偽汽車で行こう――消えた幻の列車

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汽車がモクモクと煙を吐き出して走っていると、線路の向こうからもう一台の汽車が走ってくる。あわや正面衝突の危機、汽笛が高く鳴り、ブレーキのけたたましい音が響く。だが、衝突の瞬間、対向汽車は霞のように消える。
日本の鉄道黎明期に多発した偽汽車との遭遇事件。

夜汽車に夜霧に夜話に

今から142年前、明治5年。新橋-横浜間に日本最初の鉄道が開通した。

明治5年(1872年)頃と言えば有名なメアリー・セレスト号が起こった年であり、オカルト関係者には馴染みの深い年代である。いや、そうでもないか。

国内では前年には断髪令が出され、髷が急速に廃れていった頃の話だ。a1190_000065 当時は汽車という呼び方は定着しておらず、陸蒸気と呼ばれていた。それこそ、速度にしても運搬能力にしても、現代の電車とは比較するまでもなく劣っていた。

ある夜、汽車が駅を出てトンネルを抜け次の駅へと向かっていた。

するとちょうど対向してくる形で、全く同じような汽車が、同じ線路に乗って、こちらへと向かって来るではないか。

危機を察した運転手が汽笛を鳴らす、すると向こうも汽笛を返してくる。
これでは正面衝突だ。運転手が金切り声のような急ブレーキをかけると、向こうもキキキとやっている。

しかし間に合わない。

だが、正面衝突の瞬間、向こうの列車はスッと消えた――。

このような奇妙な事例が多数残されている。

これは、何だったのか。

民俗学的には、これはタヌキ、あるいはキツネの仕業だとされている。
タヌキやキツネが汽車を見て、その物珍しさから化けてみたのだと。

せっかく調べたので事例を紹介しておく。




事例1
夜、陸蒸気が走っていくと、シュ、シュ、ポッポ、ポォーって音がしてきて、向う側から汽笛を鳴らして、陸蒸気がやってくる。はじめのうちは、機関士も、こら、衝突しちゃ、かなわねえから、その度に停っちゃ、様子をみていた。ところが、一向に汽車はやってこない。


これは、おかしいってワケで、ある日の夜、いつものように、シュ、シュ、ポッポ、ポォって音がして、汽笛が聞こえてきたが、えい、かまうもんかっていうんで、スピードを出して突っ走った。すると、正面衝突するかと思ったら、何ごともなく走っていっただよ。
一夜明けて、八ツ山の下あたりの線路のところに、大狸が死んでいたということだ。
まだ、陸蒸気の頃は、単線だったんだから、向うから、むやみに汽車がやってくるわけはないんだよ。
まあ、狸は物真似が好きだったんだな。

東京都・望月新三郎――現代民話考より




事例2
岩手県和賀郡和賀町。
自分の所から20里(約78Km)ほどの後藤野の話。

なんでもこの野に汽車がかかってからほど近い時分のことであろう。いつも夜行のときで汽車が野原を走っていると、ときでもない列車が向こうからも火を吐き笛を吹いてぱつぱつやってくる。
機関士は狼狽して汽車を止めると向こうも止まる。走ればやっぱり走り出すといったような案配式で、野中に思わぬ時間をとりそのためにとんでもない故障や過ちが出来て始末におえなかった。


そんなことがしばしばあるとどうも奇怪なフシが多いので、ある夜機関士が思いきっていつものように向こうから非常に勢いこんで驀然と走ってきた汽車に、こちらから乗りこんでゆくと、ちょうど真にあっけなく手ごたえがなさすぎる。それで相手の汽車はたあいなく消滅したので翌朝調べてみると、そこに大きな古ギツネが数頭無惨に轢死しておったというのである。

東奥異聞




nisekisya001c 事例3
東京上野発の汽車が夜に入りて桶川の手前に差掛る時、前面より汽笛を鳴らして同線路を進み来る列車あり。
此方の機関手は驚きて急ぎ運転の速力を緩め、烈しく汽笛を鳴らしたるに汽車も同様の事を為し、しきりに汽笛を鳴らしたり。


されども目に近く見ゆる列車は遂に此方に近寄らず、なお目を定めてよく見れば、その車有るが如く無き如く模糊朦朧の裏にある如くなれば、さてこそと汽力を速めて先の車に衝突する如く走り掛けしに、彼の車忽ちケムリの如く消てアトカタもなくなりぬ。然るにその跡にて線路を見るに大さイヌほどなる古狸2頭軌道に引れて死してあり。
忌々しき奴かなとてその皮を剥ぎ肉は狸汁にシテやりたりと。
明治の今日において此の如きものありとは。

1889年5月3日付 東奥日報

 



