イカロスたちの見た夢
人はむかし、鳥だったのかも知れないね、と歌った歌手があった。空が恋しいからだと彼女は歌った。歌詞をよく聞けば、空が恋しいのではなく、去って行った男が恋しいだけの話ではあるのだが、それはいい。ともかく太古から、人類は空を飛ぶ願望を持ってきた。
人はその願望を物語に昇華したり、夜に夢を見ること――あるいは鳥に想いを重ねることで消化してきた。
様々な鳥がいるなかで、我々などは多くの場合、図らずも『鴨』となってしまうことが多いが、それもいい。
こと1897年に空を飛び回った『なにか』をして、その全てを願望の発露――『脳の中の幽霊』である、と一方的にくくるのは品性に欠ける行いであるが、かといって全てを無批判に受け入れるのも理性に欠ける行いではある。
懐疑的な諸兄に指摘される前に言ってしまえば、前掲した事例の中にも『でっち上げ』だとほぼ確定されたもの、いわゆるHoax認定をうけたものがある。
『仔牛を誘拐されたアレキサンダー・ハミルトン氏の事例』だ。
これはハミルトン氏と、氏を信じた町の名士たちが連名で『宣誓供述書』まで作成した事例で、そのショッキングきわまる内容に当時は騒がれたし、1960年代に出版されたUFO本でも取り上げられた。
フライング・ソーサー、『空飛ぶ円盤』という呼称が生まれた1947年の『ケネス・アーノルド事件』以来、幽霊飛行船騒動はUFOがジャンルとして確立する以前の黎明期――『UFO前史』としてUFOロジストたちに評価されており、それは現代まで脈々と続いている。『全米UFO論争史』などはそのはじまり――第1章が幽霊飛行船騒動である。
いまさらの話になるが、この幽霊飛行船騒動でおこった様々な奇妙な出来事、そして遭遇譚には、ケネス・アーノルド以後のUFO事件と似通った点が少なからず見いだせる。
キャトル・ミューティレーション、アブダクションとその未遂、水を欲しがる事例、着陸痕、もちろん目も眩む光と奇妙な音、驚異的な飛行能力、警官による目撃、トリック写真に「笑われるのが嫌だ」と匿名を希望する目撃者。あと墜落に火星人? 巨人は関係あるかわからない。
ともかく、これらの幽霊飛行船事例を紹介した一文を取り出し『飛行船』の部分を黒塗りにして読ませれば、多くの人がその黒塗り部分にUFOを当てはめるだろう。
これらをして『UFO前史』とカテゴライズされるのは当然といえば当然なのかも知れない。
だが、『露骨なキャトル・ミューティレーション事例』とされてきた、アレキサンダー・ハミルトン氏の牛泥棒事件は、事実とは言えないようだ。
1976年、カンザス州に住む一人の老婆のことが紹介された。彼女が言うには、自分はハミルトンの家にいて、ハミルトンが妻に彼とその友人がこしらえた例の話のことを自慢げに語るのを耳にしたという。
また、何人かの研究者が、1943年1月28日付の『バッファロー・エンタープライズ』紙に載った短い記事を見つけたが、そこには、『ファーマーズ・アドボケイト』の前編集長、エド・ハドソンがこの話が嘘で、自分も一枚かんでいたことを認める内容が書かれていた。さらに、民俗学者のトマス・E・バラードは、ミズーリー州の新聞、『アチソン・カウンティ・メイル』紙の編集長に宛てた手紙で、ハミルトン自身が告白しているのを見つけた。
ことの次第を聞かれると、ハミルトンは「私は嘘をついた」と答えた(1897年5月7日付『アチソン』)。
だましの文化史 作り話の動機と真実 文末にソースとして書かれた「1897年5月7日付『アチソン』」が正しいならば、ハミルトン氏の事例は発生報道から1ヶ月足らずという、かなり早い段階で本人による暴露が行われていることになり、少し興味深い。ともかく、この事例はデッチ上げだった。
加えて言うなら、『古来より縄を首にかけて一本釣りするのが牛泥棒の作法』――などというのもさっき作ったデッチ上げである。あれは牛泥棒ではなく、テキサスにおけるナンパの作法でした。
色々と残念な話ではあるが、今は非業の死をとげた不憫な牛が存在しなかった事だけでも喜ぼうではありませんか。
