ダニエル・ダングラス・ホーム 19世紀最大の霊媒

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「皆様が気軽に訪ねて来てくだされば、私は喜んで精一杯それをお見せしましょう」男はこう言って、宙に浮いた。炎に頭を突っ込み、触れずにアコーディオンを奏でた。彼の名はD・D・ホーム。その男、最強の霊媒か、最高のペテン師か。

超能力という言葉がなかった時代

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ダニエル・ダングラス・ホーム。今なお伝説的な霊媒として語り継がれている。


タリウムの発見とクルックス管の発明で知られる物理学者、ウィリアム・クルックス卿(Sir William Crookes 1832-1919)は頭を悩ませていた。
目の前にいる男は、いったい何者か。

背は高く、紳士然とした穏やかな物腰。華奢とも言えるスリムな体型に、気の配られた清潔な服。
表情こそどこか疲れを感じさせるものの、それは彼の優雅さを損なうほどでもない。
呼吸器系に疾患――病弱であろうことはすこし話せばすぐわかる。

この男、ダニエル・ダングラス・ホーム(ダグラス・ヒュームとも)が今世間を騒がせている霊媒だ。
スピリチュアリズムに懐疑的な何人もの科学者、有識者たちがその見解をあらため、心霊主義を……少なくともホームの霊媒能力を認めたという。

クルックスがホームのもつという霊媒能力の調査に名乗りを上げたとき、マスコミはクルックスに大喝采を送った。心霊主義の台頭もここまでだ。著名な科学者であるクルックスが調査するならイカサマはすぐに暴かれるだろう。そんな思惑が(自称)良識人たちの胸の内にあった。

だが、クルックスはいまだ前にも後ろにも進めない状況にいた。
――この男。ダニエル・ダングラス・ホーム。
性格は内気で穏やか。ロマンチストで感傷的でもあり、信心深い。芸術家肌の繊細と、思いやりがあり、敵を作らない物腰。
この一見して善良な男が『王の霊媒』などと呼ばれている。

部屋の中央に置かれたテーブル。そのテーブルの下には大きなカゴに入れられたアコーディオン。
男はテーブルの上に片手を置き、もう片方の手をカゴに伸ばして網目の隙間からアコーディオンをつまんだ。
すると、突然に軽快な音楽をアコーディオンが奏で始める。
無論、この霊媒はアコーディオンに触れているものの鍵盤には触れていない。、そのうえアコーディオンの生命線とも言える蛇腹には手も触れていないのだ。
シュールな絵である。
大の大人が難しい顔でアコーディオンの自動演奏を聴いている。

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クルックス卿の行った実験。テーブル下のカゴの中にアコーディオンがある。


やがてアコーディオンはカゴから引っ張り出され、見物人、調査者の手に渡ったが、それでもしばらくは演奏が続いた。
クルックスも頭を抱えるしかない。

この男、宙には浮き、霊手なる手首から先だけの存在を召還し、火には頭を突っ込む。それだけじゃない、他にも、他にも……。
クルックスは考えた。

――霊媒能力って、あるんじゃね?

クルックスはのちに心霊主義を肯定する研究結果を発表し、それはマスコミに落胆とブーイングをもって迎えられた。

クルックスはその実直な人柄以上に、調査者としての無能さを露呈した――という向きもある。別の科学者、別の懐疑論者をもって調査に当たらせるべきではないかとマスコミは苦言を呈した。個人的な意見を言わせてもらうと、残念ながら『その通り』である。

このサー・クルックスはフォックス姉妹やフローレンス・クック嬢の調査にも顔を出している心霊調査界の常連で、そのいずれにも肯定的な調査結果を発表している。これは個人的なイメージでクルックス卿の名誉を貶めるようで悪いが、なんだか霊媒能力の是非以前にエロ調査官の印象が強い。美貌のクック嬢を手込めにしたという噂は伊達じゃない。
徹底した科学調査というよりは、心情に基づいた調査のように思えてならない。間違ってたら、すいません、サー。

シャーロック・ホームズで有名なサー・アーサー・コナン・ドイルもまた、ホームを『本物だ』と認定し、ラブコールを送りまくっているが、ドイル卿はなんだかすごく素直で、無邪気で憎めない人なのでオカクロ的には擁護に回ります。この人、好きなんです。