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葛飾区亀有・見性寺の狢塚。
本物の汽車と戦って、むなしくも散っていったタヌキが供養されている。
画像元:偽汽車 wikipedia


と、なんともノドカな話が残されている。

3つ目の話は執筆した記者自身が「マジすか。もう文明開化の明治だってのに、こんなことがあるんすね」と不思議がりノドカ、いまいましいからタヌキ汁にして食って溜飲を下げたというのもまたノドカである。

項が冗長になるので、全ての事例は紹介できないが、このような話が鉄道開通と共に全国で報告されている。
ほとんどの事例において、『翌朝調べてみると、タヌキ(または狐)が轢かれて死んでいた』という種明かしで報告が終わっている。

渋谷は恵比寿発電所わきの踏切付近にいた狸。
品川は八ツ山の大狸。、権現山の狸に六郷は高畑のタヌキ。
当時の『名のあるタヌキ』はレールを枕に次々と討ち死にしていったらしい。

事実、そのような死を遂げたタヌキや狐のために建てられた供養碑や小さな社が今も全国に点在している。

だが、果たして本当に狐や狸にそのような能力があるのだろうか。

狸の妖怪、化け列車

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ぶんぶく茶釜の伝承がある群馬県館林市茂林寺タヌキの剥製。
酒瓶に帳簿に草履と、なんだか人間臭い小道具が似合う動物だ。
画像元:タヌキ wikipedia


日本民俗学の巨星である柳田國男先生は、タヌキをして「下らぬ悪戯をする滑稽な動物」と評価している。

そもそも、どうして狸は『化ける』というイメージがついたのか。

それは、寝ているフリをすることをさす『狸寝入り』という言葉にヒントがあるかも知れない。
狸は死んだフリをする――『仕留めた』と安心した猟師を騙し、油断させてからひょっこり起き上がって逃げるとされる。
これが狸について回る『騙す動物』としての評価に一役買ったという意見だ。

だが本当のところ、そんな老獪な詐欺師というイメージと裏腹に、タヌキというのは想像を絶するほど臆病な生き物であるらしい。
『狸寝入り』の逸話も、実際は銃声に怯えすぎて、気絶してしまったトコロを猟師が仕留めたと勘違いしたといい、タヌキが道路で車に轢かれやすい(事故に遭う動物のうち、4割タヌキ)のも臆病すぎる性質のせいだという。タヌキはヘッドライトを見た瞬間、おびえすぎて微動だにできなくなり進むも退くもせず、ただ轢かれるそうだ。

とても気の弱い生き物だ。

ふと思い起こしてみれば、偶像化されたタヌキの多くが酒瓶をぶら下げているのも納得できる気がする。

彼らは酒の力を借りないと、にっちもさっちもいかない生き物なのではないか。
酒の力に頼ることにより、ようやく我々のイメージできる『のんびりとしていて、おおらかな生き物』というイメージに近づく、あるいは演じることができているのかも知れない。
筆者や諸兄が、酒の力を借りて女を口説くように。

つがいとなれば夫婦が一生添い遂げ、実は小者で、救いがたく臆病な生き物。狭い場所で、刺激を避けて、ひっそり暮らす生き物。
昔の人々がタヌキをどこか人間くさく描くのも、そうした生態を自分に重ねたのかも知れない。

前述の偽汽車事例1『八ツ山の大狸』は国内で初めに報告された偽汽車事例だとされている。これに対し、民俗学者の野村純一が以下のように書いている。
歴史に残る狸の死であった。ちなみに、「八ツ山」とは、現在の御殿山の隣にあった大日山という丘陵の突端が八つに分かれて出洲になっていた地勢からついた地名だ。
こうしてみると、「大狸」は久しく、この丘陵地帯に住み、夜になると海岸の漁村部に出没してエサにありついていたに違いない。この辺り一帯は彼の縄張りだったのだ。


ところが、ある日突然、多くの人間がやって来て、何のあいさつもなしに彼の生活道路の獣道を分断し、破壊し、昼夜兼行で鉄道敷設の工事を始めた。うるさくって仕様がない。


しかも、ついには何体の知れぬ怪物が轟音をたてて走り出したから、狸は「冗談じゃない!」と思ったことだろう。
「それならこっちにも覚悟がある」。『八ツ山の古狸』は、生活を脅かされて立ち上がったのだ。
やがて、各地の狸たちもこれにならって『決起』し始めた。

『世間話と怪異』より

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偽汽車とはなんだったのか

そろそろ「なんだよ! ちょっとセンチメンタルで、ほのかなメランコリーを内包した話だけど、タヌキが人を化かすなんて、あるわけないだろ! ふざけるなよ!」と諸兄が憤慨する前に、懐疑的な目線でも見ておこう。

