*

  • オカクロ特捜部

    特捜部員
    松閣オルタ

    以上1名

    UFOの飛ばない空に、なんとなくUFOを探していたいアラサー番長。 怖い話は怖くて苦手なので、あまり怖くないオカルト事件や出来事を調査研究。

    でも本当はUFOやUMAを探すより、お嫁さんを探したいです。
    ↓告知&次回予告はtwitterにて。

ディアトロフ峠事件―数奇にして奇妙なる9人の死

DyatloffEYE

大学生グループが冬山の峠でキャンプする。そして死ぬ。1人として生還せず――。
その異常かつ不可解な死亡状況に、捜査は混迷を極めた。ほぼ全裸で死んでいる者、舌を失った者、外傷もなく骨を砕かれた者、放射能を浴びた者。
冷戦下、鉄のカーテンの向こうで、彼らに何があったのか。



Sponsored Link

トレッキング・アット・デッドマウンテン

dyatlov002
1959年1月。
9人の大学生からなる登山隊がロシアのウラル山脈へ向けて出発した。
向かう先はホラート・シャフイル山――原住民のマンシ族が『死の山(Kholat Syakhlの直訳)』と呼ぶ山だ。

そこを楽しくスノー・トレッキングし、戻ってくる。
おおよそ100㎞の行程――そんな計画だった。
楽しく、とは語弊があるかも知れない。彼らが設定した季節は雪が深く、踏破の難易度および危険性は決して低くなかった。だが参加する者たち全員が長距離トレッキングや登山の経験を積んでおり、この探検計画に反対する者はいなかった。

ヴィジャイの村からホラート・シャフイル山をまわり、別のルートを経由して行程15日前後でヴィジャイへ戻ってくる――予定だった。

dyatlov003_m

ディアトロフ隊のテント。二つのテントを縦に繋げた改造テントで、片側からストーブの煙突が出ている。写真は1月30日前後に撮られたモノと思われる。撮影者は不明。
画像出典:ermaktravel.org:Dyatlov Group Diary



だが、彼らは予定通りに戻らなかった。
だが、誰も気にとめなかった。

登山という――大自然を相手にするタフな遊びである以上、予定通りに事が進む方がマレであるからだ。警察も予定通りの方がマレだと思ったし、住民もやはりマレだと思っていた。

そうして日々は過ぎ、帰還予定日から10日ほど経過した2月20日、「いくらなんでもこれは遅すぎる――マレにしてもアレすぎる!」という判断により救助隊が結成され、山の捜索が開始された。

そして、捜索開始から数日後の2月26日、救助隊は彼らのテントを発見する。
テントは破損し、空っぽで、誰も残っていなかった。そしてなぜか内部から引き裂かれていた。

以下、後に公開された調査資料から引用。

犯罪の調査の資料から:

――前略――

入口の前に1対の縛られたスキー板あり。入り口の内側に炉があった。
アルコール瓶、バケツ、ノコギリ、手斧。
テントの遠いコーナーにマップバッグ、ディアトロフのフォトカメラ、ジーナの日記。お金。

準備された2対の靴が入口の右にあった。反対側の入り口に他の6つがあった。
テントの中央には毛皮の雪靴が3.5組。
乾燥したパンの近くに前のキャンプから持ってきた薪あり。
パックの上に綿のジャケットと毛布。
毛布の上に暖かい衣類が置かれている。

半開きになった入り口にパンくずとkoreika(訳註:ロシアの肉料理? たぶん肉で野菜をくるむ、実に美味そうなやつ)の皮が散らばっている。

なんだか、これはただ事ではなさそうだ。

子細に調べてみれば、テントから逃げ出した足跡は8人、ないし9人ぶん。そしてそのほとんどが裸足、よくても靴下を履いただけだった。前者と後者の間をとって、片方だけ靴下を履いた者もいた。それらがいくつかのグループを作って、方々へ逃げている。

そして、足跡の先には遺体があった。
そこで、捜索隊は異様な遺体を目にすることになる。

衣服を脱ぎ捨てた遺体。死んだ仲間の衣服を着込んでいた遺体。
火傷を負った遺体。頭蓋骨が陥没した遺体。
舌を失った遺体。眼球を失った遺体。
そして衣服が自然界では存在し得ないほどの放射能を浴びていた遺体。

