オーロラ墜落事件――テキサスに眠る何か

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ロズウェル事件の50年前。西部開拓時代のアメリカに『何か』が墜落した。
それはライト兄弟が初飛行に成功する6年前であり、UFOという言葉もない時代だった。葬られた乗組員は何者だったのか。墓石なき墓に、いまだ何かが眠っている。

片田舎の墜落事件

1897年、アメリカ、テキサス州オーロラ。 州北部に位置する片田舎に轟音が響き渡った。 南の空から現れた葉巻型の飛行物体が、プロクター判事の風車に激突、墜落して大破したのだ。

墜落してきた飛行体の残骸は、プロクター氏の農場内、約50メートル四方に散乱し、慌てて駆けつけてきた警察によって、少なくとも一体の乗組員と見られる遺体が回収された。

当時の地元新聞を収録したマイクロフィルムには以下のような記事が残っている。

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1970年代に事件を再発掘した記事


今朝6時頃、オーロラ上空に突如飛行船が現れ一帯を航行し、早朝の住民たちを驚かせた。同飛行船は真北に向かうと、これまでになく地上に接近した。速度はわずか時速20~30キロほどで、徐々に地上に接近したことから、機械系統に何らかの故障があったと思われる。公共広場を越え、町の北のはずれに達したところでプロクター判事の風車のやぐらに衝突した。
すさまじい爆発で飛行船は粉々になり、残骸は約50メートル四方にわたって飛散した。風車と水槽が破壊され、判事の花壇も台無しになった。

同船に搭乗していたのは操縦士一人とみられている。遺体の損傷はひどかったもののほぼ全身が回収され、この操縦士がこの世の者ではないことがわかった。 同町で米軍通信機関に勤め、天文学の権威でもあるT・J・ウィームス氏の意見によると、この操縦士は火星人ということだ。

操縦士が身につけていた書類は航行日誌とみられているが、未知のヒエログリフのような文字で書かれていて解読はできていない。船体は見る影もなく大破しているため、その構造や動力については何もわかっていない。アルミと銀の合金のような未知の金属製で、重さは数トンに達するとみられる。現在同町にはこの墜落事故を一目見ようとする野次馬や、残骸から変わった金属の標本を捨い集めようとする人たちがつめかけ、ごったがえしている。 操擬士の葬儀は明日正午に執り行われる。

署名 E.E.ヘイデン
1897年4月19日付け地元新聞
なにやら、淡々と事件のあらましが記述されているが、ものすごい事を書いている。
T・J・ウィームス氏がどういう根拠で操縦士を火星人だと断定したのかはわからないが、天文学の権威と言うことで愚直に信頼することにする。

AuroraUFO incident

オーロラ共同墓地の立て札。現在、この墓所の所有権はフリーメイソンであるそうだ。


他紙であるフォートワース・レジスター紙でも事件のことが触れられていたが、『パイロットはこの世の者ではなかったが、オーロラ共同墓地にてキリスト教式葬儀が執り行われた』とだけ完結に報じられている。

記事の通り、『操縦士』の遺体は教会葬によって弔われたあと、村の共同墓地に埋められた。

現在でもテキサス州の歴史保存に携わる委員会によって立て札が立てられ、その説明にもこの事件のことが触れられている。 ――1897年に近隣で宇宙船が墜落し亡くなった操縦士がここに埋葬された。とある。

 

墓と残骸とホールとオーツ

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往年のオーツ氏。


1897年といえばライト兄弟が初飛行に成功する6年まえのことである。
空に人工の乗り物が飛ぶようになる6年も以前に起こっていることからオーロラの宇宙船墜落事故は『UFO肯定派の決定的な論拠』とされるらしい。

だが、この時代にも飛行船の試作器は存在したし1884年には実験飛行にも成功している。
『空に飛んでいる物は動物かエイリアンクラフトしかなかった時代』というキャプションは正確ではない。

プロクター氏の敷地にばらまかれた残骸は、地元警察によって回収、遺棄されたらしくその後のことはわからない。
だが、残骸の一部はプロクター氏によって敷地内の井戸に投げ込まれたということであった。 その後、1945年にプロクター判事から土地を購入したブローリー・オーツという男が井戸の底をさらい、破片を取り出した。破片がどうなったかは報じられていないが、オーツ氏は直後に重度の関節炎を発症する。
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手には重度の関節炎。


