神隠し――ここは、人の消える国。

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ある日、人間が忽然と消える。乗った馬の上から、入浴中の全裸のまま、あるいは隠れんぼで隠れたまま――。 帰ってくる者がいれば、二度と帰ってこない者もいる。その時なにが起こったのか。手元に残された様々な事例から神隠しの裏側にせまってみよう。

神隠し、鬼隠し、あるいは天狗隠し。

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大正初年、埼玉県。
間瀬の山麓に住むM家に6歳の女の子がいた。 両親がその子をともなって山仕事へ出かける。

両親が作業を行う傍らで幼女は1人遊びなどをしていたが、しばらくすると急な眠気をうったえた。両親はニワカ雨に備えて用意していたミノを山肌に敷き、幼子を寝かせた。 幼女は1時間ほどおとなしく眠っていたが、やがて目を醒まし、突如として間瀬峠に向かってせっせと歩き出した。 これに気がついたM夫婦は仕事の手を休めて娘に大声で呼びかけた。

どこへ行く。そっちは山奥だから遊びに行くんじゃない

だが、娘は振り向きもせず、なにかに魅入られるようにして峠へ歩みを進めてゆく。 異変を察した両親は、すぐさま娘を追いかけた。

だが娘は大人の足でも追いつけない速度で走り出した。そして、角を曲がったのを最後に娘の姿を見失ってしまった。 2人が必死になって呼べど叫べど、木霊しか帰ってこなかった。 夫婦は急いで山を下り、近所の人びとの応援を得て、捜索を開始した。だがくまなく探しても娘は見つからなかったが、女の子が消えたと思われる岩陰に、その子が履いていた藁草履がきちんと揃えて脱いであった。

彼女は今日まで行方がわからない。




不思議な事例である。 消えた子供、届かない声、残された草履。『神隠し』という言葉のはらむ湿った暗さ、神秘性、独特の浮遊感を感じさせる。

もうひとつ。今度は神隠しから生還した事例を挙げておく。




明治、千葉県君津市人見橋。秋。
刈入れがすんであちこちに稲むらが立ち、子供たちが隠れんぼをして遊んでいた。

そのうち一人の女の子の姿が見えなくなった。村の者たちが総出で氏神の森は勿論、山も谷も、近くの川の底までさらったが行方不明のまま。
そうして4~5日ほど経過すると、女の子がたぼけた顔してそっと家の軒下に立っていた。呆けたようにポッカリと口を開け、一言も喋ろうとしない。

母親が娘の髪をすいてやりながら尋ねるとようやく自らの身に起こった出来事を語り始めた。 稲むらにかくれていたら急にからだが重くなり声も出ず、みなが探しに来たのは判っていても何も言えない。 日が暮れたら氏神様の大杉の枝にひきあげられた。提灯をもって探しに来た時も知っていた。4~5日すると返すと言った。(その存在は)姿を現わさなかった。

『昔話しのあれこれ』四号(人見老人学級)




これも奇妙な話である。仲間や村人が自分を探している事を理解していながら、「ここにいる」と返事できなかったのだという。

そうして、もうひとつ。 柳田國男の『遠野物語』で有名なサムト(ノボト)の話を紹介しておく。




夕暮れ時に女子供で家外にいる者はよく神隠しにあうことは他の国々と同じ。 松崎村の寒戸(サムト)というところの民家で、とある少女が梨の樹の下に草履を脱ぎ置きたまま姿を消した、 そうして30年ほど月日が流れたのち、彼女の親類たちがその家に集まっていたところ、老いさらばえた女が唐突に帰ってきた。
家の者が「いかにして帰ってきたか」と問うと、老婆は「皆に逢いたくて戻ってきた」という。そして、彼女はすぐに去っていった。

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鳥取県は水木しげるロードに設置されている『サムトの婆』像。よくみれば、一粒の涙を流している。
出典:wikipedia.org


その日は風の強く吹く日だった。遠野郷の人は、今でも強風が吹く日には、今日はサムトの婆が帰って来そうな日だと言う。



前述の二つと違い、サムト婆は自らの意志で神隠しから生還し、そしてまた去ってゆく。
なんだか、少し悲しい話である。

ちょっぴり民俗学的な話になり、結論を急ぐせっかちな諸兄達に申し訳ないが、もう少し続けさせて欲しい。 このサムト婆の話は調べを進めると興味深い。

柳田國男はこの話を、佐々木喜善の『東奥異聞』から採ったようであるが、原話は國男先生のものと少し違う。

以下引用。
岩手県上閉伊郡松崎村字ノボトに茂助と云ふ家がある。 昔此の家の娘、秋頃でもあったのか裏の梨の木の下に行き其処に草履を脱ぎ置きしまいに行衛不明になった。