これだけ書いても、冷徹な諸兄は言うかも知れない。
「ふ……。指摘される前に捏造ネタを提示するようになったか。多少は成長が見られるようだな。だが半年近くも更新せず我々をヤキモキなり心配なりさせておいて、その謝罪や弁明の一つもないか……これは『阿呆に法なし』の見事な凡例として三省堂に採用してもらおう。おおかたモンスターハンターXXでもやってたんだろう。そして獰猛化フルフルあたりに心折られたんだろうよ。したがって、例により今日からこのサイトは我々諸兄連合とASIOSが仕切らせてもらう。貴様は水素水で水葬にされてろ」
さすがの慧眼敬服いたします。獰猛化の連続とかソロ民にはきつかったです。ちなみにGジェネもやってました。
ともかく、こと幽霊飛行船騒動に関していえば、エジソンが指摘したように『多くの悪戯』が含まれているのは事実だ。
たとえばネブラスカ州オハマでは2人の男が気球のバスケットにオガ屑を入れて飛ばしたし、アイオワ州バーリントンでも紙製の気球が飛ばされ、同州ウォータールーではカンバスと木材で作られた飛行船モドキに空気圧縮機と発電機が取り付けられた。
他にも数件のデッチ上げが後日暴露されている。
そして当時の『新聞』というニュースソースは現代のソレと比較すると信頼性に難がある。
『ダラス・モーニング・ニュース』紙にて幽霊飛行船の目撃者の一人として名前が挙げられていたR・N・バット氏は、4月20日付けの紙面に「おれなんも見てねーよ!」と抗議文を寄せている。
上記のアレキサンダー“牛泥棒„ハミルトン氏も「ホラ吹きクラブ」なるものの会員だったというから、『信頼できる人物』と太鼓判をおした人物が信頼できないという――此処は地獄の三丁目。
新聞もどこまで内容を信用して良いものかと我々を幻惑してくるが、これらの誤報などに関してムーの特集記事で武田崇元氏が以下のように指摘しておられる。
(前述の「何も見てない」R・N・バット氏の誤報記事に言及して)当時の新聞社は誤報に対する指摘や抗議があれば、むしろ現代の新聞よりも、対応が早く誠実だったことは注目される。
彼らは無責任に火のないところで煙を煽っていたわけではないのだ。
疑わしい記事を全て排除したとしても、合衆国の約半分の領域で何かが空を飛んでいたことはまず否定できないのである。
ムー 2013/01 p102 本来なら三面記事、誤報も紙面の賑わい――程度の話なのかも知れないが、著名人たちが巻き込まれた大騒動であったことは事実。
これら、掃き溜めのような目撃報告の中で、異彩を放つ一連の目撃報告がある。『ウィルソン』と名乗った人物の目撃談だ。
これは騒ぎの起こっていた時分にテキサス各地に現れた人物で、どこか騒動の深淵に迫るような、別にそうでもないような奇妙な浮遊感を持ち合わせる目撃証言群となっている。これを少し見てみよう。
ウィルソン・ビギニング
ヒューストン・ポスト紙(1897年4月21日付け)の記事によれば彼は最初、テキサス州ボーモントに降り立った。奇妙な飛行マシンが牧草地に着陸し、住民であるリゴン氏とその息子が現場に駆けつけてみれば、物体のそばに4人の男がおり、水を要求してきた。
リゴン氏が要求を飲んでやると、男たちの1人が「ウィルソン」と名乗った。
ウィルソンは「飛行マシンで友人たちと旅をしている」「メキシコ湾の沖に出たこともある」などと話し、これからアイオワの静かな町へ戻るのだと言った。
彼の言によれば、飛行マシンは電気を動力としており、それによりプロペラと翼を駆動させている、他にも同じような飛行マシンが4隻造られたという事だった。
ウィルソン・リターンズ
その翌日にあたる4月20日、やはりテキサス州ユバルディで郡保安官H・W・ベイラーが自宅の裏手で『飛行船と3人の男』に遭遇した。
男たちの1人が「ウィルソン」と名乗り、「ニューヨーク州ゴーシェンから来た」と語った。
ベイラーが保安官であったからか、ウィルソンはザバリア郡の前保安官であった『C・C・エイカース氏』の事を尋ねてきた。ウィルソンは彼と1877年にフォートワースで面識があり、また会いたいのだと言った。
