幽霊飛行船騒動――謎の搭乗員たち

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19世紀末の空を、謎の船が飛び回った。
それは当時、まだ実用化に至っていなかった飛行船。
飛んでいるはずのない空の船――奇妙な搭乗員――その報告が、様々な地方で様々な新聞の紙面を賑わせた。
謎の飛行船とその搭乗員。彼らはどこから来て、どこへ行ったのか。

何かが空をやってくる

1896年、北米。
20世紀を目前にしたこの年、11月から翌1897年5月にかけてアメリカ各地の新聞で『謎の飛行船』を目撃したという記事が誌面を飾った。

それは神出鬼没の幽霊飛行船。あるはずのない奇妙な飛行機械が北米の空を縦横無尽に飛んでいるのだ――と各地方新聞が連日のように報じた。

その奇妙な飛行機械はカリフォルニア州サクラメントで最初に騒ぎになり、その後、カンザス州、ウエストバージニア州、ネブラスカ州、ワシントン州、インディアナ、アイオワ、サウスダコタ――と北米の広いエリアへと広がった。

目撃者総数は1000人を超えるとされ、飛行物体を目撃しただけにとどまらず、その船の搭乗員と会話をしたという者もいた。

当時、空を支配していたのは鳥類などの生まれながらに翼を有する種族たちで、人類はといえばどこかマヌケな熱気球に乗り、風の向くまま東へ西へが関の山だった。

現代的なジェット飛行機は言うに及ばず、レトロな複葉機すら実用段階には至っておらず、それらは発明家たちや夢見がちな人々の脳内にだけ存在した。
グライダーなどによる滑空や浮揚程度の『空』は体験していたものの、本格的な飛行機の登場は『ライト兄弟のライトフライヤー号』――1903年12月まで待たなければならない。言うまでもなく、これが飛行機による人類初の有人飛行である。

いっぽうの飛行船はといえば、ようやく空想から現実の科学となる途上にあり、技術者ダーフィット・シュヴァルツによる硬式飛行船が『うまく浮揚するかどうか』――という段階だった。
軽金属の骨組みで作られたシュヴァルツの硬式飛行船は、1897年11月に500メートルほどの上昇に成功するが――結局、操縦することはかなわず着地の衝撃で破壊された。
つまり、飛行船技術の最先端を走っていた欧州にも、まともに飛行できる飛行船は存在していなかった。

そこにあって、北米の空を飛び回ったのが『幽霊飛行船』だった。

これは半年ほど北米の空を飛び回り、やがて――パタリと消えた。

樽のような形をしたようなモノもあったし、葉巻型のモノもあったし、魚型、卵形のモノもあった。それらの多くにはプロペラがついていたとされ、それが推進力に違いないと考えられた。
サンフランシスコ・コール紙に掲載された幽霊飛行船のイラスト。これは1896年11月での騒ぎのもの。強烈なサーチライトを照射していたという。

サンフランシスコ・コール紙に掲載された幽霊飛行船のイラスト。これは1896年11月のカリフォルニア州オークランドでの騒ぎのもので巨大なプロペラが描かれている。強烈なサーチライトを照射していたという。


おとなしく飛んでいれば良いものを、その飛行船は地上の人々にちょっかいも出した。

イカリのようなモノで歩行者を引っかけたり、着陸して物品やサンドイッチを要求したり、目撃者の尻を蹴り上げケガを負わせたり、家畜をさらおうとしたり、はてには通りすがりの歩行者を誘拐しようともした。良くわからないモノが飛んでいるだけでも不気味であるのに、実害まであるとこれは迷惑というものである。

しかし、すべてが迷惑な存在というわけではなく、フレンドリーな搭乗員もいた。「乗ってゆくかい?」と目撃者の目的地へ送ってくれようとしたり、物品のお礼に10ドル札を手渡してきた者、謎の飛行物体を湖に浮かべて釣りをしていた者。

すこし冗長になるが、1896年から97年にかけてのさまざまな目撃証言から印象的なものをいくつか見てみよう。

塔にぶつかりかけた飛行機械
1896年11月18日 カリフォルニア州サクラメント。

サクラメント・ビー紙およびサンフランシスコ・コール紙によれば、1896年11月18日、サクラメントの上空に光を放つ飛行船が目撃された。
それは目測で300メートルほどの上空をゆっくりと飛行していた。