然し其後幾年かの年月を経ってある大嵐の日に其の娘は一人のひどく奇怪な老婆となって家人に遭ひにやって来た。

其の態姿は全く山婆々のやうで、肌には苔が生い指の爪は二三寸に伸びてをった。
さうして一夜泊りで行ったが其れからは毎年やって来た。
その度毎に大風雨あり一郷ひどく難渋するので、遂には村方からの掛合ひとなり、何とかして其の老婆の来ないやうに封ずるやうにとの厳談であった。そこで仕方なく茂吉の家にては巫子山伏を頼んで、同郡青笹村と自分との村境に一の石塔を建ててここより内には来るなと言ふて封じてしまった。

其の後は其の老婆は来なくなった。
簡単に説明すれば―― 行方不明になった娘が30年後にヤマンバのような姿になって家族の元へ戻ってきた。老婆は一晩泊まって去っていったが、それからは毎年やってくるようになった。

だが、老婆が来るたびに嵐に見舞われるので、村人達は迷惑に思う。そして村人達に突き上げられた茂吉一家は霊験者に頼んで村境に石塔を建てて老婆がやってこれないようにした。 老婆はそれっきりやってこなくなった。

という話になる。

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現在も残っている『サムト婆』の碑。クリックで碑の説明文が拡大されます。ちなみに、もともとは事件のあった家に碑を建てる予定だったが家の者が嫌がり、結局関係のない場所に建てられたそうだ。伝説となりてなお老婆には帰る場所がない。
写真元:南部吟遊詩人の写真館さん


村の名前はサムトではなく、ノボト。老婆は一度きりでなく、何度も村を訪れている。 『登戸』という地名が松崎村に実在することから、『寒戸』は『登戸』であると考えられる。

原話を読んでみれば國男先生の話に漂っていた叙情感とも言うべきものは薄く、どこか泥臭い、人間の黒い部分が見え隠れする話である。 村人たちにとって、老婆はもはや『村の者』ではなく、害悪を運んでくるヨソ者でしかなかったというわけだ。

そして老婆はもうやってこない。
石塔のまじないが効いたのか、あるいは排除せんとする村人達や家族の姿を老婆が見たのか、定かではない。

やはり、悲しい話だ。

なんだか怖い神隠し事例

新潟 木こりの幼女が行方不明になり、探す。
父母は狂気のように探しまわり、狐の穴に赤飯を供えて歩いた。やがて探しつくした頃幼女は眠ったような姿で発見されたが少しもやつれた様子もなくまるまるとしていて、ただ全身にかき傷があったという。

既にくり返し探しつくしたところに横たわっていた幼女。行方不明になってから何日も経つのに何故ふっくらと肥って肌もつやつやとした顔で死んでいたのか。町の人は「子をなくした狐が、あんまりその子が可愛げでさらっていって養っていたんかねえ」といいあったという。
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東京都青梅市 大正12年7月 大震災の直前。私鉄青梅鉄道の日向和田駅の西方、石神入の細い小川に沿って奥へ入ったところで、土地の男某が朝早く草を刈っていたとき、山道に5~6歳くらいの女の子がしくしく泣いていた。
某が近寄って「お前はどこの子だ」ときくと何か答えたが言葉がいっこうに解らない。親切な某は草刈りをやめ、その子をおぶって日向和田駅へきた。
そして平常から親しくしていた駅長に一部始終を話した。
駅長はその子の着物や草履、言葉つきなどから東北地方の子どもだと見当をつけたので、お手のものの鉄道電話で立川の駅長に連絡し、それを通じて新宿、上野、米沢、盛岡、仙台方面へ調査を依頼した。そして子供は社宅に連れて帰って奥さんに世話をさせた。

するとその日の夕方、盛岡駅から電話が入り、その子は岩手県のある農村の娘で、しかもその前日まで近所の子供と鬼ごっこをして遊んでいたが、夕方から行方不明になり神かくしにあったといって村中総出で探しているということが判った。
そこで駅長と発見者の某はすぐ送りかえしてやろうということになり、翌朝、子供の胸に大きな木札をつけ名前と下車駅を書き、握り飯をたくさん持たせて駅から送り出してやった。