一説によればオレンジ色に変色した遺体もあったという。

なんだ、これは。なにがあった。

ではなにがあったか? これは当時の捜索隊にはわからなかったし、現代でもわかっていない。
ただ解釈だけが存在する。

発見当時、この悲劇は平凡な殺人と考えられた。
そして事件から57年経過した現在、後出しされた奇妙な証拠をもとに、様々な解釈だけが生まれ続けている。

そして、彼らが亡くなった場所は、彼らの隊長であった23歳の青年の名を冠し、『ディアトロフ峠』と呼ばれるようになった。
死の山、ディアトロフ峠で何があったのか。
残された資料を元に事件を追えば、なにか掴めるかも知れない。

9は死を呼ぶ不吉な数字


ここまで読んで、きっと諸兄諸姉らは呟くのでしょうね。「おそロシア」と。
そしたらオカルト・クロニクルは言うのです。「おソ連な」と。

冗談はともかく、この事件が起こった時、『平凡な殺人』だと考えられたのにはワケがある。

この地域に住んでいる原住民のマンシ族が彼らを襲撃したのだと考えられたからだ。もちろん、この説はすぐに撤回された。現場に残っていたのは逃げ出したディアトロフ隊のものとおぼしき足跡だけで、殺人者の足跡は残されていなかったからだ。

もし現場に部外者の足跡がみとめられたなら、マンシ族は冤罪を被っていたかも知れない。マンシおこ。

しかし足跡がないとなると、殺人の線は薄くなる。

これは憶測でしかないが、捜査に当たった者が当初マンシ族を疑ったのは、『死の山で9人が亡くなった』という事実を聞かされた時のマンシ族の動揺に端を発したのかも知れない。

間違いなく彼らは動揺したはずだ。
彼らの呼ぶ『死の山』では、この時より遙か以前に同じような惨劇が起こっていたからだ。

マンシ族の言い伝えによれば、遙か昔、死の山ホラート・シャフイルでマンシ族の狩人9人が狩猟の旅の道中、ディアトロフ峠付近で一泊のキャンプをすることになった。
そして翌朝、全員が謎の死をとげているのを発見される。9人は不可解な大洪水に見舞われ、逃げ場所を探していたという話になっている。

そしてそれ以来、ホラート・シャフイル山の山頂近くには誰も近づかなくなったのだと。

ちなみに、ディアトロフ隊がテントを張った場所はホラート・シャフイル山頂から300メートルの位置だった。

そして伝説は続く。
1991年にはウラル山脈に航空機が墜落し、9名の死者を出した。その墜落現場がディアトロフ峠付近であった、と。

個人的な意見を言わせていただけば、この『ディアトロフ峠付近への航空機墜落』に関しては、デマである可能性が高い。ソースがオカルト系のサイトに余談ないし豆知識として書かれる「飛行機が落ちて、9人死んだんだぜ! マジヤバくね!?」しか存在しないのだ。信じたいけど、どうもね。

彼らの死は不可解だった。

そして不可解だっただけに様々な説が飛び交う事になる。
諸兄らの大好きなUFO介入説、陰謀論者が大好きな軍の介入説、そしてイエティ/ビックフット(この地域にいるものはMenkviと言う。マンシ語?)の介入(?)

諸説紛々というやつであるが、その諸説については真面目なモノから不可解なモノまで項の後半で扱うことにする。

では、事実に目を向けて、ディアトロフ隊の面々をリストにしよう。

ロシア名は長く、覚えにくい。だが固有名詞が頻繁に出てくるのでロシア名アレルギー(類似病:ギリシャ名アレルギー)の諸兄諸姉らにもなるべくわかりやすいよう、愛称を赤字にし以後は愛称で表記することにする。

なお、本ページに載せる情報は必要最低限とし、略歴や検死報告などの細かい情報は別ページに記載する。気になる諸兄は参照されたし。

■注記■
別ページ:ディアトロフ隊のメンバー詳細。解剖所見や発見時の状況など、資料から得られた範囲でアーカイブ。

以下あっさりと触れておく。



イーゴリ・アレクセーエヴィチ・ディアトロフ


dyatlov100 登山隊の隊長。
当時23歳。ディアトロフ峠は彼の名にちなんで名付けられた。
慎重で思慮深い人物。
グループメンバーのジーナに言い寄っていたが、ジーナもマンザラじゃなかったため、亜リア充と評価出来る。
登山経験豊富な優秀なアスリート。遺体発見時になぜかドロシェンコの服を着ていた。

