幽霊飛行船騒動――謎の搭乗員たち

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電気と蒸気と歯車と

懐疑的見地からは、この事件をして、デッチ上げと誤認と疑心が作り上げた集団パニックと評価する向きもある。

搭乗員とのコンタクト事例はさておいて、目撃者たちは気球なり、天体なり雲なりを誤認し、そこに『空飛ぶ機械』のイメージを重ねたのだろう――という冷静な意見だ。

たしかに魚のような奇抜なデザインや鳥のような羽の生えたデザインは、騒動の起こる1896年までにメディアで流布されていた飛行船イラストに似通ったモノがある。これらは『未来の空飛ぶ乗り物』を印象づける先行イメージとして、充分なインパクトがあったことは想像に難くない。

実際に騒動の10年前に出版されていたジュール・ヴェルヌの『Robur le Conquérant 邦:征服者ロビュール(1886年)』はこの騒動をインスパイアさせた最も有名な作品として指摘されており、ジョージ・グリフィスの『Olga Romanoff(1884)』『The Angel of the Revolution: A Tale of the Coming Terror (1893)』にも似たような飛行艇が登場している。
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これらに描かれた『空飛ぶ船』の外見的特徴が後年の幽霊飛行船の特徴に影響を与えた――という話だ。口絵に登場する飛行艇に気嚢がないのが興味深いが、とにかくかっこいい。

諸兄は言うのかも知れない。

ヴェルヌはいいさ。俺だって好きさ。でもたった3作品が広く流布して、目撃者のなかにイメージを固定づけて有りもしない『ゴースト』を見せたって言うのか? ヒル夫妻のアウターリミッツや甲府事件のソフビ人形のように? たった3作品が?」と。

たしかに、娯楽が少なかった時代とはいえ、この3作品だけでイメージを定着できるのものなのか――。と色々調べてみると、もっとあった。

こちらの『Sceptiques vs. les Soucoupes Volantes』というサイトで大量に指摘されている。

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これらは全て幽霊飛行船騒動の起こる1896年-1897年以前に出版された『フランク・リード(Frank Reade)』シリーズからの口絵だ。

これは少年向け連続冒険小説で、主人公が様々なレトロ・フューチャーないしスチームパンク風の機械を駆使してフロンティアを旅する物語だ。なんだか良くわからないが、とにかくかっこいい。

フランク・リードの中から、飛空挺の登場する印象的なモノだけをお借りしたが、まだまだ様々なデザインがある。

飛行機械ではないが、個人的にはこのあたりを推してゆきたい。
phantom-airships11motif そりゃロボットも反乱起こしたくなるわって話である。なんでこいつは口にアブミをはめられているのか。

ともかく、このシリーズはかなり人気があり、広く人々に読まれていた。先行イメージとしても、充分なインパクトがある。

でも、子供向けだろ? どうかなぁ」とまだ怪訝な表情を消さない諸兄に、いつもの素敵な笑顔を取り戻してもらうため、他のソースも見つけてきた。

と言ってもこちらも『Sceptiques vs. les Soucoupes Volantes』さんからではあるが、今度は新聞である。もちろん幽霊飛行船騒動以前に刷られたものだ。

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一番下は時期的にすでに騒動と被っているし、なんだかオッサンがアホやってるだけのようなモノまで混ざっているが、ともかくイメージの原典となるようなモチーフは大量に出回っていたようだ。

では遙か遠方の日本ではどうだったのだろうか、となんとなく調べてみれば、日本でも1886年=明治19年の時点で「もう1人のヴェルヌ」と呼ばれたアルベール・ロビダの翻訳本が出回っており、その挿絵に飛行船らしきモノを見つける事ができた。

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これらは現在、国会図書館のデジタルアーカイブで手軽に閲覧できるようになっているので、興味ある諸兄はどうぞ。魚の気嚢がメルヘン童話チックで良い感じである。
世界未来記 : 社会進化』『第二十世紀 : 世界進歩.1

なにを調べていたのか良くわからなくなってきたが、飛行船、あるいは飛空挺の様々なイメージが市中に出回っていた事はわかった。

これらの先行イメージが、当時懐疑派に指摘されたような誤認――『気球の誤認』『天体の誤認』『スカイランタンの誤認』『ペリカンの誤認』『ホタルの誤認』などを空に生んだのだろうか。

……ペリカン?