数日経てその子の両親からたどたどしい礼状が日向和田駅長宛に届いたそうである。
不思議なのはどうして幼い子供が一夜のうちにひとりでこんな遠くまで来られたかということだ。当時は旅客機もないし、急行列車でもこんなに早く来られるはずはない。 岩手の村では天狗様に連れて行かれたといったそうだが、本当にこれが神かくしというものだろうか。

岩手県岩手郡雫石村 相応な農家で娘を嫁にやる日、飾り馬の上に花嫁を乗せて置いて、ほんの少しの時間手間取っていたら、もう馬ばかりで娘は居なかった。
ほうぼう探しぬいても見当らぬ。

そうして数か月も後の冬の晩。近くの商い屋に、五、六人の者が寄合って夜話をして居る最中、からりとくぐり戸を開けて酒を買いに来た女が、よく見るとあの娘であった。

男たちははなはだしく動揺し、言葉を失った。そうやってグズグズとしているうちに娘は酒を量らせて勘定をすまし、さっさと出て行ってしまった。
気を取り直した男たちが寸刻も間を置かず、すぐに店から飛び出して左右を見たが、もう何処にも姿は見えなかった。
たぶん、軒の上に誰かが居て、女が外へ出るやいなや、ただちに空の方へ引張り上げたものだろうと、解釈せられて居たということである。


岩手県陸中南部 民家の娘が栗を拾いに山へ入って還らず、親は死んだものとあきらめて枕を形代に葬式をする。
2~3年過ぎてから村の猟師の某が五葉山の中腹でその女に出会って驚いた。
女のいうには「自分は山で怖しい人にさらわれ、一緒に住んでいる。そういうウチにもここへくるかもしれぬ。眼の色が恐しくて背が高く、子供も何人か産んだけれども似ていないとて殺すのか棄てるのか皆持っていってしまう」と語ったという。

また同じく五葉山で同じような話を語り、猟師に「すぐ帰ってくれと」いうのに猟師は「ここで逢ったからには連れて帰る」と手を取って山を降りかかったところを、いきなり後から恐しい男がとんできて女を奪い返し山へ入った。
これは維新前後の出来事であったらしく娘の父は生存していると家の名まで明らかにした。


鎌倉時代 建保(1213~)の頃、高倉という女に、アコ法師という7歳になる子がいた。近所の子供たちと小六篠まで出かけた。 夕暮れどきになって子供たちが相撲をとって遊んでいたときである。後方の築地の上から垂布のようなものが降りてきて、アコ法師を包み隠した。 と思う間もなく、そこからアコ法師の姿が消えてしまった。現場に居合わせていた子供たちは逃げ帰り、恐ろしさのあまり、まともに口をきくことさえできなかった。嘆き悲しんだ母親はあちらこちらを探し回ったが、見つからなかった。
三日目の夜中に、母親の家の門を叩くものがあった。 恐れ怪しんだ母親が戸を閉じたまま、「誰ぞ」と問うと、「行方不明になったお前の子を返してあげよう。だから戸を開けよ」という。 それでも開けないでいると、家の軒のところで、大勢の笑い声がして、廊の方に何かを投げ入れた。恐る恐る火を点してみると、アコ法師がいた。その子はまるで死人のようで、口もきけず、ただ目をしばたいているばかりであった。

他にも興味深い事例は多いが、項が冗長になるため割愛。

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で、神隠しってなんだったの?

なんでしょう?
どこから手を付けて良いか迷うところだが、ここはやはり『ヤツ』の存在を明確にしておいた方がよいだろう。

様々な事例で、まず犯人とされているのが『天狗』だ。
生還した者がそう証言した場合もあったし、周囲がそう判断した場合もあった。
天狗がイタズラ心で人をさらい、そこらじゅうを連れ回して元の場所へ返す OR 連れ去ったまま戻さない――と当時の人々は考えたようだ。それに加えてキツネ、鬼なども犯人とされている。

なぜこれらの存在が神隠しの犯人とされたか――その考察は真面目な研究を行っている学者先生がたにお任せするとして、あまり真面目ではないオカルト・クロニクルとしては民俗学的アプローチは潔く捨て去りたいと思う。