放たれる光の向こうに人影を見たという目撃者や、教会の塔(註:教会でなく近くの醸造所の塔ではないかとの指摘あり)に船体が衝突するのを避けるための指示――

ぶつかるぞ! 仰角を上げろ
という上空の声を聞いた者もいた。
ぶつからなかった。


ショー大佐、あわや誘拐されかける
1896年11月 カリフォルニア州ストックトン近郊。

11月27日付のストックトン・イブニング・メール紙はショー大佐の身に起きた怪事件を報じた。
同メール紙の前編集局員であったショー大佐は、旅行中に起こった出来事を以下のように報告している。

唐突にやって来たフライング・マシーン――長さ約45メートル、直径約7.5メートルの飛行機械から、3人の異形の者が降り立った。その身長は約2.1メートルと上背があり、非常にほっそりとしていた。
その3人は異様に大きな目をしており、その口に歯もなく、恥知らずなことに全裸だった。見た目こそ地球人であったが、「やたら火星人っぽいな」と大佐は思った。

ショー大佐はその者たちに話しかけてみたが、彼らは言葉が理解できないらしく、小鳥のさえずりのような声で応じるだけ。到底、こいつらはマトモではない、「この、火星野郎め」とショー大佐は思った。興味本位で彼らの体に触ってみれば、1オンス(28グラム)にも満たないほど軽い感じ。やはりマトモじゃない。

すると、ヤツらもショー大佐を少し調べ――なにを思ったか、大佐を飛行機械に連れ込もうとした。
が、彼らは体力的に問題があったようで拉致を断念、疲れて飛行機械へと戻っていった。

すぐさま飛行機械は飛び去ってしまったが、それは金属っぽい表面をしており、奇妙な音を立てていたという。

ショー大佐は「ヤツらは火星から来たに違いない」と主張。根拠は不明。

イカリに引っかかったヒバード氏
1897年3月26日アイオワ州スーシティ。
農夫であったロバート・ヒバード氏が、不注意なことに謎の飛行機械から垂れ下がった『イカリ』に引っかかってしまう。

イカリは同氏のズボンのたるんだ部分に引っかかり、氏は10メートルほど地面を引き摺られた。
そのまま飛行機械が上昇すれば、一緒に引っ張り上げられてしまう――という非常に危険な状態にあった同氏であったが、ついにズボンが破れ、危機は脱した。

新聞の伝えるところによると

彼はこれまで正直な人間だという評判通りの人間であった。世論としては彼がその異常な体験を持ったか、または夢を見たということになっている

このヒバード氏のユーザー体験が、誘拐を意図した『フィッシング』だったのか、あるいは偶発的な事故だったのかは判断が分かれる。

カヌー型の4枚羽
カンザス州エベレスト。

1897年 4月1日、夜。住民たちが夜空に浮かぶ飛行船を1時間20分以上にわたり視認。
その飛行機械は複数の強力な光線をほうぼうへ放っており、雲に良く映えた。

観察してみるとゴンドラは7.5メートルから9メートルほどの長さで、ネイティブ・アメリカンの乗るカヌーのような形状をしていた。

4枚の翼が船から突き出ており、うち2枚の翼は三角形。ゴンドラの上には大きな黒い物体があり、それがガス嚢と思われた。飛行機械から放たれる光線が動力源と同じエネルギーリソースを使用しているようで、船体が上昇ないし下降する際、それにあわせて明滅した。