C・C・エイカースと知り合いであったベイラー保安官は
「いまヤツは、ここから南西100㎞ほどのところにある、イーグルパスの税関にいるよ。俺もたまに行くけど」
と答えた。
ウィルソンはガッカリした様子で「また来るので彼によろしく伝えて欲しい。あと水ください」と言った。
さらに彼はこの飛行船の来訪を内緒にすると約束してほしい、と頼んできた。が、こうして資料に載っているということは、その約束は反故にされたらしい。
ちなみに、飛行船が飛び去るところが他の郡職員によって目撃されている。
ウィルソン・ライジング
上記『ウィルソン・リターンズ』を裏付けるような報告があがる。
4月27日、ガルベストン・デイリーニュース紙に、ウィルソンの会いたがっていた『C・C・エイカース』の投書が掲載される。
それによると、エイカースは以前、確かにテキサス州フォートワースでウィルソンなる人物と知り合いになったという。エイカースは記憶を頼りに、証言した。
「ウィルソンはたしかニューヨークから来た男で、機械に強く、当時、航空航法に関する仕事をしていた。あと世界を驚かせるような研究をしていると言っていた」
教養も豊かで、20代半ばの青年だった。
エイカースは「ようやく実用的な飛行船の製造に成功したので、たぶん私を探し出して、自分の主張がデタラメなんかじゃなかったと見せたかったんでしょう」と語った。
ウィルソン・ダークナイト
上記『ウィルソン・リターンズ』の2日後にあたる4月22日、夜。ヤツが再び現れた。
場所はテキサス州ジョーズランドのトウモロコシ畑だった。農夫のフランク・ニコルス氏が現場に駆けつけると、不思議な形のどっしりした飛行船から、明るい光がもれてくるのが見えた。
その飛行船に近づいてみると、2人の男が出てきて「井戸の水をくませてくれないか」と言うので、ニコルス氏は「オッケー」と承諾した。
珍しいことに、このときの搭乗員たちはニコルス氏を飛行船の中へ招待している。氏はそこで6~8人の搭乗員たちと会話した。
話によれば、飛行船は主な動力を電気でまかなっており、アイオワの小さな町で造られたうちの1隻なのだ、と教えられた。
ニューヨークのある証券会社が資金を出し、似たようなマシンが5隻造られたのだという。
ウィルソン・フォーエバー
翌4月23日、テキサス州クーンツに飛行船が着陸。
2人の乗組員の片方が「ウィルソン」と名乗った、とヒューストンポスト紙に書かれている。
これが公式に最後のウィルソンだとされている。
ウィルソン Year One
時は遡って幽霊飛行船騒動の初期にあたる1896年11月17日。
サクラメント・ビー紙が謎の人物から電報を受け取っていた。それはニューヨークの「ウィルソン」なる人物によって打電されたもので、それによれば
・飛行船が完成した。
・これからニューヨークを発って、友人2人とカリフォルニアへ向かう。
・飛行船は驚異的なギミックによって飛行する。
という旨のことが述べられていた。
これら一連のウィルソン・ケ-スは、そのウィルソンの発言それぞれに一定の整合性があり、現在でも謎とされている。
ウィルソンの発言が正しければ、少なくとも以下の4点が共通した証言となる。
・ニューヨークに在住ないし滞在していたウィルソン。
・飛行船らしきモノはアイオワ州のどこかで複数隻建造された。(『Solving the 1897 Airship Mystery』によれば合計で9隻。カリフォルニア3隻、アイオワ5隻それにウィルソン搭乗艦1)
・エネルギーには電力を使用。
・すごく水がすき。
この人物が何者だったかは定かではないが、ウィルソンのような『謎の人物による、極秘フライングマシーン開発』があったのではないかと考える者は少なくなかった。
本当は何らかの飛行マシンが開発され、一般人の知らないところでその運用試験が始まっているのではないか。当時の有識者たちに「非常識だ」と評されても、そう考えるのがいたって常識的ではないのか、と。