ともかく、様々な調査者をして「本物だ」と言わせしめ、1500回にも及ぶ降霊会で一度もトリックを暴かれなかった、まさに『別格』と言われるダニエル・ダングラス・ホームは何者だったのか。
19世紀最大の霊媒と呼ばれた男の様々な事例を再検討してみよう。

その男、霊媒につき

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骸骨と見つめ合うホーム。


D・D・ホームはイギリスはスコットランド、エジンバラ近辺の村で生まれた。女性的であったと言われる少年の頃から体が弱く、しばしば気絶したそうだ。肺結核を病んでおり、最終的には肺の片方を切除し、ますます病弱に拍車を掛けた。
17歳のころ、叔母一家とともにアメリカへ渡ったが、その頃からホームの周辺では奇妙な現象が起こり始めた。
部屋のあちこちからラップ音が聞こえ、家財道具が右へ左へと飛び交う。典型的なポルターガイスト現象である。
ホーム自身はコレを面白がってカラカラ笑っていたそうだが、叔母一家はたまったモノではない。気味悪いったらない。
この子は悪魔に魅入られてるんじゃなかろうか。
これはちょうど、故郷の村でホームの実母が亡くなった時期と符合し、それもあってか気味悪さは倍増。叔母一家はとうとうホームを家から追い出してしまった。

この出来事は今後のホームの人生における霊媒キャリアの転換点となった。
おりしもこの頃、ニューヨークはハイズビルでの騒霊事件によってフォックス姉妹を呼び水とする心霊主義が世間を大きく騒がせていた時代だった。
様々な町で夜な夜な降霊会が催され、人々は霊界との通信に夢中になっていた。

そんな時期に降霊会へ現れたホームはまさに異常事態とも言えるポルターガイスト現象を人々に見せつけ、その圧倒的な霊媒能力を証明する。
「関節を鳴らしてるんじゃないか?」という疑念すら生まれないほとんど雷鳴に近いラップ音が部屋中にとどろき、1人の力では到底動かせないようなテーブルが人々を押しのけて縦横無尽に動き出す。
ラッパと鈴が調子はずれに鳴りながら、部屋のあちこちを飛び回り、グランドピアノは踊り出して、やがて楽器たちは合奏を始める。
これは、尋常ではない。

当時の降霊会といえば部屋を暗くして薄明かりの中で行うのが慣例であったが、ホームは「トリックを行う余地が生まれる」として、わざわざ部屋を明るくして行ったと言うから驚きだ。

そうして海千山千の霊媒界にあって、ホームの名声はイヤが上にも高まってゆく。
そうした中で1852年8月8日、ホームの地位を絶対のモノにした出来事が起こった。
その日の降霊会に参加していた『ハートフォード』紙のF・I・バーの言葉はこうある。
まったく予想だにしていない事が起こった。ホームが不意に空中へ舞い上がったのだ。私は驚きのあまり握っていた彼の手を反してしまった。すると、空中に浮かんだ彼の足が私の手に触れた。
見上げると、彼は歓喜と恐れのの入り交じった複雑な表情を浮かべ自分ながら驚いているというふうだった。1回、2回と彼の体は床から離れ、3回目には天井まで昇った。
ホーム、最初の空中浮揚の記録である。
彼はこれを皮切りに以後100回以上の空中浮揚を披露することになる。
繰り返したためか技術は向上し、空中を歩き、水平に飛行し、宙に浮いた証拠として天井に×印を残したという。

現代でも空中浮揚はホームの代表的な能力として、多くの場合ホーム=空中浮揚としてセットで語られる事が多い。

驚異的な、あまりにも驚異的な

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ウォード・チェイニーの家での空中浮揚。


ホームの見せた特殊能力を羅列すると、だいたい以下のようなものである。

耐火特技:燃える石炭を素手で扱う。観客から借りたハンカチに灼熱の石炭を入れ、コレを相手に渡す。だがハンカチにも皮膚にも焼け焦げの痕跡は一切残らない。時には燃え上がる炎を自らの頭部をさらす。だがやはり髪や皮膚に影響がない。

騒霊現象:言わすと知れたポルターガイスト。1人では動かせない重量のテーブルが降霊会の参加者を押しのけて縦横無尽に動き出す。ラッパや食器の類が宙を舞う。部屋中から響く大音量のラップ音、さながら雷鳴のごとし。ホームの起こすそれは、同時代に活躍した他の霊媒と比べても、ズバ抜けて派手である。