以降は発見された順番に紹介する。



ユーリー・ニコラエヴィチ・ドロシェンコ


Doroshenko100 当時21歳。ウラル工科大学の学生。
ジーナの元彼。
恋愛関係が解消された以後も、ジーナやディアトロフと良好な関係を維持していた。
クマを地質ハンマーだけで追い払ったという武勇伝あり。
杉の下で発見された時、彼の服は一緒に発見されたディアトロフに取られていた。



ユーリー・アレクセーエヴィチ・クリヴォニシチェンコ “ゲオルギー


Georgy100
当時24歳。ウラル工科大学を卒業したばかり。
ムードメーカー。ジョークを言い、マンドリンを奏で、いつも友人たちを楽しませた。
放射能についての高度な知識を持っていた技術者でもあった。
放射能技能についての詳細は別ページ資料にて解説。
杉の下でドロシェンコとともに見つかる。
遺体はほとんど下着姿で、靴すら履いていなかった。足に火傷。



ジナイダ・アレクセーエヴナ・コルモゴロワ“ジーナ


Zina100_min 当時22歳。ウラル工科大学四回生。
経験豊富なハイカーだった。
毒蛇に噛まれてもトレッキングを完遂するほどの精神力の持ち主。性格は極めて外向的で、活動的。

アイデアに溢れ、様々な物に関心を寄せ、敬意を持って人と接していたので自然と愛された。
発見時の服装は比較的まとも。ドロシェンコの元カノ。



ルステム・ウラジーミロヴィチ・スロボディン


Rustem100
当時23歳。ウラル工科大学卒業生。
非常に優れたアスリートで物静かな人物。
ルステムを知る人物は、彼を『バランスマン』と評した。
楽しい時も苦難の時も冷静に同じアプローチができる人物だったという。

発見時、右足にだけブーツを履いていた。
格闘した際によく見られる挫傷あり。頭部に外国の鈍器で叩かれたような破壊。



リュドミラ・アレクサンドロヴナ・ドゥビニナ “リューダ


Lyuda100a 当時20歳。ウラル工科大学3回生。
リューダ以降に発見される遺体は、損壊が酷くなり奇妙な事実が混じり始める。

リューダは活発な性格で、歌ったり踊ったり、なにかを撮影するのが好きだった。ジーナ同様タフガール。

遺体からは舌がまるごと失われている。眼球も失われている。
胃に残っていた血液の状態から、彼女は生きたままの状態で舌を失ったとされた。そして衣服からは放射能が検出されている。



セミョーン・アレクサンドロヴィチ・ゾロタリョフ “サシャ”


Zolotaryov100 当時37歳。謎の多い不可解な人物。

仲間たちには「サシャ」または「アレキサンダー」と呼ばせていたが、本名はセミョーンであるとされ、それすらも本名ではない可能性がある。
ロシア語、ポーランド語、ウクライナ語そしてドイツ語に通じたバイリンガル。

仲間たちに内緒でカメラを所持していた。ネガが破損したため被写体は不明。
眼球は失われている。骨折多数でリューダと似たような損傷。
事件が彼に起因すると考える者もいる。



アレクサンドル・セルゲーエヴィチ・コレヴァトフ


Kolevatov100 当時24歳。
ウラル工科大学で物理学を学ぶ4回生。インテリ枠。

優秀な学生として評価されている。原子力関連の研究室に身を置いたこともある。
『明白な統率力をもち、勤勉、衒学的、論理的であった』と評される。

遺体が回収された時にはすでに腐敗・分解が著しく、解剖からも詳細な情報は得られなかった。



ニコライ・ウラジーミロヴィチ・チボ=ブリニョーリ ”コリャ


Kolya100
当時23歳。ウラル工科大学を1958年に卒業。

父親が処刑されるという不幸な生い立ちにありながらも、ユーモアにあふれた明るい人物だった。
その率直で優しい人柄により、先輩後輩を問わず愛された。
コリャは母親に「これを最後のトレッキングにする」と約束していが、結局彼は帰らなかった。

捜索後期に発見されたリューダ、ゾロタリョフ、コレヴァトフ、コリャの4人は、それぞれ骨への損傷が激しく、かつそれが広範囲に至っていたため、剖検はそれを車に轢かれたような、と表現した。