現代に生きる身としては、『飛行船』というモノを時代遅れの飛行装置であり、原始的な機構によって飛ぶ――単純な乗り物と捉えてしまう。
諸兄は言うかも知れない。
「飛行船とか、風船にプロペラつけただけだろ。うちのカーチャンでも作れらぁ」と
諸兄カーチャンの技術力はともかく、実際のところ飛行船はそれほど単純なものではないようだ。
気嚢に水素なりヘリウムなりを満たしてやれば、浮遊することは浮遊する。だがそれだけでは推進することができない。ゆえに最初期には蓄電式のモーターあるいは内燃機関・蒸気機関によってプロペラを駆動させ推進力を得ようとした。が、前者は出力がまるで足りず、後者は『爆弾が爆弾を積んで飛ぶ』ようなもの。
そして気嚢は高度が上昇するにしたがって気圧による圧迫を受け、それが諸問題を生む。
「だったら強い骨組みでひしゃげないようにしよう」と金属の骨組みを持った硬式飛行船が技師ダーフィット・シュヴァルツによって試作される。これが幽霊飛行船騒動の数年前――1893年ごろのドイツでの話になる。そして残念ながら、その試みは失敗に終わった。気嚢が爆発したのだ。
この失敗により信用を失った技師シュヴァルツは職を追われ、くしくも北米が幽霊飛行船騒動で盛り上がっていた最中の1897年1月、ウィーンで路上死している。
シュヴァルツの硬式飛行船はその主の死後も開発が続けられ、1897年11月に試験飛行にこぎ着けたが、結局500メートルほどの上昇をみせたのち操縦不能に陥り墜落、大破した。
この試験飛行の際に、かの有名なツェッペリン伯爵が見学に来ており、いくらか経ったのちシュヴァルツの夢見た『飛行する硬式飛行船』――ツェッペリンLZ1が伯爵の手により完成した、1900年のことだった。
かくして1937年のヒンデンブルグ号爆発事件が起こるまでの短い期間、飛行船はその春を謳歌することとなる。
では1900年のツェッペリンLZ1以前、1897年の時点で謎の発明家による秘密の飛行船は存在したか?
少なくとも発明家、あるいは一攫千金を狙う山師の脳内には存在した。
実際に開発や建造を行うと莫大な費用がかかるが、図面を書くぐらいなら紙とペンがあればできる。そして、それは実行された。その多くが『イカロスの夢』を見たシュヴァルツやツェッペリンとは違い、ただの金銭目的だった。
遠からず飛行船は実用化されるだろう、そうなった時に「やぁやぁ、これは見事ですなぁ。しかしそれは私のアイデアだ。特許料を払え」とタカってやろう――というワケである。
それらのタナボタを狙ったエセ発明家や山師によって、1890年代には様々なデザインの飛行船のアイデアが特許申請されている。
もちろんゴロツキのような彼らに飛行船を建造する技術力はなかったし、資金力もなかった。これは真っ当な発明家にしても同じ事。仮にそのアイデアがどれだけ工学的・理論的に正しかろうと、機体を組み上げる資金力がなければそれは絵に描いた餅でしかない。
例のウィルソンが「飛行船の建造に当たってNYの証券会社ないし投資家が出資した」と目撃者に語っていたが、さもありなん。そうでもしないとまかなえい程度には資金が必要になる。
これは科学者や有識者たちが「現実的ではない」と相手にもしなかった理由の一つでもある。
だが、もし開発したのが個人でなかったら?
秘密裏に開発せんとする意思を共有し、協力して資金を捻出する秘密結社のようなグループが存在したら?
もしかしたら、そのようなグループが存在したのではないか――そんな話がある。これを次節で見てみよう。
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月は今でも明るいが
1968年。幽霊飛行船騒動から70年ほど経ったテキサス州ヒューストン。
あるゴミの集積所から13冊を数えるスクラップ・ブックが発見された。
ゴミ集積所にあるからにはゴミである。だが、冊子を開いてみれば、そこには色とりどりの奇妙な機械が描かれていた。新聞の切り抜きやコラージュ、なんらかの暗号とおぼしき文字。そして奇妙な機械。膨大なページ。これはなんだろう?
