プマプンク遺跡――失われたオーバーテクノロジー

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驚くスペイン人征服者に原住民は笑って言った。作ったのは我々じゃない、ここは我々が来るより遙か昔に建てられのだ――と。ここは巨人がラッパの音を使って一晩で作ったのだ――と。
学者も言う。「確かに1万5千年前、ギザのピラミッドより1万年以上古い、最終氷期、後期石器時代。だが……あり得ない」
超古代テクノロジーの証が残る場所、そこは天空の廃墟プマプンク。

神は積み木遊びをするか

pumapunku001b-min 南米はチチカカ湖。
標高は富士山の頂上より高い3890メートルに位置し、天空の湖と呼ばれる神秘の湖だ。

16世紀にこの付近を訪れたスペイン人征服者たちは、驚きを隠せなかった。
そこに彼らの知っている『遺跡』というイメージから大きく逸脱した遺跡を見たからだ。

ゆうに10トンは超えるであろう巨石があちこちの土に埋もれ、それらにはどのようにして加工したかもわからない精巧精密な細工が施されている。巨大な基壇らしきもの。一枚岩で造られた巨大な門。並べられたH型をしたブロック。
pumapunku002_min 高原地帯で周囲に石もなく、木々さえも生えていない。その荒野とも言うべき場所に、打ち棄てられた遺跡――過去には立派だったであろう建築物の廃墟群がひっそりと眠っていた。

この廃墟群はティワナクと呼ばれる。

ピーター・ジェイムズは著書の中でこう表現している。
これほどの高度では過去も現在も人間の活動の痕跡はきわめてマレで、あったとしても風景に比べるとひどく見劣りがしてしまう。だが、ボリビアのティアワナク遺跡だけは別だ

まさに他の遺跡とは毛色が違った。

新大陸で略奪や虐殺を行っていた征服者や探検家――つまりはコンキスタドールであった、ペドロ・デ・シエサ・デ・レオンは後に執筆した年代記の中でティワナク遺跡群に辿り着いた時の感想をこう述べている。
「装飾や彫刻の素晴らしさのみならず、これほどの大きな石をどうやって運んだのか想像も出来ない」
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プマプンクの代名詞とも言えるH型ブロック。
精緻を極める細工は経年劣化が進む現在にあっても、依然として驚異的である。
ほぼ直角を描く角や、滑らかな表面処理をして、工作機械なしでは不可能と評する研究家もいる。正統考古学ではこれらを石のハンマーと青銅のノミで造ったとしている。


そしてシエサ・デ・レオン以降に訪れた征服者達も同じような脅威を感じ、17世紀に訪れたベルナベ・コボ神父は、言い伝え通り巨人族が造ったに違いない――と所感を述べている。

地元のインディオであるアイマラ族は、自分たちが造ったのではないと言うし、実際に彼らにその能力はないだろうと探検家達は考えた。

では誰がこのような壮大な遺跡を造り、そして忽然と姿を消したのか。

アイマラ族は言う。伝承通り、巨人族が造った。巨石はラッパの音により空中に浮き、運ばれたのだ、と。

様々な探検家や研究者が訪れたが、誰しもが首をひねるばかりだった。

1863年。アメリカ人考古学者のエフライム・スクワイヤーはティワナクの遺跡群を見て回り、こんな事を言った。

あれほど数学的な正確さと、見事な技術で切り出された石はティワナク遺跡以外では見たことがない
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たしかに数学的であった。

石材の角はほぼ90度の直角に切られており、石がまるで機械で加工されたようだった。
曲がることなく直線に引かれた溝の中には、等間隔に並ぶ小さな穴。あまりにも高度な加工技術だった。

プマプンクに残された石材の中で、『H型ブロック』と呼ばれるものがある。
これもやはり精密な造形をしており、それが遺跡のあちらこちらに打ち棄てられていた。
どういった用途でこのH型ブロックが用いられる予定だったのかは不明で、現代もなお議論が続いている。