ユーリー・エフィモヴィチ・ユージン


Yudin100
当時21歳。
イケメン枠。
体調不良のため1月28日に引き返し、難を逃れた。

ディアトロフ隊の持ち物や、内情に関するいくつかの貴重な証言を残している。




以上の10人から最後のユージンを除いた9名がディアトロフ峠で謎の死をとげた。

画像ばかりで申し訳ないが、ここで地図大好きなオカルト・クロニクルとしては、周辺図も貼っておく。

この遠景画像は海外サイトで流布されているものだが、せっかくなので日本語バージョンを作成した。

ディアトロフ峠、遠景図。未確認生物Menkviは個人的趣味で追加した。 クリックで拡大。

ディアトロフ峠、遠景図。未確認生物Menkviは個人的趣味で追加した。 クリックで拡大。



ちょうどディアトロフ峠付近は針葉樹が生長できる限界高度――樹木限界線と重なっており、テント付近は草木もまばらな高原となっている。

1㎞ほど山を下れば森があり、キャンプを設営するに都合がよいはずだが、そうはしていない。
生き残ったユージンの推測によれば「ディアトロフは戻ることで行程に遅れが出るのを嫌い、ここにテントを張ったのだろう
なだらかな斜面での宿営経験も積みたかったのではないかとも。

dyatlov005a_min

ディアトロフのカメラから復元された写真。
向かって左からリューダ、ゲオルギー、抱きつかれているコリャ、抱きついてるルステム。リューダも笑顔で写っており、隊の明るい雰囲気が感じられる貴重な1枚だ。



 

1月27日に村を出発してから5日後、2月2日の夜。彼らに何があったのか。

のちに回収されたカメラには、運命の夜までの軌跡が収められている。
楽しげに笑い、じゃれ合い、いかにも仲良しサークルといった雰囲気が写真からは感じ取れる。

だが、写真に写っている者たちは、この後全員死んだ。

彼らが楽しげであればあるほど、この後の陰惨な展開に心が痛む。

人生はどこでどうなるかわからない――。彼らの写真がそれを教えてくれる。
とくに、文明から離れた大自然にあって、その雄大なる自然はただ人間を無視する。

そして、峠の大自然は事件に残された様々な謎や疑問にも答えてくれない。
ゆえに我々が資料や証拠を元に考えるしかない。

もちろん、当時の捜査官もそうした。

次節では調査に当たった捜査官とともに事件の流れを追ってみよう。

鉄のカーテンの向こうで


この怪事件の捜査に当たったのは、地元の警察官レフ・イワノフとファシーリ・テンパロフだった。

捜索隊と共にディアトロフたちの後を追い、ようやくで発見したテントを観察してみれば、どうもディアトロフ隊はパニックに陥り、荷物も――靴さえも履かずに逃げ出したのだと推測できた。

dyatlov006.jpg_min

ロシアの地方局が制作した番組『ディアトロフ峠の謎』からインタビューに答える当時の捜査員の映像。
視聴者は、峠の謎よりも先に「まずこの中の誰が捜査員なのか」というミステリーに直面する。



そして、テントから500メートルほど離れた場所で、最初の遺体を発見する。
ドロシェンコとゲオルギーだ。

特に大きな外傷は見あたらず、凍死――つまりは低体温症での死亡とわかる。

この2人の遺体は、ほとんど下着を身につけただけの姿だったので、捜査官テンパロフはこう推理した。

「吹雪になって、彼らの耳に轟音が聞こえた。彼らは雪崩だと思い、慌てて逃げた。逃げる間に集団はちりじりバラバラに分かれ、暗くてテントに戻れなくなった。そこで火をたいて暖まろうとしたが、身体は冷え切り、低体温症になって――服を脱いでしまった。そして死亡した。これしかない。真実はいつもひとつ」

低体温症になって服を脱ぐ――。寒いのになぜ? と思われるかも知れないが、これは決して珍しいことではない。

人は低体温症になると認識能力が低下し正常な判断が出来なくなる。

そして生理的な反応として、低体温になると手足の血液を胴体にまわして臓器を守ろうとする反応がある。だがそのうち身体が疲労してくると、血管がひらいて血液が一気に手足へと戻ってくる。そうなると暖かく感じ、自ら服を剥ぎ取ってしまう。