懐疑派が「それは全然飛行船などではなく、どうせ金星がそう見えただけだろう」と断じた。が、目撃した者たちは「そんなことはない!」と憤慨した。

フートン氏の接近遭遇
1897年3月 アーカンソー州ホーマン。

よく知られたアイアン・マウンテン鉄道の車掌』という良くわからない肩書きを持つジェイムズ・フートン氏がヤブのなかで奇妙な機械と遭遇する。

空き地に停泊していたそれを見て
なるほど。これがちまたで噂の幽霊飛行船ですかな。どれどれ
と好奇心旺盛なフートン氏は近づいてみる。

飛行船の船尾には黒メガネをかけた男がいて、どうやら船体の修理をしているらしかった。

やあやあ こんにちは、これが例の飛行船ですか
と尋ねると、黒メガネの男は
はい こんにちは。そうです
と答えた。他にも3人ほどの男がいた。

この音はウェスティングハウス社のエアブレーキですか?
とフートン氏が質問すると
たぶんそうでしょう。これは圧縮空気と飛行翼とを使っているのです。あなたは、あとで詳しいことを知るでしょう
と言った。

準備完了です
とだれかが叫んで全員が下へ姿を消した。
見ていると、各事の前にある3インチの管が車にたいして空気を噴き出し始めて車は回転を開始した。

すると船体はシューッという音をたてながらしだいに浮かび上がった。突然翼が前方へはねて鋭いフチを空の方へ向けた。次に船体の後尾にあったカジが一方へ回転し始めた。車が急速に回転したので回転翼はほとんど見えなくなった。そしてあっという間に視界から消えてしまった。
1897年4月22日付けのアーカンソー・ガゼット紙に掲載されたフートン氏の目撃談と、そのイラスト。

1897年4月22日付けのアーカンソー・ガゼット紙に掲載されたフートン氏の目撃談と、そのイラスト。


よく知られているというアイアン・マウンテン鉄道の車掌であるフートン氏、曰く

ここに描いた絵註:アーカンソー・ガゼット紙の紙面参照はこのような事情で私が描き得る最上のものだ。私は飛行船を見ることができて幸運だったと思う。船体が静止していたあいだ、何かのエンジンの空気ポンプみたいに、ポンプを使用していたと言ってよいだろう。私がおぼえている一つの特徴は排障器(註:機関車や電車の前につけて線路上の障害物を取り除く装置)に似た物がナイフの刃のように鋭くてほとんど針のようにとがっていたという点だ。
船体のまわりに『よく整った機関車には当然についていると思われるベルまたはベルのヒモ』はなかった



雨の中にいた3人の男女
アーカンソー州ホットスプリングス。1897年5月6日、夜。

警官サムプターと群保安官マクレノーラという2人の官憲が、ある事件の犯人を捜索中、空になにか光るモノを見た。

それが何かは良くわからなかったが、最初に目撃した地点から8キロほど進むと、それが地面に降下し、着陸。葉巻のような形をしているのが判った。

機体のそばにせわしなく動き回る人影が見えたので、2人がライフルを手に
誰だ、何をしているのだ
と声をかけると、長いヒゲを生やした男が燈火を手に前に出てきた。

ヒゲ男は「自分と他の2人――若い男1人と女1人の3人で国中を旅して回っているのだ」などと言う。

あたりは暗く、雨が降っていた。
その夜陰のなかで『若い男』は大きな袋に水をくんでおり、『女』は少し離れた場所で傘をさしてたたずんでいた。

ヒゲ男が「乗っていくかい? 雨の降っていないところまで連れて行ってあげよう」と誘ってきたが、2人の官憲は
いいです。濡れてる方が良い」と断った。

船体が光るワケを訊くと、「光はきわめて強力なので、パワーを多く消耗するからだ」とワケのわからない返答をした。

さらに「ホットスプリングスに数日間滞在し、温泉に入りたいが、時間がおしてるので無理になった。もう少し国内を回ってから、テネシー州ナッシュビルで解散するのだ」と今後の予定に触れた。

2人の官憲は仕事に戻り、40分ほどあとで再び着陸地点に戻ってみたが、飛行船は影も形も消えていた。飛び去る音も聞こえなかった。
官憲2人は自分たちの証言に嘘偽りはないとして、公正証書にサインした。

デイリー・ニューズ・レコード紙
サムプターとマクレノーラは手ひどい嘲笑をこうむったけれども、両氏はその体験が絶対に真実であると主張している。しかも両氏のその真剣さは、その物語を事実として受け入れられぬ一方で両氏がふざけているのでないことを知っている多数の人々を迷わせている

