奥様以外も魔女
当時の人たちを無知だと笑うのはたやすい。だが、我々はどうか?我々はこれほど容易く様々な情報にアクセスできる時代に生きている。にも関わらず、世の中にはデマが横行している。
ある殺人犯は言った。
「時代と方法は変化するが、人間はずっと同じままだし、その人間が生み出す結果も同じだ」と。
そして、こうも言った。
「人はより賢くなるわけじゃない、ただより多くのことを知るだけだ」
殺人犯カール・パンズラムの言葉は真理かも知れない。少なくとも、この事件に関して言えば、現代に生きる我々がセイラム裁判の関係者を断罪するのはフェアな行いとは言えまい。
だが、当時のセイラムにも『魔女裁判』についてバカバカしいと感じ、懐疑的な視線を向ける者はいたし、『歯止め』を効かせようとした者もいた。
たとえばマーサ・コーリー。
たとえば、ジョン・プロクター。
ジョン・オールデン船長にジャイルズ・コーリー。
このあたりはみんな、告発された。
捕吏代理のジョン・ウィラードという男は、何人かを逮捕した後自分の任務に嫌気が差し、叫んだ。
「娘たちを縛り首にしろ。あいつらはみんな魔女だ!」
これも、もちろん言ってはいけない言葉だった。ウィラード、アウト。
彼はもちろん娘たちに告発された。頑張って逃走しようとしたが、あえなく逮捕された。
ロバート・パイクというソールズベリーから派遣された治安判事も書き残している。
「被疑者たちが容疑を否認しておきながら法廷で魔術を使って少女たちにひきつけ起こさせているとしたら、それは自分が犯人であると、触れ回っているようなもので、愚の骨頂だ。少し考えれば誰だってそんなことはしない」
魔女狩りを扇動したと思われがちな聖職者の中にも、この裁判のやりかたに批判的な人物はいた。
隣町から応援に来たディアーダ・ローソン牧師だ。
「十分な根拠もないのに、慌てて他人を調べるのは、まさに悪魔のような行為だ。悪魔は、偽の告発者だ」
こんなこともあった。絞首刑の丘でバローズ前牧師が処刑される直前、バローズが聖書を見事に暗唱しはじめ、刑の執行が滞った。
村人たちは動揺したのだ。
魔女とは魔に属する存在であり、聖書の言葉は唱えられないと考えられていた。なのにこのエセ牧師は聖書の文言を口にしているではないか。これはどういうことだろう、と。
そのとき、コットン・メイザー牧師(権威のあるボストンの教会の牧師)が動揺する民衆にむかって「悪魔は時に天使を装うものである!」と一喝し、執行に踏み切らせた。
このコットン・メイザーはこの事件を悪化させた『悪要因』として書かれることが多いが、裁判のさなかに以下のような考えを書き残している。
「そのうち罪のない、常に道徳的な人でさえ危険にさらされることになる」
一応はこの事態の危険性を把握していたようだ。
とはいえ、ふと考えただけで、特に意味は無かったようである。
その時にはすでに『常に道徳的だった人』たちは裁かれていたのだから。
そして、そのコットン・メイザー牧師の父であり、大物であり、聖職者でもあるインクリース・メイザーも事態の悪化を懸念するようなことを書簡に書いていた。
「1人の無実の人間に有罪判決を下すよりは、10人の魔女を釈放する方がよい。罪ある人が有罪の根拠なく判決を受けるよりは、罪の許しを与えられる方がよい。魔女を無実の女性として裁くほうが、無実の女性を魔女と裁くよりいい」
セイラムの魔女裁判について、『完全なる集団パニック』だったというイメージが定着しているが、以上のように有力者、あるいは裁く側にも歯止めのキッカケとなるような懐疑的、理性的な考えは存在した。
だが、誰にも止めることが出来なかった。
これが茶番だと確信していても、声を上げることも出来なかった。
言えるはずがない。懐疑的な者や否定的な者は次々に魔女として告発、排除され、誰もが「次は自分かも知れぬ」と怯える生活だったからだ。