ある論者は言う。

ブロックはプレハブ工法の建材にも見えます。この工法を行うには工程計画や設計がつきものです。プマプンクは高地に住んだ先住民アイマラ族によって作られた神殿跡だと考古学会では考えられています。しかしアイマラは石器時代に生きた人々で、文字を持ちませんでしたから、設計など絶対に不可能です。石器時代の人々がプレハブ工法を行えたとは思えませんから、ブロックの精度の高さは不思議としか言い様がありません。
同じ大きさ、同じ形、つまりは同一規格の建材を用いて建設するのがプレハブ工法だ。
このH型ブロックがそのプレハブ工法用の建材だったのではないかと言う。

こんな古代の人々が、プレハブ式工法を?
いや、古代、古代と言うけれど、具体的にいつ頃なのだろうか?

これに対し、考古学者で探検家でもあるアーサー・ポスナンスキーは50年に及ぶティワナク研究の成果として、以下の年代を割りだした。

――約1万5千年前。
これは尋常な数字ではない。1万5千年前というと、地球はようやく氷河期の終わりにさしかかり、人類が後期石器時代に突入した頃だ。まさに有史以前だ。

そして、他の科学者、【具体的にはハンス・ルーデンドルフ博士(ポツダム天文台)、フリードリッヒ・ベッカー博士(ヴァティカン天文台)、アーノルド・コールシュッター博士(ボン大学)、ロルフ・ミュラー博士(ポツダム天体物理学研究所)の4博士】 による3年間に及ぶ綿密な検証が行われた。

その結果、博士たちはポスナンスキーの意見は基本的に正しいと結論づけた。

数字だけではピンと来ないかと思われるので、以下に簡単な図表を用意した。有名な遺跡がいつ頃造られたのか、これらと比較してプマプンクの『ありえなさ』を実感してみよう。
下に向かうにつれて現代に近づきます。

pumapunku0x5 pumapunku0x6 pumapunku0x7 pumapunku0x10 pumapunku0x8 pumapunku0x9 pumapunku0x11 pumapunku0x12 pumapunku0x13 とにかく、プマプンクは規格外だ。

ヨーロッパの人間が拾ってきた石を直列に並べたり、円状に並べたりして、やいのやいの喜んでいるその1万年前には緻密な設計をなされたプマプンクが建てられたことになる。

そんなこと、あり得ない。石器時代にどうすればこのような遺跡を造れるというのか。

誰もがそう思う。

そして一部の人はこんな風にも思う。

ティワナクの人々は、なにかしら素晴らしいテクノロジーを持っていたのではないか。

もしかしたら、そのテクノロジーは、地球外からもたらされたのではないか。

遙か古代、地球は異星人の来訪を受けたのではないか。

そして人類は彼らから先端技術を授けられたのではないか。人類は、慌ただしい歴史の中でそのテクノロジーを失ったのではないか。
そんな風に考える人たちがいる。

そう、古代宇宙飛行士説だ。


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オーバー&ロストテクノロジー

ここでプマプンクに関する基本的な部分に目を向けてみよう。

プマプンクは現地のアイマラ族の言葉で『The Door of the Puma』という意味だ。ピューマはご存じネコ科の大型肉食獣である。
そしてその場所。
Photoshopを導入して嬉しくて仕方がないオカクロ特捜部は頑張って古地図風のモノを作成した。
が――上手く使いこなせなかった。PSがオカクロにとってのオーバーテクノロジーであった。

プマプンク地図

チチカカ湖の面積は琵琶湖の12倍。富士山の山頂より高い高地に位置しているが、熱帯に属しているため雪に閉ざされてはいない。クリックで拡大。


ティワナクという呼び名は、現代にあっては管区と村名、そして過去の時代や文化、そして遺跡名という広い意味を持つ。

混乱を避けるために説明しておけば、遺跡に関し、大きな枠組みでティワナク遺跡という遺跡群があり、その中の小ジャンルとしてプマプンク、アカパナ、カラササヤ、半地下神殿などがあるということになる。pumapunku0014 ただティワナク遺跡の中にプマプンクを含めるべきかどうか、少し考える必要がある。