アーカンソー・ガゼット紙
両氏は疑いなく誠実な人なので、両氏の陳述は真実なものとして十分に信用できるものである

別記事になるが、4月中旬にはイリノイ州で複数の人によって『2人の男と1人の女が操縦しているとおぼしき飛行船』が目撃されている。


歌う全裸の巨人に尻を蹴られる
1897年4月14日、ミシガン州ウイリアムストン。

ミシガン州サギノーのクーリエ・ヘラルド紙(1897年4月16日付)で怪事件が報じられる。

同日、朝、午前4時30分。当地の上空を奇妙な飛行物体が飛び回り、それが1時間ほどしてから野原に着陸してきた。
12人ほどの農夫が遠巻きにそれを見守っていると、飛行機械の中から巨人が現れた。少なくとも身長は2.8メートルはあった。これはまた、恥知らずなことに全裸だった。

ヤツは咆哮だか、怒鳴り声だかわからない声を発していたが、それはなんとなく音楽的ではあった。意味や意図はわからなかった。

そうして、記事よると

農夫たちの中で多少勇気のある男が、彼に近づこうと試み、蹴飛ばされて腰の骨を折り、長期の治療が必要となった。当地の人々は極度の興奮状態に陥っており、モーレイやハワードシティから多数の群衆が詰めかけて、この奇妙な生物を遠くから眺めている。誰1人としてそばに近寄ろうとするものはいない。彼は人々に話しかけようとしている様子である

その後、巨人がどうなったのかはわからない。そもそも幽霊飛行船と関係あるのかもわからない。

混乱した飛行機械と混乱した受刑者
テキサス州カメロン。40名の受刑者が農園での刑務作業中、「モンスター」と遭遇する。
その物体は何らかのトラブルを起こしているらしく、超低空飛行をしながら、不思議な色の旗で沢山の信号を送っているようだった。白色の光線がその物体から空に向かって放射されていた。

その混乱した様子を目撃した受刑者たちも混乱し
災厄が訪れる日が近い!」だの「我々が解放される日が来た!
だのと世迷い言を口走った。

これはダラス・モーニングニュース紙にて報じられている。

いやらしい飛行船は牛泥棒
1897年4月14日 カンザス州ル・ロイ。

イエーツ・センターのFarmers’ Advocate紙(1897年4月23日付)の報じるところによると、同州の元州議会議員であったアレキサンダー・ハミルトン氏の農場に、奇妙な飛行機械が来訪した。

飛行機械の形状は葉巻型で、約90メートル。大きな葉巻の下に、ゴンドラが付いており、その内部から明かりが漏れていた。
それが空からゆっくりと降りてきたので、ハミルトン氏は小作人と息子を連れて、降下先へと駆けつけた。

ゴンドラには6名の搭乗員とおぼしき者たちが乗っており、その内訳は『男2人、女1人、子ども3人』だった。

やがて、フワフワ浮いていた飛行機械はハミルトン氏の所有する3才の若い牝牛の上にとまった。
ハミルトン氏たちが遠巻きに事態を見守っていると、上空から太さ約1.3㎝の綱がスルスルと降りてきて――仔牛の首に巻き付くと――強引にそのままゴンドラまで引き上げようとした。

牛泥棒!

牛をさらう幽霊飛行船図。

ハミルトン氏の牛をさらう幽霊飛行船図。
「牛を誘拐」と聞けば、飛行物体から放たれる妙な光線によって牛がフワフワ引き上げられる光景を想像しがちであるが、古来より牛などというものは縄で一本釣りするのが牛泥棒の作法である。巨獣と綱と益荒男。カウボーイの伝統はここに生きていた。
ちなみにこの想像図で描かれている飛行機械は「よく知られたアイアン・マウンテン鉄道の車掌、フートン氏型」のデザインが流用されている。
船体上部にウンコのようなものが搭載されているのが見てとれるが、これはウンコではないかも知れない。

画像出典:UFOと宇宙 NO.14


ハミルトン氏たちは、牛を死守せんと縄をはずそうとしたが、抵抗むなしくそれは外れず、結局そのまま牛は謎の飛行機械とともにフライ・アウェイした。
翌日になって、誘拐現場のル・ロイから6㎞ほど西へ行ったコフィー郡の一農場で被害牛の皮と頭と足が見つかったという。

