チャールズ・フォート
謎の足跡を追え
1855年2月8日の朝、イングランドはデヴォンシャーに雪が積もった。トップシャム村の小学校校長は、白銀の世界となった自宅玄関の前に奇妙なモノがあることに気付いた。
なんてことはない、ただの足跡だ。
――蹄鉄を付けた馬か何かが残した足跡だろう。
だがよくよく観察してみると、その足跡に違和感がある。
U字型のそれは長さ約10センチ、幅は約7.5センチ。それがなぜ奇妙なのか。
その疑問はすぐに解けることになる。
足跡が一直線なのだ。違和感の正体はこれだった。
動物が歩いたならば、足跡は2列となるはず。なのにこの雪上の足跡は一直線に点々と残されていた。常識的な動物ならば左右交互かつ左右対称に足跡を残すことになる。
ではこの足跡はなにか。
シンプルに考えれば『蹄鉄を装着した何らかの一本足の動物がピョンピョン跳ねて歩いた跡』と言うことになる。
そのような動物がいるだろうか? いや、いるかも知れない。
だがそんな懐疑的な姿勢も、その足跡を辿った先で打ち砕かれてしまう。
足跡は高い塀にぶつかる。が、その塀がなかったかのように塀の向こうまで続いているではないか。
家屋にも突き当たる。だがやはりその足跡は2階建て家屋の屋根に足跡を残していた。
これは『蹄鉄を装着した何らかの一本足の動物のピョンピョン』という説明に、『驚異的な跳躍力』という文節を追加せねばならない。
こんな動物いるのだろうか? 自問した校長の出した結論はNOだった。
こいつぁ事件だ。村は大騒ぎになった。
だが、その騒ぎは村だけで終わらない。
デヴォンシャーの悪魔
事件から数日後、同年2月16日付の『ロンドンタイムズ紙』がこの事件のことを報じている。
2月8日、朝。デヴォンシャー地方の人々は外に出て、皆一様に驚きに目をみはった。その足跡は遠く離れた街まで続いており、距離にして実に60Kmにもおよぶ。
雪が降り止んだ跡に、見たこともない奇怪な足跡が発見されたからだ。
何者ともわからぬ足跡は長さ10センチ、幅約7.5センチで、ロバか馬のヒヅメに似て、歩幅はほぼ21センチだった。
一連の奇妙な足跡はトップシャムからラインプストーン、エクスマウス、ティンマス、ドーリッシュの町々にもおよんでいた。――後略
家屋の屋根だけでなく高い塀や柵に囲まれた場所にまで残された足跡。それは当時の人々の恐怖心を充分に刺激した。
これは悪魔の足跡に違いない。人々はそう考えたし、そうとしか考えられなかった。
60Kmと言われても、ピンと来ない諸兄もおられるだろう。
なんだか短いような気もするし、長い気もする。
参考までに、東京の都心からその南に位置する三浦半島の先端までが直線距離にしておよそ60Km。
関西で言うと大阪梅田から姫路までが74Kmである。歩くには少々遠い距離といえる。
ちなみに一部の資料やウェブサイトで160Kmと書かれているのは誤りである。
悪魔の通ったとされる経路を地図に表すと以下のごとし。
雪の降る夜。それも一晩の間に18の町を自由気ままに歩き回り、誰にも気付かれないまま60kmもの距離を移動した存在。
その足跡が家の中をのぞき込むように残されていたことでも、人々は恐れおののいたという。
それを「悪魔だ!」と恐れた当時の人々を、我々は笑えない。
科学の発達した現代になっても、この足跡を残したモノが依然として特定できていないのだ。
むろん、当時も原因究明にむけた動きがあった。
牧師でアマチュア動物学者でもあるG・マスグレード氏が『The Illustrated London News』紙で詳細なレポートを発表している。
牧師は点々と続くそれらを正確にスケッチし、次に定規で測り、できるかぎり追跡もしてみた。
だが、やはり不可解さは解消されず、奇妙さばかりが際だってくる。
家屋の屋根や柵などを飛び越え、すわ干し草の山で途切れたかと思いきや、干し草の向こうに足跡が続く。
大英博物館、動物学会、動物園など、何かしらの見解が得られそうな所へ調査報告を送ってみたが、どこも首をひねるばかりであった。
時代は1855年。多くの人々は悪魔の存在を信じていた。
悪魔じゃないなら何なんだ
現代に至るまで、この足跡を残したのが何者だったのか明確な答えは出ていない。
だが『本当に悪魔』という超常的な結論に居心地の悪さを覚える人も決して少なくはない。
ここで、浮かんでは消えた様々な説を紹介してみよう。
現存する動物説
足跡発見の直後に唱えられた説は、ほとんどが現存する動物によるモノだという説だった。カワウソ、アナグマ、カンガルー、ハツカネズミ、野ウサギ、イタチ、猫に狐にカエル。
塀を乗り越えたり、屋根を歩いたりすることから、鳥類の仕業と考える者もあった。
ツル、七面鳥、白鳥、カリ、カモメ。
たしかに、鳥類は高所への侵入を容易にこなすだろうが、足跡の形状が違いすぎる。
アナグマ説はなかなか面白いもので、一瞬説得力があるようにも思われる。
アナグマは前後の足が重なり合う歩き方をするので、足跡が一直線になるというのだ。
だが、アナグマの跳躍力では家の屋根に『苦もなく』登ることはできないし、だいいち足跡が違う。
ネズミが大量発生したに違いない説
一部のネズミは四本足でピョンピョン跳ねながら進む。小さな四つの足跡が繋がってUの字を描いた。それが蹄鉄に見えたんじゃないかという説。では、ネズミはどこへ?