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百万年ピクニック

1897年当時、科学者やエンジニアたち識者の多くが幽霊飛行船騒動に冷ややかな目を向けていたのは資料からも明らかである。

見間違いうんぬんは別として、当時の常識に従えば、飛行機も「空気より重いモノが飛ぶなどアホの発想」と考えられており、その否定的な見方はライト兄弟が初飛行に成功してからも続いた。

どこの馬の骨かもわからんポッと出に、そんな事ができるわけがない、どうせデッチ上げだ。信用できない」という態度が根強くあったという。

その一方で自身たちをして「馬の骨」ではないと自認する識者たちは、飛行船や飛行機、グライダーなどの研究開発を行っていた。

前述した航空学の父オクターブ・シャヌートもグライダーなどを研究し、何度も飛行試験を繰り返していたし、『ジャージーデビル――闇に消えた13番目の子』項で航空学のエキスパートとして名が挙がったスミソニアン研究所のサミュエル・P・ラングレーも1897年頃に飛行船の開発に力を注いでいる。

話によればラングレーは蒸気駆動の鳥形飛行船を開発しようとしていたらしいが――ついにそれは実現しなかった。

『浮く』ぐらいはできる。だが操縦し、自由に飛び回るのは困難極まる。

自分たちプロに出来ないモノを素人が出来るハズがない、そんな凝り固まった傲慢があったのかも知れない。

しかし、残念ながら飛行機に関しては、素人の自転車エンジニア兄弟に出し抜かれた。

餅は餅屋、馬は馬方というが、このライト兄弟の偉業は素人による逸脱が時として新機軸を生む事もある――という好例だと言える。我々だって時としてプロにはない新味を求めて素人ナンパモノのビデオに手を伸ばすではありませんか。まぁそれも実際はプロ素人ではあるのだが、それはいい。

いつの時代も人間は自分の知識を過大評価し、知っているつもりになったり、理解しているつもりになったり、と錯誤を重ねる。なまじっか知識が増えると、それに無理やり関連づけたり、強引に当てはめて理屈をこねたくもなる。人間、どう頑張っても知らないことの方が多いという事実を真摯に受け止めねばならない。

■諸兄の溜飲

■諸兄の溜飲も下がるシリーズ。
かように美しいスチームパンク美女が飛行船に乗ってやって来たならば、諸兄はおとなしく誘拐されるどころか、逆に誘拐する側に豹変してしまうはずだ。どれほど冷静を装っても、諸兄の下半身はホットなスチームでパンク寸前だ。

写真協力:aoiさん
twitter:@aoi4project


この幽霊飛行船騒動にまつわる顛末を俯瞰してみると、そこかしらに「疑心暗鬼」が見てとれる。

たとえば航空学の父オクターブ・シャヌートは「幽霊飛行船とか話になんネーヨ」と冷淡に評しているが、シカゴ航空会長マックス・L・ホスマーは『実は実用段階に入っていたシャヌートの飛行船』が目撃されたのではないかと疑ったし、目撃者や一部の新聞も科学者の言に懐疑的な姿勢を取った。

実は著名な有識者たちは秘密裏に開発には成功しているが、その事実を隠しているのではないか――。そんな疑念があった。

ある事例では、発明家のエージェントを名乗る弁護士が「特許を盗まれないため、極秘にしている」という旨の発言をしており、前述した『タカり目的のエセ発明家・山師』たちでさえ自分たちのアイデアが盗まれることを極度に恐れ特許の取得だけを行い、その図面なりのアイデアを後生大事に隠匿していた。

当時、「どこぞの発明家が開発したにちがいない」と考えた者は多かったし、デルショーのエアロ・クラブ奇譚もその憶測に寄り添う話ではある。

だが、そうなってくると、今度は「ではなぜ、せっかく開発された実用段階の飛行船が1897年を最後にパッタリ歴史から姿を消したのか」という疑問が浮上する。

想像たくましく消えた理由をあれこれと考える事はできるが、建造にかかった費用を回収できなかったことは確かだろう。
お金持ちのプレアデス人からの資金供与があったのだ――とする陰謀論だかニューエイジ界隈だかわからない言説もあるのかも知れないが、プレアデス人が『イケメンでなおかつ資産家』などという忌まわしい存在ならば、地球にかまわずさっさと母星に帰って頂くべきだと思う。

かくして、結局なにも解決しないまま幽霊飛行船はアメリカの空から消えた。

――――【2017-05-18追記】――――――
『まともな飛行船は存在しなかった』という言説について、有識者による指摘をいただきました。転載許可をいただいたので以下関連tweetを引用。

詳細な情報に感謝です。記事中では1852年のアンリ・ジファールについては、フランスであったこと、UFO論争史に「旋回して出発地に戻ることが出来なかった」とあったことから端折りました。横山さんのtweetのソースは『飛行船の歴史と技術 (交通ブックス 308) ――――追記ココマデ――――