だって、『あのレベッカ・ナース』ですら処刑になったじゃないか――。
ちなみにティテュバが自白した件について考慮しておくべきなのが、彼女が『主人の命令は絶対』である奴隷だったという事だ。
こうして事件は暴走し続け、『9人の魔女』を遙かに超えた100人が告発され、うち19人が絞首刑の丘で風に揺れた。
州知事が異常事態に気付かなければ、おそらく全員が吊されていたに違いない。
驚いたことに被害少女たちは余所の町から招聘を受け、『出張鑑定』のような事までしていた。そしてそこでもやはり告発を行っている。
では、どうしてこのような悲惨な事態になったのか。要因とされる諸説を挙げてみよう。
少女たちのやりすぎたイタズラ説。
誰もが一番に考えるであろう説だ。当時の人たちの中にもこの可能性に言及する者もいた。もちろん、告発される憂き目に遭ったが。
このイタズラ説を元にした戯曲が作られ、それを元に映画『クルーシブル [DVD]』も撮られている。
映画では、少女たちは森の中でティテュバと黒魔術ごっこに興じ、それを見とがめられたためにティテュバに罪を押しつけて叱責を逃れ、やがて暴走してゆく。
登場人物は多少脚色されている。
アビゲイル(11)がアビゲイル(18)に変更されており、そのアビゲイル(18)がタフ農場主ジョン・プロクターを愛するあまり、黒魔術でプロクターの妻を殺そうとすることから話がこじれてゆく。
これはあくまでもフィクションではあるが、少女イタズラ説には証言が残っている。
ダニエル・エリオットという男が被害娘たちの一人から、3月の下旬にこんな言葉を聞いていた。
「私たちは楽しみのためにやったのよ。私たちには楽しみが必要なの」
これはもう自白だの暴露だのと言っていいだろう。
勇気あるダニエル・エリオットは裁判で上記の暴露話を証言したが、これは何故か無視されている。
そして、「鞭で叩くって脅したら治るよ!」と完全に否定派であったタフ農場主ジョン・プロクターもこのイタズラ説の補強要因だ。
彼が世話をしていた召使いメアリ・ウォレンは、裁判騒ぎの途中で一度、痙攣娘クラスタから離脱している。
メアリ・ウォレンは、恋愛感情とは言えないまでも、ジョン・プロクターに対して尊敬の念を強く感じていたとされ、プロクターが被害娘たちから告発された際、裁判でプロクターに不利になる証言を一切しなかった。
そしてそのまま被害娘群から離脱し、「嘘をついていました。告発は全部ウソ」と証言する。
これで騒ぎが収束すればまだ救いがあった。だがそうもいかない。
『暴露』したメアリ・ウォレンが今度は被害娘たちから告発されたのだ。露骨に――裏切り者には死を、である。
ここでメアリ・ウォレンは証言を翻し、今度はプロクターに不利な証言をした。「嘘の告発が嘘。魔の者であるプロクターさんに無理やり言わされた」これでプロクターは終わった。
少女イタズラ説では、この一連の流れをしてコレこそが揺るぎがたい証拠だと考える。
大人たちが少女たちの言いなりで、あまりにも不甲斐ないように思われるが、裁判を執り行う判事や牧師たちが「少女たちはあくまで無垢な被害者であり、被害者を疑うなんて!」という姿勢であったゆえ仕方がないと言えば仕方がない。
このような『無垢に嘘なし』という考え方は、ピューリタンの発想が強いと分析される。だが、どんな時代にも『被害者』という立場の優位性をよく理解し、それを演じ、利得を得る者がいるのは事実だ。
オカルト・クロニクルとしてはこの説を支持しがちであるからして、どこか誘導的な文章になってしまっている。
ここで公平を期すため、事件からかなり年月が経過した頃にアン・パトナムjrが出した謝罪文に触れておく。
その謝罪文では「自分たちの身に起こったことのせいで、様々な人たちに多大な迷惑をかけた」とあり、イタズラだったとは書いていない。これは大人になってからの告白である点、教会に提出している点、(一応は)敬虔なピューリタンである点、以上の三点からそれなりに信用してよい告白と思われる。
