それはほとんど法則として語られ、宇宙人と出会いたいと願う世の美大生や芸術家の希望を無残に打ち砕いてきた。
だが1981年、ポーランドで人類初ともいえる快挙がなされた。画家だって、宇宙人と出会える。
奴らはどこへでも来る
まず、事件のあったポーランドとはハウピ村の場所を確認してもらおう。とにかく、細い。
島へ通じる橋なんじゃないかと錯覚してしまうが、これは半島である。
この半島は海のレジャーで人気があるらしく、多くの情緒ある風景が写真に収められている。
ちなみに、手元の日本語資料には『チャルピー村』とあるが、Googleマップの記述では『ハウピ村(chalupy)』となっているのでオカクロでは後者で統一する。
地図をよく見て欲しい。大陸側が人の顔、半島が垂れた鼻水に見える。が、これは余り事件と関係ない。気付いて嬉しかったので。
ともかく、右を見ても海、左を見ても海。生粋の海好きなら、風景だけでご飯三杯はいけそうなこの場所で事件は起こった。
小さな村の大きな事件
概要は以下のようにある。1981年8月8日、午後6時30分。
1人の画家が海岸の散策を終え、村のそばにある森(上記写真の森かどうかは不明)に通りかかった。
すると150メートルほど前方に二つの人影が見えた。
黒っぽい服を着ているようだったが、距離があるのでよくわからない。
どうせ近所の少年たちだろう、と特に気にせずに画家が小道を進んで行くと、二つの人影は小道を横切ってぐるっと迂回し、画家の右手方向にやって来た。
距離にして10メートル。
画家は茂みに立つその人陰が、近所の少年などではないことに気がついた。
オッサンではないか! それもちっちゃい!
いや、これはオッサンですらない! 宇宙人だ!
なにやら潜水服のようなモノを着た宇宙人だ!
さすがは海のリゾート! 宇宙人だって潜りたいのか!
しかし、画家は驚異的な行動に出る。
2人の奇人物を無視したのだ。
資料によれば、画家はじっと見つめてくるレジャー星人を無視して、そのまま小道を進んだのだという。
すして“両手に奇妙な感じがした”ので振り返ると、2人はまだ茂みにおり、通り過ぎた画家をじっと見つめていたのだという。なんだかせつない。
しかし、やはり画家は無視した。一度ならず、二度までも!
そのまま前を向いて画家は小道を進んでいった。
やがて小道の先にある丘にやって来ると、至近30メートルに銀色の物体があった。
銀色。長方形。底が平ら。
――ふん、つまらん。UFOか。
画家がそう考えたか定かではないが、まもなく宇宙船らしき銀色のソレはふわっと離陸してどこへともなく飛んでいったのだという。
目撃された異星人の特徴として、目がアーモンド型で大きく、肌の色は灰色。鼻があるべき場所には小さな穴が二つあるだけで、口は薄い切れ目にしか見えなかった。そして足元から腹のあたりにかけて不自然な霧に覆われていた。腰に奇妙なギミックを多数つけていたが、画家はその立ちこめる霧のせいで詳しく観察することはできなかったのだと証言する。
最初から微塵にも観察する気がなかったように思えるが、本人が言うならそうなのだろう。
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錯綜する情報 真実はどこにある?
おそらく「本当に画家なのかよ!」と目撃イラストを見て憤りを覚えた諸兄もおられることだろう。
あの宇宙人イラストは好意的に評すれば『味のある』絵ではあったが、決して上手いわけではない。その微妙さにおいて他の宇宙人イラストとなんら遜色するものではない。
勘の良い人は気がついているかも知れないが、あの画風はアレに似ている。
蛭子能収の漫画だ。
これはネットでこの事件の情報収集をしているときにたまたまツイッターの呟きで目にしたものだが、指摘されたとおりよく似ている。蛭子能収のマンガのキャラクターの雰囲気とよく似ている。
たしかに漫画家も画家である。だがなんだか納得できない、したくない。決して宇宙人イラストに芸術的な何かを求めるわけではないが、うーむ。
そしてこの事件へのリサーチをさらに進めると、面白い事実がわかってきた。
海外の資料には『画家』とは一言も書かれていないのだ。
そして事件の概要もかなり差異がある。
上で取り上げたのは『宇宙人の死体写真集』の伝えるものであるが、『1981 Humanoid sighting Reports』によれば概要は以下のようになる。
目撃者R・K氏のことを画家とは触れていない。 宇宙人は身長150センチ、肌は緑色。 宇宙人はテレパシーで語りかけてきた。 その内容は「怖がらないで」「知らんぷりして通り過ぎて」 R・K氏は指示に従い前進し、そこで着陸しているUFOを見た。が、指示通りしらんぷりして通り過ぎた。 歩き続けていたのに、帰ってみると普段より15分ほど遅く着いた(時間の消失)。 UFOの着陸していた場所には直径30センチ深さ15センチの穴が空いていた。
流れはほとんど一緒だが、細かい部分は結構違う。
海外サイトのほとんどがBronisław RzepeckiというUFO研究家が専門誌に寄稿した記述をもとに記事を書いているらしく、だいたいが上記のものと一致する。
名著『宇宙人の死体写真集』の著者である中村省三氏の一次資料がなんなのか非常に気になる。画家はどこからきたんだろう? FACEBOOKなりにページを持っておられたら直接聞くのだが、色々検索してもご本人らしき方が引っかからない。もう出版業界におられないんだろうか。
真実はどこに?
やはり絵の上手い人間は接近遭遇できないのか?
そして、風光明媚なハウピ村で異星人は何をやっていたのか。
お忍びのレジャーに来ていたんだろうか。だから見られたくなかった?
なんだか近所の子供による悪戯を疑ってしまうほど、あまりにも人間っぽくもあるが。
まったくもって謎である。
追記 2018.12.15
このケースについて、元MUFON見習い調査員でUFO現象評論家の花田英次郎 氏が海外の資料にあたり追跡調査をしてくださっています。この記事で把握し切れてなかった新事実が浮上しておりますれば、興味ある諸兄は是非是非どうぞ。
又人にかけ抜かれけり秋の暮―■ハウピ村事件
■参考文献及びサイト 宇宙人の死体写真集―外宇宙からやってきた宇宙人の脅威の実態 (グリーンアローブックス) UFOINFO.com:1981 Humanoid sighting Reports-PDF UFO DNA:海外サイト