ハミルトン氏は証言に嘘偽りがないとして、多数の名士たちと連名で宣誓供述書にサインした。

彼は言う。
眠り込むたびにあの強烈な光を放つ、いやな人間たちの乗った、いやらしい物体を夢見るのだった。あれが悪魔なのか天使なのかはわからないが、我々みんなはあれを見たし、私の家族の者もみな飛行船を見たのだ。だがあんなものともう関係を持ちたくない

この時に書かれた宣誓供述書はバーリントン・デイリー・ニュース紙に掲載された。


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フライングいやらしい物体

phantom-airshipsTopC2 1896年から翌97年にかけて、この幽霊飛行船と遭遇したという報告が相次ぎ、それが『謎の飛行船騒動』と、まとめて論じられる結果となった。
報道されたものだけでも目撃報告は非常に多く、事例を挙げてゆくだけで本一冊分にも相当してしまうだろう。

他の事例を知りたい諸兄には、こちらのサイト『Visual Burn ― 飛行船騒動1~3』をオススメさせて頂く。
こちらは、幽霊飛行船に関して国内屈指の有識者であられる、ものぐさ太郎α氏のサイトである。

これらの報告のなかで、我々は幾つかの事例に『共通点』あるいは『関連性』を見いだすことができる。
たとえば、『修理』だ。奇妙な飛行機械が修理のために着陸していた――とする報告が少なからず残っている。

1896年4月の深夜、ミシガン州パインに住むウイリアムという男の家に奇妙なフライング・マシーンが訪れた。その物体はサーチライトだか、ナビライトだか知れぬ強烈な光を放射し、まぶしいったらない。
ウイリアム氏が外の状況を確認するため外へ出てみると、宙に浮いていたソレは宙に浮いたまま、音声による『説明と指示』を与えた。

それは以下のようなモノだった。
飛行機械で飛行していたところ、どこぞの腕のわるいハンターが撃ったライフルの流れ弾が船体に当たり、損傷を受けた――と。修理が必要だと。それはさておき、腹が減ったので4ダースの卵サンドイッチとコーヒーがひと瓶欲しい……。

などという。

頼み事をするくせに、船から降りては来ない。そのような無礼なふるまいの者は無視するのが本人の今後のためでもあるのだが、人の良いウイリアム氏は食べ物を用意してあげた。

食事を持って行くと、スコップ状のものが上空からスルスル降りてきて、ウイリアム氏がそれに食事をのせると、またスルスル引き上げられていった。
するとまもなく、代金と思われる硬貨がチャリンと空から落ちてきた。

どことなく、引きこもりの息子と老いた母の関係を連想させるような光景ではあるが、それはいい。他の事例を見よう。

1897年4月、4月25日付のセントルイス・ポスト紙がテネシー州チャタヌーガに謎の飛行船が着陸したと報じた。
それによれば、山の尾根に着陸した飛行船には2人の男が乗っており、修理が必要なのだと町人に説明したという。乗組員の一人は『チャールズ・デビッドソン教授』と名乗った。

こちらはテキサス州フォートワースで目撃された幽霊飛行船。 気嚢のないそのフォルムからしてエアシップと言うよりはエアプレインのようにも見える。 ダラス・モーニングニュース紙18974月16日付。

こちらはテキサス州フォートワースで目撃された幽霊飛行船。
気嚢のないそのフォルムからしてエアシップと言うよりはエアプレインのように見える。
ダラス・モーニングニュース紙18974月16日付。


テキサス州ロックランドでは、修理に使用するとおぼしき物品を具体的に要求した。

犬が激しく吠えるのでJ・M・バークレイ氏がライフルを携えて外へ出てみれば、奇怪なフライングマシーンが氏の農場上空をウロウロ旋回していた。やがて着陸したそれに近寄ってみると、なかから搭乗員が現れ、言った。