結局、既存動物説を唱える者たちを一番悩ませるのが、「どうしてあの夜だけだったのか」という事だ。野生動物がつけた足跡だとするならば、他にも同じような事件が多数あってしかるべきなのである。
白鳥なりの足に付着した氷説
凍った水辺にある鳥の足には、往々にして氷が付着している。ポニーの蹄に似ていたと言われる足跡は、たまたま蹄型に氷が付着した鳥のものだ、という説。だが残念ながらこれにも無理がある。
デヴォンシャー全域に足跡を残すとなると、これは大変な大事業だ。
たまたま蹄型に氷を付着させた鳥がいたとしても、たかだか1羽の鳥に60kmぶんの足跡を残せるとは考えられない。同時に蹄型に氷を付着させた数十羽の白鳥が、誰にも気付かれることなく偶然にも全羽が片足で、奇跡的に21センチの歩幅をキープして60kmの雪原を分担作業で歩いた、ならば――あるいは、である。
熱気球から垂れ下がったロープ説
その夜、人の管理を離れた熱気球がカゴからロープ(その先には蹄鉄型の金具がぶら下がっていた)を垂らしてデヴォンシャー上空を飛び回り、奇妙な足跡をつけて回ったとする説。これはソースを失念してしまったので詳しくは書けないが、実際に行方不明になった気球があったとか、なかったとか……。
しかし、やはりコレも無理がある。
人の操作を離れた気球が、一定の高度を保って規則正しく上下しながら飛行し、21センチ間隔でそれでいて絶対に蹄鉄を雪面に引き摺らず足跡を生み、どこにもロープや蹄鉄を引っかけずに町中を飛び回った、というならば可能性はある。
実は沢山の動物たち説
ダウリッシュの町で、住宅から祭壇に続く足跡を身長に調べたところ、それはネコがつけたものに違いないという結論に達した。朝になって雪が溶けたことにより拡張したそれが足跡に見えたに違いない。別の村では足跡を辿った先にヒキガエルが。
つまり、これは1種類の動物の足跡などではなく、様々な動物がつけた痕跡が誇張されて伝えられたに過ぎないという説。
これはジョー・ニッケルの提唱した説だが、正確には『情動感染』つまりは集団ヒステリーの一種であったと御大は考えておられるようだ。
かならずしもU字でなかったものが、情報が錯綜するなかでいつの間にかU字だったと錯覚され、一大ミステリーを作り上げたのだ、という話。
人間の誤認や誇張を原因とすれば、『屋根の上』は誇張、『直線だった』は錯覚、『U字蹄鉄だった』は誤認で説明が付くと言うことらしい。
なんだかスッキリできないが、一応は筋が通っている。
だが、このような誤認がこの日だけで、過去から現在に至るまで、他になかったと言うのだろうか?