古物商であったフレッド・ワシントンはなんとなくソレを持ち帰り、倉庫へ保管した。
この偶然、ワシントンによる気まぐれがなければ、チャールズ・デルショーの作品群はゴミとして処分され、彼の名がアート界隈で記憶されることもなかっただろう。
発見された作品群は、チャールズ・デルショーという男が描いたモノで、彼が生業としていた肉屋を引退した後、死没するまでの間に描かれたものだ。それは実に23年間の集大成と言うことになる。
彼は屋根裏に引きこもり、上図のような『飛行機械』の絵や暗号文を作成していた。そうしてデルショーの死後、大量の作品群は長い間親戚の家の屋根裏部屋で忘れ去られ、1960年代に小火騒ぎがあった際の混乱に巻きこまれて捨てられてしまった。
『一連』と評するに膨大すぎる作品群は興味深いことに、ある主題を背景に持ち――カタログのように構成されている。
その背景を読み解いて行くと、あるグループの存在が浮かび上がってくる。
それが『ソノラ・エアロ・クラブ』だ。
古くは1850年代からカリフォルニア州ソノラで活動し、デルショーを含む60名のメンバーがいたとされる。
このクラブはいわゆる『秘密結社』カラーが強く、その活動や内情について外部に漏らすことはタブーだった。
話によればクラブの所有する飛行機械を私的利用し、金儲けを企んだヤコブ・ミッシャーという男は『不慮の事故』で亡くなり、『色々としゃべりすぎた』整備士フライアーはいつの間にか行方不明になったという。いかにも秘密結社的な話ではある。
昨今の軟弱なソレから失われて久しい硬派な『秘密結社臭』がプンプンする。これは我々の厨二心――いわゆるチュニズム、そしてビリビズムを刺激する話である。このあたりは最近変にオープンになってきたフリーメイソンにも見習って欲しいものである。おしゃべりな小鳥はどんどん消すべきである。
高須先生の身に危険が及びそうな冗談はともかく、デルショーはこのクラブで知り得た情報を暗号などを踏まえて13冊のノートに残した――という事になっている。
しかし、デルショーの書き残した様々な飛行機械、または飛行船あるいは飛空挺らしきものは、どうにも飛行に適していない形に見える。
このような形状のモノを飛ばすとなれば、それこそ膨大なエネルギーが必要なのではないか? そもそも何を動力として飛んだというのか?
この疑問に対する解は、デルショーの著作にて触れられている。
それによればクラブの所有する様々なフライング・マシーンは、『スープ』と呼ばれる燃料によって飛行していた。
これは飛行機械『goosey』の搭乗員の一人であったピーター・メニスという人物が開発した液体燃料で、その『スープ』から発生する『NBガス』によってマシンは動力を得ていた。
この『スープ』の製法に関しては、秘密クラブ内でも丁重に秘匿されていたようで、1862年にメニスが亡くなるとその供給の一切が絶たれてしまう。
かくしてクラブは実質上の解散に追い込まれた。
しかし、ある事をきっかけにクラブは復活する。
クラブのメンバーだった『トッシュ・ウィルソン』という男が7年もの時間をかけて『スープ』の再現に成功したのだ。
そう、また『ウィルソン』である。
幽霊飛行船騒動に興味を持ち、それを調べていた研究家のピート・ナヴァロはデルショーのノートを解析した結果として
「1897年の騒動は、このウィルソンを含む、ソノラ・エアロ・クラブの残党によって引き起こされたものである」と主張する。
大胆な仮説ではあるが、どうだろうか。
謎めいたデルショーの暗号がすべて解読されれば――我々はもっと深淵に迫れるかも知れない。
画集をぱらぱら開いてみるだけでも、以下のような意味のわからない記号を多数見つける事ができる。
諸兄は言うかも知れない
「こんなん、テキトーに作った記号をテキトーに並べただけだろ。この程度だったらウチのカーチャンにだって作れらぁ」と。
諸兄カーチャンの高度な暗号技能はともかく、なんとなくギリシャ文字っぽくはある。一応、画集の中に『単語』とおぼしきセンテンスが散見できるので、完全なデタラメというわけでもないらしい。
この意味不明な記号に対して、ナヴァロによる対照表などのようなモノがあるので、以下の絵を参考に見てみよう。
画像中央下部に『Peter Mennis』――あの『スープ』の発明者の名が見てとれる。
そして広く中央あたりに配置されたサークル状の帯の中に、例の記号が並んでいる。
これに対して、ピート・ナヴァロの対照表が以下のものになる。
<出典:対照表上下ともにlexiconmag>正直よくわからない。
ひとつの文字に別の文字を当てはめるだけの、いわゆるシーザー式単一換字暗号ということなのだろう。
オカクロ特捜部としても深淵に迫らんと他のページなどで幾つかを照らし合わせてみたが、浅学の身には意味の通らないアルファベットの羅列にしか思えなかった。
英語だけでなくドイツ語なども混ざっている――ということらしいので、コードブレイク技能に自信のある諸兄は是非挑戦してみて欲しい。