そして、被害娘のだれもが事件収束後に「演技だった」と言い出さなかったことも付け加えておく。
これは彼女たちが本当に被害者だった、ないし被害者だと思い込んでいたという証と言えるかも知れない。
集団ヒステリー説。
少女たちが集団ヒステリー(集団パニック)に陥っていたとする説。思春期特有の自意識の肥大と行き場のない閉塞感が彼女たちをヒステリーに追い込んだ――。これは別段珍しいことではなく、現代でも世界中で報告が上がっている。
日本における事例をあげてみれば
・2006年 千葉県船橋市のショッピングセンターで11人の中学女生徒が相次いで倒れ、搬送され内4名が入院。
・2007年 三国ヶ丘中学校。社会科見学に向かうバスの車内にて怪談で盛り上がり、誰かが「幽霊を見た」と騒ぐと、11名が過呼吸となり病院へ搬送。
・2008年 沖縄県真志喜中学校で、20人が過呼吸。室内に霊的なモノが見えるというので、ユタお祓いを行っていた。
・2013年 兵庫県立上郡高校で女生徒21名が過呼吸で倒れている。18名が病院へ搬送され3名入院。
などがある。
そして記憶に新しいのが福岡県の私立柳川高校で起こった集団パニックだ。
英彦山に遠足に行ったあと、女子生徒計26人が次々に体調不良を訴え、倒れた。なかには取り憑かれたように男声で「俺を殺してくれ」だの「しにたいんじゃ」などと喚く女生徒もいたという。
時代を遡れば、こっくりさんによるパニックや口裂け女、豊川信用金庫事件取り付け騒ぎ、オイルショック、ええじゃないか、と集団ヒステリーと思われる事例が多々存在する。
別項で取りあげた『岐阜県富加町の幽霊マンション騒ぎ』や『サン・メダール教会―狂信者に起こる奇跡』にも同様の可能性が指摘されている。
では、セイラムでの一連の騒ぎも集団パニック、集団ヒステリーだったのだろうか?
ここでタフ農場主ジョン・プロクターと被害娘メアリ・ウォレンの出来事を思い返してみよう。
プロクターに脅されることにより(註:実際に叩いたとする話もある)、メアリ・ウォレンは一時的に痙攣に始まる諸症状が消え、正気に戻った。
これをして、詐病だったと考えることは簡単だ。
だが、集団パニックに対し、ショック療法がある一定の効果を上げることをチャドウイック・ハンセンが著書の中で指摘している。映画などでよくある、混乱した人に対し「しっかりしろ!」と怒鳴り顔を平手で打つアレである。
つまり被害少女たちの症状は詐病などでなく、彼女たちは本当に集団パニックに陥っていた、と考えることもできる。
集団パニックで良く見られる症状として、痙攣、歩行障害、失神、過呼吸などの呼吸困難、意識障害、妄言、幻覚、そして興奮、恍惚、恐慌状態等の精神状態の伝播などがあり、これらはたしかに被害娘たちの症状と当てはまる。
集団パニック、そして負の群集心理が相乗効果を生み、救いがたい悪循環の渦となった――。
ピッタリとハマる過不足ない説のように感じられる――が、なんだかスッキリしない。
少女たちの発作の起き方が、どうにも都合が良すぎやしないか。
ピューリタンほど清廉潔白でないオカルト・クロニクルとしては、やはり痙攣娘たちを車輪に縛り付けて鞭打ちたい。
こんなことを言うのも、彼女たちが懐疑派を告発がするタイミングがあまりにタイムリー過ぎるからだ。否定したらすぐ魔女扱いするし……。ゆえに『邪魔者を排除した』ように見えてしまう。
詐病がばれて怒られるのが嫌で、懐疑派を排除したのでは? と底意地悪く疑ってしまう。
とはいえ、すべてが詐病でなく、被害娘のたちの誰かが本当に精神に問題を抱えており、それが年頃の少女たちに伝染したと考えることもできる。
その『誰か』以外は実際の病気ではないがゆえ、騒ぎが大きくなってきた頃に我に返り、それ以降は被害者を演じた――。
では『誰か』は誰か?