これは、残骸からしみ出した何らかの成分によって汚染された水が原因であると考えたオーツ氏はポッカリ空いたホールをコンクリートで埋めた。

オーツ一家は全員が嚢胞や甲状腺腫などの病気を患っており、家族は墜落事故が起きたところにあった古井戸の水を飲んだせいだと確信している。

「井戸は放射能で汚染されていると聞かされていた」とオーツ夫入は打ち明けている。

ブローリー・オーツ氏自身は、1973年にオーロラ墜落事件が再注目された時期に亡くなっている。「畑の中に宇宙船が衝突したらしい場所があるけど、そこには何年も草一本生えなかった」と夫人のエッダ・オーツは語った。

宇宙人の墓は再注目以後に作家のジム・マーズが訪れ、以下のような感想を書き残している。
小さい墓なので、埋葬されているのは子供か非常に小柄な人物であることがすぐにわかる。墓の上には何でもない石をのせて笠石にしてあった。墓碑の半分は崩れてなくなっていた。残る半分には一方の脇に大きなV字に似た形が彫りこまれていた。V宇の内側には小さな円が三つ描かれている。その彫刻全体は円盤型構造の縁の部分によく似ていて、小さい円は舷窓のようだつた。私はその付近一帯の古い共同墓地を知っていたが、たいていは初期の入植者たちの墓と南部連合軍兵士のマルタ十字の墓碑が立てられている。このタイプの墓碑は非常に珍しく、好奇心がかきたてられた。
地中レーダーでその場所を確認したところ、『小さな墓穴があること』『3つの金属反応があること』が確認されたが、墓所の管理組合から発掘の許可が下りなかった。

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謎の墓と少年。


近隣住民が『身内の墓まで荒らされる』と思い込んで、科学的調査に対して反発したようだ。自警団のような組織まで作られ、墓場を見張っていたのだという。
当時のオーロラの保安官H・R・アイデルにいたっては約二週間、武装して共同墓地を警護し、一切の発掘を許さなかった。

なにやら大層な話であるが墓荒らしが出たのは事実であるようで、通称『パイロットの墓』から墓石と金属片、おそらく遺体まで盗難されたという。自警団は何をやってたんだ。

墓石が盗難にあった3ヶ月後、ジム・マースとビル・ケースが現場に赴いたが金属反応はすっかりなくなっていたのだという。ビルケースは盗掘者が「政府だ」と言い残し一年後に世を去った。

後年になってアイデル保安官の息子ジェームズ・アイデルが彼の祖父、つまりはアイデル保安官の父親がパイロットの埋葬を手伝ったのだ、とジム・マースに打ち明け話をしている。 彼は身長は90センチくらいで頭の大きい宇宙人だったそうだと説明した。さらにジェームズの父親であるアイデル保安官は誰が笠石を盗んだかも知っていたが、詳しくは話してくれなかったという。公職上の秘密だと言うことだ。

陰謀の匂いがぷんぷんしている話であるが、本当かどうかはわからない。

 

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3人の生き証人

1973年から始まった再調査の段階で墜落事故を直接知っている可能性がある存命者は3人だった。それぞれの証言は以下のようになっている。

ロビー・ハンソン:当時12歳で家族はオーロラの町外れに住んでいた。数日後馬に乗ってやってきた男が事件の話をするまで家族の誰もこの事件のことを知らなかった。あの事件はデッチ上げである。

メアリー・エヴァンス:当時15歳。最近新聞を見るまで事件の事は忘れていた。家族はオーロラに住んでいて、両親が墜落現場のプロクター判事の井戸へ見に行ったけど私は連れて 行ってもらえなかった。両親が戻ってくると飛行船が爆発したと話してくれた。遺骸を集めた町の男たちの話だとパイロットは小男でその日のうちにオーロラ共 同墓地に埋葬された。あの墜落事故のときは確かに大騒ぎだった。多くの人が驚いていた。みんな何が何やらわからなかった。何しろ飛行機の定期便や飛行船やらが飛ぶようになる何年もまえのことだったから。

チャーリー・C・スティーブンス:17日の朝まだ10歳にもならないスティーブンスは父親と一緒に子牛を牧草地へ連れ出しているところだった。二人は葉巻型の物体が明るく光りながら頭上を通過するのを目撃した。物体の飛行高度は非常に低く、北へ6キロほど離れたオーロラの町へ向かってまっすぐ飛んでいった。それから何かが爆発したような音がして、北の空が数分間炎に染まった。仕事があったため見物には行けなかった。 翌日父親は馬で町に向かった。戻ると事故現場には大量の引きちぎられた金属と黒こげの破片があった事を話した。しかしパイロットの話は出なかった。