前述の『八ツ山の大狸』について読売新聞に、興味深い記事が載っている。
機笛の声も遠く響きて今月24日の夜10時の蒸気車が高輪八ツ山下へ来るとき、一疋の大狸が駆出して線路を横ぎるところを汽車に曳かれ其まま死にましたが大方狸仲間に身を置きかねる事があって此ごろ流行の鉄道往生の真似をしたのでもありましょう。

読売新聞 明治11年11月27日付

東京名所図会 八ツ山下の鉄道

当時の品川。機関車のデザインがレトロで良い感じ。
出典:東京名所図会から八ツ山下の鉄道。


タヌキ社会が嫌になって、鉄道自殺した――。

他の動物が轢かれても、このようには書かれまい。まさにタヌキを擬人化したかのような――記者によるタヌキへの愛着すら感じ取れる記事だ。

前述したように、この『八ツ山の大狸』事件が偽汽車第1号のはずであるが、記事にはそのようなことが触れられていない。
品川は八ツ山のタヌキが汽車に轢かれて死んだよ、とだけ書かれている。

明治11年と言えば、明治5年の鉄道開通から6年後である。

この年代あたりから偽汽車の話が隆盛を極めるワケであるが、奇妙だ。

開通から6年間、なぜ狸たちは偽汽車となって文明社会に抗議せず、ただ沈黙を守っていたのか。
なぜ、急に6年後から頻繁に化けるようになったのか。

この6年間になにがあったか。

これについて、現代民話考のなかで、松谷みよ子が興味深い指摘をしている。
みよ子先生はこの『空白の6年間』について、調べ、やがて1つの事実に辿り着いた。

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■諸兄らの溜飲も下がるだろうシリーズ。
こんなタヌキになら、諸兄らもいっそ騙されたいと思うはずだ。
写真協力:しゃちゃーんさん


それは、以下のようなモノだった。
日本初の鉄道は、開通からしばらくは英国人技術者によって運転されていた。日本人が運転を任されるようになるのは、偽汽車騒動の起こりと時を同じくする明治12年ごろだった――と。

つまり、イギリス人がどれだけ列車を走らせても『幻の汽車』とは遭遇しなかったのではないか、ということである。

日本人が重ね上げてきたタヌキばなし、その文化的背景があってはじめて『偽汽車』『化け汽車』がうわさ話のトップニュースになり得たのではないか。
「こんなことも、もう少し調べたら面白いかと思う」とみよ子先生は書いている。

そして、『日本のグリム』として知られ、國男先生が師事を仰いだ佐々木喜善は偽汽車に興味を寄せ、実地調査を行っている。
だが、事件のあったとされる土地へ赴いてみれば、地元の住人達は「そんな話は知らぬ。だがそんな出来事がどこそこで有ったというのは知りあいから訊いたことがある」という反応をする。

これは興味深い話である。
自分は知らないが、知人は知っている。そしてその知人も、どこやらの知人に訊いた話だ――となるのだろう。
これは噂が噂を呼ぶ都市伝説としての特性である。

「なんだよ、結局はただのヨタ話じゃないかよ! ちょっとタヌキにセンチメンタルを感じて、メランコリーを内包して損した!」と、諸兄は憤るかも知れない。

だが、全国の鉄道沿いには供養碑や小さな社が点在しており、タヌキや狐が轢かれていたのは間違いない。
記事が冗長になるのを覚悟で、ひとつ印象に残った事例をあげておく。




神奈川県足柄上郡郡山北町。
むかし、明治のころ、足柄の駒の子というところに、一匹のキツネが先祖代々の巣を守って暮しておった。
駒の子と隣の瀬戸は、酒匂川を見おろす斜面にある小さな部落だ。このキツネ、いつも大きな岩の上で名主みたいな顔して畑仕事の様子をながめてたんで、部落のもんはおきつねさんとよんでいた。


このおきつねさん、ひどい悪さはしないし、ときにはフウフウいいながら荷車を引いているおじいさんの後押しを手伝ったりもした。こんなだからおきつねさんの知らないことは何一つなかった。だから部落になにかがあれば必ずおきつねさんの姿があった。


あるとき、町と鉄道の人が部落にやってきて、「このあたりに汽車
を走らせるので協力してほしい」。なんでも、鉄でできた大きな車で、人々をいっぱい乗せて石炭を食うて自分で走るという。