距離が離れているからだ。

アカパナ、カラササヤ、半地下神殿などは近接して建てられているが、プマプンクだけは1㎞ほど離れている。これをしてプマプンクだけは別の時代に建てられたという論者もいる。

たしかに他のティワナクの遺跡と比較して、プマプンクはどこか毛色が違うようにも思える。

比較画像を見ていたただければ、その違和感を感じていただけるかと思う。

アカパナ、カラササヤ、半地下神殿。そのどれも言うまでもなく立派な遺跡であるし、見事な造形である。

だがそれらと並べてみれば、プマプンクだけ作りたい物のベクトルが違うように感じられはしないだろうか。

この『特異感』からか、こんな主張が生まれる。
プマプンクはティワナク遺跡群から切り離して考えるべきだ――と。

もっと言えば、プマプンクを造った者とティワナクを造った者は別の存在である、と。

原住民であるアイマラ族も言ったではないか、「自分たちが造ったんじゃない」と――。

そう、プマプンクだけは別の時代に建てられた――。

実際に、プマプンクは発掘調査が遅れているためか、誰が何のためにために建てたか明確なことはわかっていない。
そして、「巨石をいかにして運んだか」という点においても、いまひとつ明確になっていない。

プマプンクの石を切り出した石切場は、プマプンクから直線距離にして80㎞ほど離れた山中であると言うことは判明しているが、その運搬方法については学者の間でも足並みが揃っていない。

木の丸太をコロにして運んだと言う意見には、「樹木限界線を超えた場所で荒涼たる荒野である。そもそも木がないすよ」とケチがつく。

最近になって「巨石は運河を利用してイカダで運ばれた」という説があがったが、運河の総延長が20㎞しかなく、それもチチカカ湖とティワナクを結ぶだけのものであったため、これも弱いように思える。

運搬は厳しく、加工は困難。そしてその高度なテクノロジーを持った民族は何処へともなく、消えた。
こうなってくると、一部の有識者は天を指さしてニヤリと笑う。

遙か太古のティワナク人は、異星人の来訪を受け、彼らにテクノロジーを授かった――。

あるいはこの遺跡を造ったのが異星人なのではないか――。

そんな古代宇宙飛行士説の論者が主張する話に耳を傾けてみよう。

ここ数年、もっともHOTな論者で古代宇宙飛行士説を扱う専門誌『Legendary Times』を発行するジョルジョ・ツォカロスは荒廃したプマプンクを以下ように観察する。

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古代宇宙飛行士説の論者、ジョルジョ・ツォカロス(Georgio A. Tsoukalos)
楽しそうに無茶苦茶な主張を語るからか、懐疑派、ビリーバーを問わず世界中の諸兄から大人気だ。
胸に光るブローチはオーパーツ界隈で有名な『コロンビアの黄金ジェット』。不思議なものへの愛情が伝わってきます。
画像:古代の宇宙人


「プマプンクはこれを建設した宇宙人の手で故意に破壊されたと私は考えています。宇宙人は地球を離れて次の任務へ向かう前にここを壊していったのです。どんな破壊行為が行われたのかは想像しがたいのですが、宇宙人は地球を去る前にここで宇宙戦争を行っていたのではないかと思います」
もうね、好き。

やはりこれぐらいブッ飛んで貰わないと、満足できない。戦争まで飛躍するのがチャレンジブルではあるが、旗幟鮮明な人物だ。

彼ら古代宇宙飛行士説論者に言わせればプマプンクの緻密な石加工は機械によってのみ可能で、十数トンにも届く巨石の運搬にももちろん地球外テクノロジーが用いられたと言うことになる。
そもそも、プマプンク自体、宇宙人が建てた遺跡であり、それを人間たちがマネて造ったのがティワナク遺跡なのだと。