のびる体:浮揚時にホームの体に触れた研究家は波打つような感覚を手に受け、見ればホームの体が20センチ近く伸びていた。このような肉体伸長現象は時として四肢にも起こる。少なくとも30以上は行われた。

自動演奏:ほとんど手を触れずして行われるアコーディオン、トランペット、あるいはピアノによる演奏。曲はHome Sweet Homeが得意曲だった。クルックス卿が検証している。

霊手:手首から指先までだけの物体が部屋中を這い回り、ときには参加者と握手さえした。個人的には一番興味がある能力。

空中浮揚:代表的な能力にして、もっとも議論を呼んだ能力。ホームと言えば『空飛ぶ紳士』の異名があるほど空中浮遊が有名で、ほとんどの文献で触れられている。語られる状況から、多くの場合それがアシュレイ・プレイスでの空中浮揚について触れられたモノであることがわかる。が、この有名な事例についてのおかしな点が懐疑論者によって指摘されている。これについては後述。

これらの現象を目撃し、本物だ、と認めた有名人も多い。ホームの擁護者として有名なのが
ロシアの科学者、アレキサンデル・フォン・プトレロフ。
シャーロック・ホームズシリーズの著者コナン・ドイル。
タリウム元素を発見したサー・ウィリアム・クルックス。
ナポレオン三世。ロシア皇帝。ドイツのウィリアム1世。ババリア公、ヴァルテンブルグ公。
最後のほうは書いたモノのよく知らない人物である。

他にも知識階級や貴族階級の人物が多くホームを支持した。

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風聞と人物像

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詩人ロバート・ブロウニング。ホームを嫌いすぎて、中傷詩”Sludge the Medium”を発表した。


上流階級のサロンでホームがもてはやされる一方で、彼のことを否定的に受け止める人物も少なくはなかった。
時の大詩人ロバート・ブラウニングは、ホームとディナーを共にした。ホームの行った食後の余興にエリザベス夫人は大喜びであったが、ロバートはお気に召さなかった。
数年後、ホームを題材としたと思われる野卑な中傷詩『霊媒ヘドロ氏』を発表する。

ジェーン・ライアンと言う名の年配の夫人から懇願され、養子となる見返りに金銭的援助を受けるが、この過程で誤解が生じた。ホームはゆすりで訴えられた。裁判官はライアン夫人を偽証で有罪としたが、ホームに対しても金銭の返還を命じてこう断言した。
「本官は心霊主義を妄想と考えるモノである。よって、原告をかかる妄想の被害者と考えるのは理の当然である」

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ホームの能力と人柄に惚れ込んだコナン・ドイル。


こうして否定派からは『職業霊媒』、『金儲けのための心霊主義』というレッテルを貼られがちであるが、金銭に関してホームは潔癖であり、金儲けのために降霊会を行うことはなかったし、奇現象の見返りに金銭を要求することもなかった。

1857年にはパリのユニオンサークルから2000ポンドの金銭提供の申し入れがあった。2000ポンドといえば、現在日本の貨幣価値に直すと5000万円に相当する大金である。当時、ホームは貧しく、病身でありながらその申し出を固辞している。

能力を見せた見返りに、参加者から食物や日用品を受け取ることはあったが、ほとんどは無償で能力を見せていた。王室からも様々な贈り物が贈られたが、それは受け取りを拒否すれば非礼に当たるたぐいのものであった。指輪であるとかネクタイピンであるとか、どちらかというと友好の証のようなモノは受け取った。

のちに、ホームのサインが入ったメモが見つかり、清廉潔白と評されるホームが金を取っていた! ――と騒がれたことがあったが、よくよく調べてみれば、それは小切手であり、それもホームが友人宛に切ったものだった。生活に困った友人に50ポンドの身銭を送ったものだった。
ホームが金銭に困った友人のために金を送っていた証拠はのちにも多く見つかっている。
貧しくとも、いかなるときも友人を大事にする人物だったとコナン・ドイルは回想している。

清廉潔白で優しい人物であったからといって、それが優れた霊媒、本物の霊能力者の証左となり得るものではないが、少なくとも人間として立派な人物であったことは確かなのではないかと僕などは思う。
コナン・ドイルによる人物評

彼が彼の得た成果についての立証が求められる際、一般的ではない儀式(怪しげな降霊会)に参加したと言うことで、その人が迷惑をこうむらないことが確信できないかぎり、決して人の名前を引き合いに出そうとはしなかった。ときにはその人たちが自分の名前を公表するすることを気軽に許可した後でも、気がつかないうちにその人を傷つけるのではないかということを心配して、なおその名をふせていた。
ホーム本人の主張