片足で大量のカンガルー説
『私が同意できる説は、1000匹を下らない片脚のカンガルーがおのおのが特別製の小さな蹄鉄を付けデヴォンシャーの雪に足跡をつけたかも知れない、という説だ』チャールズ・フォート犯人はヤツら説
オカルト・クロニクルとしても、新説を提示しておきたい。これは決して悪魔などと言う非科学的、超常的な存在が残したものではない。
まず、U字蹄鉄を先端につけた長い棒を用意する。馬や牛に烙印を押す焼きごてを連想していただくと良い感じです。
もちろん、その棒は20メートルほどの長さで普通の焼きごてとは違う。
犯人グループ――つまりは宇宙人たちは、その焼きごてを手にしてUFOに乗り、上空からペタペタと足跡を残したのだ。窓から身を乗り出して、ちょうどスタンプの要領で。ミステリーサークルの代わりだったのかも知れない。
住民たちが目撃していないのも、『記憶を消した』のだとすれば一応筋が通ってしまう。
なにもコレは目新しい説ではない。フィラデルフィア実験でおなじみのモーリス・K・ジェサップ博士もこの説を主張している。
ジェサップはある種のエネルギービームで地面と一定の距離を保ちながら低空飛行をする物体がこの跡をつけたのだと説明した。
ムーロが歩いた夜説
これは説というものでもなく信憑性も無いに等しいが、自分たちがやったという名乗り出があったことも書いておく。近年になってのことだが、ジプシー(差別的な意味ではない。ロマ民族と言うべきか、とにかく移動型民族)の一団が「アレをやったのは我々だ」と公言している。
彼らの主張によれば、あれはライバルのグループをデヴォンシャー周辺から追い出すために行った謀略だったのだという。
「準備には1年半を必要とし、段梯子と400セットの竹馬を使用した」
と彼らは言う。
これは『ムーロが歩いた夜』として彼らのグループ内でいまだに記憶されているそうだ。ムーロとは彼らの表現による悪魔らしい。
しかし、本人たちがやったというなら、それは『ジプシーの歩いた夜』でしかないと思う。
いい大人が竹馬で足跡を作れば敵を追い出せると考えていたなら、なんだかカワイイが、残念ながら目撃者も証拠もなく、信憑性には欠ける。
結局、どの説も補足や追加の条件や説明が必要な物ばかりだ。
他にも新説や珍説、あるいは推理がありましたら上記メールフォームからご連絡下さい。掲載いたします。
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悪魔はどこへ行った?
この事件は歯に衣着せぬ懐疑論者でも、なんだか奥歯に物が挟まったかのような物言いをする。まさに怪事件で、まさに不思議で実に興味深い。
その後、1954年にデボンシャーの海岸に奇妙な生物の死骸が打ち上げられた事件が『物語の続編』とする向きがあるようで、この怪物については別項でとりあげることとする。
古い年代記をあたれば、似たような事件を書き記したものも少なくはない。
ベネディクト派修道士フラウェルスの『年代記』によれば、紀元943年フランスはエベルネーで起きたひどい暴風雨のことを記したくだりで、「嵐の盛んな間には魔物ないしウマが見られた」と書かれている。
イギリス、エセックスではコギシャル修道院の院長ラルフが1205年7月の大嵐の後で、「今まで見たことのないような奇怪な足跡が数か所で見られた。人々は魔物の足跡だと言った」と記録している。
他にはポーランドでもピアショウという丘で、似たような足跡の目撃があったとか、1840年にサー・ジェームズ・クラーク・ロス船長率いる船団が大西洋はケルグレン島(クルグレン)の雪原で同じような蹄跡の発見を報告している。
悪魔の足跡について「あの日以来、起こっていない」という説明を何度かしたが、実は数度『足跡』が報告されている。
もちろん、それはごく小規模なもので、雪の溶けた道の脇にちょこっと足跡が見て取れる程度のもの。一見して好事家のイタズラだと判断できる程度のものだ。僕も今年の冬にやってみようかと思う。騒ぎになったらすみません。
そのいずれもがいまだ未解明である。
どの証拠も雪解けとともに消えてしまった。
結局、あの夜に何が起こっていたのか、誰も知るところではない。
余談ばかりになるが、デヴォンシャーという地方は大雷雨で火の玉が降ったとか悪魔がヤン·レイノルズという青年とギャンブルをやった等、奇妙な話が結構ある。寓話と伝説が息づく地域なのかも知れない。
近年、同じような事例が報告されないのは、温暖化で積雪が浅くなったせいか、それとも足跡の主が高層ビルを飛び越えられないためか、あるいは散歩するヒマがないほど忙しいのか。
もう二度と足跡が現れず調査できないとなると、この事件は永遠に未解明のままだろう。
でも、きっとそれでいい。