ちなみにソノラ・エアロ・クラブの母体は『NYMZA』というこれまた謎の秘密結社であるとされており、もしかしたらデルショー暗号に全てを解き明かすヒントが――とチュニズムが刺激される。
(註:ソノラ・エアロ・クラブとドイツは少なからず繋がっているという言説あり。デルショー自身がそうであったのだが、メンバーにドイツ移民が少なからずいたという話、詳細は不明。欧州は19世紀中頃に当時の先端飛行船技術を有していただけになんとなく説得力はあるようには思える)
暗号解読は3分で諦めたが、ひとつ、興味深い絵をデルショーの画集の中に見つけたので見て欲しい。
2017年まで秘められていたデルショー・コードが明らかになったかも知れない。
以下は画集『Charles A. A. Dellschau:1830-1923』のp297に掲載されている機関車風の機械のイラストだ。重要な部分にピンク色のマーカーを引いた。
・TRUMP
・45LL
・CAAD
と書かれているのが見てとれる。
気づいて頂けたと思うが、これは予言である。
三つの文節の意味するモノは
・ドナルド・トランプ
・第45代アメリカ大統領。そして最後の大統領(Last Lord)
・CAAD=『CA(カリフォルニア州の州コード)』+『Armageddon(最終戦争なり、その決戦地を意味する)』
つまり、トランプの就任によって、去年ぐらいから盛り上がっていたキャルエグジット――カリフォルニア州の独立を目指した運動が活発化。それにより武装した独立強行派と州兵の間に武力衝突が勃発し、他州にも戦火が拡がる。
このアメリカ国内の混乱に便乗して、ここ最近ザワついていたイギリス-ロシア間も戦端が開かれる。もちろんアジアでもドサクサに紛れて北朝鮮が38度線を南下しはじめ紛争の火が広がる――みたいな?
そうして混沌とした第三次世界大戦の果てにアメリカ合衆国は解体、事実上、45代大統領ドナルド・トランプが最後の大統領となった。合衆国は新体制、アメリカ連邦帝国体制となり、ジョン・タイターの予言は成就され、その前後、火星が幸せに統治するだろう、的なことが絵から読み解ける。
いやはや戦慄の終末予言である。月刊ムーさんネタに使ってください。
でも諸兄は憤るのでしょうね。
「なんだよそれ! どう考えてもCAADはデルショーのイニシャル『Charles August Albert Dellschau』で45LLは小文字のLじゃなくて9だろ! 4599はプレートナンバーだよ! 絵のキャプションに『Plate 4599 Trump Flanck, April 24, 1920』って書いてあるぞ! 絵の右端に書いてあるFlanckはどうなんだよ、Flanckは!」
と否定的に評するのでしょうが、古くから予言研究家というのは都合の悪い部分は無視、ないし都合良く改変してよいというルールになっている。Flanckとかノイズでしょうノイズ。
冗談はともかく、現在、常識的な人たちの間では『ソノラ・エアロ・クラブ』や『NYMZA』はデルショーによる創作だったと考えられている。もちろん『奇妙な飛行機械』や『スープ』もだ。
よく引き合いに出される『ヘンリー・ダーガーの非現実の王国』と同じく、『ソノラ・エアロ・クラブ』にまつわる逸話は、デルショーの考えた壮大なSF物語だったのだろうと評価されている。おそらく幽霊飛行船騒動にインスパイアされたのだろう――ということだ。
本当に創作だったかどうかは定かではないが、少なくとも『ソノラ・エアロ・クラブ』が活発に活動していたという1850年代にデルショーは20そこそこの若者でしかなかったし、ナヴァロによれば1853年にプロイセンはブランデンブルグ(ドイツ)から移民してきたばかりだった。そして肉屋だった。
元々なんらかの工学的知識や理論に通じていたなら、あるいは――なのであるが、移民してきたばかりの一介の肉屋の青年が『殺人さえも厭わない』ほど硬派の秘密結社に参加できたかと考えると少々きびしい話に思える。参加したのが後年になってから――ならあるいは……ではあるが。
ちなみに、タフなビリーバー界隈では、『ソノラ・エアロ・クラブ』の背後にある『NYMZA』のそのまた背後にはプレアデス星人がいるという事になっている。
プレアディアンの導きによって幽霊飛行船が建造されたと。ヤツらはすでに地球人に混じって生活しているのだ、という。
聞けばヤツらを見分ける特徴はいくつかあって、そのひとつが『美男・美女が怪しい』という。イケてるメンズを宇宙人扱いとは、乱暴きわまる。俺はどうなる。
ちなみに、もっとタフなビリーバー界隈では、デルショーは記憶喪失のエイリアンだったとしている。それほどイケメンとも思われないかも知れないが、プレアデス人ではないという事だろう。
ともかく、デルショーについては今後の研究が待たれるところである。
冗長になるが次ページへ続く。