とはいえ、様々な神隠し譚を収集してみた結果、傾向とポイントが見えてきた。

A:被害に遭うのは、ほとんどが年端も行かない子供、女性、あるいは知的障害のある者。
B:運良く見つかった、ないし帰還した者も、神隠し中の状況を上手く説明できない。記憶障害。
C:帰還した者の多くが、隠し神によって食物を与えられている。貝、タニシ、木の実、木の葉、ウサギのフンなど。
D:明らかに事件性のない短時間の行方不明も、周囲のとらえ方によっては神隠しとされた。
F:天狗なり、キツネなりの異世界を体験し、戻ってきた者の語る体験談は陳腐と言えるほど似通っている。
G:どちらかというと、天狗にさらわれた方が待遇がよろしく、キツネにさらわれた場合は酷い目にあわされる。

ほとんどが以上に分類されると思う。
ゆえにあまり事例を挙げても諸兄らを退屈させるだけだ。
異世界へ行ったという体験談も残されてはいるが、それらも諸兄らの好奇心を満たすようなモノではなさそうだ。
天狗に連れられて、空から町を見下ろした――天狗の酒盛りにでた――気がつけば地上にいた――のようなものばかり。

『神隠しで異世界』と言われれば、某アニメで千尋が訪れたような奇妙な世界を期待してしまうが、それほどでもなかった。
トンネルの向こうは、普通の街でした。――という感じです。

犯人が天狗ばかり、似たような体験ばかり……この事実をして、誘導尋問的な質疑応答があったんじゃないか、という向きもある。

たとえばこうだ。発見直後、茫然自失としている子供や女性に発見者が聞く。

「どこ行ってたんだ? 天狗か? 天狗にやられたんか?」
「ああ……」
「天狗なんだな? 空にさらわれたんだな? 天狗の里に行ったんだな?」
「ああ……」
「やっぱりそうだ!」
「ああ……」
「天狗めー」

この会話は極端かも知れないが、多くの場合、神隠しが発覚した時点で、村人たちの中に天狗(他の隠し神含む)に対しての『推定有罪』が働いていた。

村人たちは自分たちもさらわれないよう互いに手を取り合い、縄で体を連結し、鉦や太鼓を叩きながら山狩りをする――「返せ、返せ」と叫びながら。
犯人は隠し神に違いない、という予断が根強くあった。それが事件の真相を覆い隠す結果を生んでいた。
天狗たちも冤罪に迷惑していただろう。

では現代はどうか

現代においては一部の芸能人の方々が、『天狗』になったせいで神隠しになる――という、因果のねじれを数年ごとに……。

と、冗談はさておき
平成の世になって、幼女が行方不明になり、その遺体が藪で発見されたとする。ここで、「ああ、神隠しだな」と言う人はいない。

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天狗こそが神隠しの元凶とされた。
写真は高尾山の天狗像。すごく、いかついです。


警察は『何者かに殺害されたとみて捜査』するし、やがて犯人は逮捕される。そして、人々の頭上に浮かんだ無数の『なぜ?』は取り調べによって明らかとされるだろう。そして加害者には法によって裁かれ、それ相応の罰が下される。

ここに天狗の介入する余地はない。

明治の頃には依然として人さらいを生業とする集団もあり、子供の臓器が薬になるとのデマも横行していた。神隠し事件のなかには、こうした犯罪を真相とするものもあったろう。
その他の多くの事例においても、精神科医や研究家たちが「解離性遁走であったのだろう」と分析している。

天狗信仰が薄れた現代だ。
神隠しは行方不明、蒸発、失踪――などの表現に変化し、その神秘的な表現が使われることは少ない。それこそ、事件に不可解な事実が認められた際に誰かが言い出す程度のものだ――「神隠しじゃ?」と。

ぱっと思いつくだけでも

1989年に起こった松岡伸矢くん行方不明事件。
1991年の加茂前ゆきちゃん行方不明事件。
同年の石井舞ちゃん行方不明事件。
1996年坪野鉱泉肝試し行方不明事件
2001年の広島一家失踪事件。
2005年の坂出タケノコ掘り女児行方不明事件。
2009年郡上市ひるがの高原キャンプ場女児不明事件。

最近でいえば千葉の女子高生の家出などは、いつかの日本なら確実に神隠し事例として記録されたに違いない。
しかし、『不可解=神隠し』であっても『神隠し=天狗』ではなくなっている。『天狗による神隠し』は非合理な推測とされ、まだ『神隠しは異星人によるアブダクション』と言ったほうが(ごく一部の有識者には)リアリティが感じられるのではないか。