この『誰か1人はガチだった仮説』の可能性を模索したオカクロ特捜班は1人の少女に突き当たった。
被害娘たちの中心人物であった、告発の鬼、アン・パトナムJr(12)だ。
アン・パトナムJr(12)は村の有力者パトナム家の娘だったが、その母アン・パトナム・シニア(母子が同名)も実は痙攣症状を訴えている。
少女たちの陰となり、あまり注目されていないが、アン・シニアも被害少女たちと同様の症状に苦しんでいた。
そして、長く精神病を患っていた。
その精神病というのがどのようなモノであったかはオカクロの調査力では判明しなかったが、少なくとも偏執狂的傾向はあったと『少女たちの魔女狩り―マサチューセッツの冤罪事件』で指摘されている。
遺伝性のモノでなくとも、その病気になりやすい体質というモノが遺伝しやすいのは確かだ。
何かしらの病気がアン・パトナムJrに発症し、その病の表層的な部分だけが他の少女たちに情動感染したと考えることは出来ないだろうか。
関連づけて考えるのは良くないかも知れないし、どこまで本当かわからないが、アン・パトナム・シニアは自分の娘に、『ヨハネの黙示録』や『最後の審判の日』を読み聞かせていたという。
『最後の審判の日』は1662年にマイケル·ウィッグルスワースの手によって書かれたピューリタン向けの長編詩で、原題の『The Day of Doom』からわかるように、いわゆる終末モノである。恐ろしい最後の審判を淡々と綴っている。
以下が有名な文節だ。
洗礼を受けないまま死んでゆく不信心者に向けて神が言う。
「それは罪である。だからお前たちは天国で幸せに暮らすことは望めない。だが、私はお前たちにあてがうだろう。地獄の中では一番住みよい部屋を」
そしてアン・パトナムJrはそういった恐怖の終末モノを好み、いつしか自主的に読むようになった。
この時代にテレビのコメンテーターがいたならば、こう言うのではないだろうか。
「アン・パトナムJrの部屋にはこうしたホラー小説が多数あり、彼女はそれらに影響を受け今回の犯行に――。これを表現規制を考える良い機会に――」
麦角中毒説。
最近、他の中世の事件でもポツポツと囁かれる説だ。いくつかの自然に発生するカビ中毒素(トキシン)に起因する菌類中毒で、麦角菌に汚染された麦や穀類を一定量以上摂取すると、主として痙攣性麦角中毒症と壊疽性麦角中毒症という二つの症状を引き起こす。
症状としては身悶え、震え、痙攣、ひきつけ、いくつかの麦角アルカロイドは、身体のドーパミンの働きに干渉し、混乱、妄想、幻覚を引き起こすとされる。
この説では、裁判記録にて証言されている少女たちの奇行や、さまざまな症状は麦角中毒症によって説明できるとする。
つまり、一時的な盲目、聴覚の失調、失語。火の玉ないし『白く輝く者たち』の幻を見る、幽体離脱的体験――。
では、当時のセイラムで麦角中毒はあったのだろうか?