部落の人たちは、「そんなおそろしいもの、わざわざこんな山ん中をとおさなくてもいいだろうによ」。
「それにご先祖様の土地よ。やすやすと引っ越すわけにはいかねえよ」と反対したそうな。
おきつねさんもびっくり。「じよ、じようだんじゃないぜ、鉄と煙だって、オレの一番苦手のものだ……」
そうは言っても部落の人は鉄道のえらい人に、「日本の国の大事な仕事だ。ここだけじゃない。補償金は用意しています」と言われれば、いやだと言えない。いよいよ工事が始まり、静かな部落はガンゴンガンゴン、戦場のようになったと。
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開通当時の第一酒匂川橋梁。


こうなると畑仕事どころではない。家を移したり手伝いに出たりで、もう
おきつねさんのことを考える者が誰一人いなくなってしまった。ところが、工事が進んでおきつねさんの巣があった岩山にはハッパ(爆薬)がかけられると、部落の人たちは、「こりゃいけねえや、おきつねさんの住み家、めちゃめちゃだよ」と、きつねの仕返しを心配しておったと。

いよいよ東海道本線開通の日がやって来た。
トンネルができて、鉄橋ができて、線路が政けて、なんともハイカラな部落になった。東京を出発した汽車が、ウンウンうなりながらやってきた。神戸を出発した汽車がゴウゴウ風をおこしながら通りすぎて行った。部落のものは、そのたびに日の丸を一ふり、手が痛くなるほどふった。

しかし、汽車が通るたびに地震みたいに家がゆれる。まっ黒い煙がブワブワ家の中に入ってくる。おまけに火の粉がとんでワラ屋根をこがす。
「たまんねえ、たまんねえ」
部落の人たちは、家に閉じこもって顔をしかめておった。
ところがあるとき、ガッタンガッタン、シュポーシュポー、と汽車が、駒の子のトンネルを出ようとすると、線路の上に牛がねそべっている。ギギギギギー。機関士が急ブレーキをかけ、調べてみたが何もない。

つぎの日には、みのガッパを着たものが、カンテラを赤にして汽車を
とめた。そのつぎは大きな石が、そしてまた牛が……。

機関士は気味悪がって運転したくないと言いだした。警察が出て調べたがわからない。部落の人たちはおきつねさんの仕業だと信じていたそうな。
ある晩、山北駅を出た汽車が線路の上に牛を見つけたが、「このやろう」と突っ走ったところ、ズドン、キキキキーと何かがぶつかった。機関士があわててブレーキをかけた。部落の人たちが、一斉にとび出てみると、なんと線路のわきにおきつねさんの死体が横たわっていた。


部落の人と鉄道の人は、トンネルの上におきつねさんを神様とまつり、これからは、大切な線路を守ってくれるよう頼んだそうだ。

出典:尾崎忠昭著『語りつごう――ふるさとの民話』




この『おきつねさん』の社が今も残されている。

神奈川県足柄上郡山北町にある『線守稲荷神社』がそうだ。

残念ながら、この稲荷のある路線は廃線となっており、トンネルと稲荷だけが残されている形だ。(すぐ隣に御殿場線が通っているが、通り過ぎる車内からは見えないそうだ)
民話の痕跡は確実に残されている。

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廃線となったトンネルの上にひっそりとたたずむ線守稲荷神社。 境内にはレールを朱色に塗った鉄柱が立てられている。


そして、昔は線路のメンテナンスに種油を使っていたらしく、それを舐めに来たタヌキやキツネが事故にあったのも想像に難くない。

そんな轢死したタヌキやキツネを見た者が想像力によって偽汽車を生み出したのか、あるいは本当に偽汽車が存在したのか。

なぜ、現代になり偽汽車が走らなくなったのか。
オカルト・クロニクルとしては列車が蒸気でなく電気を動力とするように変化したからではないかと推測する。
だって、タヌキたちが本物の電車そっくりに化けたら、パンタグラフが高電圧に触れて感電死してしまうでしょ?

軽薄な推理はともかく。

偽汽車とは都市伝説だったのか、あるいは事実だったのか。
タヌキが人間を騙す能力を失ったしまったのか。それとも日本人が『見る』力を失ったのか。

確かなことは、ひとつ。

我々はタヌキやキツネに騙されないよう、気をつけねばならないが、それよりも人間に気をつけねばならない。
有史以来、人間こそが人間を一番多く騙した種族なのだから。


■参考文献
現代民話考(全12巻セット) 東奥異聞 佐々木喜善
柳田国男全集
世間話と怪異 (野村純一著作集 第七巻) 妖怪の通り道: 俗信の想像力 幻想世界の住人たち4 日本編 (新紀元文庫) 日本妖怪大事典 (Kwai books) 萬朝報 1921/10/21
東奥日報 1889/5/3
読売新聞 1878/11/27
民俗文化 9号
宮城県史 21 他
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