OK、OK。怪しい者ではないから、銃はおいてくれよな

世の中、怪しい者は怪しくないと言うし、酔っ払いは酔ってないと主張するモノである。
が、彼らがとりたてて奇異な風体などではなかったため、バークレイ氏はとりあえず話を聞くことにした。

その搭乗員――ヤツはスミスと名乗り、潤滑油、ノミ、青石(blue stone=硫酸銅)を要求し、10ドルくれた。おつりは好きに使って良いから――と、いつかのお母さんのような事も言った。

バークレイ氏が好奇心にまかせて飛行機械を調べようとしたところ、一人の搭乗員がそれを阻み

OK、OK。見たい気持ちはわかるが、それはおあずけだ。次にまた来たときには乗せてあげるから、な?

などと、いつかのお父さんのような事を言った。

一段落すると、その飛行機械は「放たれた弾丸のように」飛び去ったとバークレイ氏は報告している。


他にも搭乗員から飛行船を修理する手伝いを依頼され、その謝礼としてハワイまで連れて行ってもらった――などという報告や、「電気系統の修理」のために飛行機械が着陸していた――という記事もある。これには男2人女1人の搭乗員がいたという。

修理していたーとされる事例だけでも、イリノイ州グリーンリッジ、同州スプリングフィールド、インディアナ州ガスシティ、テキサス州ステファンビルなどで報告があがっている。

機械であるからには、修理はもちろん、保守点検も必要になってくるのは道理であるが、あまりにも機械臭さが漂う話ではある。

そして報告証言に他の『共通点』を探せば、そこには人間臭さもある。

サンドイッチとコーヒーを要求した事例は前述したが、飛行機械の搭乗員が『水をくんでいた』――この証言も少なくない。

井戸の水をもらって良いか?」と目撃者に尋ねたモノもあったし、バケツ2杯の水を要求したモノもあった。

こうして報告された事例から幾つかの断片的な共通点を見つけることはできるが、『幽霊飛行船騒動』の全体を俯瞰してみれば、てんでバラバラである。

たとえば、飛行機械の形状にしても『葉巻型』であったり、『樽型』『卵型』『魚のような形』あるいは蒸気機関車さながらに車輪の付いたモノも報告されており、印象が絞れない。屋根にウンコが乗ったようなモノはどう評せばよいのか。バキュームカーだってルーフにウンコを乗せるようなマネは慎んでいる。

目撃報告の信憑性をさておいて各事例を比較検討すると、これは複数の『知られざる未発表飛行船』が1897年の空を飛び交っていたと判断するのが妥当――ということになってしまう。荒唐無稽な話ではあるが、そう考えれば『搭乗員たちのデタラメさ』も説明が付く。

男性だけのグループだった。日本人のようだった。いや火星人のようだった。女性も混ざっていた。子供も交ざっていた。全裸の絶世の美女もいた。いやらしいヒゲ面の男もいた。巨人は関係あるか判らない。

レジャーを楽しんでいたような、少し特殊な例もある。湖(註:おそらくエリー湖)に全長13メートルほどの物体が浮いており、それには男1人、女性1人、子供1人が乗っており、釣りをしているようだった。他の釣り人の乗った船が近づくと、唐突に気球が放出され、離陸。上空150メートルほどの高さで「タカのように」旋回し、いずこかへ飛び去った。

不要時にガス嚢を船体に収納し、水面には船としても使える飛行船といったところだろうか。

ともかくも、これらの得体の知れぬ飛行機械が1896年から1897年の1年間、全米の空を席巻していた――と言うことになっている。

オー、カモーン、紹介事例の中に『テキサスのアレ』が入ってないじゃないか。こんな事例集じゃ、9つしかない十戒みたいなもんだぜ。だから俺は言ってやったんだ、「ねぇ、モーゼさん、削除したのは“汝、姦淫するなかれ„の行でしょう?」ってな。オーライ?