その後、1909年、そして1913年にイギリスでも幽霊飛行船出没騒動が起こったが、やがてそれもパタリと消えた。
(註:もちろんこの頃すでに飛行船は実用段階にあったが、1914年当時でもイギリスには5隻の飛行船しかなく、結局、目撃された飛行船の所属は不明に終わった。この件でもやはり「どう考えても現実的ではない」という見方から目撃者たちの誤認だとされている)
別項『ラピュタは本当にあったのか―空飛ぶ城塞伝説』でもいくつか取り上げたが『空を飛ぶ船』というモチーフ自体はかなり古くから存在している。

9世紀のフランスでは空に浮いた船から4人の男女が落ちてきたと伝えられているし、1211年アイルランドのクロエラでは教会のアーチにイカリが引っかかり、飛行艇の搭乗員が縄を伝ってスルスル降りてきたともいう。このクロエラの事例と似た出来事も幽霊飛行船騒ぎの際に報告されていたりする。

14世紀にヨーロッパで黒死病が大流行した際には、ある地方に空飛ぶ青銅の船がやってきて上空から不穏な霧をバラ撒いた。その直後に疫病が蔓延したという話もある。

船だったものが飛行船となり、やがて円盤となったのか。あるいは全てを別の要素として捉えるべきなのかは判らない。『空を飛んでいる何か』にそれぞれの時代での先端技術が投影されただけなのか。いまも我々は同じ事をしているのか。

幽霊飛行船騒動が起こる50年ほど前にニューヨークで撒かれたチラシ。 「まもなく西海岸へひとっ飛びの我が社の飛行船が完成」とある。
時期的に巨大飛行船の建造は不可能で、ムーなどでも謎のチラシとして紹介されていた。1850年頃というと、ちょうど「ソノラ・エアロ・クラブ」との関連が疑われる――。
が、調べてみれば、これは発明家ルーファス・ポーター(Rufus Porter)による宣伝だった。そして、チラシにある「まもなく」がくることは永遠になかった。ポーターはゴールドラッシュに便乗し、巨大蒸気動力飛行船による炭鉱夫の大量輸送を計画したが、最後まで『爆発しない飛行船』を作る事はできなかった。
画像出典:ムー 2013/01



存在のあるなしは別として、少なくとも幽霊飛行船ぐらいまでは、飛行物体には宇宙人でなく人間が搭乗しており、やがてそれが各種モンスター型のモノにシェアを奪われ、さらに現在ではほぼグレイに統一された。プレアデス人などは人間型かつ美形であるらしいが、こういうアノマリーは迷惑なのでさっさと帰って欲しい。

この飛行機械、そして搭乗員の変遷に合理的な解釈をつける事は容易ではないし、可能でもないかも知れない。

こと日本では、いつからか「UFOは宇宙人の乗り物である」という――考え方が主流となった。この立場から幽霊飛行船を解説するものを読んでも、「UFO前史である」という触れ方をするだけで、「なぜ形状の違う『円盤と飛行船』を同一のモノとして扱うのか」などの素朴な疑問には答えてくれない。察しろ、という。

彼らの中で比較的ヒマな者は、古代の歴史書まで紐解いてそこに『飛ぶモノ』を見つけてきては「見よ、宇宙人は古くから地球に来ていた! な?」と言う。人気番組『古代の宇宙人』などでは、確信的なシーンで画面にグレイの透かしが入ったりもする。察しろ、という事だろう。

かくして、いつからか、怪人のような容姿をしたものや、モンスター型のものは地球に来なくなった。これを少しさみしく思う。

グレイでなくては信憑性に欠ける――という予断がメディア側の『善意の検閲』を招いているのか、単純にそっちの方が売れるからか、変化したのか、時代遅れなのか、あるいは最初から居なかったのか、は――わからないが。

個人的には、そもそも恥ずかしげもなく全裸でそこらを歩き回るグレイのような存在をして「高度高次の知的生命体だ」と言われても、なんだか説得力に欠けているように思えてならない。地球の未来どうこう密約どうこうの前に服を着ろと言いたい。

この『UFO=宇宙人の乗り物』という考え方に「そんな単純なものじゃなくない?」と異議を唱え、太古から受け継がれてきた妖精伝承や神話などとUFO現象との類似を指摘した人物がいる。天文学者のジャック・ヴァレ博士だ。

