊し、さながら生きているかのように振る舞った。
なによりケイティは美人であった。
当時のオカルト紳士たちは、出現したケイティに枯れかけたハートをきゅんきゅんさせていた。
ケイティという名は『霊体』の名前だ。
彼女が生きていた頃の名前はアニー・オーエン・モーガンで、18世紀のジャマイカ総督で海賊でもあったヘンリー・オーエン・モーガンの娘であるという。
つまり、日本風に考えればケイティ・キングが戒名で、アニー・オーエン・モーガンが俗名ということになる。
ケイティはエクトプラズムと呼ばれる霊体で、霊媒であるフローレンス・クック嬢の体から染み出すように出現するのだという。
出現したケイティは観客の横に座ったり、体に触れさせたり、なかなか挑戦的なことをやっており、あまりにもリアル(?)であったため、インチキであるとの疑惑も当初から囁かれていた。
フローリーがケイティを呼び出す際、彼女は必ず『スピリット・キャビネット』と呼ばれる小部屋に引きこもり、10分だか20分だかの時間が経過したあとケイティが出現する流れだった。多くの場合、フローリーは手足を縄で縛られ、インチキを抑止されていた。
世は心霊主義文化が花盛り。
様々な霊媒が出ては消えてゆく時代。
全身顕視。美人霊媒。
縛りあり、お触りOK。
人気が出ないはずがなかった。
いや、一人二役でしょ
当時から『ケイティ=フローレンス』説が良識ある紳士の間で囁かれていた。懐疑派の紳士は言う。「だって、似すぎ」
たしかに、写真を見ればケイティ・キングとフローレンス・クック嬢はよく似ている。
単純に、一人二役だと疑られても仕方がない。なんだかコスプレというか、仮装にすらなっていないような気もする。
肯定派によるケイティの観察が残っているので以下で挙げる。
・最初、ケイティはキャビネットのカーテンから顔を覗かせる程度だった。顔全体が白く、まさに死人のようであった。たどたどしいながら会話は可能。
・薄明かりを嫌がっていたが、慣れる。表情も自然に。立会人が顔に触ってみると、頭部が蝋人形のように陥没していた。
・半年ほどすると、全身が完成された姿を具現化するようになり、照明にも耐性を得る。なんだか陥没も治る。
・皮膚の色を変える技(?)を披露。白色、チョコレート色、漆黒。
・立会人の希望通りの髪型や衣装に変化させる。
・一年ほどすると、キャビネットから完全に出て、部屋の中をうろつくようになる。
意味のある観察かどうかはわからないが、最初の1年はほとんどキャビネットに身を隠していたようだ。
これではトリックが介入する余地が充分にあっただろう。(実際にトリックを行ったかは別として)
なおケイティは白い頭巾や衣装を身につけて居ることが常だったが、これは霊体が具現化する際に細やかな部分の具現を省略する意味があったそうだ。
CGでもあるように、見えない部分は書き込まず、処理負担を軽減するということだろう。リアルであるようなそうじゃないような。
ケイティに触れた者の証言も残っている。
「皮膚は鑞や大理石のようになめらかであった。また体温は人間の健康体と同じであった。しかし手首には骨がなかった。このことをケイティに告げると、彼女は笑って、1~2分も経つともう一度私の前に手を差し延べてきた。そこで詳しく観察したところ今度は骨ができているのであった。
別の日に私はケイティに一言冗談を言ったことがあった。すると彼女は拳で私の胸のところを突いてきた。その一撃にびっくりした私が思わず彼女の手首を掴んでしまったところ、それは紙や薄ボール紙でできていたかのようにしわくちゃになってしまった。私はすぐに手を放し、霊媒に危害が及ばなかったか心配しつつ、状況をわきまえないで手を出してしまった自分の至らなさに恥じ入って謝った。しかしケイティはそんな私を元気づけながら、ワザとしたことでないので心配ないと言った」
科学と霊と霊媒と
良くも悪くも大人気を博していたケイティ・キング。彼女にも調査の手が伸びる。
科学的調査に乗り出した人物はウィリアム・クルックス卿。タリウムの発見とクルックス管の発明で知られる物理学者でフォックス姉妹やダニエル・ダングラス・ホームの調査をした人物である。
クルックス卿は、まず『一人二役説』の調査に当たる。
ケイティとフローレンスが別人だと証明されれば、霊の存在を実証する手掛かりとなるかも知れない――。
この調査で面白いデータが取れている。
・フローリーの体重が50.8Kgであるのに対し、ケイティの体重は25.4Kg。
・身長の違い。
・ケイティの首に出来物がない。
・ケイティにはピアスの穴がない。
・物腰の違い。
・フローリーの脈拍は1分間90回、一方のケイティは75回。
・ケイティはフローリーよりも背が高く太っていたが、小柄で色白の美人に変身することもあった。
・フローリーとケイティが同時に出現。
・ケイティが汗を流しているのを指摘すると、ケイティは「フローリーにあるものは、何でも持っている」と主張し、調査官を別部屋へ呼んだ。そこでケイティは着衣を全て脱ぎ去り、完全な裸体をさらした。美しかった。
・溶けた。輪郭がぼんやりして、両目が眼窩に萎え、鼻が消え、前頭骨は崩れ落ちた。ついで四肢がこわれ、建物が崩壊するように背がだんだんと低くなり、床の上に彼女の頭部が、そして最後に白い飾り布だけが残った。だがそれも掻き消すように見えなくなった。
クルックス卿はフローレンス・クックを本物と認め、実験調査の内容を『スピリチュアル現象の研究』(1874)にまとめた。
しかし、懐疑的な立場を取っていた者の中で「これで科学的裏付けがとれた、フローレンス・クックの霊能力は本物だ」と考えた者は少なかった。