メアリー・キルバーン・マトシアンは著者『食物中毒と集団幻想』のなかで興味深い指摘をしている。
麦角を3%以上含有するライ麦粉から作られたライ麦パンは、サクランボのような赤い色をしている。そしてパリス牧師の牧草地で行われた聖礼典に出席した3人のエセックス州の女性は、聖礼典用のパンが赤かったと証言していたと。
つまり、「セイラムの村人は、麦角まみれのパン食ってガンギマリになったんじゃね?」という話だ。
マトシアンは著書の中で、セイラムで奇行が見られ始めた時期と気候変動の様子、収穫から貯蔵期間のデータを提示し、麦角中毒の可能性を指摘している。
これは、綿密なデータではあった。
だが、オカルト・クロニクルとしてはそれらが恣意的に麦角中毒に結びつけようとしているように思えてしまった。
無理にでも麦角菌のせいにしようとして、細い細い糸を手繰っているだけに見えてしまう。オカクロがよくやる『結論ありきの推論』を聞かされているような感じだ。
自分でやるぶんには良いが、他の人にやられるのは愉快ではないのだ。
ともかく、真面目に反論すれば、こうだ。わざわざ『赤いパン』に言及したならば、それが『珍しかった』ことの裏返しであり、日常的に目にするものではなかったと考えるのが自然ではないだろうか。日常的でないなら、長期にわたる麦角中毒の根拠としては弱いのではないだろうか。
それにプロクターは「叩いたら治るぜ!」と公言しており、実際にプロクター家の召使はそれにより大人しくなっている。麦角中毒が叩いて治るというのか。
そして村のほとんどが同じ物を食べていながら、なぜ一部の少女たちだけがその症状を訴えたのか。
麦角菌で説明しようとするあまり、かえって遠回りをしている説に思えてならない。
ちなみに、心理学者のN・K・スパノスとジャック・ゴットリーブがこの説を不完全だと批判している。
派閥争い説。
セイラムには『親パリス牧師派』『反パリス牧師派』の派閥が存在しており、この裁判は、その派閥争いの代理戦争だった、とする説。これはポール・ボイヤーとスティーヴン・ニッセンボームによる共著 『呪われたセイレム―魔女呪術の社会的起源』に詳しく書かれている。
ポールとスティーヴンには悪いが、ハッキリ言って、よくわからない。もっと言えば、つまらない。
たしかにセイラム村には派閥があり、魔女裁判に至るまでに政治的対立があったのも歴史的事実であるようだ。何度もモメているらしい。
セイラム村の派閥の状況と、村人たちの意見が1692年の事件に関して分かれた状況との間に、非常に高い相関関係が見つかることは驚くに値しない。なんとかして村からパリス牧師を村から追い出そうとしていたグループが存在し、そこで、魔女裁判を利用して、邪魔者を魔女として告発させ排除した――という筋書きになってゆくのだが、これも牽強付会に思えてならない。
『呪われたセイレム』より
著作では綿密な人間関係の相関図が示され、派閥のネットワークも膨大な文量で書かれているが、そんなモノを見せられても重い。
人間が3人集まれば派閥が出来ると言うし、村社会なら多かれ少なかれトラブルもあろう。この著作ではそれを最大限に陰謀論化しただけに思えてしまう。
この出来事の全体を通して俯瞰してみれば、レベッカ・ナースの有罪判決以降にはそう言う思惑が働いた告発もあったかも知れないが、事件の全編を派閥争いで片付けるには余りにも事件自体が無秩序過ぎるように思われる。
著作をそれほど深く読み込んでいないので無責任な物言いになってしまうが、この派閥争い説に思考節約の原理であるオッカムの剃刀を当てはめれば
「パリス牧師を追い出したいなら、パリス牧師を追い出せばいいんじゃね?」 ということになるのではなかろうか。実際、バローズ牧師は追い出したんだし。
複合要因説。
もうね、ぜんぶ足してしまおう。赤いライ麦パン見て、少女たちはやはり少女らしく「ピンクのパン、カワイー。たべたぁい」と先を争って摂取し、がっつりキマる。
もちろん、赤いパンは全て少女たちがたいらげた。ゆえに他の村人には症状が出ていない。
そして一部の少女が麦角中毒を起こす。
それを見て、他の少女たちが集団パニックを起こす。
集団パニックを起こしながらも、一部の少女は冷静で、まるで軍師のように被害娘たちを扇動する。
もちろん、それはいずれかの派閥のトップに命じられたままに、邪魔者を告発するためだった――!
どうでしょう?