著作の冒頭1ページ目で博士は言う

この本は、空想と神話の間に橋をかけようという試みである――もっともその橋といえば貧弱で壊れやすい橋であるのだが

この試みに賛同し、UFO現象に民俗学的アプローチで迫ろうとする人たちも少なくない。
バカバカしい――いまでは『善意の検閲』を受けるような事例、(例:イタリア人風の怪人が不味いパンケーキくれたイーグルリバー事件など)本当はそこにこそ重大な意味があるんじゃないか――。

2017年、日本屈指のUFO有識者集団――斯界を牽引する『Spファイル友の会』による雑誌『UFO手帖』が、新しく創刊された。この創刊号の特集がジャック・ヴァレ博士である。『ユーエフオー=エイリアンクラフト』いわゆる地球外生命体仮説に飽きた諸兄は是非どうぞ。編集長を勤められるペンパル氏はご存じASIOSの秋月朗芳氏である。
(註:ちなみに今、斯界ではUFOを『ユーフォー』ではなく『ユーエフオー』と発音するのが意識高くてかっこいいと聞いたので、オカクロもこれに準拠させていただく)

『UFO手帖』通販ページ


ともかく、文化的側面からアプローチできるほど知的でもないオカルトクロニクル特捜部としては、幽霊飛行船は、実は1942年まで生き抜いていたのではないかと考える。

1942年、アメリカで起こったとされる――未確認飛行物体が沢山飛んできた事件――『ロサンゼルスの戦い』で対空砲の直撃を受け、全隻サンタモニカ沖の海に沈んだ説を採りたい。

ロスに飛来したという多数の『謎のなにか』は日本軍でも気象観測気球でもなく、もちろんグレイ型が搭乗するユーエフオーでもなく、行く当てもなくフラフラしてた幽霊飛行船だったワケである。射手たちが手応えを感じられなかっただけで、ちゃんと弾あたってたんすよ、実は。

秒で論破される仮説はさておき、幽霊飛行船騒動から今年で120年が経過しようとしている。

飛びそうもない形のものが飛んでいた――この一点をして、『文化的イメージが先行したために「科学的に現実的ではない、フィクション特有の形状のモノ」が目撃された』と冷静に捉える事もできる。ひとまとめにされた風船や、ひしゃげた気球が船のように見えた可能性も否定はできない。

当時、想像力の豊かな者は幽霊飛行船を街から街を移動する『空飛ぶ強盗団の乗り物』だと考え、もっと豊かな者は『火星からやって来た乗り物』だと考えた。多少現実的な者は『密輸用の乗り物』で、極秘に国境をまたいで荒稼ぎしているのだと推理した。実際にはどうだったのか、もう誰にも判らない。

幽霊飛行船はどこから来て、どこへ行ったのか。

もしかしたら、実はまだどこかの倉庫に眠っているかも知れない。あるいはロッキー山脈のどこかで墜落したまま、人知れず朽ちているのかも知れない。あるいは大規模なモデルチェンジを施され、円盤になったのかも知れない。あるいはサンタモニカ沖、あるいはエリア51に。

本当にあったのか、なかったのか。見間違いか、決めつけか。デッチ上げか、そうじゃないのか。

騒動から120年。遙かに発展した科学技術の世にあって、我々はいまも同じ議論を繰り返している。



■参考資料全米UFO論争史―大衆、UFO団体、メディア、科学者、軍人,政治家を巻き込んだ論争の軌跡 (UFO研究叢書)マゴニアへのパスポート ジャック・ヴァレ 著/花田英次郎 訳UFOと宇宙 NO.14夢みる飛行船―イカロスからツェッペリンまでSolving the 1897 Airship MysteryCharles A. A. Dellschau: 1830-1923The Secrets of Dellschau: The Sonora Aero Club and the Airships of the 1800s, a True StoryPassport to Magonia-チャールズ・デルショー覚書の日彼らはあまりにも知りすぎた―UFOをめぐる宇宙的沈黙の系譜宇宙人UFO大事典―深〈地球史〉週間X-zone36UFO超地球人説不思議現象ファイル (ボーダーランド文庫)Visual BurnThis Mysterious Light Called an Airship月刊ムー 2013/01 lexicon magazine – Mysterious Books found in a Dump reveal secret writings of NYMZAだましの文化史 作り話の動機と真実 (GALEブックス)Unexplained!: Strange Sightings, Incredible Occurrences & Puzzling Physical Phenomena超常現象の謎に挑む (イギリスでの騒動について)Cracking the 1896/97 Airships Mystery? Toward a Psycho-SocioCultural Explanation (Long Version)UFO Religion: Inside Flying Saucer Cults and Culture

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