と一部の諸兄はアメリカンユーモア混じりに不満をたれるかも知れない。

諸兄がいつのまにかアメリカかぶれになっているのはともかくも、UFO好き、あるいは勘の良い諸兄は気づかれたも知れない。

この『幽霊飛行船騒動』の起こっていた時期に、以前、別記事で取り上げた『オーロラ墜落事件―テキサスに眠る何か』が起こっている。これは1897年にテキサス州はオーロラに良くわからないモノが墜落し、良くわからない搭乗員が死んでいたので、良くわからないまま埋めた――とする事件だ。

前述した『Visual Burn』で、ものぐさ太郎α氏が指摘されているとおり、単体で見ればインパクトのあるオーロラ事件も、幽霊飛行船騒動の一報告として混ぜ込めばちっとも『目立たなくなる』

この短い期間に頻発した謎の飛行船とは何だったのか? 当時の人々はどう捉え、どう解釈したのか。

目撃者たちはもとより、一般大衆も科学者や有識者に『答え』を期待した。

こういう未曾有の事態が起こった時にこそ、蓄積された知が輝くのだ。エサを求める鯉がごとく、あるいは救済を求める罪人がごとく、人々は知にすがった。この『答え探し』の顛末が『全米UFO論争史』に書かれている。

有識者――彼らは以下のように答えた。


オクターブ・シャヌート

テスト
Octave Chanute (1832-1910)

飛行船の記事とか、バカバカしくて読む気にもなんネーヨ


歯牙にも掛けない――という慣用句の凡例として辞書に採用されそうな対応である。三省堂さんよろしくお願いします。

シャヌートは航空技術のパイオニアの一人で、1896年ごろにグライダーの研究開発をしていた。膨大な航空実験のデータを収集し、人類史上初めて航空研究に関する書籍を上梓した。航空学の父として、そしてライト兄弟の支援者として知られる。

彼は飛行船がそのうち実用レベルにはなる――とは確信していたが、1897年における最先端技術をもってしても目撃されたような飛行を行うのは不可能であると考えていた。
彼こそが実は幽霊飛行船騒動の黒幕なのではないか、と噂する者もあった。(後述

ウィリアム・F・リッジ SJ

テスト
William F Rigge SJ (1857-1927)

まぁ、金星だろうね。あと風船かも


クレイトン大学の天文学教授でイエズス会士。自身も目撃があった夜(1897年のネブラスカ州での目撃報告)を覚えており、「寒かったし、星が動いてるように見えただけだろうね」と言及。

著名な航空技術者が寄ってたかって実現できないモノを、どこかの素人エンジニアが秘密裏に完成させることは不可能だと考えていた。

ジョージ・W・ハフ

テスト
George W Hough(1836–1909)

いやさ、オリオン座のα星だったよ。俺も『それらしきモノ』みたもん、望遠鏡で

彼は天文学・気象学の教授で、当時イリノイ州ディアボーン天文台に招かれ研究を行っていた。

この発言を受けて、シカゴ・トリビューン紙が翌日

自分は見てないのに、自分の領域でソレを見たという人たちが気に入らない――専門家の嫉妬だと思われても仕方ないだろう

と嫌みったらしい批判記事を掲載。

この批判を受けて、ハフ教授はすぐさまコメントを返した。

テスト
George W Hough(1836–1909)

オリオン座アルファ星で説明が付くつってんだろ。わざわざ飛行船のライトのせいにする必要とかねーから!
お前もアルファにしてやろうか!

オリオン座のα星はベテルギウスと呼ばれる星で、星座中央の左上、オリオンの右肩にあたる場所に位置する赤みがかった星である。おおいぬ座シリウス、こいぬ座のプロキオンと三点で冬の大三角形を形成する明るい星だ。

しかしどうだろう。有識者の言とはいえ、報告された事例と照らし合わせるまでもなく、少し無理があるような説に思えてしまう。どこか既視感が――プラズマがどうの――。

なんだかモヤモヤする仮説だが、ハフと意見を同じくする知識人も現れ、権威がマシマシとなる。

ローレンス大学の学者――数学、そして天文物理学者であったアーサー・C・ランだ。

彼も自ら『例の物体』を観察したといい、自らの見識をふまえた上で以下のように述べた。

テスト
Arthur Constant Lunn (1877-1949)

自分も見ましたけども、アレは飛行船とかじゃなくオリオン座のベテルギウスですね。大気の状態で変色したりチラついたりするので勘違いしたのでしょう


テスト
George W Hough(1836–1909)

なんでお前までキレマークつけてんだよ!
お前もアルファにしてやろうか!