調査を行ったクルックス卿は、これより以前にフォックス姉妹やダニエル・ダングラス・ホームについて本物認定していたからだ。
このフローレンス・クックの調査は、博士が『信奉者寄りの科学者』と決定づけられる以上の成果はなかった。
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伝説にならない事件
やがて、霊体ケイティ・キングが「もう役目が終わったので、霊界に帰る」と言いだし、実際に現れなくなった。これと同時期に霊媒フローレンス・クックはコナーという名の船乗りと結婚したことをあかす。
かくしてクルックス卿による調査は終了したが、中流階級の主婦となったフローレンス・クックは、この後も『マリー』という名の霊を呼び出してたびたび降霊会を行っている。
このケイティ・キングにまつわる一連の事件について、もっとも興味深いのは霊体の顕視や超常現象などでなく、人間模様かも知れない。
ウィリアム・クルックス卿は高名な科学者ではあったが、その名誉をくもらせる評価があった。
美少女フローレンス・クックとのロマンスだ。
主婦となったフローレンス・クックは後年、こう述懐している。
「クルックス卿を誘惑し、ケイティ・キングの降霊が本物で通用するよう言い含めました」
これはもう、ペテンの暴露と言って良いだろう。
もちろん、フローリーの言葉だけを信用するわけではない。
フローレンス・クックと一時期コンビで霊を呼び出していた霊媒師メアリー・シャワーズという女性も、クルックス卿に霊体を見せて驚かせているが、後に「全部インチキでした」と告白している。
ケイティを演じたのは時にフローリー、時に妹のケイト・サリナ・クックだったのだろうと言われている。そして、後に雇われていた女中も名乗り出ている。
口の悪い者に言わせれば、この一連の騒動をして『心霊研究を隠れミノにして、中年の科学者と若い女が火遊びに耽っていただけ』となる。
フローリーがケイティを出現させていた頃、フォルクマンという男がインチキを疑い、降霊会中にトリックを暴こうと大騒動を起こした。
ケイティの腕を掴み、キャビネットの中を検めようとしたのだ。幸か不幸か立会人たちに止められて、その暴挙はなんの成果にもならなかった。
面白いのが、このフォルクマンという男が、後にフローリーの同業者である女霊媒アグネス・ニコル(後のガッピー夫人。デブで有名)と結婚していることだ。
このフォルクマンという男、トリックを暴こうとした懐疑主義者だったのか、あるいは根っからの心霊主義者だったのか。それとも恋人の商売敵をやっつけるために動いた色男、あるいはガッピー夫人が本物で……というのは言い過ぎだろうか。
とにかく、想像力を刺激してくれる男である。
主人公である霊体ケイティ・キングも調べてみれば面白い存在だ。
本名はアニー・オーエン・モーガン。18世紀のジャマイカ総督で海賊でもあったジョン・キング(ヘンリー・オーエン・モーガン)の娘であるという触れ込みであったが、その父ジョンと違い、その娘の存在は歴史に残っていない。
そして、父ジョン・キングという人物は、当時の霊媒業界で大変人気のある霊だった。ジョンは多数の霊媒に呼び出される売れっ子タレントだったらしい。
ジョン・キングを呼び出した(?)著名な霊媒師は片手の指に足りない。
ファーマン夫人:後に詐欺で捕まった。
エウサピア・パラディーノ:有名霊媒。
ダベンポート兄弟:同じく有名霊媒。スピリット・キャビネットの考案者で縄抜けの天才。
チャールズ・ウィリアムズ:インチキ。
フランク・ハーン:上のチャールズ・ウィリアムズとコンビで活動。
ガッピー夫人:フォルクマンの夫。マツコ・デラックス的な体型で有名。
マーシャル夫人
ホームズ夫妻
ハスク
よっぽど出しゃばりな霊だったのか、ちょっと調べただけでこれだけの霊媒師が出てくる。
その大人気な海賊ジョンのネームバリューを利用した……などというのは穿った見方だろうか。
フローリーに関して言えば、後年、『マリー』の降霊をやっている時にインチキがばれている。
とは言っても、『マリー』がフローリーであることは周知の事実だったらしく、ほとんどの参加者が『下着の美女見たさ』で集まったとも言われている。マリーの降霊会自体がハイソな紳士向けのストリップショーとなっていたようだ。
多くの文献で『インチキがばれたことで有名な美人霊媒』という扱いをしているが、一応、信奉者の方々の見解を書いておく。
『ケイティまでは、ガチだった。つまりクルックス卿の調査まではガチンコ霊媒だった。だがケイティが霊界に帰り、霊媒としての能力を失ったフローリーは寂しかった。あれほどチヤホヤしてくれていた人たちが、誰も見向きもしなくなった。だから、もう一度注目を浴びたくてマリー霊というインチキ・ショーを始めたのだ』
という事らしい。
でもクルックス卿を誘惑したしなぁ……。
ともかく、クルックス卿はこの調査以後、大規模な実証調査を行わなくなった。
その後も、心霊研究自体は続けていたようだが、小規模な物ばかりだった。
そして、ほとんどの科学者が霊媒と聞いただけで眉に唾をつけ、魅力的な研究対象とも呼べなくなった。
信奉者までが「クックはねぇ……」と厳しい表情をする中……コナン・ドイルは信奉者を貫いた。
なんだか、ありがとう。ドイル先生。
■参考文献及びサイト コナン・ドイルの心霊ミステリー (ハルキ文庫) ニッケル博士の心霊現象謎解き講座 (Skeptic Library) 心霊現象を知る事典 (英)ジェームス・ランディのフォーラム (英)Wikipedia Florence Cook (英)Mysterious Britain & Ireland