異界なき日本

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■諸兄らの溜飲も下がるだろうシリーズ。
こんなカオナシになら、諸兄らも今すぐ神隠しされたいと思うはずだ。
写真協力:一巴さん


多くの事例の中にも謎めいた失踪は少なからずあるが、現代に生きる我々には『神隠し』の原因をあれこれ推察することができる。

そうして合理的な推察を重ねて行くと、神秘のヴェールは剥がされて、その裏側にあったものが生々しい人間社会であったことに気付くことができる。

こんな事件がある。

1990年、12月11日の夜。
群馬県勢多郡新里村の小学校5年生の少女が、突如として行方不明になる事件が報じられた。
この少女は、午後6時50分ごろ、そろばん塾からの帰宅途中、買い物のため通りかかった父親の車に乗り込み
同級生の友達の家に行く
と自宅から約200メートル離れた友人宅近くの村道で車を降り、30分後に父親が少女を迎えに行ったところ、少女が友人宅に行っていないことがわかり、警察に届けたものであった。

諸兄らはここで「ふふん、天狗か、カオナシの仕業だな。真実はいつもひとつ」とは考えまい。
幼女誘拐と考え、幼女趣味の犯人像を思い描いたのではないだろうか。

事件から1週間経過した18日朝、少女は村内の雑木林で遺体となって発見された。
警察も「こりゃあ、天狗か、カオナシの仕業だな。真実はいつもひとつ」とは考えず、殺人事件として綿密な捜査を開始した。
そしてすぐその翌日、事件は解決した。
父親が保険金目的で娘を殺害していた。

人間が関わった神隠しも、一筋縄にはいかないようだ。

もちろん犯罪だけが原因ではない。

神隠しの被害者は年端もゆかぬ子供、女性、障害をもったもの。立場の弱かった者ばかりだ。

自らの意思で『隠れた』者もいただろう。
自分の勝手な行動で村中を大騒がせし、バツの悪かった子供もいたろう。
本人の意にそわない結婚が嫌で、馬の上から飛び降りた花嫁もいたかも知れない。
別の場所にいる恋人の元へ身を寄せた者もあったかも知れない。
あるいは人里離れて自殺を図った者もいたかも知れない。それに失敗した者もいたかも知れない。

小松和彦は指摘している。
『神隠し』は不問の文化だった、と。
消えた、失踪した原因を『あちら側』に求める事で、生々しい事件の真相にそっとヴェールをかけることができる。
失踪の理由を『こちら側』に求めるのと、『あちら側』に求めるのでは失踪者に対しての扱いが大きく異なってくる。

悪いのは『あちら側』という無言のコンセンサスのおかげで、失踪者たちは何の咎めもなく、再び村社会の中に戻って行く事ができる。村社会はこうやって失踪者たちに『帰る場所』を用意していたのではないか。
失踪したまま帰ってこない者たちに関しても、家族たちは「異界に行っているだけ」「いつか帰ってくる」「神の仲間になって私たちを見守っていてくれる」と考え、精神的な痛みをやわらかく癒していった。

神隠しとは、人だけでなく、真相にもヴェールをかけて隠すものだった。これは内輪に甘いとされる日本人の、日本人らしい解決法だったのかも知れない。

長くなってしまったが最後に小松和彦氏の名著『神隠し 異界からのいざない』から引用しておく。
ふと私は思った。
現代こそ実は「神隠し」のような社会装置が必要なのではないか、と。
家族生活や学校生活(受験生活)、会社勤めなどに疲れ切った私たちに、「神隠し」のような、一時的に社会から隠れることが許される世界が用意されていたらどんなに幸せなことだろう。

そこに隠れたとみなされたとき、私たちは『死者』として扱われ、まもなくしてそこから戻ってきたときは、失踪の理由をあれこれ問われることなく再び社会に復帰・再生できるのだから。
そして我々は、神隠しのない時代を必死で生きている。

■参考文献 神隠し―異界からのいざない (叢書 死の文化) ★オススメ 現代民話考(全12巻セット) (ちくま文庫 ま) 遠野物語・山の人生 (岩波文庫) 漂泊の人間誌 東奥異聞 幻想の変容 神隠し伝承の研究 長野県史 民俗編 第2巻 神隠し譚 【ロケットニュース】神隠しか? 64歳男性が朝起きたら局部が消失
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