私はこのような力に恵まれています。ですから皆さんが気軽に訪ねて来てくだされば、私は喜んで、精一杯それをお見せいたしましょう。そして、そのことをもっとよく理解していただければ嬉しく思います。それが正当な実験でしたら、私はどんな実験にも応じます。しかし、私にはその力を支配することはできません。その力が私を利用するので、私がその力を利用するワケではないのです。それは何ヶ月もの間、私から離れ倍加された力になって戻ってくるのです。私は、それを受け入れる器にしか過ぎません。ただ、それだけなのです。
ホームはクルックス卿による調査が終わり、霊媒としての活動を終えるその時まで終始一貫してこのスタンスを貫いていた。

懐疑論者は懐疑する

『生涯において、一度もインチキだという証拠を掴まれなかった霊媒』として紹介されることの多いホームであるが、一度だけ見破られた事があるのだという。そのせいでフランスから国外退去処分にされた、という話があるが、その件についての詳細がどこに書いてあるのかわからないので詳しく触れることはできない。ソースがあったらご一報いただきたい。

上記の件以外で疑いの目が持たれているのは、かの(ごく一部で)有名なアシュレイ・プレイス空中浮揚だ。
これはイギリスはウィンチェスターのアシュレイ・プレイスで行われた降霊会での出来事を指す。
アデア卿、その従兄弟であるチャールズ・ワイン船長、そしてリンゼー卿といういずれもロンドン社交界の大物ばかりが集まった降霊会で、その際彼らの目の前でホームは空中浮揚したことになっている。

一般的な話としてはこうだ。
その日の夜。アシュレイ・プレイスで行われた降霊会にて、ホームが瞑想状態に入ると、彼の体が浮き上がった。彼は浮き上がるとふわりふわりと寝室から出て、居間の窓辺まで移動し、開いていた窓から外へ出て行った。
驚く3人をよそに、ホームは通りの上空70フィートのところを浮遊して再び別の部屋の窓から家屋内に戻り、再び彼らの前に姿を現した。
これがアシュレイ・プレイスのケースである。奇現象である。

ホームのエピソードとして一番良く語られるこの空中浮揚事件は、どうも事実と異なる部分があるのだという。
まず、名士3人の証言が多く食い違っている。特にアデア卿の証言には一貫性がない。小説家で懐疑論者のジョン・スラデックが著書『New Apocrypha 』で証言の食い違いを書き記している。
アデア卿はそもそもこの降霊会が行われた場所について、証言を二転三転させている。
最初はバッキンガム・ゲート5番地だと言ったが、別の時はウェストミンスターのアシュレイ・プレイスともいう。しかし、同席したリンゼー卿はビクトリア通りだと言う。

アデア:幅約10センチの棚が下にあった。
リンゼー:幅約4センチの棚

リンゼー:足場はなかった。
アデア:バルコニーは約2m離れていた。
リンゼー:バルコニーはなかった。

リンゼー:窓は道路から約25メートルの高さだった。
リンゼー:約21メートルだった。
ホーム:約24メートル

アデア:あたりは暗かった。
リンゼー:月の光で明るかった。

アデア:ホームは一室で眠っていて、見物人はその隣室に移動した。
アデア:ホームは見物人たちを一室に残し、自分だけが隣室へ移った。

とまぁ、記憶があやふやなのか、テキトーに答えたのか、三者三様に食い違っているし、アデア卿自身に至っては自分自身で食い違っている。
こうなってくると、ワイン船長はどうなんだ、となる。同席したワイン船長の証言も確かめるべきなのは明白だ。

しかし、彼は「ホームは一方の窓から出て行き、別の窓から帰ってきた」とだけ答えている。シンプルだ。思考節約の原理であるオッカムの剃刀が正しいなら、コレが正しい。しかし『飛んで』とは証言に含まれていない。

証言の食い違いが必ずしも否定の根拠にはなり得ない。しかし、栄養は充分である。この栄養たっぷりのエサは懐疑論者のさらなる調査を呼ぶ。

アーチー・ジャーマンが1980年にアシュレイ・プレイスについて追跡調査したことがコリン・ウィルソン監修の『超常現象の謎に挑む』に書かれている。(この本、ドでかいけれど、名著です)
ジャーマンはまず、ビクトリア通りにアシュレイ・プレイスを捜した。が徒労に終わる。
次に調べたウェストミンスターでアシュレイ・プレイスを発見する。建物の管理人によれば1845年に建築されて以来、多少の補修を経ただけでほとんど建築当時のままなのだという。