そこまでの状態になって生き延びた人はいない。したがって服を脱ぐのは死のサインと言えるでしょう
とペンシルバニア州立大学のダン・シャピオ博士はいう。

これを矛盾脱衣(paradoxical undressing)という。

矛盾脱衣:
体温が一定以下に下がると、体は生命の維持のためにそれ以上の体温低下を阻止しようとして、熱生産性を高め、皮膚血管収縮によって熱放散を抑制することにより、体内から温めようとする働きが強まる。

このとき、体内の温度と外部の気温(体感温度)との間で温度差が生じると、極寒の環境下にもかかわらず、まるで暑い場所にいるかのような錯覚に陥り、衣服を脱いでしまうといわれる。法医学では、これはアドレナリン酸化物の幻覚作用によるとも、体温調節中枢の麻痺による異常代謝によるとも説明している。

矛盾脱衣

 

矛盾脱衣という意味深な響きから、女性が寂しさに負け――好きでもない男に身体を許すこと――を想像しがちであるが、それは諸兄らの想像力過多というものである。我々がこの科学的事実から学ぶべきことは、ただひとつ。
童話『北風と太陽』は間違っていたということだ。つまり「部屋に女性を呼ぶ時はとびっきり寒く」なのである。

冗談はともかく、この矛盾脱衣によって不可思議な死は説明が付くと思われた。

だが捜査官テンパロフの説は、捜査官イワノフには響かなかった。

同士テンパロフ。じつに興味深い説だが、服はどこにある?

それに残りのメンバーはどこへ?

これはどうしたことだろうか、と2人して首をかしげる。
じゃあ、と捜査官テンパロフはさらなる推理を披露した。

「こういうのはどうだろう、同士イワノフ。喧嘩になったんだ。男女のグループには喧嘩はつきものだ」

まず、男女の考え方の違いから、言い争いに発展する。それはだんだんと熱を帯び、短気なメンバーの頭はヤカンよりも沸騰する。

そしてライフルを構えると、女性と――それに味方した仲間に銃口を向ける。
怒りのままに「服を脱げ!」と懲罰的な意味合いをこめて命令する。

そして脱衣を強要された者たちは極寒の中、少しずつ死んでゆく――。

発見されたテント。
調べてみれば、内側から引き裂かれていた。



ディアトロフ隊がライフルを所持していたかについて、多少の議論があったのは確かだ。

メンバーがライフルらしきモノを持った写真が存在し、それが動かぬ証拠とされる。彼らがライフルを所持していたなら、推理や推測に様々な方向修正が必要となるが、現在では『実際には所持していなかった』ということになっている。

だが『仲間割れ仮説』もその後に確認される事実により、根拠が曖昧となって行く。

そして定まらない推理をよそに捜索は続き、しばらくののち、発見が遅れていた最後の4人も見つかった。もちろん遺体で、だ。

この時に発見された4人、つまりリューダ、ゾロタリョフ、コレヴァトフ、コリャ。彼らの遺体の損壊具合は、それ以前に発見された5人よりも悲惨なモノだった。

この遺体……目がない。……こっちのは舌がなくなってる
頭蓋骨が陥没している者、外傷はさほどないにも関わらず、肋骨のほとんどが砕けている者。そして放射能を帯びた者。

なんだこれは。なぜこうなった。

謎が謎を呼び、捜査官テンパロフもイワノフも、頭を抱えるしかない。
そしてテンパロフはディアトロフ隊の日記から1つの閃きを得た。

そこには『最近、こんな話が話題になっている――』とはじまり、雪男&イエティに似た生物について触れられていたのだ。そして、その生息地がウラル山脈だということも。

彼らは雪男に襲われたに違いない! じっちゃんの名にかけて!

そう力説するテンパロフに、捜査官イワノフは頷いてニヤリと笑う。

「その発想はなかったよ、同士テンパロフ。なるほど。いますぐ局長に報告しよう。捜査は終了だ。これで俺たち……シベリア送りだな」

同僚の冷笑をものともせず、事件にのめり込んだ捜査官テンパロフは、新しい可能性にも目を向ける。

それは、この地域の住民たちが見たという『奇妙な光球』についてだ。

その日の夜、「謎の光を見た」という住民の証言はなにかしら重要なヒントになるのではないか――。

この光球を『軍事的な何か』と考えたテンパロフは、次のように想像をふくらませた。

あの夜、グループは2つに分かれ、一方は谷へ下りて、もう一方はテントに残った。
谷へ下りたグループは轟音を聞き、1人が何事かと音のした方向を見ると、近くでミサイルが爆発し、1人は頭を打ち砕かれ、他のメンバーも激しく地面にたたきつけられた。