冗談はともかく、おそらく何かしらの複合はあったとは思う。
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魔女たち、還らず
「なんだよ! 魔女狩りって言うから、なんだか不気味な器具を使って、うら若き乙女を責め苛むちょっとアレなモノを期待してたのに全然責めてないじゃないか!」と諸兄は憤るかも知れない。たしかにセイラムの魔女裁判では、自白させるにあたって拷問という手法はとられていない。
もっと言えば、うら若き乙女は告発する側で、さばかれたのは過熟女とオッサンばかりである。
拷問でなく、被告全員が法廷に立ち、証言と証拠という一応の合理によって裁かれた。
ただ、一人だけ例外もいる。
だがこれも諸兄らの期待するモノとは程遠く、溜飲は下がらない。責められたのは、ジャイルズ・コーリー老人(80)だからだ。
魔女とされたマーサ・コーリーの夫ジャイルズ老人は、審問に対して抗議の黙秘を貫き、体の上に次々と重い石をのせられるという嫌な拷問を受けている。
当時の法では被告の答弁がないと裁くことができないため、裁く側はなんとしてもジャイルズに口を割らせる必要があった。
次々にのせられる重石の圧迫に、ジャイルズの舌が飛び出し、判事がそれを口の中に押したと書き残されている。
そんな状況にあって、「喋る気になったか!?」との問いに、ジャイルズはようやく言葉を発した。
「もっと、重しを」
これがジャイルズの最後の言葉となった。
裁判全体を通して拷問という拷問はこれだけで、他の容疑者たちは特に肉体的な責苦を負わされてはいない。
そう言う意味では、理性的であったと言うべきだろうか。
17世紀を通じて、アメリカ植民地全土で魔術により処刑された人数の数は50人に達せず、ヨーロッパ諸国で行われた殺戮を思えば、まだ理性的な数字といえる。
だがピューリタン特有の信仰の歪みはあった。
自分が魔女と認めたものは死刑を逃れ、最後の最後まで魔女であることを認めなかった者がオークの木に吊るされた。
嘘でも「自分は魔女だ」と言えば助かる――なのに19名の死刑囚は最後まで認めなかった。
ここにブ篤い信仰があった。
ピューリタンの社会では『嘘』も許されざる罪悪であり、助かるために嘘をつくことを潔しとしなかったからだ。
レベッカ・ナースは言った。「私に嘘をつけというのですか?」 そして彼女は死刑になった。
信仰篤い者に科せられた葛藤は映画『クルーシブル』できめ細かく表現されている。ラストシーンが深く心にのしかかる映画だ。個人的には名作だと思う。
暴走した集団心理が悲劇を牽引したのは間違いない。
だが、「処断された19名全てが無辜の民であったか?」と問われたとき、NOと言う研究者がいる。
彼らは言う。
「19名の中に魔女がいた――ゆえに何分の一かの正義は果たされた」――と。
では誰が魔女だったと言うのか。
この疑問に対して、『セイレムの魔術』の著者チャドウィック・ハンセンは、ブリジット・ビショップとマミー・レッドの2人名指ししている。
ブリジット・ビショップは前述の通り不道徳な飲み屋を経営していたが、この魔女騒ぎが起こる以前にも魔女疑惑を向けられており、離婚した夫にも魔女として告発されている。
そしてブリジット・ビショップが以前に住んでいた家が取り壊された際、地下室の壁の中からボロぎれと豚の毛で作られた数体の人形が発見されたのが決定的だという。それらには頭のないピンが何本も刺さっており、まさに呪物であったからだ。
もちろん、この呪法をブリジット・ビショップが行った所を見た目撃者はおらず、これは状況証拠にすぎない。
もう1人の魔女とされるウィルモット・マミー・レッドも、村人とのちょっとしたトラブルの際、その相手に『排泄できなくなる呪い』をかけたとされている。
ブリジット・ビショップ、キャンディー(黒人奴隷)、マミー・レッドの3人は、ひとに危害を加えるために魔術を使っていた。魔術を行う者=魔女だというのなら、たしかに3人は魔女なのかも知れない。その魔術に効果があったかどうかは別として。
他にも、魔術を使ったかどうかは――証拠不十分で――よくわからないが、オカルト能力を持つとの評判を利用して、不当な利己的目的を達成しようとしていた人々がいたことは疑いない。
セイレムの魔術