最上階にあるホームの部屋はジャーマンが調査した時にはオフィスになっていたそうだ。この会社の重役がジャーマンの調査にいたって協力的で、色々調べさせてくれた。

ジャーマンは「ホームは窓のひさし沿いに移動し、別の窓から現れたに違いない!」という信念の元、それを自分で再現しようと考えた。重役も協力的だ。
だが、ひさし沿いに移動することは不可能であった。がっかり。

ここで諦めるジャーマンではない。
彼は第2案であった「ホームはバルコニー間にぴんと張ったロープの上を歩いていったに違いない!」という信念のもと、第2案の再現を試みようとした――が、これは管理人に止められてしまった。さすがに危ないよ。死なれちゃかなわん、というわけである。

しかし、ジャーマンは確信している。ホームは少なくともアシュレイ・プレイスではインチキをやった。インチキをやったに違いない、と。

ジャーマンがそう考えるのも、仕方がない。

降霊会の当夜、ホームは3人の参加者に、「何が起こっても、絶対に椅子から立ってはいけない」と指示を出している。
そして、窓から窓への浮揚が終了したとき、約束を守った参加者たちに「ありがとう」と感謝した。
3人は英国紳士らしく、約束を守ったのだ。彼らが約束を守らず、窓辺まで駆け寄っていたなら……何を見たのか。定かではない。
しかし彼らは紳士だった。彼らが見たのは、窓から出て行くホームの背中だけだった。

※余談ではあるが、ホームとアデア卿は『ただならぬ関係』だったのではないか、という噂がある。アデア卿がホームを絶対肯定するのはそのせい――とするのは軽薄であろうが。まぁ噂の域を出るモノではない。

他にも小ネタを紹介しておく。
  • アコーディオンに代表される演奏は、口ひげの下に隠したハーモニカによって演奏されていたという噂がある。ホームの死後、小さなハーモニカが遺品から発見されている。真偽は不明。しかしヒゲの下て……。
  • 能力を認め肯定派になったロシアのアレキサンデル・フォン・プトレロフ博士。彼の娘とホームが結婚している。

大霊媒のその後

ホームはクルックス卿の調査が終了して間もなく、霊媒師としての活動を引退した。
体調が悪化したこともあり、療養をかねてヨーロッパを転々と渡り歩き、1880年に他界した。
常々、「私の使命は人間の不死を証明することだ」とホームが公言していたこともあり、200歳ぐらいまで生きるんじゃあないかという噂も流れていたそうだが、結局自然の摂理には勝てず、53歳で亡くなっている。
『人間の不死』が肉体にかかる言葉か、あるいは魂にかかる言葉かは今となってはわからない。

霊たちの力によってなされたという能力は最後の最後まで衰えず、体調の良いときには友人たちにその能力を披露していたという。

気高き霊媒だったのか、あるいは優しきペテン師だったのか。今となっては文献から想像するしかない。
オカクロとしては、これが『紳士の時代の出来事』だったことを念頭に置いておきたい。
約束を守る紳士たちが霊媒の活躍に一役買っていた――と書いたら懐疑論に傾いてしまうが。

アシュレイ・プレイスの3者だけでなく、懐疑論者も紳士の節度をもって調査に当たっていたのかも知れない。

今の時代にホームレベルの霊媒が現れることがないのは、人間の持つ特殊能力が退化しつつあるのか、それとも霊たちが人間を見放したせいであろうか、もしくはトリックのタネが広く流布されたせいか、あるいは紳士が減ったせいであろうか。
なんにせよ、たいした結論はでそうにない。

■参考文献及びサイト 超常現象の謎に挑む 奇人怪人物語 (河出文庫) コナン・ドイルの心霊ミステリー (ハルキ文庫) ミステリー人物 (Mu super mystery books―事典シリーズ) ニッケル博士の心霊現象謎解き講座 (Skeptic Library) 超常現象の事典 怪奇現象博物館―フェノメナ 心霊現象を知る事典 ジェームス・ランディのフォーラム Daniel Dunglas Home New Apocrypha
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