彼らは意識を失って凍死し、野生動物が遺体を食べた――。

テントでは衝撃波によって入り口がふさがれ、パニックに陥ったメンバーはテントを切って脱出。

そして山道を逃げるも、あえなく凍死した。

これしかない! 真実はいつもひとつかふたつ!dyatlov007_min
推理の穴はともかく、ソ連政府はテンパロフの『ミサイル爆発説』に難色を示した。
難色だけでなく、当局はテンパロフに事件を『なんのことはない、ただの遭難と低体温による死亡』として処理することを命じた。

むろん、テンパロフは反発した。
なぜ真実を闇に葬ろうとするのか。ただの遭難と低体温で説明できるわけがない――と。だが、抵抗も虚しく、反抗的なテンパロフは当局により捜査の任を解かれた。

そして残ったイワノフは『なんのことはない、ただの遭難と低体温による死亡』として事件を処理した。

『本当にあった奇妙な科学実験史』では、その時のやりとりを以下のように表現している。

真実はどうなる! 真実が失われても良いのか!

そう詰め寄ったテンパロフに、イワノフは言う。

いいか、ここはイブデリという小さな町の警察に過ぎない。その上にはスヴェルドロフスク州党委員会があって、更にその上にはウラル地域の党委員会がある。そして、その上には最高機関である中央委員会があって、フルシチョフ第一書記をはじめとするお偉方が居る。俺にとって重要な真実はソレだけだ! それがわからないやつは……! ……愚かだよ……
翌日イワノフは昇進している。

テンパロフは任を外されてからも密かに捜査を続け、事件はやはり秘密兵器の実験だと確信するに至ったという。

一方のイワノフは1990年にようやく重い口を開き、当局からの圧力があったことを認めた。そして本人は何かしらの超常現象の発生――具体的にはUFOの関与を疑っているという。

捜査資料やその他の報告書は機密文書保管庫に送られ、事件は何十年も闇に葬られてきたが、90年代になってようやく情報が公開された。
だが資料の一部はなぜか失われており、今なお発見されていない。ただの散逸なのか、あるいは隠蔽なのかはわからない。

かくしてディアトロフ峠事件には無数の「なぜ?」が残された。今となってはその全てを合理的に説明することは難しい。

テンパロフの提示した様々な仮説も含め、どのような出来事が9人を襲ったのか。
次ページではその謎に触れてゆく。

2ページへ。

1 2
Sponsored Link


Sponsored Link
jerseydevileye02
ジャージーデビル――闇に消えた13番目の子

「これ以上、くるしい思いをするなら、いっそ悪魔の子になればいい」 リ

FlorenceFoster JenkinsEye
フローレンス・フォスター・ジェンキンス―世界一有名な無名歌手

「人々は――私が――歌うことができないと言うかも知れません」 音楽の

InokashiraMMurderEye2
井の頭バラバラ殺人事件―迷宮の深淵から

――魚の切り身か、豚肉だと思った。 丁寧に梱包されたビニール袋を清掃

fatimaEYE
ファティマに降りた聖母――7万人の見た奇跡

牧童の前に現れた聖母は天を背負い、言った。 これから言うことは、

wyomingincidentEye2
ワイオミング事件―真実はフィクションの中に

ニュース番組の映像が乱れ、唐突に奇妙な映像が始まった。 『333-3

もっと見る

  • twitterにて次回記事候補として挙げていた『セイリッシュ海の足首事件』ですが、もうすぐ発売になる洋泉社さんの『怪奇秘宝』にて掲載させていただく予定になりました。

    当サイトのアイキャッチを気に入っていただけたということで、菅井協太さんのシングル曲「Butterfly 」 のジャケットを担当させていただきました。
    butterflys /itunes /googleplay
    /菅井協太公式サイト


    ・一部のスマートフォン(android AQUOSフォン)で本文の行幅が狭く、文字がぎっしり詰まって読みにくい不具合。修正諦め。

    沢山の励ましのメッセージ、項についての追加情報、指摘、ありがとうございました。この場を借りてお礼申し上げます。
    ともかく、今後とも宜しくお願いします。頑張ります押忍。

PAGE TOP