この3人の他に、悪魔との契約を公言していた自称魔女アビゲイル・ホッブズや、これも自称の幼い魔女ドーカス・グッドもいた。
かくして虚実が村の中を入り乱れ、飛び交う様々な情報に当時の人々が混乱したことは想像に難くない。
資料を眺めていると、暴走が、まるで必然であったかのような錯覚さえ覚える。
事件の後、関係者たちはどうなったのか。
パリス牧師は結局セイラムの地を追われ、その娘である痙攣娘エリザベス・パリスは1710年に結婚し子供をもうけている。それがティチュバの『未来の結婚相手占い』に出た相手だったかどうかは……記録に残っていない。
一方、映画クルーシブルの影響で世間に嫌われがちなアビゲイル・ウイリアムスその後は確たる資料が残っていない。
映画の原作となった『るつぼ』に「アビゲイルは春をひさぐまで身をやつしたらしい」と書かれているせいで、それが事実のように語られるがおそらく事実ではない。裁判の終盤に人知れずセイラムから逃げ出すシーンがあるが、これも創作かと思われる。
ただ、「最初の2人のうち片方は、死に至るまで悪魔に責め苛まれた」とジョン・ヘイル牧師が手記に書き残しており、この片方がアビゲイルである可能性は高い。
事件で重要な役割を果たした痙攣娘アン・パトナムJrはセイラム魔女騒動から14年経過した1706年。教区の教会に謝罪文含みの告白を提出し、その後1715年に若くして亡くなっている。
告白文にはこうあった。「悪魔に惑わされた」と。
その『悪魔』とは何を指すのか。色々と勘ぐってしまうが、やめておこう。
事件から300年経った現代でも、現代人によって世界各地で魔女狩りに等しいことが行われ、「人はより賢くなるわけではない」というパンズラムの言葉が重くのしかかる。
米ボストンでの爆発事件の際、ネット上で犯人捜しが行われ、無関係だった個人が犯人として吊し上げられた。最終的には「魔女狩りのような事をしてしまった」と当該ニュースサイトが謝罪している。
「時代と方法は変化するが、人間はずっと同じままだし、その人間が生み出す結果も同じだ」
そう。時代と方法と呼び名を変えて、我々は同じような事を繰り返す。
足利事件はどうであったか。東電OL殺人事件はどうであったか。
『DNAの一致』と言われれば、すんなり信じ容疑者を糾弾してしまう。いまだ科学が万能でなく、さらに『使うのは、間違いを犯す人間という生物』という大前提を忘れ、科学を無意識に盲信している。この事実は重く受け止めなければならない。「more weight」だ。
だがこれは仕方のないこと。我々も科学も間違うのだから。
大事なのは間違わないことではなく、間違いを認め、正すことだろう。
だから間違いを恐れず、あえて言わせていただく。
今回、この項の教訓は『若い女は危険!』ということ。
大事な読者である諸兄らには、そんな危険なモノに近づいて欲しくない。だからここはひとつ、若い娘の相手は全てオカルト・クロニクル特捜部に任せて欲しい。危険を顧みず、受け皿となる覚悟はできております。
冗談はともかく
処刑された19名のほとんどが現在では『魔女ではなかった』と認定され、教会によって名誉を回復されている。
だがブリジット・ビショップと数人はいまだに教会への帰属が認められていない。
本当に魔女はいたのか?
現段階の教会の対応に則せば、『いた』ということになる。
まだ、魔女裁判は続いているのかも知れない。
■参考資料
・セイレムの魔術―17世紀ニューイングランドの魔女裁判
・少女たちの魔女狩り―マサチューセッツの冤罪事件
・呪われたセイレム―魔女呪術の社会的起源
・図説 魔女狩り (ふくろうの本/世界の歴史)
・魔女と魔女狩り (刀水歴史全書)
・食物中毒と集団幻想
・魔女と魔術 (ビジュアル博物館)
・性的支配と歴史―植民地主義から民族浄化まで
・ホーソーン研究
・歴史のなかの子どもたち
・アメリカの奇妙な話〈2〉ジャージーの悪魔 (ちくま文庫)
・アーサー・ミラー全集〈第2〉橋からのながめ,るつぼ (1958年)
・週刊 X-zone vol65.66
・クルーシブル [DVD]
・Salem Witch Trials Documentary Archive
・wiki:Ann_Putnam,Jr Betty Parris
・Famous Trials
・history of massachusetts.org