(追跡調査する人のための比較的どうでも良い註:全米UFO論争史に『ローレンス大学の天文学者アーサー・C・ラン(原文:Astronomer Arthur C.Lunn of Lawrence University)』とあるが、該当する人物が見つけられなかった。断定はできないが、おそらくシカゴ大学のArthur Constant Lunnが同一人物と思われる。ただし、生年から計算すると、シカゴ大学のLunnは1897年当時で弱冠20歳なので見当違いの可能性あり。掲載紙は『Milwaukee Sentinel,13 April 1897,p1』)
しかし、このハフ教授の意見に、異を唱える学者もいた。

ワシントン大学の教授で、後のMIT学長である天文学者ヘンリー・S・プリチェットだ。彼は当初、騒動について「バカバカしい」と例によって例のごとしで歯牙にも掛けなかったが、裏付けとなるような証拠(註:それがどのようなモノだったかは良くわからなかった)が出てきたため、少し調べてやろうと態度を軟化させていた。

そうして騒動を調べ始めたプリチェットがシカゴ・トリビューン紙面にてハフ教授を批判する流れとなる。

テスト
Henry Smith Pritchett(1857–1939)

ほう、オリオン座のベテルギウス? ジョークで言っているなら最低の感性だし、本気で言っているなら最低の知性だ。
あのとき空で最も明るかったのはベテルギウスではなく、金星だ。そして、目撃のあった夜は曇っていたのだぞ。
この程度のことを見抜けぬとは、我ら四天王の面汚しよ


多少、態度はアレだが以上のような主旨の批判を紙面で行った。

プリチェットは最初、騒動を引き起こしたのが『気球』ではなかったのか? と考えたがどうもソレも違うなと考え直した。
結局、正体が何であったかプリチェットも掴めなかったが、彼は「空で何かが起こっている」とは確信していた。

一部の新聞、そして大衆は「さすがに、飛行船とお星様を間違わんだろ」と『ベテルギウスないし金星の誤認説』に懐疑的で、やはり何らかの物体が実際に飛んでいたのではないかと考えた。

だとすれば、アメリカ国内の発明家――名も知れぬ優秀な誰かが、秘密裏に世界最高のフライング・マシーンを完成させたに違いない、メーク・アメリカ・グレート・アゲイン――そう考えた。

そうして名の知れた優秀な発明家に意見を求めた。

発明王、トーマス・エジソンだ。

テスト
Thomas Alva Edison (1847-1931)

ふざけてんのか。こんなモン、悪戯に決まってるだろ。誰にも知られず飛行船を発明するとか不可能だから。発明には金も人手もかかるんだぞ。
『【忙しい主婦必見!】洗濯ばさみと輪ゴムですぐ作れる、できる主婦の便利グッズ♪』作ってんじゃねーんだぞ。発明なめてんじゃないの。お前もアルファにしてやろうか


多少態度はアレだが、以上のような主旨の批判を多数の紙面で行った。

エジソンとしては、いずれ飛行船は製造されるだろうが、今だれかが秘密裏にそれを完成させるのは到底不可能であるという立場からの発言を繰り返した。どうせ気球の誤認だよ、と。

発明王がそんなことを言うモノだから、ある程度常識的な人たちの間では「エジソンがそう言うなら、そうなんだろうね」というコンセンサスが生まれ、『気球説』が支持される流れが形成された。

だがプリチェット教授が考えを改めたように、気球では説明できない部分が多分にあり、不完全な説ではあった。

かくして騒動から100年以上経過し、目撃した者、報じた者、論争に加わった者、その誰もが故人となった。結局、現代に至るまで『謎の幽霊飛行船』の正体は謎のままになっている。

本当に星だったのか。本当に気球だったのか。本当に飛行船だったのか。悪戯はあったのか。

次ページでは、様々な報告に見え隠れする『謎の人物ウィルソン』そして秘密の『ソノラ・エアロ・クラブ』など、事件にまつわる不可解な要素をふまえて騒動を見直してみよう。


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