 

テキサスズ・ロズウェルと懐疑論

ここ数十年のあいだにオーロラの墜落現場ではさらなる調査が行われ、通常では考えられないほど高濃度のアルミニウムが検出されたそうだ。その場所はプロクター判事が残骸を捨てたとされる井戸の底である。

この事件を以後頻発することになるUFO事件の祈念碑的事件だという向きもあれば、デッチ上げの代表的事件だと断じる向きもある。

存命していた3人の証人のうち2人は伝聞でしかなく、残る1人も高齢だ。証言にどれほどの信憑性があるのかは分からないが、何かが墜落したとされる1897年ですらオーロラの町では真実派とデッチ上げ派に二分されていたという。

事実、『ダラス・モーニングニュース』でオーロラ事件のことを報じた新聞記者S・E・ヘイドンについては実際にはF・E・ヘイドンという名前であり、地元では有名な綿の仲買人であった。

事件のことを騒ぎ立てることにより、オーロラの町に注目を集め地元経済を活性化させようとして面白半分に記事を書いたのではないかという疑いがもたれている。

『何か』が墜落した場所の地主であるプロクター判事も、実際には地元の軽犯罪などを担当する無給の治安判事であったことも判明する。 さらに、ヘイドンの記事では『陸軍所属の天文学の権威』とされていたT・J・ウィームズにいたっては、その肩書きと全く違うただの町の鍛冶職人でしかなかった。

しかし、こりゃあ、デッチあげじゃろ。などと考えるのは早計で町の住人のなかには『なんらかの権威付けがほしくて、一部の肩書きを誇張しただけだ。田舎ものの言うことか、とバカにされないための必要悪であったのだ。墜落事件は実際にあった』という向きもあるそうだ。

興味深い事件である。
懐疑的に考えれば墜落したのは隕石で、乗組員の話はでっち上げという事になるのだろう。だが墓まで作るだろうかとオカルト・クロニクルは懐疑にも懐疑する。
とはいえ、このオーロラでの事件は1960年代に巻き起こったUFOブームで『再発掘』されるまで、なんの続報もないまま忘れ去られていたため一般的にはデッチ上げだと考えられている。
オーロラ事件の墓石

(上)オーロラ墓地に残る墓石。UFOらしき形が刻まれているが、これは近年になって建て直されたもの。
画像出典:tuisnider.com
(下)過去、オーロラ墓地にあった墓石。
画像出典:ムー 2013年1月 並木オフィス所蔵


1897年頃のオーロラは害虫の発生により主産業である綿花の生産に大打撃を受けており瀕死の状態であった。(鉄道計画も頓挫した)そこで世間の関心を惹くためにヘイドンが当時話題になっていた『謎の幽霊飛行船騒動』に便乗し、町を宣伝した――。という話だ。

しかしながら、前述のようにメアリー・エヴァンスやチャーリー・C・スティーブンスは「確かに何かがあった」と証言しており、墓で金属の反応があったのも確かであり、ブローリー・オーツが井戸水が原因とおぼしき奇病を患ったのも事実。

ちなみに2008年にビル・バーンズ率いるUFOハンターズによってこのオーロラ事件が取りあげられ、封印されていた井戸を開放し、科学的な追跡調査が行われている。
そのさいにいくつかの新事実が判明している。

・現在の土地所有者ティム・オーツ(ブローリーの甥)の子供が拾ったという幾つかの溶けた金属片を調べると、アルミと少量の鉄の合金であることが判明。(このような合金は事件当時に存在しておらず。現在でも一般的ではない。原子炉の燃料被膜材料として使用されるのみ)
・事件現場の付近に生えていた樹齢200年の樫の木が、強い金属反応を示す。
・封印を解いた井戸の水から高濃度のアルミニウムが検出された。
・井戸の周辺の表土を除去する際に、風車小屋の基礎が発見される。これにより「そもそも風車小屋はなかった」とする郷土史家エタ・ペギューの説が覆った。
これらの新事実から、『完全なデッチ上げ』という事件への捉え方が誠実でない可能性が強くなる。


なんにせよ、墜落死した宇宙人が解剖や見世物に回されず、葬儀までやってもらって安らかに眠れた時代だったことは確かである。
信じる信じないはともかく、真実は片田舎の大地でいまも静かに眠っている。
 
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