このティワナク周辺には『ビラコチャ』という創造神の伝説が語り継がれている。
ビラコチャは豊富なアゴ髭をたくわえた大柄な白人男で、アンデスの人々に農業、牧畜の知識を授け、時には病気の治癒もした。

興味深いのが、このビラコチャが『大洪水』を起こしたとされる話だ。

遙か古代、創造神は世界を創ろうとした。初めに大地と空を作り、石から巨人も作った。はじめは上手くいっていたが、やがて巨人同士が仲間割れを始め、働くことを拒否した。
そして、その報いとして創造主は世界に大洪水を起こし滅亡させた。ある者は溺れ死に、ある者は石になった。箱の中に入っていた男女二人だけが助かった。
その大洪水が一段落した後、創造主は人間の姿となってチチカカ湖に降臨し、ティワナクを拠点にアンデスのほうぼうを訪ね知識を授けた。時が来ると、ビラコチャは海の泡と消えた。

世界中で確認できる大洪水伝説がアンデスの山中にもあるのは実に興味深い。
大洪水をノアにだけ告げてエコ贔屓したキリスト教圏の神と違い、ビラコチャは根絶やし狙いでいっている。なんだか冷酷残忍なようであるが、本来、平等とはこのようなことを言う。

ちなみにこの創造主ビラコチャ伝説はティワナク周辺だけでなくアンデス全域に広がっており、後に発祥するインカ帝国もビラコチャを創造神としていた。16世紀以降に侵略してきたスペイン人に無理やりキリスト教化されるまでビラコチャ信仰は生きていた。

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創造神ビラコチャの図。
土台がアカパナ遺跡の形状になっており、両足の左右にコンドルが描かれている。アカパナは天文台であったとされ、コンドルは南十字星の4ッ星を戴き、アカパナ・ピラミッドの上を通過してゆく。
太陽と同じ位置に立つビラコチャは、どこか完全武装したハニワを思わせる。どう贔屓目に見ても白人には見えない。もう諸兄らにもフルアーマー・ハニワにしか見えないはずだ。


このビラコチャの創世神話を古代宇宙飛行士説論者に解説して貰えば以下のようになる。

宇宙人ビラコチャが地球にやってくる。プマプンクに降り立つ。

せっかくなので、着陸基地としてプマプンク設営。

実験的に自分たちに似た生き物を作り(ゼカリア・シッチンによれば、金の採掘を手伝わせるため)、どうなるのか宇宙から研究観察。

なんだよ、ニンゲンたちはなんだか文明を発展させるどころか、争い始めたじゃないか! やだこれ醜い!

もう見たくない。実験は失敗。 リセット、リセット。

大洪水。

もう一度やり直そう。今度は変に争わないよう、ちょっとだけ入れ知恵して、農業とか教えてみよっか?

なんだか飽きたし帰ります。なんかようわからんけど、誰とするかもわからんけど、戦争もしときますね。

プマプンク、壊しちゃった……なんかゴメンね……。

そして現代へ。

一聞しただけでは荒唐無稽な話に思えるが、やはり荒唐無稽な話である。

だが宇宙人はともかく、ロストテクノロジーの可能性まで一緒くたにして否定するのも誠実とは言えない。

古代宇宙飛行士説にしても、オカクロは頭ごなしに否定はしない。大事なのは真理を探求すること。
ガリレオは笑われた。エジソンは疎まれた。だが正しかった。アダムスキーを笑ったのは正しかった。

世界中の大人が冷笑しても、オカルト・クロニクルはこれらの問題に最後まで真摯に付き合ってゆきたいと思う。

では次ページでは失われた技術と神々の居た証拠を整理してみよう。

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